第25話 浦谷家の内部事情②
五月晴れの日、姫君・若君・彼らを託された乳母・乳母の親族たちは寺参りに出かけた。
その道中、待ち伏せしていた悪漢たちに乳母一家は襲われてしまう。護衛の武士もよく戦ったが多勢に無勢。乳母とその息子と姫君と若君の四人がさらわれて、他の者は全員殺害されるという惨事になってしまったのだ。
さらに、悪漢たちは乳母の屋敷に乗り込み、金目の物を奪ってから建物に火を放った。
この報せを聞いた陣屋の者たちは仰天した。当主が参勤交代で不在の時に前代未聞の事件が起こってしまったのだ。
保守派の差し金ではないかと疑われたが、さらわれた者たちの救出が最優先とされ、首謀者を捜すことは後回しとなった。
懸命な捜索が日夜を通して行われたが、さらわれた四人の行方は、ようとして知れなかった。
悪漢たちを数名見つけ出すことには成功したが、生け捕りにすることはできなった。手がかりを掴めないまま時間ばかりがただ過ぎていく。
双子の母親は我が子を失った悲しみのあまり病に伏してしまった。心身ともに衰弱してしまったのだ。彼女は飲食物を口にすることすら困難になってしまい、そのまま命を落としてしまう。
江州での事件は浦谷家の江戸屋敷にも影響を及ぼした。
襲撃事件を知らされた八代目当主は怒り狂った。保守派の家臣が事件を起こしたと判断したのだ。江戸屋敷にいる保守派たちへの厳しい詰問を開始した。
取り調べが始まってから二日目の夜。その八代目は殺害されてしまった。なんと、正室が短刀で主人の胸を刺したのである。その後、彼女はその短刀で自らの喉を突いて命を絶った。寝所で二人きりのところでの凶行だったので、誰も止めることができなかった。
江州の事件で正室にも疑いがかけられたからなのか、保守派の仲間を守るための行動だったのか、それとも他の女が産んだ子ばかりを気にする夫の姿に憎悪の感情が芽生えたからなのか、彼女の動機は分からない。
側室の考えは不明であったが、間違いなく確実な事柄は、彼女の行動が浦谷家を窮地に追い込んでしまったことだ。当主が死亡して、嫡子が行方不明。こんな事態が幕府に知られてしまっては、間違いなく改易になってしまう。
家臣たちは当主と正室の死を隠匿した。可能な限り速やかに新たな当主を用意しなければならない。
その努力は残念ながら実らなかった。二人の死の翌日には幕府の知るところとなってしまったのである。江州浦谷家は八代で途絶えることになった。
「――今にして思えば、お上に目を付けられていたんでしょうな。当主不在のことがあんなに早く勘づかれるなんて」
長い話を終えて、俊善が大きく嘆息した。
「もめ事をかつて起こしていたのだから、何かが発生したらすぐに分かるようにしていたかもしれませんね」
しびれてしまった足を崩しながら輝斗が感想を言う。
「昔話はここまでとなります。お家断絶の浦谷家に仕えていた拙僧は浪人となりましたが、今はこうして出家の身となっております。若様たちの安否と、襲撃を指示していた者が誰だったのかくらいは知りたかったのですが、今となっては詮無きことになりました……」
「いくつか教えてください」
「構いませんよ」
「今の話って浦谷家の領内でどれだけの人が知っていることなのでしょうか?」
「数は限られるでしょう。なにせ、そんな話が広まってしまったらお家の恥。極力隠そうとしましたから」
「俊善さんが知っているのはどうしてなんでしょうか?」
「その当時、拙僧は若様たちの行方を捜す任に就いていたからにございます」
「なるほど。だから知っていらっしゃるんですね。鋳掛屋の長八さんが酔っ払うとその話をしていたそうなんですが、彼はどこで知ったと思います?」
「拙僧と同じく浦谷家に仕えていた者だったのではないかなと。もしくは若様たちをさらった憎き悪党か」
(同じ家で働いていたなら、俊善さんは長八さんの顔を知っているかも。あ、でも水死体だから身元の判別は難しいんだっけ)
長八の正体を知るのは諦めて、他のことを尋ねてみる
「若様たちが襲われた現場に俊善さんは行かれましたか?」
「ええ。まず初めにそこへ向かいました。亡骸がいくつも転がっていて、惨憺たる有り様でしたな。女中もむごたらしく殺されておりました」
「護衛の人たちって何人いたんですか?」
「正しい数は覚えておりませぬが、五人か六人くらいだったと思います。彼らは果敢に戦ったと見えて、十人を超す悪漢を返り討ちしておりました」
「そんなに大勢に襲われていたんですか」
「よくもまあ、破落戸を多数集めたなとしか言えませぬ。屍の身元を検めると、素性の悪い者ばかりでした」
「生き残った連中が若様たち四人をさらったうえに、屋敷に乗り込んで乱暴狼藉を働いたと。まったくもってとんでもない悪党どもですね」
「四人を捜しきれなかったのが心残りにございます。必ずや助け出してみせると誓っておりましたが、家のお取り潰しで打ち切られてしまったとなると如何ともできませぬ……」
俊善が無念そうに目をつむった。
「あと、奪われた首級を取り返せなかったのも心残りですな」
「首級ですか?」
