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金獅子の復讐  作者: 永杉坂路
【第1章】オレオールの過去
13/21

5. 春の東屋

 風が吹き渡って、花壇に咲き乱れる花々が一斉に(こうべ)を揺らした。  


 大気に溶け込んだ花の匂いが鼻腔をくすぐる。


 煩雑とした首都にあるとは思えない空気。

かつて貴族街と呼ばれた辺りの一角にあるにせよ、垣根一つ越えれば馬車の行き交う道路だ。

 だというのに街の喧騒は遠く、静かな平和が庭園を満たしている。


 建築家の腕だろうか。

百年以上前に当時の王から賜ったと言うオレオール本邸は国でも指折りの名建築と言われているのだ。


特に屋敷の土地の四分の一を贅沢に使った庭園は見事なものだった。


白い石畳の小路。

それを囲う季節の花々。

頭上に広がる、抜けるように青い空。


ルディアは真っ赤に咲いた薔薇の茂みの前で足を止める。

傍に立っているだけで薔薇の匂いが艶かしく立ち上って、体中が薔薇の赤に染まっていくようだ。


「姉さま?」

 左手を小さな手にぎゅっと握られて、ルディアは我に返った。

「どこか具合でも悪いの?」

ライアンが不安そうな目でこちらを見ている。


 ルディアは微笑んで首を振った。

「いいえ、大丈夫。……綺麗な薔薇ね」

「うん」

 ルディアが笑うのを見て、ライアンはほっとしたように表情を和らげた。


――やっぱりライアンは賢い子。


ルディアは束の間目を閉じる。

「さあ、東屋(あずまや)へ行きましょう。お祖母様はきっとそこにいらっしゃるわ。」


 そう言ってライアンの手を握り直し、再び歩き始めた。


庭園の中央を貫く白い道。そこを真っ直ぐ進んでいくと突き当たりに白い東屋がある。


美しい造形物だ。

石畳と同じ石材でできている。

瑞々しい草の中に敷かれた八角形の土台。入り口に続く階段が三段。

繋ぎ目一つない円柱が八本、ドーム形の天井を支えている。


決して細かい意匠が凝らされているわけではない。

しかし素朴であるがゆえの美しさをもっている。


 暖かな風が頬を撫でた。ルディアはほつれた髪を手で直す。

 ドーム形の天井の下に一つの影があった。

それはまるで東屋の一部か大理石の彫像ででもあるかのように静かにそこに存在している。


 それ――いや彼女は、白い服を身にまとった白髪の女性だった。


「マリエラお祖母様、おはようございます」


ルディアは階段の下から女性に声をかける。

 振り向く女性――マリエラの姿はまるで風に揺れる一輪の花のようだ。


 その顔は老いてなお美しい。

 時の女神に愛されて、美しい年の取り方をしたようだった。

 いや、彼女が美しく見えるのは単に彼女の強い意志によるのかもしれない。


 背筋はまっすぐに伸び、眉は凛々しく曲線を描く。

それでいて頬には微笑が棲みつき、わずかに垂れた目尻が彼女の印象を和らげている。


「ルディア」


 マリエラの薄い色の唇から言葉が零れる。


「それに、ライアン。」


 翡翠の瞳がライアンを捉えた。

 ライアンはルディアの服にしがみつきながら会釈する。

「おばあさま、おはようございます」


 可愛い孫を見つめて、マリエラは満足そうに微笑んだ。

「さあ、立っていないでこちらにいらっしゃい」

 そう言われて、

「お邪魔します。」

と二人は東屋に足を踏み入れた。


 草花の模様が彫り込まれた真鍮製のテーブルと四脚の椅子。

マリエラはその一番向こうの椅子に座り、テーブルの上では透き通った紅色のお茶がゆらゆらと湯気を立てている。


 ルディアとライアンが両脇の席につくとマリエラは丸いポットからティーカップに紅茶を注いで二人の前に置いた。


「お祖母様は本当にお花がお好きなのですね」

 ルディアがカップの側面を見るともなく見ながら言った。

マリエラが好んで使うティーセットには上品な花の絵柄が描かれている。


マリエラはふわりと首を傾けた。

「昔の話だけれど、私に『薔薇姫』というあだ名がついていたのを知っているかしら。」


「……存じております。」

僅かに表情を固くするルディアに、


「気にしなくていいのよ。気に入っていたのだから。」

マリエラは飄々として言う。


「昔の私はもっと尖っていたものよ。それが由縁で『薔薇』の名が付いたのだろうけれど、薔薇は必ずしも棘で人を傷つけるだけのものではないわ。」

紅茶を一口飲んで唇を潤し、ほうっと温かい息を吐く。


「薔薇は美しく、気高く、凛としている。あだ名のついたことを恥と思う必要はない。むしろ誇りに思うべき。――そう思って生きてきたの。」


なにもかも見透かすような緑の瞳。

そこに映った自分はどんな表情をしているのだろう――


「それは、」


――それは、私の「黒薔薇」について慰めてくださっているのですか?


そう聞こうとして、聞けなかった。

そんなことを聞くのは自惚れだと思った。

次の言葉を待つマリエラに、ルディアは目を伏せて首を横に振る。そして逃げるようにライアンに目を向けた。


ライアンは話を聞いているのかいないのか、なみなみと注がれた紅茶にふうふうと息を吹きかけている。

白い湯気が波打ってライアンは眉を寄せた。


ライアンははっと視線に気づいて、それからぎゅっと目をつむる。行儀が悪いと叱られると思ったのだ。

しかしマリエラは

「ふふふ」

と笑ったきり怒りもしなかった。


そのかわり、自分のカップを取って口に運ぶ。

ライアンはそろそろと目を開けて、マリエラの所作を見る。それから恐る恐る自分のカップを手に取った。

ゆっくりと口許に運ぶ。


小さな喉仏が上下する。


「熱くないでしょう?」

問うマリエラを大きな金の瞳で見上げて、ライアンはこくりと頷いた。


「おばあさまの淹れるお茶は世界一おいしいです。」

「まあ、嬉しいことを言ってくれるのね。」


ふいに差し込んだ柔らかな朝日がマリエラの白い髪を輝かせる。


ルディアは意図せず固く握りしめていた手をほどいて、紅茶を一口飲んだ。

温かい液体が喉から胸、腹へと続く道の輪郭を描く。

それに誘引されて込み上げてくるものを、大きく息をして抑え込んだ。


時は穏やかに流れてゆく。

小鳥のさえずり、濃密な花の香り。そこは混じりけのない世界。


指先に伝わる紅茶の熱さが緩んだ頃、

「そろそろ行きましょうか」

マリエラが言った。

その言葉は淡い水彩画の上に万年筆で引いた線のようにはっきりと鼓膜を震わせる。


「はい」

ルディアは立ち上がり、マリエラが立ち上がるのに手を貸す。

ライアンは足のつかない椅子の高さに難儀しながらも一人で白い石の床に降り立った。



人のいなくなった東屋の中で、ティーカップの底の茶がゆっくりと乾いていく。


読んでくださりありがとうございます。

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暗闇に匂う金木犀が好きです。

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