第27話 襲撃事件のこと
享和四年(一八○四年)五月。奥宮家一同は寺参りに出かけた。
主君から預かっている大事な子供たちも連れて行くということで、奥宮家当主・その嫡男清五郎・他の親族が三人、合計五人の武士が護衛についた。事件らしい事件なんてめったに起こらない浦谷家の領内では、この人数でも大げさなくらいであった。
結果的にその考えは甘かった。草むらに身を隠していた悪漢どもに襲われてしまったのだ。
普段から武術の鍛錬を積み重ねている武士たちは果敢に応戦したが、倍以上の人数が敵となるとさすがに苦戦してしまう。
一人、また一人と仲間が倒れていくのを横目で見ながらも、清五郎は必死に刀を振るい続けた。
戦い続けること暫し。勝ち目がないと判断した悪漢たちが逃散した。怪我を負いながらも、清五郎は生き残ることができたのだ。
額から血が流れているのを感じながら周囲の状況を確認してみると、武士たちは清五郎一人を除いて全員討ち死に。女中も身を挺して主たちを守って絶命していた。
生き残ったのは清五郎、姉のお亀、そして三人の赤子たちだけだった。
赤子たちの泣き声と、彼らをあやす姉の声を聞きながら、清五郎は傷の手当てを手早く実施した。一刻も早く若君と姫君を安全な場所へ連れて行かなければならないのだが、彼自身が倒れてしまったら守れる人間が誰もいなくなってしまう。
応急処置を始めてから少し経った頃、遠方に煙が上がっているのが見えた。奥宮の屋敷の方角からだ。
生き延びた悪党どもが奥宮家に押し入って火を放ったわけなのだが、清五郎と姉は違う判断を下した。すなわち、保守派の家臣たちが蜂起して改革派を攻撃しているのではないかと。襲撃を受けた直後で二人は疑心暗鬼に陥っていた。
浦谷家領内で安全な場所など存在しない。二人が出した結論であった。保守派の蜂起で改革派は弾圧されてしまったと考えたのだ。
となると、せっかく守り抜いた若君と姫君の身の安全が確保できない。清五郎とお亀は領内から脱出して、江戸屋敷にいる八代目当主の元に双子を送り届けようと話し合った。それ以外に若君たちの安全を確保する方法は思い浮かばなかった。
方針が決まってから、清五郎は自身と背格好が似ていた悪漢の死体の首を切り落とした。そして、己が身につけていた刀と着物を死体に与えた。清五郎が死んだことにすれば、奥宮家の武士は全員が討ち死にということになる。赤子たちや乳母が消え去っても、悪漢たちがさらったということになるだろうと計算が働いていた。
清五郎が生きているという事実だけは、保守派には勘づいて欲しくなかったのだ。仮に清五郎の生存を知られてしまったら、若君と姫君を江戸屋敷に連れて行くつもりだと気取られただろう。そうなると追っ手を東に集中させるはずであろうと清五郎たちは危惧した。
幸いにして、若君たち四人をさらったのは破落戸連中の仕業ということになり、捜索は四方八方に手を広げられることになった。首を切り落とす工作が実ったのだ。
東に向かった清五郎とお亀は、浦谷家中をだますことに成功したという結果は知り得なかった。ひたすら追っ手の陰におびえて、可能な限り街道から外れて歩き、関所破りも敢行した。
三つ子の父母と偽って旅を続けたが、幸いなことに周りから疑われることもなく、追っ手とも遭遇しなかった。
しかし、幼い赤子は旅に耐えられるほどの体力は持っていなかった。まず、お亀の実の息子が病で命を落としてしまう。それからまもなく、若君も落命してしまった。
清五郎とお亀は大いに嘆いたが、姫君は生きているのだから歩みを止めるわけにはいかなかった。悲しみを堪えて江戸を目指し続けた。
姫君も道中で何度か高熱を発したが、その度に回復してくれた。
清五郎たちの生きる意味は姫君を江戸に送り届けることになっていた。当主に姫君を渡し終えたら、若君を失った失態を詫びるために清五郎は腹を切ると心に決めていた。
清五郎とお亀の姉弟がやっとの思いで江戸に到着した時、浦谷家は既にお取り潰しになっていた。
二人は呆然となった。江戸まで来れば姫君の安全が保証されるとずっと信じて旅をしてきたのに、目標の達成が不可能になってしまっていたのだ。
こうなると、姫君を守ってあげられるのは自分たちしかいない。無事に育て上げなくてはならないと清五郎をお亀は決心せざるを得なくなった。浦谷家に仕えていた人間を頼るという手段もあったが、二人はその道を選ばなかった。家がなくなってしまい派閥同士で争う理由も消え失せていたが、それでもまだ姫君に危害が加えられるかもしれないと恐れたのだ。元改革派で味方だった人たちでも、秘密を元保守派の人間にうっかり告げてしまうかもしれないと、清五郎とお亀は強い警戒心を抱いていた。
旅の時と同じく弟と姉は父母だと偽った。お亀が年齢よりも若く見える顔立ちだったので、清五郎の方が年上ということにした。江州からの旅の途上で何度かそういう風に見られたから、年齢を逆にしておいた方が自然に思われると判断したのだ。
彼らはそのまま江戸にとどまって暮らしていくと決めた。身元を隠すために無宿人となったからだ。江戸の町で無宿人が生計を立てていくのは厳しいが、地方よりは大都市の方が幾分マシである。彼らの顔を知る者も江戸で暮らしているかもしれないが、多くの人口を抱える町ならそうそう出会わないだろうと腹をくくった。
江戸で暮らしはじめてから、清五郎はあまり上等ではない仕事をしながら三人の日々の糧を得ていた。
それから二年後、ひょんなことから岡っ引きの藤次に見込まれて、清五郎は子分となった。その際、人別帳を偽装してもらって偽の親子三人は普通の市民として暮らしていけることになった。
さらに二年後、親分から神田相生町の湯を任せてもらえることになり、生活にゆとりが出てきた。おかげで、姫君を様々な習い事に通わせることが可能になった。
清五郎とお亀は偽の子を実の子以上に愛した。彼女が幸せな人生を送るれるのならば全てを捧げても良いくらいの覚悟を持っている。特にお亀の方は姫君に強く執心していった。
襲撃事件から十五年。誰からも気づかれることなく、三人は平和な暮らしを送り続けていた。
「とうとう勘づかれてしもたか」
徳兵衛、いや奥宮清五郎がやれやれと首を振った。
「しらを切りたかったけど、深川の坊さんを連れてこられたら敵わん」
長話を終えた清五郎が足を崩す。
「……辛い昔話をしていただきありがとうございます」
輝斗が深く頭を下げた。
「お代として、今の話を内緒にしていてくれると嬉しいぞ」
「申し訳ありませんが、それはできません」
「――どういうことや?」
きっぱりと断った居候を清五郎がギロリとにらみつける。
その視線を正面から受け止めながら輝斗はきっぱりと告げた。
「長八さんと文湧堂の旦那さんを殺したのは、あなたなのではないかとオレが考えているからです」




