第03話 03話 円十字教会
サン・アンドラス。
明るい陽光の降り注ぐ広々と暮らしやすい都市である。観光地にもなっている綺麗な海に面し、人口は50万人を超える程度。亜人種も含め総人口100億人と言われているこの世界においては人口密度は低いほうだといえる。世界はもっとずっと広い。
エーテル炉の火がゆっくりと落ちて、アッシュたちの乗る機関車はようやく目的地に到着した。
「さーて、まずは教会からあたってみるか」
都合3日間ずっとエーテル機関車の客室に詰めていた体をほぐすため、アッシュは大きく背伸びをした。それにつられてカルボも伸びをして、黒薔薇と白百合も顔を見合わせて真似をした。
サン・アンドラス駅は都会だけあって人が多く、これまた黒薔薇たちふたりの好奇心を刺激した。
行き交う人々はほとんどが軽装で、涼しそうな出で立ちだ。
「暑いな」
「……鎧脱げばいいのに」
アッシュは傷だらけのプレートメイルを着こみ、直射日光で熱されるのを防ぐため全身を汚れたマントで覆っている。
一方のカルボはいつものキャットスーツを身につけているが、いつの間にか下半身をぴったりと包んでいた丈が短くなっている。膝下がむき出しだ。
「いつ着替えたんだ?」
「実はこれ魔力付与物なんだ。職業柄、いろいろと便利だから」
どうやら丈だけでなくある程度シルエットやサイズ、色柄を調整できる機能が付いているらしい。変装にはもってこいなのだろうとアッシュは思った。
眩い陽射しと、どこかから聞こえる海鳥の声。平和なものだ。
何もかも放り出して海岸まで走って行きたい気分にさせる。しかしアッシュたちには少々面倒な仕事が残っている。
黒薔薇と白百合。彼女らを教会の孤児院に連れて行くのが今回の目的である。
足は重かった。アッシュもカルボも、エーテル機関車の旅を経て黒薔薇と白百合にすこしずつ情が移ってしまった。眠ったふりをしてなるべくふたり話さないようにしてきたアッシュでさえそうなった。少女たちの質問にいちいち付き合っていたカルボはそれ以上だろう。
このまま一緒にいられる方法はないか――という問いが浮かぶのは避けられなかった。
だがアッシュもカルボも保護者を務めるには若い。未熟すぎる。現にメラゾナからサン・アンドラスまでの移動で所持金はほぼ尽きている。
そもそもアッシュとカルボのふたりも偶然行きあって仕事を一緒にしただけで、この後もパーティを組むかどうかはっきりと決めているわけではない。
そんな状態でふたりの少女を預かるだけの余裕はなかった。
だから教会へ預けることが取るべき選択だと決めたのだ。
「いまから」「どこに」「行くの」「ですか?」
黒薔薇と白百合は浮遊能力でふわふわと浮かびながら小首を傾げた。ふたりには何度か孤児院という話は聞かせたが、どうやら孤児という概念が全く理解できないらしかった。ジャコメ・デルーシアという昔の研究者が生み出したという話が本当に本当なら、親と子という関係がわからないというのも無理は無いのかもしれない。
「ねえ、黒薔薇、白百合」
「はい」「なんですの?」
「あなたたちはこれからどうしたい?」
カルボの質問に、人形のような少女たちはきょとんとして動きを止めた。同様にアッシュも足を止めた――そんなことを聞けばますます情が移るぞ、と思いつつ。
「黒薔薇は」「白百合は」「できれば」「起きていたいと思います」
「起きて?」
「はい」「眠るのは」「もう」「飽きました」
遺跡の中で、期間は分からないがずっとサファイア色の液体に浸かって、おそらく一度も目を覚ます事無く眠り続けていたはずだ。だから外の世界の何もかもに好奇心を抱くし、誰もが知っている常識の始源の塔のことも知らない。好奇心でお増え帰らんばかりだろう。ずっと目を覚ましていたいという気持ちは理解できた。
「……とにかく、教会に行こう。そもそも……預かってもらえないかもしれないからな」
アッシュの声にはそのほうがいいというような色がやや混じっていた。
*
サン・アンドラスには円十字教会のほか”聖塔の会””龍骸苑”などの宗教団体の寺院がいくつかある。円十字教会は世界最大規模の宗教団体だが、それ以外は認めないという極端な思想は、皆無ではないがそれほど市民権を得ていない。
アッシュたちが向かうのは、サン・アンドラスの中でも一番大きな教会だ。フェネクスの町の気弱な僧侶に紹介状を一筆書いてもらったところである。
場所は街の中心で、駅からそれほど遠くない。
感情の空白を残したまま、アッシュたち一行は歩き出した。
*
円十字教会のシンボルはその名の通り十字の重なった部分を取り囲むように円が描かれたものだ。円が世界全体、横棒が大地を、縦棒が”始源の塔”を示している。
