そして舞台の幕が開く
「おやおや、随分とグランキン子爵は焦っているようじゃな」
手元の報告書に視線を落とし老人は呆れたように笑う。
実際に呆れているのだ。あまりにも御粗末過ぎるやり方に。
容易く手玉に取られたというのに、ただ悔しさのみを覚え未だ自分達が強者だと信じて疑わない愚か者。
グランキン子爵家はもはやそうとしか言いようが無い。
『知らない』ならば仕方が無いと思うだろう。だが、彼等は実際にやり込められている筈。
やり込めた本人を目にしたにも関わらず『何の地位も無い小娘』という評価が変わらぬとは……呆れて物も言えない。
「旦那様、本当に宜しいのですか?」
「ふむ。これくらいせねば親猫が外には出すまいよ」
「親猫、ですか?」
主の言葉に『親猫』に該当する人物を思い浮かべた執事は軽く首を傾げる。……『あの方』は猫と表現されるような可愛らしい方だったか、と。
そんな執事の様子に老人は楽しげに笑った。
「子を持つ親猫そのままじゃろう? 自分の目の届く範囲では好きにさせているが、悪戯が過ぎれば叱る。獲物の取り方や生きていく術を厳しく教え、時に甘やかす。そして」
老人は1度言葉を切り苦笑を浮かべ。
「己が毛で包んで寒さや敵から護り、決して害させようとはしない。似ておらんかの?」
「ああ、確かに。そう言われれば」
納得したとばかりに頷く執事を老人は苦笑したまま見つめた。自分で言っておいてなんだが、やはり納得できてしまうのかと。
実際二人の言動を知る限り、猫と言うより魔獣か何かの方が合っている。だが、外見だけ見れば猫と言った方がしっくりくるのだ。
そう、例えるなら見事な毛並の大型種と小柄で愛らしい黒猫。本人達に知れたら怒られそうだが。
「しかし、子猫とは……例えが的確過ぎますね」
「ほう、お前もそう思うか」
「ええ。子猫は牙も爪も弱い。知恵を使わねば生きられません」
「あれは弱くは無いはずじゃがな」
「ですが、必要な強さはそういったものだけではないでしょう」
執事の言葉は尤もである。戦場で求められる『強さ』と外交で求められる『強さ』は違う。
そういった意味では『あの子』はある意味子猫に等しい。
だが身に付けねばならぬ物である事も事実なのだ。力で押し切る事が出来ない場合は知恵で切り抜けるしかないのだから。
「心配かの?」
「旦那様が相手では当然かと」
「ふむ、それで潰れるようならそれまでよ。愛でられる道もあろう」
何処となく楽しげに話す主に執事はひっそり溜息を吐くと、これ以上の会話を止めた。
どちらにせよ今更である。まして主の性格が少々……いや、かなり歪んでいる事も今更だった。
「ふふ……久しぶりに楽しい夜会になりそうじゃの」
本当に楽しげな主の声に『旦那様が楽しそうならば構わないか』と思う自分を自覚し、ひっそり浮かんだ哀れみを振り払うとメイドにお茶の支度を命じた。
※※※※※※※※
うふふ……うふふふふふ……!
ああ、漸くこの日がやって来ました!
ウザ過ぎる襲撃者達にも飽き『いっそグランキン子爵を〆に行った方が早くね?』と口にして騎士達に宥められる日々よ、さらば!
