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第23話 陰間茶屋

 芳町。現代での地下鉄人形町駅の東側にあった町だ。江戸時代前期はここに吉原遊郭が存在した。明暦三年(一六五七年)に遊郭は浅草へ移転。浅草の方は新吉原と呼ばれるようになり、芳町近辺は元吉原と呼ばれることになった。


 江戸時代後期の文政年間では、その元吉原に芝居小屋が建ち並び、遊郭時代とは違う客層で大きな賑わいを見せている。同時に、若い役者たちが客を取る陰間茶屋も軒を連ねている。


(こんな形で風俗店を訪れることになるなんてね……)


 目当ての蜻蛉屋はすぐに見つかったので、輝斗は恐る恐る店の中に入っていった。


「いらっしゃい。おや、お初かえ?」


 中年女性がすぐさま挨拶をしてくる。


「この店に桂哉けいやって人はいますか?」


 長八がひいきにしていたという陰間の名前である。この名は三馬が教えてくれた。


 お咲は無理としても、できれば三馬と一緒に芳町へ来たかったのだが、あいにく用事があるということで輝斗は一人で訪れることになった。


「桂哉でございますか。座敷に上がって少々お待ちくださいませ」


 女性がにこやかに笑って、輝斗を部屋に案内してくれた。


 三畳の狭い部屋だが、掃除は行き届いている。花を生けた花瓶と山河を描いた屏風が置いてあって、部屋の真ん中には布団が既に敷いてある。


 飲食物の注文を尋ねられたので、輝斗は酒だけを注文した。


 畳の上で座って待つことしばし、女装した少年がふすまを開けて笑顔で入ってきた。


「お待たせいたしました。お初なのに指名してくれるなんて嬉しいねえ」


 見た目年齢は明らかに輝斗よりも下で、十七歳か十八歳くらい。髪を島田髷に結って、きれいに化粧をして、女物の衣装を身につけていて、外見だけなら本物の女性に見える。


「オレは君と話をしたいだけなんだ。それで頼む」


「――変わったことを仰るねえ。大金を出して話をするだけだなんて」


 客からの変わった提案に桂哉が目を丸くする。


 蜻蛉屋に上がって特定の相手を指名した時点で、既に金二分(四万円)かかっている。ここからさらに飲食や音曲で追加料金が発生する仕組みだ。


「こっちからすると、ありがてえ話だ。何でも聞いてくれ」


 女声を作るのをやめた陰間が優美な仕草で輝斗の前に腰を下ろす。


「オレが訪ねたいのは、鋳掛屋の長八さんのことなんだ」


「ああ、長さんね。馴染みの客だ」


「何日か前にここへ来ていないか? 具体的に言うと今月の二十日」


「いや、来てねえな。長さんが来るのは毎月三日から五日の間くらいが多かったかな。十日より後ろでここに来たことはないはずだ」


 あてが外れたので、輝斗は肩を落とした。それでも、どんな些細な情報でも欲しいので、話を続ける。


「その長八さんなんだけど、昨日死んでいるのが見つかったんだ。桂哉くんは何か知っているかな?」


「――長さんが死んだ?」


 桂哉が驚きの表情で全身の動きを止めた。


(演技じゃなさそうだな)


 輝斗はそう判断をした。


 ここで、注文していた酒が届いた。


 桂哉は笑みを浮かべ直して、銚子を手に取った。


「さあ、一献どうぞ。長さんへの手向けの酒にしよう」


 彼に酒を注いでもらって、輝斗は杯を口に運んだ。


(地廻りの酒だな)


 一口なめて、こう判断した。高額な料金設定なのだが、飲食は二の次の店なのだから文句を言っても仕方がない。


「で、長さんはどうして死んだんだい? 何か悪い物でも食べたとか?」


「海に浮いていたらしいよ」


「――身投げするようなタマじゃねえと思っていたんだがね」


「身投げかどうかは分からないけどね。ともあれ、生前の長八さんのことを聞かせてもらっていいかな?」


「構わねえぜ。その前に一服吸わせてくれ」


 桂哉は煙管に火をつけて、ゆっくりと煙を吐いた。


「長さんがこの店に通い始めたのは一昨年だったかな。その頃から俺の馴染みだったぜ。毎月の初め頃に店へ来ていたのは、さっき話した通りだ」


「その前は?」


「他の店に通っていたみたいだが、詳しくは聞いてねえ」


「そりゃそうか。じゃあ、この店での長八さんの振る舞いを教えて欲しい」


「別段、変わった客じゃなかったぜ。鋳掛屋のわりに金を持っているのが不思議だってくらいか」


(文湧堂からもらったお金で豪遊していたんだろうな。月の最初は吉原へ行って、その後に蜻蛉屋へ来ていたんだと思う)


 今までの調査から輝斗が推測する。


(文湧堂の主人は長八さんに相当な大金を渡していたようだ。一体どうして?)


