9. 月夜の春風
短いですが、アーレンのサイコパス回です。
人死にがあるのでお気をつけください。
アーレンは薄闇の中ひとり座り込んでいた。
図書室の中の空気は重く淀んでいる。その中に微かに残る、ルディアの髪の香り。
まだみぞおちがズキズキと痛む。
――何だ?何があった……?
ルディアに詰め寄って――もちろんアーレンには詰め寄ったという自覚は微塵もないのだが――気づいたら宙に浮いていて、次の瞬間には背をしたたかに打ちつけていた。
息が詰まって、ルディアが出ていっても、足音が遠ざかっても、しばらくの間動けなかった。
深く息をする。
蝋燭の灯はぶつかった衝撃で消えてしまったようだ。
吹っ飛ぶ直前に見たルディアの顔が脳裏に甦った。
――そんな君も愛おしい……
口許にうっすらと笑みが浮かぶ。
その様子は全く狂人と言うほかない。
なんとか膝をついて立ち上がった。
テーブルにもたせていた背が痛い。
頭をくしゃくしゃと掻き回して、真ん中で分けて上げていた前髪を降ろす。
外はすっかり深夜だ。
幽かな月明かりを頼りによろよろと扉に向かって歩きかけたとき――
夜闇に研ぎ澄まされた耳が小さな物音を捉えた。
図書室の中からだ。アーレンはドアの取っ手に伸ばしかけた手を下ろして振り返った。
絶えず空気を震わす幽かな音。
それはすすり泣きのように聞こえる。
そろりと足を滑らせて、音の鳴る方へ向かった。
司書席。そのカウンターの内側。
手をついて上から覗き込むと――
ヒュッと息を吸う音を最後に、音がぴたりと止んだ。
闇の中で何かが動く。
二つの大きな瞳がアーレンを見上げた。
「ぁ……」
それは眼鏡をかけた内気そうな女だった。
「司書か」
ぽつりと落とされたアーレンの呟きに、司書の女は震えとも頷きともつかぬ動きで答える。
「……。」
――全てを見られ、聞かれていた……
司書にとって不運なことには、今のアーレンには倫理とか道徳といったものの制御がまるで効いていなかった。
薄暗い中に浮かぶ微笑みは悪魔のようだ。
アーレンは不気味なほど静かな足取りでカウンターを回り込むと、しゃがみこんだ司書の肘を掴んで無理矢理立たせる。
「着いて来い」
司書はぽたぽたと涙を流しながら引きずられていく。
大粒の涙はすぐにカーペットに吸われて消えた。
まって、いや、まってください、だれにもいいませんから、どうか、……
嗚咽に呑み込まれた司書の言葉は誰の耳にも届かない。
向かう先は分厚いカーテンのかかった窓。
勢いよくカーテンを開ければ清らかな月光がガラスを通して床に模様を描く。
窓を開けると甘い花のにおいを含んだ風が髪を揺らした。
ここは三階。下は屋敷の裏側で、道は石畳で舗装されている。
アーレンは身を乗り出して涼やかな夜風を肺いっぱいに吸い込む。
そして恐怖に震える司書の顔に一瞥をくれた。
蒼白な顔が青白い月光に浸っている。
「……!」
アーレンに背中を押されて、司書は声を上げる間も無く頭から転落した。
肉が潰れる音。
アーレンは下には目もくれず月だけを見つめる。
「綺麗だなあ」
小さな呟きを聴く者はいない。
人のいなくなった図書室の淀んだ空気を、春の夜風が洗っていく。
読んでくださりありがとうございます。
面白い!続きが気になる!と思ったら、ブックマーク・感想・評価等お願いします。執筆の励みになります!