いや、本当に退屈だったんだって。
良い事といえば襲撃者達=町のゴロツキが駆除され町の治安が良くなったくらい。
と言っても治安は元々悪くは無い。港町だからこそ人の出入りが激しく、どうしても外部から『そういった連中』が集ってしまうんだそうな。出入りし易いもんね、確かに。寧ろ外部からの奴だからこそ、この国の事を知らなかったのか。
船乗りさん達は海の男らしく気性が荒いし逞しいので狙われず、町には騎士の巡回があるからおかしな真似はできない。
当然、そういった連中は金に困る。そんなわけで今回の襲撃者は『仕事』として雇われ、犯罪をやらかしたわけですよ。
『金が貰えて罪には問われない簡単な御仕事です』
謳い文句はこんな感じだろうか。詳しい事情説明をされていたら絶対に断るだろうし。
そもそも騎士s経由で報告され間違いなくお尋ね者ですよ? だって他の貴族も狙われる可能性あるんだから。
魔王様のお膝元で野放しはありえないだろうしねー、絶対に。
「貴族を狙って只で済むと思ってるわけ? ……『事件を握り潰して逃亡させる事になっている』? 無理無理! その事件を広めたいのに『なかった事』になんてするわけないじゃん! 捨て駒にして終わりでしょ、馬鹿じゃねーの?」
……と大変素直に口にしたら呆然とした後に憤り出したので可哀相に思い、元の世界の素晴らしい技術の一部を特別に堪能させてやった。
ゼブレストで噂の英霊様達ですよー、凄いだろ!?
この世界には無い、滑らかな動きのアンデッドの幻覚ですよ!
悲鳴のような歓声を上げ続け、泣くほど感動したらしく最後には土下座して感謝していた。それ以降は大変こちらに協力的になったようで何よりだ。
真面目に働くとも言っていたので再犯もないだろう。「次は無い」とはっきり言っておいたのも良かったと思われる。
「感動が人を変えるって本当だね!」
「……確かに人が変わったようだったな、恐怖で」
「自分達が手を出そうとした奴のヤバさに気がついたか」
などと騎士sに言われたけど気にしない! 先に手を出した向こうが悪いんです。
それに黒騎士達が大喜びしていたのは本当だ。
そんなわけで数日が過ぎ。
本日、クリスティーナのデビュタントでございます。現在、ブロンデル公爵邸にて皆でお着替え中。
私の服装はゼブレスト用に作ったドレスの中から白いシンプルなものをセレクト。首には紫水晶が嵌め込まれた銀のチョーカー、髪飾りとイヤリング。
一見、清楚で控えめセレクトです。目立つ意思無し! と言わんばかりの。
が。
別方面から見ると非常に価値のある一式だったり。
ドレス……布は魔力付加素材の解毒魔法付き。レース等も全て魔力を帯びており魔法に耐性がある。
チョーカー……自作。万能結界・治癒魔法付き魔道具。
髪飾り……睡眠と麻痺耐性の魔道具。
イヤリング……クラウスとの念話用魔道具。
どうよ、この魔道具オンパレードの完全装備。
全ての装飾品はどんな事態にでも対応できるよう作られた魔道具。
重要なのは美しさじゃない、性能です! ドレスと装飾品は防具です、防具。
いや、形はシンプルだけど綺麗だよ? 一見、魔道具に見えないし。
全てが銀と水晶と魔石で統一されている揃いの一式は十分貴族の装飾品。
そして一部を除きこれらを作ったのが黒騎士である事は言うまでも無い。
『どんな攻撃を受けても大丈夫! これで貴女も戦場の華に!』としか言いようが無い戦闘前提装備。
でも行く場所は夜会です。何処で間違ったんでしょうね?
まあ、クラウスと違ってこちらの世界の魔法全てに対応できるわけじゃないから仕方ない。
仕掛けられた攻撃が見えれば何とかなるけど、『見えないもの』に対してはどうにもならないからね。
基本的に私の魔法は物理なのです、呪いとか状態異常だと対処できません。
無駄に金をかけて仕掛けてくる可能性がありますからねー、グランキン子爵は。
「お、珍しく化粧してるのか。髪も結い上げたな」
「うん、元の世界の化粧品持ってきてるからね」
騎士sの言うように薄くですが化粧してますよ、今日は。
この世界に来た時の所持品の中に化粧ポーチがあって本当に良かった!