 この謎が判明すれば、二人の死の理由が見えてくると彼は思っている。


「そうそう、長八さんはこの店で酒を飲んでいたかな?」


「ああ、毎度毎度悪い酒だったぜ」


「悪い酒って、長八さんが江州浦谷家の武士だったって話をする感じ?」


「知っていたのかい――」


 桂哉が嘲るような顔になった。


「元武士が鋳掛屋なんかするわけがねえよ。ただ、浦谷家と関わりがあるってのは本当のようだぜ」


「どういうこと?」


「浦谷家の若様を守った云々って話を長さんがしていたんだが、若様が襲われたって話は本当らしい」


「まさか本当の話だったのか?」


 新しい事実が出てきたのだ。輝斗は前のめりになって話に集中する。


「馴染み客のクソ坊主が、かつては浦谷家に仕えていたらしいんだが、その坊主によると若様が襲われたのは内々に秘された話だから、それを知っているのは浦谷家と何らかの繋がりがあるに違いないんだとさ」


「やっぱり、長八さんは武士だったってことなのかな?」


「そうとは限らねえらしいぞ。壁に耳あり障子に目ありだ」


「何らかの形で事件を耳にした可能性があるってことか……」


「ただし、そもそもの話で若様を守ることはできなかったらしいから、長さんは嘘を言っていたってことだ」


「――若様を守れなかった?」


「護衛の者たちは一人残らず殺されて、若様は乳母と一緒にさらわれてしまったらしいぜ」


「実際は守ることができなかったというわけか」


 何が本当で何が嘘なのか。輝斗としては判断しかねる。長八が全くの嘘をついていたわけではないようではあるが。


「そういえば、浦谷家のお姫様が実は生きていたとか、長八さんが言っていたらしいけど?」


 先ほど三馬に聞いた話を口にしてみる。


 すると、桂哉が首をかしげた。


「姫様だとおかしいだろ。長さんがいつも言っていたのは若様なんだし」


「やっぱりそう思うよな。けど、長八さんは本当にそう言っていたらしい。相当に酔っていた時の話だから言い間違いかもしれないが」


「どれだけ酔っていたんだよ。――ともあれ、姫様なのか若様なのかはさておき、さらわれた赤子が生きているなんて、あのクソ坊主が聞いたら歓喜するだろうな」


「若様は赤ちゃんだったんだ」


「生きているなら、今は十五歳だか十六歳だかになっているはずだ」


(浦谷家のお取り潰しが十五年前。何か関係があるのかもしれないな)


 輝斗はさらに質問を重ねていく。


「その浦谷家の元武士さんと長八さんを会わせたりはしなかったの?」


「話を振ったことはあるけど、別に会いたくなさそうだったからな、お互いに。そんなわけで引き合わせたりはしなかったぜ」


「知己同士かもしれないのに会おうとしないんだ」


「陰間茶屋なんかで旧い知り合いに会いたくねえってのは分かる。ただ、姫様だか若様だかが生きているって話を聞いていたら、坊主の方は長さんに会いたがったかもしれねえな」


「だったら、オレがそのお坊さんに話を伝えようかな」


 何気なく口から出た言葉だったが、これはすぐにでも実行すべきだと輝斗は思った。貴重な証言を得られるかもしれないからだ。


「訪ねてみるなら寺の場所を教えるぜ。深川ふかがわ(東京都江東区)だから目と鼻の先だ」


「江戸人の感覚ならすぐ近くなんだろうけどね……」


 現代なら地下鉄半蔵門線で人形町駅から清澄白河きよすみしらかわ駅まで駅二つの区間だが、歩くとなると時間がどれだけかかるのか輝斗には分からない。


 ともあれ、桂哉に寺の名前と場所を教わって、向かってみることにするのであった。

挿絵(By みてみん)

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