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ハガネイヌ(旧)  作者: ミノ
第04章「リッパー事件」
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第04章 03話 泡沫の檻

 ”泡沫うたかたの檻”と呼ばれる魔力付与品エンチャンテッドの檻は、中に入った妖魔を”元いた場所”に送り返し、消滅させる効果を持つ。


 それを見た回収業者の男たちは、空っぽになった檻をなげうって全力でどこかに走っていった。しかも三人がバラバラの方向にだ。


 ――どういうことだ、クソッ!


 アッシュは心のなかで悪態をつき、どう動くべきか考える時間を3秒だけ自分に許した。リーダー格の男は黒い犬につながったロープを持っていた。追いかけるならその男だと目星をつけ、一気に路地裏から飛び出した。


 速い。鎧を着ていないアッシュの走りは、目のない猟犬に匹敵するほどだった。


 得体のしれないクリーチャー。


 それを運ぶ者たち。


 殺された聖騎士。


 それらがどんな意味のあることなのか、アッシュは考えて、結局それを放棄した。


 ――バケモノを殺す。俺がやるべきはそれだけだ。


 アッシュの双眸に濁った殺意が宿った。そのひとごろし(・・・・・)の目が、黒い犬を捉えて離さなかった。


     *


 ――なにあの速さ? 呪文でも使ってるの?


 カルボは全力疾走でアッシュを追ったが、途中で諦めて足を止めた。聖騎士団では一応僧侶と同じ神聖呪文を教えているはずだが、アッシュがそれを会得しているという話は聞いていない。だからおそらく自力の足の速さなのだろう。


「まるで猟犬みたい……」


 疾走るために無茶な品種改良をされた犬のことが頭に浮かんで、カルボは少し寒い思いを味わった。


     *


 ”アイレスハウンド”なる妖犬に引きずられるように走る、リッパー回収業者の男。


 いまやそのリッパーは謎の檻に入り消滅してしまった。


 事件の詳細を聞き出すには、男を捕まえるしか無い。


 ひとごろし(・・・・・)の目をしたアッシュは、自分自身でもコントロール出来ないほど合理主義になる。相手が野盗山賊のような無法者でなくとも、メイスを振るうことに躊躇がなくなるのだ。


 猟犬のようにアッシュは走り、男の高く上がったかかとをちょうどのタイミングで横からメイスで殴りつけた。背筋が凍る用な音がして腱がちぎれ、くるぶしが砕けた。派手な音を立てて転倒。治療魔法を受けなければ二度と自力で歩くことはできないだろう。


 男の悲鳴が上がったがアッシュは無視した。


 この男、いったい何者か。


 初めて出くわした時は、リッパーがどんな姿をしているかさえ知らなかったはずだ。それに野盗の連中のような極悪人の匂いがしない。殺人を生業なりわいにしているような連中だとは思えなかった。


 だが――アッシュは全力で後ろに跳んで、黒い犬の襲撃から身をかわした――こんなバケモノを連れている以上、邪悪なものとつながっているのは明らかだ。


「昔何度か戦ったことがあるな」アッシュは手にしたメイスをバトントワリングでもするかのように振るって、「世界の外から呼び出された妖魔。そうか、裏にいるのは妖術師ウォーロックか」


 アイレスハウンドの、目の代わりに肥大化した鼻からひどい音を立てて空気が出入りする。アッシュの匂いは完全に覚えたとでも言うように黒い犬は口からよだれを垂れ流し、ためらいなく跳びかかった。仔馬ほどもある巨大犬である。押し倒されただけで行動不能になる恐れがあった。


