6. 当主代理
街道をがらがらと馬車が通り過ぎていく。
舞い上がる砂ぼこりがルディアたちのいる門の中にも入ってくる。
傍らのライアンが変な顔をしている。くしゃみを堪えているのだ。
ルディアは目の端にそれを捉えながら、行き交う馬車たちに目を凝らしていた。――オレオール家の家紋、金の獅子が刻まれた馬車を探して。
「くしゅん!」
ライアンは堪えきれなかったらしい。
ルディアは後ろで動こうとするハリスを制し、道から目を離して弟にハンカチを差し出す。
「すみません、姉さま。」
ライアンはそれを受け取って鼻をかむ。
ルディアは小さく頷いてから再び街路を見渡した。
「あ」
右手、今まさに門前に到着しようとしている白い馬車。一目で貴人のそれとわかるもの。
その側面に金の獅子が光っている。
普通の馬車よりもゆっくりした速度で走っているが、それに文句をつけるものはいない。
なぜならそれは、ほかならぬオレオール家の馬車であるからだ。
ルディアの祖父の時代に王制から共和制に変わったとはいえ、この国における元貴族の勢力はそう簡単に衰えるものではない。
この国――旧エリシア王国、現エリシア共和国――の建国の功臣であり古くから侯爵家としてエリス王家を支えてきたオレオール家は、その中でも特別だった。
艶やかな毛並みの白馬が四頭、優雅に馬車を引く。
ルディアは小さく眉根を寄せたが、すぐに元のポーカーフェイスを取り繕った。
ライアンはまたくしゃみをする。
しかし白い馬車が門前に停車したので、慌ててハンカチをポケットにしまって姿勢を正した。
御者が洗練された動作で御者台から降りて、恭しく馬車の戸を開けた。
中から出てきたのはリガロ・オレオールとその息子のアーレン、そしてキャラメル色の髪をきっちり結った細身の貴婦人。
「セリエーヌ」
リガロが馬車を降りようとする彼女に手を差し伸べる。
セリエーヌと呼ばれた婦人はその手を取ってふわりと地面に降り立った。
こちらに向かって歩いてくる叔父家族を、ルディアは完璧な微笑みと共に出迎える。
「叔父さま、叔母――セリエーヌ様、アーレンお従兄さま。我らがオレオール本邸に、ようこそいらっしゃいました。」
セリエーヌはリガロの妻、すなわちルディアとライアンの叔母にあたるが、彼女が「おばさま」と呼ばれるのを嫌がるということを、ルディアは知っている。
セリエーヌはつんとして表情を変えない。
ルディアは人知れずほっと息を吐いた。
「兄上の葬式以来か。ライアンもルディアも、元気そうで安心したよ。」
リガロが二人を順繰りに見て口を開く。
「はい。おかげさまで平和に暮らしております。」
ルディアは口許に僅かな微笑をたたえて頷く。
ライアンは緊張した顔で会釈した。
「……。」
リガロはしばし何も言わずにルディアを見下ろしていたが、
「ルディア、そんなに畏まらなくてもいいんだよ。私たちは家族なんだから。」
にわかに悠然とした笑みを浮かべて両腕を広げた。
「それにこの邸は今からこの私たち三人の家にもなるのだからね。気を遣う必要などない。」
「……失礼致しました。」
小さく頭を下げるルディアに、
「失礼?何のことを言っているのかわからないな。」
リガロは少し腕を下げて首を傾げる。
「きっと緊張して他人行儀な態度を取ってしまったことを謝っているのでしょう。」
と横から割って入ったのはアーレンだ。
「そうだろう、ルディア?」
決して崩れない穏やかな微笑み。
その真ん中で甘い青の瞳がきらりと光る。
「……はい。」
その瞳を真っ直ぐに見ながら、ルディアは浅く頷いた。
「そうか、いや気にすることはない。君は人生経験の浅い女性なのだから。」
リガロはそう言うと腕を下ろし、邸の方をちらりと見た。
