27 元カノが俺を好きでも、俺は元カノが好きじゃ無い筈なのに
二人の間に流れている微妙な空気。俺が顔を背けているのに対して、華奈はまっすぐ俺を見ている。膝下は水に浸かっていて冷えているはずなのに、身体は熱くなる一方だ。太陽の熱と内側の熱で内臓がスクランブルエッグになりそうな感覚がする。
指をポキポキと鳴らしつつ気を紛らわせるが、頭の中にある先ほどまでの情景がこびりついて離れない。
「……ね、ねぇ悠真」
「な、なんだ」
「悠真って……私のこと嫌い?」
"ドクン"と心臓が大きく鳴った。
『嫌い』。いつも華奈が言う『好き』と相反していそうで、実はそうではない単語。俺は顔を背けたまま目を少し細めて考える。
いや考える意味も無い問いだというのはわかっている。こんな質問に思考する時間なんて必要あるはずないのに、何故考えてしまうのか。
嫌いではない。少なくとも、華奈に対してそんな感情を抱いたことなんてこの一年一度たりとも無い。別れてもそれは同じだ。
「なんで……そう思う」
「だってさ……悠真は私のことを褒めてくれるし、わがままとかお願い沢山聞いてくれるけど、それは悠真がお願いを断れない性格なのとすっごく優しいからだし……」
「そんなことは……」
「あるよ」
華奈の言葉に否定の言葉を入れようとすると、食い気味にそれを否定された。
「悠真は……別れた時もそうだよ……」
「……」
その話をされるとは微塵も思っておらず、思わず目を伏せる。華奈はそんな俺の様子を見て少し言い淀んだものの、ゆっくりと言葉を絞り出す。
「別れた時も……何回理由を聞いても『俺じゃ華奈と釣り合わない』の一点張りで……そんなの関係無いって言ってるのに聞いてくれないし……」
「それは……事実だ。だから……」
「でもその言葉の真意は……自分じゃない人と幸せになってほしいっていう優しさだっていうのも知ってる……。悠真なりの気遣いってことも分かってるよ」
話しながら俺の方へと歩を進める華奈。ジャブジャブと膝下までしか無いプールの水の音が聞こえて、それに共鳴するように心臓もドクンドクンと鳴っている。
「……でもそれは私にとって優しさじゃない」
「華奈……」
「私にとっての悠真からの優しさは……」
俺のすぐ目の前まで歩いてきた華奈は、俺の手を優しく握って自分の頭まで持ってきて、優しく置いた。そして少しだけ左右に揺らして、俺の掌を使って自分の頭を撫で始めた。
「こういう……優しさが欲しいの。そんな自分を傷つけるような優しさは要らない」
「……」
「私が別れた後でもずっとずっと悠真にくっついて回るのは、私が悠真を諦められないのもあるよ。でももう一つは、また悠真が私に対してほんとの優しさをくれるって信じてるからだよ」
そんな未来は無い。永遠に来ない。
華奈がどれだけ信じていても、どれだけ諦められなくても、そんなことは起きない。俺は自分で捨てたんだ。その熱い感情と、愛していたかった人を。
華奈の頭に置かれた掌を離して、掴んでいた両手を優しく振り払う。過去と決別もできない自分が嫌いだとずっと思っているが、今日は特にイヤな気分になっている。心が自己嫌悪に蝕まれて、脳も内臓もグチャグチャになっている。
華奈の真剣な好意に素直に応えられないのが嫌だ。シャキッとしていなくて、あやふやでヨロヨロな自分が嫌だ。
でも、無理だ。華奈が好きなのに、好きじゃ無いと自意識で好意の壺の蓋を中途半端に閉めているせいで、何も成し得ることができない自分を治すことはもう不可能なんだ。
「……華奈」
「なぁに」
「……すまん……俺はお前に応えられない」
「……ぇ……」
「俺は……お前が……」
言えばいい。言えば全て終われる。
こんな惰性で続く関係も、気持ちが悪い感覚も消滅する。残るのは虚な心だけ。それで済むのなら、もう終わらせてしまえばいい。こんな関係は。
「き……」
「……」
『嫌い』と口にしようと目を見た瞬間、声が出なくなった。
そんな顔をされたら、言いたいことも言えなくなる。いつもの明るさも無い。さっきまでの怒りと嫉妬も無い。ただ、俺の今から発するはずだった一言に絶望するように顔を真っ白にしていて、目も虚空を見つめているだけ。
それだけだ。『嫌い』と一言しっかりと言えばいい。昔から俺は結局一番自分が大切なんだから。
「……嫌い……ではなくは無い……」
「……はぇ? そ、それどっち?」
「……さぁな」
また俺は逃げた。『嫌い』の一言も言えなければ、『好き』の一言も言えない弱い男。
華奈との関係を終わらせることが怖いのに、半端に別れたせいで完全に逃げる事が怖くなって、遂に出来なくなってしまった。
あまりにも矮小な存在で、自分に対する嘲笑が頭を巡った。
「……んじゃ、俺は向こう行くから」
「わかった……」
逃げるように、俺はそこから立ち去った。