世界最大の宗教団体、それも広く大きなサン・アンドラスの中心に位置するだけあってその聖堂の大きさは見るものを圧倒する。
周りには観光客が多く、いわゆる名所のひとつにもなっているようだった。
「そっちじゃない」
一般参拝客の見学ルートに並ぼうとしたカルボと黒薔薇、白百合に注意して、アッシュは教会の横手に回るよう促した。観光客としてきているわけではないのだ。
教会の脇には出家した修行僧らの詰め所があって、まずそこに話して孤児院の相談をする――というのがアッシュの考えだった。
そのアッシュの足が、急にピタリと止まった。
「どうしたの?」
「……聖騎士団だ」
アッシュの声はうっすら震えていた。その視線の先には、美しさと実用性を兼ね備えた青銀の鎧を身にまとった4、5人の集団がいた。
「アッシュ?」
「悪い。カルボ、お前たちだけで言ってくれ」
「ええっ?」
「俺は、その……ちょっとここから離れる」
「どういうことなの……?」
アッシュは質問には答えず、マントの襟元を引き寄せて鎧が外から見えないようにした。特に胸の紋章の傷跡を。
「ねえアッシュってば」
アッシュは頬を引きつらせ、「タウ聖騎士団だ……」
「あの方たちと」「鎧の形が」「似てらっしゃいます」「ね」
黒薔薇と白百合が踊るように言い、カルボも合点がいった顔をした。
「アッシュ……ひょっとして聖騎士だったの?」
アッシュはたっぷりと間を開けて、観念した。「……元、だ。いろいろあってな……あとは頼む」
「あ、待ってよアッシュ!」
「君たち、どうかしたのかね」
アッシュが”タウ聖騎士団”と読んだ騎士たちのひとりが、カルボに声をかけた。アッシュも条件反射的にぎくりと足を止めた。
「ここは神聖な教会だ。何事かわからないが、言い争いは歓迎しないな」
鋭い知性を感じさせる額と柔らかい眼差し。背が高く、見るからに頑丈なフルプレートメイルを着込んでも汗ひとつかいていない。いかにも聖騎士を名乗るにふさわしい人物だという雰囲気を発している。
「す、すみません。えっと……ちょっと教会に相談したいことがあって」カルボはわたわたとしながら説明した。
「なるほど、観光客ではないと。ではあちらの奥から入ったところの建物に行くといい。円十字の導きが得られるだろう。ああそれと……」聖騎士はベルトに下げた革のポーチから小さなカードを取り出して、「なにか困ったことがあれば連絡するといい」
そこには聖騎士自らの名前と役職、それから簡単な連絡先が記されていた。どうやらサン・アンドラス中央教会――まさに今いるここだ――に所属しているタウ聖騎士団の支部長を務めているらしかった。名はクライヴ。
「……あちらの御仁は?」
クライヴは自分たちに背中を向けたまま直立不動になっているアッシュを見て目を眇めた。
「えっ? あの、えーっと……わ、わたしの仲間ですっ!」
「そう、かね……」
クライヴは一瞬穏やかな目を細め、ギラリとした眼差しをアッシュの背中に――アッシュのマントから少しはみ出した鋼鉄のブーツに向けた。
「そこの御仁」
「……はい?」
「失礼だが、ずいぶん傷だらけのブーツだ。よほど修羅場をくぐり抜けてきたと見える」
「……!」アッシュはピクリと肩を震わせた。「そうッスか……」
「そうだとも。私もそういうブーツはよく見てきた――長い遠征から戻ってきた兵士、乱暴な戦いを続ける傭兵。邪悪なるものと対峙する我ら聖騎士もそうだ。そして……」
「そして?」
「……奪った鎧を手入れもなしに着こむ山賊」
すう、と太陽に雲がかかった。
クライヴの声、そして表情は、丁重に薄絹で包んで疑いを突きつけていた。鎧。聖騎士の鎧。アッシュがまともな立場であればマントをはぐって自分も聖騎士だと言えば済む話だ。シグマ聖騎士団とタウ聖騎士団。所属は違えど同じ円十字の旗のもとに集った聖騎士である。
だがアッシュの鎧は聖騎士団からの追放をひと目で表す傷跡が残っている。胸甲の紋章を剥がされた跡だ。
もしいま鎧を露わにして見せればどうなるだろう。
教会を破門にされた人間がのこのこ教会の施設を頼ろうとしているのがバレる。
もっと悪くすれば――クライヴはアッシュのことを”聖騎士の鎧を奪った悪党”だという疑いを持つだろう。そのような行為は”悪”で、パラディンは”悪”と最前線で戦うことを誓った戦士なのだ。
「どうだろう、私にその鎧を見せてはくれないだろうか。失礼な申し出であることは承知しているが、公共の安全のためと理解してほしい」
「いえ、自分は特に何も……」
「していないと信じたい。だから――そうだな、ほんの10秒で構わない。こちらを向いて鎧を見せてもらえないだろうか」