ルディアがそれを見逃すはずもない。
「私ったら、ここで引き留めてしまって。長時間の移動でお疲れでしょう。」
にこりと微笑む。花が咲くような微笑みだ。
「さあ、邸の中へ参りましょう。今日は叔父さま方がいらっしゃる大事な日だから、特別においしい東の方のお茶を用意したんですよ。」
「それは有り難い。」
ルディア、ライアン、リガロ、アーレン、セリエーヌの五人は連れ立って玄関への道を進んだ。
陰のように後ろに控えるのは執事のハリス。
リガロが歩きながらハリスを振り返る。
「ハリス、久しいな。葬儀のときには会えなかったから、何年振りだろうか。」
ハリスの目尻に皺が寄る。
「三年振りでございます、リガロ坊っちゃま。ご家族共々、お変わりなさそうで何よりでございます。
――や、もう坊っちゃまとお呼びする訳にはいきませんね。」
「はは、もうそんな歳でもないよ。私も歳を取った。……メリーは元気でやってるかね?」
メリーというのはハリスの妻の名だ。
「ええ、むしろ元気すぎるくらいで。」
「それはよかった。」
リガロは声を出して豪快に笑う。
ハリスは心の底から愛おしげな笑みでリガロを見つめた。
邸の扉は開け放たれていた。そこを入ると――
「お帰りなさいませ、ご主人様。」
左右にずらりと並んだ使用人たちが、そう大合唱した。
百人を超えようかという使用人たちがぴしりと並び一矢乱れぬ動作で頭を下げるのは圧巻だが、それだけの人数が難なく収まってしまう玄関ホールもなかなかのものだ。
「いやはや、これはこれは」
リガロは驚いて言うべき言葉が見つからない。
さすがのアーレンもわずかだが普段より目を大きく開いているようだ。セリエーヌだけが無表情を保っている。
リガロは上下左右を見回し、
「盛大なお出迎え感謝するよ」
ようやくそれだけ言った。
「この家ではいつもこんなお出迎えをしているのかい?」
アーレンが続く。
「まさか。」
とルディアはたおやかに首を振って否定した。
「今日は新しい当主代理をお迎えする特別な日ですから。特別なお出迎えを用意するのは当然ですわ。」
穏やかな声で答えた。
「……思い出したよ。私はこの光景を二回見たことがある。」
リガロが何度か息を吸ってからそんな言葉をこぼした。
ルディアとアーレンは耳を傾ける。
「一度目は父上――君らの祖父上が隣国との戦争から凱旋したときだ。
私と兄上もこの列に入っていたんだ。私たちはまだ幼い子供だった。あのときの父上の堂々とした姿が、今でもはっきりと思い出せる。」
独り言のようにぽつりぽつりと語りながら、リガロは列の先を指差す。
そこに立って父親を出迎えたということだろう。
「二度目は兄上が当主になったとき、つまり父上の葬式から帰ってきたときだ。」
話しながらゆっくり腕を下ろす。
「葬儀でも涙ひとつ流さなかった兄上の肩が心成しか震えているように見えてな。」
ホールは不気味なほどの静寂に包まれている。
リガロはどこか遠いところに心を飛ばしているようだった。
誰も何も言わない。忠実なる使用人たちはただ黙って主の行動を待っている。
リガロはふと顔を上げて、はっと気づいたように周囲を見回した。
「あぁ、すまない。一人思い出に浸ってしまったようだ。」
その途端に張り詰めていた空気がほどけた。
静かなことには変わりないが、何かが崩れる音が聞こえたようだった。
「参りましょうか。」
ルディアが奥を手で差して促す。
リガロは頷いて、先を行くルディアに付いて使用人たちの列の間を歩き始めた。
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特別なときに使用人総出で主人を出迎えるのはオレオール家の伝統です。