『汗にも水にも強い』という崩れ難いものなのでかなりお役立ちです。
この世界のものより崩れ難い事は間違いない。
……リューディア嬢、前に凄い事になってたもんな。『化粧は泣かない為にする』っていう言葉は事実だと痛感したね、あれは。
「ところで一つ聞いていいか」
「うん、なあに?」
「その状態は一体……?」
「……」
やや引き攣りながら聞かれた内容に思わず視線を逸らす。
うん、気持ちは判るよ。私も当事者でなければ見なかったことにしますとも。
「ああ、うん……猫好きが猫を愛でてる感じ?」
「「は?」」
「クラウスは本当に魔術が好きですからねぇ……」
アルも苦笑しながら納得しているところを見ると事態を正しく認識できているらしい。
騎士sよ、その答えが全てだ。寧ろそれ以外に正解が無い。
現在の私の居場所はクラウスの膝の上です。
椅子に座ったクラウスに抱き抱えられてます。本人は大変御満悦な模様。
「私の身に着けている物は説明したよね? で、私は魔導師なわけだ」
「……ああ、何となく判った」
「そりゃ、その状態にもなるか」
ドレス(魔法付加)+装飾品(魔道具)+中身(魔導師)→職人が溺愛
現状はこんな感じ。魔術大好きな人間にとっては大喜びな状態ですね!
『返り血を浴びた時に鮮やかに見えた方が恐怖を煽る』という言い分の下、白いドレスを作る奴が婚約者を膝に乗せたところで甘い雰囲気なんてものになる筈はない。
ついでに言うならそのドレスが今着ている物だ。アルも勿論知っているからこそ苦笑い。
職人に一般的発想は無いのだよ、騎士s。愛するのは人ではなく魔術だ。
……魔道具の妻は過剰な想像の域とは言えなかったかもしれん。ブロンデル夫妻も涙目になるわな、そりゃ。
「素晴らしいな。やはり、お前は最高だ」
「……台詞だけ聞いているとまともだよね」
「ええ、物凄く。クラウスを知っていると理由に思い至るのですが」
「ミヅキ、お前もよく平然としてるよな」
「一応その顔だぞ? 中身はアレだが」
「毎日見てるじゃん。それに別に私じゃなくても貴重な魔道具を身に着けていれば興味は示すでしょう? 持ち主は無視されるけど」
褒め言葉は魔道具へ。どんなに着飾ってもクラウスが認める魔導師でもない限り魔道具に負けます。
絶世の美貌ごときでは職人の魔術への愛情は揺らぎません。何せ自分と幼馴染達で慣れている。
狙っている令嬢の皆様よ、本当にこれが素敵か?
中身は『魔術が服着て動いてたら迷わず求婚します』と言い出しかねない変人なんだが。
なお、これは両親が案じていたので確実だと思われる。……私もそう思う。
その後。
支度の出来たクリスティーナが部屋に入るなり頬を赤らめ「まあ、物語の恋人同士のようで素敵……!」と物凄く純粋に言った直後、誰もが真実を口に出来ず視線を逸らしたのだった。
夢見る御嬢様にこの現実はキツかろう。
(誤解させたままで宜しく!)
((わかった!))
(夢を壊してはいけませんよね……)
……などと私やアル、騎士sが目で会話していた等とは思うまい。クリスティーナにとってアルもクラウスも『憧れの騎士様』なのだから。
私の婚約者に嬉々としてなりたがる時点で普通ではないと察してほしいものだ。
「アルジェント様は宜しいの?」
「私は毎日ミヅキを抱き締めていますから」
「まあ! ミヅキ様は愛されていますのね」
……クリスティーナ。アルは抱き締めた後に私が張り倒すのを楽しみにしているのだ。
普通とはかなり違った性癖のお兄さんなんだよ、君の目の前の生き物は。
「俺、弟は普通の奴が良いな」
「俺もだ。顔も頭も平凡な奴ならまともな気がする」
騎士sよ、今からクリスティーナの恋人の心配をしてどうする。
でもその発想、私も思いっきり同意だ。あいつら見てるとそう思うよね!?
デビュタント当日、緊張感の欠片も無い主人公一行。
華やかな色彩が大半な中、主人公は『この装備なら目立つまい』と思ってますが、隣の奴が目立つ上に愛でてくるので意味なし。
クリスティーナも目の前の出来事(の幸せな解釈)により不安を一時忘れています。




