第10章 11話 シノギの匂い
ジョプリンはケチなスリ師であり、ギルド”青い葉”に属する多くのシーフのひとりでしかない。
その立場は何も変わっていないはずだが、いま彼はブルーハーブ元締めの私邸にいる。ヒラの構成員が気楽に入ることのできる場所ではない。
全ては偶然だ。マーケットでひと仕事しているところを4年前出奔したカルボに見つかり、事情を話しているうちになんとなく同行して”赤い頭”への破壊工作まで手伝うことになった。
ジョプリンとしてはただ付き合っただけのようなものだが、元締めのヒューレンジからはその功績をいたく評された。それなりのカネを賜り、ギルド内での地位がひとつふたつ上がることになった。実感はないがありがたいことだ。
「ブルーの切り込み隊からの報告では、どうやらダン=ジャリスの暗殺には失敗したらしい」
長テーブルの上座からヒューレンジが苦い顔で言った。表の顔は貿易商だが、盗賊ギルドの元締めでもある。その眼差しには抜身の刃のような恐ろしいものが含まれていた。
「連中の施設には大きいダメージを与えたようだ。ただ……こちらの犠牲者も多かった。数年かけて育て上げた精鋭たちだったのだがな。惜しい命が失われた」
アッシュは小さく咳払いし、「自分らの工作は役に立ったんスかね」
「もちろんだ。状況から鑑みるに、レッドトップが魔薬の精製を今までどおり再開するには、最低数ヶ月はかかるだろう。連中にとっては大きな資金源が失われることになる。あとは我々が少しずつ包囲網を狭めれば……」
「組織ごと潰せる?」
「その通り。アッシュくん、君たちの援助は大きかった。どうだね? ブルーハーブの一員に加わってみる気はないかね」
「お父様!?」
カルボが血相を変えて椅子から立ち上がった。ヒューレンジが慌てて冗談だと言わなければ、厄介な口論になっていたかもしれない。
ジョプリンはその様子を見て、やはりカルボにはブルーハーブに戻る気がないのだと再確認した。誰にも感づかれないよう小さくため息をついた。麗しのカルボ。レッドトップが分裂する以前、ブルーハーブもまた魔薬をシノギにしていたのだから。
「いや、すまなかった。今のは忘れてくれ」ヒューレンジは若干肩を落とし、「ではこれからどうするのかね。私からは援助を惜しまないつもりだが」
カルボは目を伏せ、それからアッシュの方を見て「どうするつもりなの、アッシュは?」
「俺は正直なところ、レッドトップをまるごとぶっ潰したいってのが本音だ。そっちの方が性に合う。でもカルボ、お前は元々この家から家出して、都市から出て行った人間だ。俺の”つもり”はどうでもいい、お前の判断に従うよ」
ジョプリンはアッシュの物言いを聞いて、気が気でなかった――アッシュがカルボのことを”お前”と呼ぶたびにヒューレンジの眉がつり上がるのである。ヒューレンジのカルボへの思いは、複雑ながらやはり溺愛に近いのだろう。
「はっはっは、カルボ殿の身柄については心配召されぬことですぞヒューレンジ殿」いままで黙っていたドニエプルが急に野太い声で口を開き、「拙僧がいかなる時にもお守りすると約束しましょう!」
「ドニエプル、そりゃどういう意味だ」
「アッシュ殿、拙僧もみなさまの一行に加えていただきましょう」
「初めて聞いたぞ」
「はっはっは、拙僧も初めて申し上げた」ドニエプルは自慢気に目を輝かせ、がっしりとした腕を組んだ。「龍骸苑の教義にはこうある。”戦いを通じて正邪を学び、戦いを通じ龍骸の何たるかを極めよ”。精舎で経を唱えるだけが行者の役割ではありませんぞ」
ぜひ拙僧をお役立てくだされ、といってドニエプルはいい顔で笑った。
アッシュは助けを求めるようにカルボを見たが、同じ表情でカルボもアッシュを見た。
アッシュは左眉の古傷をなでた。ドニエプルは豪快で真っ直ぐで、何よりも強い。仲間に加わってもらえるならそれはそれで問題はないだろう。問題があるとすれば暑苦しいぐらいだ。そう考えると頼もしい一員が加わってくれるというのは、傭兵として請けられる仕事の幅を広げることでもある――。
アッシュはおおむねそう考え、「まあ、いいんじゃないかな」
「おお、ありがたい。それでは本日只今より拙者はカルボ様のおそばに仕えますぞ!」
「わ、わたしの?」
「あいや失礼、皆様とともに参りましょうぞ!」
一瞬、アッシュの片頬がひくっと動いた。
ジョプリンにもその理由は何となく分かる――ドニエプルはあからさまにカルボに対する好意を発信しているからだ。アッシュとカルボがどのような関係なのか詮索はすまいと思っているジョプリンだが、なんとなく察するところもある。
「それでよかろう。私としては……」ヒューレンジはカルボたちをゆっくりと眺め、「アッシュくん、ドニエプルくん、どうか娘をよろしく頼む」
ヒューレンジは自らの地位からすればそうそうありえない角度で頭を下げた。
ブルーハーブは、レッドトップに比べればずっと少ない規模ではあるが、魔薬の取引をやめていない。
理由がある。
魔薬の流通が完全に止まったら、今度は別のルートで売買が始まるだけなのだ。犯罪組織として警察と持ちつ持たれつの関係にあるブルーハーブは、クスリの流通を組織が管理することで不要な蔓延を防ぎ、ブルーハーブは儲けを取り、警察は中毒者を時々検挙て実績を得る。
そういう関係をぶち破ったのがレッドトップなのだ。
ジョプリンは考えをめぐらした。カルボが魔薬取引を嫌って出奔した経緯を考えると、商業都市にして犯罪都市であるヴィネにとどまることは考えられない。ならばせめて信頼できる人間に娘を預けることぐらいしかできないだろう。
複雑な問題だ。ジョプリンにも情婦がいるが、子どもはいない。もし生まれたら、父親の職業がスリ師、というわけにはいかないだろうなとジョプリンはちらりと天井を見た。
――なんだ?
