第22話 葬式
「これからオレたちは葬式に向かうわけなんだけど、着替えなくても構わないの?」
輝斗がお咲に質問をする。
二人で長八の家に向かっている途上だ。
「たいして親しくない人のお葬式だから、喪服なんて着なくても差し支えありません」
「そういうものなんだ。損料貸しへ行く手間が省けるから助かるよ」
「お香代くらいは持参しますが」
長八の家の中に入ると、近所の人々が忙しそうに働いていた。
「これはこれは、わざわざおいで下さいました」
白装束姿の家主が輝斗たちに気付いて、近くに寄ってきた。
「こんな形で長八さんが帰ってくるなんて……」
沈痛な面持ちで家主が首を振る。
「長八さんが生きているうちに会えなくて残念ですが、オレたちにもご焼香させてください」
「どうぞどうぞ。故人の冥福を祈ってください」
江戸時代での焼香のマナーは知らないので、輝斗はお咲のやり方の見よう見まねで香炉に抹香を落とした。幸いにも、現代とそんなに大きな差はなかったので、周囲から眉をひそめられずに済みそうである。
この時代の葬儀は現代ほど厳かな雰囲気で行われていないので、輝斗としては気楽である。ただし、故人を偲ぶ気持ちはどちらの時代でも変わらないはずだから、軽率な言動はしないように気を引き締めている。
「おや、輝斗さんとお咲さんではありませんか」
焼香を終えて茶菓子を受け取っている時に、意外な人から声をかけられた。
「三馬先生? どうしてここへ?」
戯作者の式亭三馬が長八の葬式に訪れるとは予想外である。
「話の前に、焼香をさせてください」
三馬がこう言ってきたので、輝斗は少し待つことにした。
家主にお悔やみの言葉を告げてから、彼は焼香台に向かった。そして、輝斗の元に戻ってくる。
「お待たせしました。アタシは長さんと顔見知りだったんですよ」
「え? そうだったんですか?」
たしかに家が近所同士ではあるが、文化人の三馬と鋳掛屋の長八が知り合いとは想像できていなかった。
「あの人とは飲み仲間でしてね」
「そういう繋がりだったんですか。なるほど」
「思えば長さんと最後に話したのも、酒の席でしたね。何日か前のことでした」
「――何日か前ですか?」
輝斗の頭にその言葉が引っかかった。
「三馬先生、外でお話しさせていただいても構わないでしょうか? 私たちに長八さんの話をお聞かせ願います」
お咲も同様のことを感じたようだ。人気がないところで三馬の話をじっくり聞こうとする。
「よござんす。外へ行きましょう」
幸いにも外の通りに人がいなかったので、輝斗は文湧堂の事件で長八のことを調べていることを手早く三馬に伝えた。
「――長さんを捜しておられたのですね。アタシが知っていることは何でも話しますよ」
「ありがとうございます。まず伺いたいのは、長八さんと最後に会った日がいつなのかです」
「たしか歌川豊国先生と三笑亭可楽師匠と一緒に飲んだ前の日ですね」
「二十日のことでよろしいですか?」
「そうです、廿日で間違いありません」
「何時頃でした?」
「暮れ六つ(およそ午後六時)は過ぎていましたね」
輝斗とお咲が顔を見合わせる。
しゃも鍋屋を出た後の長八を三馬が目撃していたのだ。
「その時の長八さんって、お酒に酔っていましたか?」
「それはもう大層に酔っていました」
「長八さんと三馬先生は会った時に何か話されました?」
「ええ。二人で酒を飲んだので、色々と話しましたよ。ちょうど煮売りの屋台がすぐ近くに出ていたから、そこで飲みました。アタシは外へ飲みに出かけたばかりのところだったし、長さんはまだまだ飲み足りないって言っていたので」
「どんな話をしたか覚えていますか?」
「世間話が少々と、あとは長さんお得意の手柄話でしたね」
三馬が唇を小さくゆがませた。
