表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/30

第24話 浦谷家の内部事情①

 芳町から深川まで三十分以上歩くことになった。隅田川に架かっている橋の位置の都合で少し遠回りすることになったからである。


(これを目と鼻の先って呼ぶんだから、江戸時代の人たちの距離感覚は本当に現代人と違っているな)


 汗を拭いながら、輝斗は目的の寺の門をくぐる。


 境内の掃除をしていた寺男に用向きを伝えると、すぐに寺内の一室に案内された。


 出された茶を飲みながら待つことしばし、四十歳前後の見た目の僧が部屋に入ってきた。


「お待たせいたしました。拙僧に用があると伺いましたが?」


 物腰柔らかく、輝斗の前に腰を下ろす。


「初めまして、俊善しゅんぜんさん。少し話がありまして……」


 輝斗は手短に事情を伝えた。鋳掛屋の長八のことを調べていること。長八が江州浦谷家に仕えていたと吹聴していたこと。本当に浦谷家の武士だったという俊善を訪ねてきたこと。


「わざわざお越しになったところを申し訳ありませんが、拙僧は長八という者について心当たりは一切ありませぬ」


「長八さんは浦谷家の若様を守ったという話をしていたそうです。その事件は実際に起こったんですよね?」


「……その話が出てきたということは、芳町の桂哉と会っているようですね」


 俊善が難しい顔つきになって唸る。


「長い昔話をすることになりますが、お暇はございますか?」


「ええ。オレの方はいくらでも時間があります」


「それではお話しをいたしましょう。昔々のお話になります――」



 江戸時代中期以降、江戸幕府や全国の諸大名は厳しい財政事情に直面していた。武士の生活の基盤である米価が下落してしまったからである。全国各地で新田開発が行われて米の生産量が増えたのに、総人口の伸びが頭打ちになってしまい、供給と需要のバランスが大きく変わってしまったからだ。


 米の値段のみが落ちて、他の品物の価格は上昇する「米価安の諸色高」という事態に武士たちは難儀していた。不作にでもならない限り、基本的に米価は低いままだったのである。


 江州浦谷家もご多分に漏れず慢性的な財政赤字に苦しんだ。旗本の身分でありながら参勤交代を義務づけられてしまっているので、特にその費用が重くのしかかっていたのである。


 この状況を打破するために浦谷家七代目当主は財政改革に乗り出した。安永年間(一七七二年―一七八一年)のことだ。


 しかし、改革は思うように進まなかった。改革により既得権益を失うことになる一部の者たちが大きく抵抗したからだ。


 七代目は新しい取り組みを粘り強く推し進め続けたのだが、利権を守ろうとする保守派と、当主の考えに賛同する改革派で、家臣団は真っ二つに割れてしまった。こうなると改革を続けるどころではなくなってしまい、通常の政務にも支障が出始める。


 この対立は長らく続いたわけだが、とうとう幕府の耳にまで入ってしまう。当然、浦谷家の内情調査が開始される。


 ここに至り、長年対立していた保守派と改革派が手を結ぶことになった。幕府からのお咎めを受けることだけは絶対に避けたいので、争っている場合ではないとお互いが判断したのだ。


 一つにまとまった家臣団が最初に実行したのは、七代目を当主の座から引き下ろすことだった。家中の分断を招いた張本人でもあるし、幕府から睨まれている最中でも改革の手を緩めようとしなかったからだ。


 寛政六年(一七九四年)、七代目は十四歳の長男に家督を譲り渡して、自身は隠居する決断を下す。家臣団が幕府役人と裏でつながり、自らの主を隠居に追い込んだのだ。この後、七代目は失意のまま一年足らずで病死してしまった。


 家臣団は若い八代目を頭に据え、政治を取り仕切った。先代の改革は、効果的だった政策の一部を残して、大半は破棄された。保守派が政治闘争で上に立った形になったのだ。一方の改革派も、口惜しい思いを抱えてはいたが八代目をきちんと支え続けた。幕府にまだ睨まれているのだから、派閥闘争を再開するわけにはいかなかったのである。


 根本原因である浦谷家の財政問題はさらなる借金によって賄われて、立て直しは先送りにされたが、家臣団は領内政治を安定させることに成功した。


 いったんは落ちついた浦谷家ではあったが、八代目が成長して大人になるにつれ、家の中で再び分断が発生してしまう。八代目が家臣団の言いなりではなく自らの考えで政治を執り行うことを望むようになったからだ


 八代目も父親と同じく財政改革を目指した。何も行動をしなかったら浦谷家の台所事情が破綻してしまうのが確定的なのだから、当たり前の判断である。


 主のその考えにかつての改革派が与同し、保守派は反対の立場を貫いた。両者の対立を抑え込んでいた幕府からの監視の目は、浦谷家が当主交代から長らく模範的な統治を行っていたので、緩んでしまっていた。


 享和三年(一八○三年)、大坂堂島米市場にて米価が暴落。武家社会に衝撃が走る。浦谷家も例外ではなく、米に依存した財政からの脱却気運が高まり、そして家中の対立もますます激しくなっていった。


 誰もが波乱を予感していた最中、喜ばしい報せがあった。翌享和四年(一八○四年)正月、八代目当主の側室が双子の姉弟を出産したのだ。双子は縁起が悪いとされていたが、八代目は気にする様子もなく、我が子の誕生を祝った。今まで女児しか生まれていなかったので、初の男児が誕生したということが、八代目に縁起なんてものを無視させる気にしたのかもしれない。


 この双子が浦谷家中の亀裂をより一層深めてしまう。というのも、双子を産んだ側室が改革派の家の娘だったからである。


 保守派と改革派がまだ手を取り合っていた頃、八代目の結婚相手は家臣団の思惑で選ばれた。江戸屋敷に住む正室は保守派の家の娘。江州の領地で暮らす側室は改革派の家の娘。こうやってお互いの勢力均衡をはかっていたのである。


 待望の跡継ぎを側室が産んだということで、保守派に焦りが出始めた。改革派の勢いが増してしまうのではないかと危惧したのだ。


 直接的な武力衝突をするのではなく、あくまで水面下で激しいつばぜり合いを続けていた両派閥であったが、とうとう大事件が起こってしまう。


 五月のことであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