「乳母の弟、奥宮清五郎殿の首が奪われてしまいました。彼奴の恥辱を晴らしてあげたかったものにございます。まだ二十歳で先のある若者だったというのに」
「首を奪うなんて戦国時代じゃあるまいし……」
ここまで言って輝斗は高校時代での歴史の授業を思い出した。
(今から後の時代に起こる桜田門外の変で、大老井伊直弼の首が奪われたんだっけ)
敵の首を奪うということは、江戸時代の武士でも当たり前に行われる行為なのだ。
輝斗は奥宮清五郎という武士についての話を尋ねてみた。
「奥宮清五郎さんの死体だってどうして分かったんですか? 首が残っていないのに」
「首がなくとも、身につけている着物と刀を見れば分かりますとも」
「そういうことですか……」
死体のことはいったん置いておいて、奥宮家について質問した。
対する俊善は何度も頷きながら返す。
「あそこの家にございますか。まことに古い家柄で――」
奥宮家は江戸幕府が開かれる前から浦谷家に代々仕えている家柄で、七代目当主の財政改革を支え続けた改革派に属していた。側室が産んだ双子を預かることになったのは、こういう背景があったのである。若君が大きく成長してくれれば、奥宮家は家中で大きな発言権を得られただろうし、清五郎は乳母の弟として重い役目に就けたかもしれない。
「家が大きくなるだろうというところで、あんな惨事が待ち受けているなんて。この世はまことに無情なものにございます……」
僧が肩を落としてため息をついた。
「貴重なお話をありがとうございました。今日のところはお暇を……。ごめんなさい。もうひとつだけ聞かなければならないことがありました」
帰ろうと立ち上がりかけた輝斗だったが、もう一度座り直した。
「長八さんが生前に『姫様が生きていた』と言っていたそうです。俊善さんは心当たりがありますか?」
「なんと! 姫様が?」
気色ばんだ俊善が身を乗り出した。
「拙僧は一切知らぬことですが、もし真の話ならばこんなに喜ばしいことはありませぬ。せめて無事に生きていて欲しいと毎日欠かさずに祈っておりましたので……」
よほど嬉しいことだったのか、彼の両目に涙が浮かび始める。
「長八さんが亡くなってしまったので、姫様がどこでどうやって過ごしているのかは残念ながら分からなくなってしまいました」
「まことに無念にございます。姫様が生きているのなら、他の三人も無事なのかもしれませぬ。どうにかして居所だけでも知りたいものです。拙僧なら顔さえ見れば本人かどうか分かります故に」
「十五年も経っていて見た目が変わっているから難しいのでは? 特に赤ん坊たちは」
「まだ人相書きを持っております。せっかくなのでご覧に入れましょう」
俊善が立ち上がり、部屋から出て行った。
(確か江戸時代の人相書きって、顔はそこまで似ていない絵なんだけど、ほくろの位置だけはしっかりと描いているんだっけ。でも、黒子って自然に増えていくから、十五年前の絵だとやっぱり判別できなそうだな)
せっかくの人相書きだが役に立たなさそうだと、輝斗は思った。俊善には悪いが。
そんなことを考えていると、中年の僧がすぐに戻ってきた。
「こちらの絵になります。心残りのあまり、どうしても捨てることができませんでした」
そう言いながら四枚の古い紙を差し出す。
(やっぱりこの絵で人捜しは難しい気がする。赤ちゃんの顔の描き分けがほとんどできていないし)
紙を一枚ずつめくりながらこう思っていた輝斗であったが、三枚目で手が止まってしまった。大きく深呼吸をして、まじまじと赤子の絵を見つめる。
(……念のために最後の絵も見ておこう)
もう一枚紙をめくってみると、若い女性の絵が描いてあった。これが乳母なのだろう。垂れている目が糸のように細く描いてあるのだが、現実の人間がここまで細目のわけがない。赤子の絵よりは特徴が伝わってくるもののクオリティは低い。
「この絵の横に書いてある文字が女性の名前なんでしょうか? オレには読めないので教えてください」
草書体の読み方なんて輝斗は勉強したことすらない。
「『お亀』と書いてあります」
「この人が乳母なんですね?」
「左様にございます」
「さっき、俊善さんは顔を見れば本人かどうか分かると仰っていましたけど、もしもこの人もどこかで生きていたとしたら、俊善さんはお亀さんだと分かります?」
「ええ、間違いなく。親しかったわけではありませんが、顔を合わせたことは何度かありますので」
「お亀さんも生きていて欲しいですね。――こちらの文字も読んでもらってよろしいですか?」
輝斗は三枚目の紙を僧に見せた。
「『琴姫』にございます」
「この子がお姫様なんですか……」
再び、三枚目の人相書きを凝視する。
「十五年前の正月に誕生した子なんだから、生きているなら数えで十六歳のはず。オレの計算は合っていますよね? ――うん、大丈夫だ」
「生きているなら年頃の娘になっておることでしょう。もし叶うのならば、ひと目だけでも拝謁しとうございます――」
「きっと美人のお嬢さんに成長していると思いますよ」
穴があくほど絵をじっくりと見ながら輝斗は答えた。どうしても赤子の絵から目を離せないのだ。
琴姫の絵が示す大きな特徴。それは、両の目尻の下にある左右対称のほくろであった。




