4. リガロ・オレオール
朝日の射し込む部屋の中。
閉じられた窓越しにくぐもった小鳥のさえずりが聞こえる。
部屋の奥の執務机には一人の男が座っていた。
プラチナゴールドに輝く髪はきっちりオールバックで固められている。
それなりに整った顔。高級そうな身なり。
しかしそのスカイブルーの眼はいかにも退屈そうだ。
男は長い体躯を丸めて全体重を机に預けるようにしながら指先で万年筆を弄んでいた。
その様子は年齢に似合わず、まるで遊びに飽きて不貞腐れた子どものようだ。
と、正面の扉にノックがあった。男は顔だけ上げて答える。
「誰だ」
「父上。僕です、アーレンです。」
「おお、アーレンか。入れ。」
男はようやく体を起こして、入ってくる人物を待ち受けた。
「はい。失礼します」
戸を開けて入ってきたのは一人の青年だった。
男にはあまり似ていない、柔和な雰囲気を身に纏っている。
黄金の髪は自然のまま、垂れ気味の目の中では男よりも少しだけ濃い色の瞳が朝日にきらめいていた。
青年――アーレンは一歩部屋に踏み込むと、頬に浮かべていた微笑を苦笑に変えた。
「父上、まだ換気もしていないのですか」
アーレンの言う通り、部屋の空気は淀んでいる。
「あぁ」
父と呼ばれた男は曖昧な返事だけして再び万年筆をいじり始めた。
アーレンは苦笑したまま執務机に歩み寄ると、その横の窓を開ける。
「お体に悪いですよ。」
新しい空気が緻密なレースのカーテンを揺らし、ぬるい空気を洗っていく。
男はくるくると回していた万年筆を止め、アーレンの方を見た。
「しかしこの別邸ともこれでお別れなのだ。戸締まりを忘れたらいかんだろう。」
「戸締まりなら使用人たちがしっかりやってくれますよ。――ただ面倒なだけでしょう?」
何もかも見透かすようなアーレンの目に、男はふっと笑って肩をすくめる。
「リガロ・オレオールの時代もすぐに終わりそうだな。」
男――リガロの仕草を見ながら、アーレンは軽く首を振った。
「安心してください。僕は父上を貶めて当主の座を奪うようなことをするほど親不孝者ではありません。」
変わらぬ微笑を見て、リガロはふっと鼻で笑った。
「おまえももう十七だ。賢いおまえならやりかねんよ。」
しきりに鳴いていた小鳥の声が止んで、バサバサと飛び立つ音が聞こえた。
「……。それにまだ『当主代理』です。」
アーレンは執務机に軽く手を置く。
「『代理』といういつか追われる仮の座に甘んじていようと言うのですか?」
いつもと同じはずの穏やかな微笑に、リガロはふいに背筋を細い指でなぞられたような心地がした。
「しかしライアンがいるではないか。」
背中を冷たい汗が流れていくのを感じながら言葉を紡ぐ。
「私の役目はライアンが一人前になるまでオレオール家を維持することだ。」
「その通りです。」
アーレンの眼が月夜の海のように光る。
「父上がこの座にいられるのは、せいぜい五年か、長くても十年くらいでしょう。
その間どんなにご自身の力を示しオレオール家に尽くしても、その全てはライアンが当主になればすっかり取り上げられてしまうのですよ。
僕には到底そのような理不尽を許すことはできません。」
不穏な空気に、額からも汗が流れる感覚があった。
「それで?」
リガロはなるべく心の動きを隠そうと努めて先を促す。
「到って簡単なことです。」
アーレンが顔を寄せて囁く。
「ライアンがいなくなればいい。」
「お前」
リガロは目を見開いてアーレンをまじまじと見た。
「気でも狂ったのか?」
「いいえ、僕は正気ですよ。」
アーレンは体を起こして微笑んだ。
リガロは顔を歪めて厳しい顔を作る。
「いくら息子といえど……」
その言葉を遮るようにアーレンが言う。
「そうです。僕はあなたの大事な一人息子。あなたが正統な当主になることが僕のためにもなるということをお分かりですか?」
微笑がにんまりとした笑いに変わる。
「お前の、ため……?」
「そうです。」
アーレンは頷いて右手の人差し指を立てると部屋の中をゆったりと歩き回り始めた。
「あなたが当主になるということは、私がその次の当主になるということ。そして私だけでなく子々孫々、あなたの血を引く人間が当主の座を受け継ぐことになるのです。」
引っ越しのため片づけられた部屋に、アーレンの声が朗々と響く。
「素敵だと思いませんか?」
アーレンは最後に芝居がかった動きでくるりと一回転すると、僅かに身を乗り出して目を細め、群青色の瞳でリガロの目を見た。
リガロは考えた。
ライアンがいなくなればオレオール家の全てが自分のものになる。
そうしていずれ大事な息子に当主を継がせることができ、それどころかずっと後の子孫にまでもいい思いをさせられる。
それらが全て今まで関わりも無かった甥っ子一人の命と引き換えに得られるのならば、これは美味しい話なのではないだろうか?
「……。」
知らず知らずのうちに、口元に笑みが浮かんできた。
アーレンはそんな父親の様子をじっくり見つめている。
「いい話じゃないか。」
リガロは顔を上げて、狡猾な笑みとともに息子の顔を見た。
アーレンは笑みを浮かべて頷くと体を起こした。
「すぐに手を下しては怪しまれます。計画は慎重に。安心してください。僕に任せて頂ければ万事うまく行きますから。」
そう言って人畜無害な笑みを浮かべる。
「私は賢い息子を持ったな。」
リガロは満足げに笑い返した。
「では僕はお先に失礼しますよ。」
アーレンはもとの微笑に戻ると芝居がかった動作で礼をする。
「ああ」
リガロは充足感と期待に胸を膨らませながら息子の背中を見送った。
背を向けたアーレンの笑みが暗く歪んだことに、彼は気づかない。
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リガロは何もかも完璧だった兄ロデリアンに対して無自覚ながらコンプレックスを持っています。そこに回ってきた格好のチャンス。逃さない訳にはいきません。