「それって、長八さんが江州の武士で悪漢から若様を守ったというお話ですよね」
「そうです。もう少し面白い話だったらアタシが本にするんですけど、ありきたりな話で残念でした」
「さすが作家先生。話の内容に容赦ないですね」
「そういえば、あの日の長さんはいつもと違うことも言っていましたね」
「どんなことですか?」
「何度も『姫様が生きていた』ってうわごとのように言うんですよ。相当に酔っていたんでしょうね」
「姫様? 若様じゃなくて?」
「アタシもそう思ったから長さんに言ってあげたのですが、要領の得ない言葉が返ってきただけでした」
「酔っ払いの戯言ですね。お二人は屋台でどのくらい飲んでいたんですか?」
「半時(およそ一時間)くらいだと思います。その後、アタシは居酒屋に向かいまして、長さんは家に帰るということで別れました」
「貴重なお話をありがとうございました、三馬先生」
輝斗とお咲の二人が礼を述べた。
(これで、三馬先生が現時点での長八さんの最終目撃者になったわけか。文湧堂の旦那を最後に見たのもこの人だし、妙な偶然もあるもんだな)
未来知識がなかったら、輝斗は三馬を疑っていたかもしれない。
お咲の方はさすがに三馬のことを少し胡散臭そうな目で見ている。
「オレからの質問があと一つあります。三馬先生と別れた後の長八さんなんですが、結局自宅へは戻っていないと思われるんです。本当はどこへ向かったとかご存じありませんか?」
「アタシはあの人から家へ帰るとしか聞いていないので何とも……。他のところへ飲みに行ったのかもしれません」
「長八さんが行きそうなお店を知りませんか?」
「――そうですね。アタシが知っているのは、近所のしゃも鍋屋か、芳町(東京都中央区)にある蜻蛉屋という陰間茶屋くらいですね」
「芳町? そこって近いんでしょうか?」
「東に少し歩いたら着きますよ」
「じゃあ、三馬先生と分かれた後に、長八さんが芳町に向かったかもしれないんですね」
輝斗は念のために蜻蛉屋を訪ねてみることにした。
「お咲さん、長八さんが通っていたという陰間茶屋へ行ってみようか」
彼がそう言った瞬間、お咲が鋭い蹴りを放った。
「おっと! いきなり何するの!」
間一髪で輝斗は蹴りを回避することの成功した。例によって、お咲が急に怒り始めた理由に心当たりは一切ない。
「今日という今日は、もう許しませんから!」
怒りの形相で彼女が再び蹴りを放つ体勢になる。
「まあまあお嬢さん、落ち着きなさい。葬式をしている家の前で騒ぐのはよろしからぬこと」
三馬が喧嘩状態の二人の間に割って入ってくれた。
「今のは輝斗さんが悪い。後家ならいざ知らず、まだ島田に結っている娘さんを陰間茶屋に連れて行こうだなんて、何を考えているのやら」
「――やっぱりオレが悪いんですか?」
「当たり前ですよ」
「陰間茶屋ってどんなところなんでしょう?」
「なるほど、全く分かっていないのですか……」
三馬が呆れたように嘆息する。そして、説明を始めた。
陰間とは男娼のことで、陰間茶屋は男娼を買う場所。
そう教えられて、輝斗の顔から血が引いていく。知らなかったとはいえ、お咲にとんでもないことを言ってしまっていたのだ。
「ごめん、お咲さん。変なところに誘っちゃって」
「行くのなら輝斗さんが一人で行ってください」
彼女がそっぽ向きながら言う。
「……え? 俺が行くの?」
輝斗は尻込みしてしまう。その手の店に行ったことすらないのに、男娼を買うようなところへ行くなんて心理的ハードルが高すぎる。
「そりゃあ、もちろん行ってもらわないと」
ふくれっ面のまま、お咲が冷たい口調で突き放す。
「長八さんの話を調べるには行くべきってのは分かるんだけどね……」
どうやら覚悟を決める必要がありそうである。




