84 前世界線 2026年春
翌日……
重い身体を引きずるよう私は会社に向かった。やはりというか、[彼]は私を見逃すことはなかった。朝、早速私に話しかけてきたのだ。
「ものすごく偶然だね。奇跡としか思えないよ」
「……」
「上司を無視って有り得なくないか吉沢。あ、今は佐伯か。旦那ってまさか、高校の時の佐伯なのか?よく憶えてるよ」
「始業時間になりますので……」
黛の言葉を無視して、私は自席に向かった。
やっぱり本人だった……
暗く、重苦しい空気が私にまとわりつく。
若気の至りでは片付けられない私の罪が、時間を超えて清算しろと肩を叩いてきたのかもしれない。
私はまた、あの時と同じような恐怖と不安の中、過ごさなければならないのか……
そして、
黛が異動してきて、1ヶ月ほど経ったけど、その間、意外にも特に何かをされるということはなかった。
やっぱり逮捕されたことがこたえたのかな……
しかし、
そんな私の楽観的な考えを打ち砕くように、それは来た……
*
あれ、スマホ……スマホどこやった?
さっきまでいた給湯室に置いてきちゃったかな。
給湯室に戻ると、黛がコーヒーを淹れているところだった。
あまり関わりたくないし、2人きりにもなりたくない。
スマホは後で探そうかな……
無言でその場を去ろうとした時、
「これ?探し物は」
黛が私のスマホを持っている……
「返してくれませんか……」
「僕が見つけたんだよ。お礼くらい言えないもんかね」
気持ち悪い……恩着せがましく
「すみません、ありがとうございます」
受け取ろうと手を伸ばしたら、
ヒョイ
私のスマホを遠ざけた。
「不用心だねぇ。君のスマホのセキュリティ、ガバガバだよ?なになに……LINEでよく連絡取るのは、依知佳ちゃんに翔太郎……娘と旦那かな?学校も多いな」
「返して!」
「うるさいな。ほら、どうぞ」
ポイと投げ捨てるように私のスマホを投げ渡した。
何を考えているんだこの男は!
いや、昔もそうだった。この男のことは理解できるはずない。
「それにしても、今の小学生はスマホを持つの当たり前なんだね」
そう言って、今度は自分のスマホをいじり出す黛。
何が言いたい……
「君、LINEのアイコンを娘の写真にするのは感心しないよ。防犯的にも良くないって言われているだろう?」
「勝手に私のアカウント登録したの?!」
「一応、僕の部下だからね。どれどれ、おぉ、依知佳ちゃんのアイコンは犬のぬいぐるみかぁ」
「娘のまで?!何考えてるのよ!」
帰ったらすぐにブロックかけなきゃ!
「ブロックなんかしないでよ?そんなことしたら、ショックで手元が狂って……」
そう言いながら、黛は自分のスマホを少しいじり画面を私に向けて、
それが再生された――
それは、20年前の
私と、この男との情事
「20年前にしては綺麗な画質だろ?これを見たら娘さんどう思うかなぁ」
「!!……や、やめて!消してよ!そんなの!」
「ブロックなんかしたら、君の旦那に送ってしまうかも。いや、君の親かもしれないな」
スマホを置き忘れただけなのに
いや、この男は、ずっと狙ってたんだ。
私が隙を作るところを!
私の心は20年前の時と同じように、再び暗くて重苦しい色に染まっていった。
思考が鈍り何も考えられない
もう、この時、私は正常な判断なんかできる状態じゃなくなっていた……
「何が……目的なの……」
「僕の望みはただ一つ。20年前のように、君と素敵な侍従関係に戻ることさ」
「そんなの、ただの逆恨みじゃない……」
「逆恨みだろうが何だろうが好きに思うといいさ。君は僕から全てを奪った。周囲からの信頼も大好きだった仕事も!おかげでこの20年泥水をすするような思いをしてきた。今度は僕が君から奪う番さ……」
「……あなたはまともな人間じゃない。狂ってる!」
「狂ってない人間の方が少ないだろ。ああ、今回ばかりは神様に感謝せずにはいられないよ!こんな奇跡をプレゼントしてくれるなんて!」
――それから
またもや無言の脅迫の中、高校生のあの時をなぞるように、私はまた[彼]との関係を再開させてしまった……
*
「夫と別れろよ」
「な、何を言ってるの?!」
土曜日
仕事は休みなのに、黛に強引に呼び出されて、こうして2人で過ごしている。
もう、逆らうとか、抵抗するとか、そういった思考には至らなくなっていた。
ただただ、目の前の恐怖と不安を取り除きたいがための、その場しのぎのための行動……
「あれほど憎くて仕方がなかった君を、夢にまでいた君をこうして再び抱けるようになって、喜びに満たされていたら、気付いたんだ。僕は君のことを愛しているんだと」
「そ、そんなの……やめてよ!」
「もう正式に僕のモノになれ。ここまで堕ちたんだ。僕しか拾ってあげられない」
「そうなったのはあなたのせいでしょ?!」
「最終的に、この関係になったのは君の判断だ」
確かにそう、でもそれは、あの映像で強請ってきて、私もあの頃と同じように、何も考えられなくなってしまった。
関係を再開させるしか、選択肢がないと思ったからなのに
「無理です。絶対に」
「そうかな?君は近いうちに離婚を切り出すような気がするな」
「……どういう意味?」
「僕の頑張りがパパに認められてね。ほら、僕のパパいま市議会議員をしているだろ?君の旦那が勤務している市役所の。だからちょっと口添えしたらさ、君の旦那の人事異動について進言してやる、だってさ。きっと楽しい部署に異動できるよ。それはもう家庭を顧みないほどにね」
その時はハッタリだと思っていた。いち市議会議員がただの係長の人事権を操作できるわけない、そう思っていた。
でも、4月になり[彼]の予言は的中してしまった。夫は平日はもちろん、土日も出勤するほど忙しくなってしまったのだ。
たまにしか顔を合わせない日々……後ろめたさもあって、私は夫を意図的に避けるようになっていた。希薄な関係がさらに希薄になっていった……
「もう一度言う。夫と別れろ」
「それだけは……無理です」
その日、私たちは午後仕事を休み、情事を重ねていた。まともな判断ができなくなっていた私は、この男の要求に逆らうこともできず、私たちのマンションで……しかも合鍵まで渡すことになってしまっていた。
「素直になりなよ。本当はもう夫婦関係は破綻しているんだろ?大事な依知佳ちゃんのためにもさ。ちゃんと学校行けるようになったって、嬉しそうに職場のおばちゃんたちにも話してたじゃないか。そんな大事な娘、何かあったら嫌だよね?」
「娘に何かしたらタダじゃおかない……」
「不倫をしておいて今さら母親面ができるなんて図太いねぇ。依知佳ちゃんについては君のこれからの言動次第だよ」
全てはこの男のせいだとも理解しているけど、選択をしたのは私自身なんだ。私は、妻であることも依知佳の母親であることも、その資格などとっくに失っている。
最低で最悪なクズ人間なのは私も同じなんだ……
ヴヴヴッ
電話だ……
スマホを取ると、学校からだった。
「依知佳が……事故……」
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