気のせいか、天井を何か黒くて大きい物が動いていたように見えた。ゴキブリ? いや、虫にしては大きすぎる。
「アクセルレッドの精製がほとんどできなくなったら、レッドトップはどのような動きをするのでしょうな?」
ドニエプルの問に、ヒューレンジは眉間にしわを寄せた。
「……やつらはカネのためなら何でもやるというのをモットーとしている。今までは一番大きい資金源がアクセルレッドの流通だったわけだが、それができないとなると第二第三のシノギに力を入れてくることだろうな」
「第二第三とは?」とドニエプル
「脅迫、強盗、誘拐そんなところだ。それから……」
「まだあるのですか」
「うむ」
「何でありましょうか?」
「暗殺だよ」
その時、天井の黒い影が全く無音のまま飛び降り、一同が席についている長テーブルの上に着地した。
「な……!」
その場にいたアッシュたちは全員が驚きのせいで動きがかたまり、イニシアチブを黒い影が握った。
その右手には、取り付け式の小型クロスボウに矢弾がセットされている。
噂をすれば影――それはレッドトップが送り込んだ暗殺者だった。
*
運、不運、宿命、運命。
その瞬間、様々な要素が入り混じった。
ヒューレンジは長年盗賊ギルド元締めを務め、抜け目なさと勘の良さを持ち合わせている。そうでなければ生き残れない業界だからだ。その鋭い危機管理能力が、恥も外聞もかなぐり捨てて椅子ごと体を後ろに倒し、クロスボウの直撃を避ける動きを可能にした。
黒尽くめの暗殺者はそれに惑わされること無く、長テーブルの上から飛び降りつつも第二射の矢弾をセットした。
その動きをアッシュたちは見逃さない。ドニエプルが巨体を活かしてヒューレンジと暗殺者の間に割って入り、アッシュは長テーブルの上に飛び乗って三段跳びの要領で一気に暗殺者との距離を取り、ベルトに引っ掛けた投げ斧を二枚、素早く投げつけた。
投げ斧は狙いも何も定めずに投げたものゆえ暗殺者に当たりはしなかったが、クロスボウを射つタイミングは1秒ずれた。
そしてその間に、カルボは暗殺者の背後に滑り込み、膝の裏側を思い切りキックした。
ビン、と音がしてクロスボウから矢弾が撃ちだされたが、斜め上に逸れて品のいい壁に突き立った。外れだ。
暗殺者は素早くその場から飛びのいてクロスボウにもう一本矢弾をセットしようとする。しかしアッシュのメイスが抜き打ちで危険な矢弾を手首ごと叩き折った。右手首から先があらぬ方向にぶらぶら揺れて、しかし悲鳴は上がらない。それだけの訓練をされている。
「アッシュ殿」ドニエプルが低い声で言った。「毒矢ですぞ。ご注意召されよ」
アッシュは唇を舌で湿した。暗殺者である以上、毒を使うのは当然とも言える。クロスボウ以外に何を持っているかわからない状態では、接近戦には迂闊に持ち込めない。
じり、じりと距離を詰め、あるいは離れ、暗殺者とそれを包囲するアッシュたちが互いの油断を探りあう。
暗殺者の狙いはヒューレンジだ。だとすれば、暗殺者の任務はほぼ失敗といえる。ヒューレンジはうまくクロスボウをよけた。逆に暗殺者は右手首を折られ、クロスボウをまともに撃てない。となればあとに残されるのは……。
「クロ! シロ!」
アッシュがメイスを突きつけたまま黒薔薇と白百合の名を叫んだ。
「ヒューレンジさん、自分らが抑えます。クロとシロをつれて、どこか安全なところへ! ジョプリンさん、あんたも!」
「わかり」「ました」黒薔薇と白百合はふわりと浮遊して、ヒューレンジの両脇を抱えるようにして部屋の外へと出て行った。「アッシュたちも」「お気をつけて」
アッシュはその気配を背中に感じながら、暗殺者の左腕の動きを注視した。
右手はもはや動かせない。
だが左手は生きている。
懐に何を忍ばせているかわからない以上、一切油断はできない。
――右手一本折られて、三人に囲まれても集中力が落ちていない。逃げる算段……いや、勝てる算段があるってことか?
うなじの毛が逆立つ。
アッシュの本能が、この暗殺者の恐ろしさを認識していた。