「知ったこっちゃねーッスなあ!」


 跳びかかり、あともう少しで前足が肩にかかるというところでアッシュの猛烈な前蹴りがアイレスハウンドの喉元を襲った。


 妖魔アイレスハウンドはこの世界の生き物ではない。肉体の構造も異なる。しかしそれでも呼吸は必要で、心臓か心臓代わりの何かが動いて体液の循環をさせている。


 喉元を蹴られた黒犬は石畳の道路に転がり、何度かスピンしてようやく姿勢を安定させた。


 異界から呼びだされた妖魔は再びアッシュのほうへと向き直り、飛びかかろうと四肢に力をみなぎらせた。


 が、アッシュの姿がない。


 いったいどこへ、と首を巡らせて匂いを追ったが、もう手遅れだった。


 上空から振り下ろされたメイスが脳天に直撃し、黒い飛沫を撒き散らしてから、アイレスハウンドはどろりと溶けてゼリー状の塊になった。


     *


 足首を砕かれた哀れな男は這いつくばって逃げようとしたが、アッシュがそれを阻んだ。


「あぐっ!」


 アッシュは男を踏みつけにし、引っ張りあげて仰向けにさせた。


「や、やめてく」


 ガチン、と音がして男の懇願は途切れた。頭のすぐ近くにメイスの先端が突き入れられたのだ。


「あんたたち、”リッパー”を捕まえるって言ってたッスよね」


 慇懃無礼に口の端を吊り上げる青年に見下みおろされ、男は芯から凍りつく思いで、「た、確かに言った、だが私たちは雇われただけで……」


「いったい誰に頼まれたんスか? あんたらがリッパーやさっきの黒い犬をび出したわけじゃないでしょう」


「そ、れは……」


「喋ったほうが身のためッスよ。それとも警察や聖騎士が来る前にもう2、3箇所いきますか?」


「やめてくれ! 話す、話すから!」


 男はびっしりと脂汗をにじませ、必死の形相でアッシュをなだめた。


「カ、カネで雇われただけなんだ、私たちは……」


 誰に、と問いただそうとした時。


「待ち給え、そこまでだ」


 アッシュの行為を制する声がした。クライヴ――タウ聖騎士団団員のひとりだ。


「君は……先日教会で見かけた顔だな。これはいったい何事だ?」


「……ちょっとしたえんってやつで」喋りながらアッシュは手元のメイスを器用にくるりと回し、腰の後ろの金具に吊るした。「殺されそうになったから正当防衛ッスよ」


「そうか。だがその前に、私たちも彼に質問がある。場を譲ってもらえれば助かるのだが」


 クライヴの持ちかけは至極もっともなものだったが、アッシュが彼に向けたのは殺意の残り香で濁った目だった。クライブは無意識に半歩後ろに下がり、剣の柄に軽く手をかける。現役の聖騎士である彼にこのような動作をさせるのはよほどの事だった。


「ああ、すんません。自分、目が悪いもんでつい」


 アッシュが左眉の古傷をさわると、その目つきはいつもの状態に戻った。


 クライヴは笑顔を引きつらせ、目が悪いという話を信じていいものか大いに迷った。できれば視力のせいであって欲しかった。もしあんなゾッとする目つきをする人間ならば、聖騎士として成敗すべき存在ではないかとさえ思えたからだ。


 と、そのとき足首を砕かれた回収業者の男が絞るように声を出した。


「だ、だれでもいい……話す、話すから足を治療してくれえぇ……」


 クライヴは下位の団員に目配せして人を呼びに行かせた。教会の僧侶か治癒術師だろう。


「クライブ支部長!」


 入れ替わるように、プレートメイルを重そうに鳴らしながら聖騎士のひとりが飛び込んできた。


「何ごとだ」


「団員がふたり……殺されていました」


「なんと……!」


 クライヴは奥歯を噛み締め、報告に来た聖騎士に殺害現場のことを尋ねた。


 だが、先に口を開いたのはアッシュだった。「喉元を切り裂かれていた――前と同じように」


「……興味深いことを言う」クライヴのまなじりがひくりと痙攣した。「『前と同じように』? そのような話はどこからも出ていない。一応聞いておくが……なにか知っているというのかね」


「いいえ、なにも。でもわかるんスよ。推測できる。今夜のふたりの犠牲者も、それ以前に殺された団員も、みんなリッパーにやられたんだ。ちがいますか」


 冷酷とも取れるアッシュの言葉を聞き、クライヴは剣の柄を握った。無意識に、ではない。アッシュに対する攻撃の意志があるというサインだ。


 近くに立っていた聖騎士が、ゴクリとつばを飲み込んだ。アッシュとクライヴ、ふたりの間の空気が、陽炎のようにゆらいでいるように見えたからだ。


「何者か。場合によっては斬る」


「怖いこと言うんスね。こっちは……つまらない傭兵ッスよ」


「つまらない答えだ」


「いいんスか? 一般市民に手をかけて」


「どうかな。私の中の信仰がそうではないと言っている」


「抜くならどうぞ」


「遠慮はせんぞ」


 じわり。


 周りの聖騎士たちは、空気がゆがんでいく錯覚を見た。


 緊張感が。


 最高潮に。


 高まる――。


「うぎゃーー! ちょっと待ったー!!」


 突如。素っ頓狂な叫び声が夜のサン・アンドラスの街並みに響いた。


     *


 一触即発の現場に現れたのはカルボ、そして黒薔薇と白百合だった。


「待ってください、落ち着いて!」


 全速力で走ってきたのだろう、カルボは肩を上下させて呼吸を整えている。黒薔薇と白百合はおそらく地面を滑るように飛んできたのだと思われ、呼吸に乱れはない。


「君たちは……いったい何を?」


 クライヴは殺気を打ち消し、円十字教会で出会ったアッシュたちがなぜここに揃っているのかを問いただそうとした。


 だがそれに答えるよりも先に、「わたしたちは雇われてリッパーを追ってたんですっ!」


 豊かな胸の前でこぶしふたつ握って上目遣い。カルボはいかにも”懇願している”雰囲気をだしてずいっとクライヴに近づいた。


「どういうことかね……?」カルボは困惑し、鋼のガントレットを握ったり開いたりした。


 カルボが振り向くと、黒薔薇と白百合に肩を掴まれている男が前へ突き出された。アッシュはわずかに反応した。回収業者たちのひとりだ。猿ぐつわをかまされ、脂汗と鼻水を垂らして何かを恐れているように見えた。


「彼は?」とクライヴ。


「わたしたちの雇い主ですっ!」


 クライヴは訝しみ、アッシュは――肺から空気が逆流した。


 カルボが大嘘をついたからだ。


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