第17話 岡っ引きの自宅にて
六月二十三日。
文湧堂の蔵で死体が見つかった翌日。輝斗と徳兵衛の二人は、下谷長者町の藤次の家を訪れていた。今日から徳兵衛も事件の調査に加わるのだ。
「よく来てくれた。まだ四つの鐘(午前十時)も鳴ってねえのにご苦労だ」
藤次が笑いながら子分たちを迎え入れ、彼の妻に茶の支度をするよう指示をする。
裏通りにある一軒家で、それほど広いというわけではないが、きちんと手入れが行き届いている家だ。
お茶が届いた後、庭に面した六畳間で親分子分の三人は話し始めた。
「徳兵衛は輝斗から文湧堂でのことを詳しく聞いているよな?」
「へえ、昨日のうちにだいたいは聞き終えています」
「なら話は早え。輝斗、昨日調べたことを俺に教えてくれ」
藤次に求められたので、輝斗はメモ紙を取り出し、本町と室町で得た話を全て伝える。
「――長八の行方が分からねえのか。もう江戸から高飛びしているかもしれねえから、八丁堀の旦那が草鞋を履くことになるかもな」
親分がしかめっ面で言い、少し苛立った様子で煙管の灰を乱暴に捨てた。
「長八の野郎のことは少し置いておいておくぞ」
「オレがあの人の家を見張りましょうか?」
「輝斗は張り込みに向かねえ。やる時は他の奴を出す。――さて、俺が掴んだ話をおめえたちに伝える。上野黒門町の銀三の家を調べたら、二十両ちょっとの小判が出てきたらしい」
「ということは、やっぱり文湧堂の蔵からお金を盗んだのは、あの人ってことでしょうか」
「本人はもうしゃべれねえが、まあ間違いねえと思う」
「真夜中の犯行だから、木戸は閉まっています。神田松下町のどこかで夜を明かしたんでしょうね」
「今は夏だから、外で一晩過ごしてもそこまで苦にはなるめえ」
「で、銀三さんがお金を盗んだ翌日に別の誰かが蔵に忍び込んだ。そこで主人の善左衛門さんと遭遇してしまったので、殺害して逃げた。こんな流れだったのでしょうか?」
「俺も輝斗の考えに賛同してえが、まだ決めつけるには早えな」
藤次が顎をひとつ撫でてから、再び煙管にタバコを入れる。
「文湧堂の主人の話だ。十五年くらい前に江州から江戸に出てきて、貸本屋をやっていたらしい。その頃から働き者で、数年で床店で商いを始められるくらいに稼いだ。その後、文湧堂の先代に見込まれて、婿となって後を継いだとのことだ」
お朝も結婚前から善左衛門に惚れていたから、特に大きな問題もなくすんなりと婿入りした。と、藤次が話を付け加えた。
「お内儀さんが不憫ですね。惚れた旦那があんな形で殺されちゃうなんて……」
「俺たちができることは、人殺しを捕まえてあげることだけだな。とっとと片しちまうぞ」
「はい」
「文湧堂の庭にあったハシゴの出所が分かったぜ。近所の鳶の所から盗まれていた。盗まれたのはお化けノコギリ騒動が始まる少し前だ。銀三の奴の仕業だろうな」
「蔵の格子を切るのにそのハシゴを使っていたんでしょうか? 毎回担いで来るのは大変だし目立っちゃうと思いますが」
「あの蔵の裏手にちょっとした隙間があってな。そこに隠し置いていたんだろ。地面にハシゴが置いてあったと思しき跡が残っていたぜ。文湧堂の連中はそんなところを滅多に見ないらしいから、全く気付いていなかったようだ」
「銀三さんだけじゃなくて殺人犯もそのハシゴを使ったんでしょうから、隠されているハシゴをあらかじめ知っていた可能性もありますね。たまたま気付いただけかもしれませんが。で、逃げる時にもハシゴを使って塀を乗り越えたと」
「あの塀、男なら何とかよじ登れる高さだが、女だと相当な大女でないと難しいはずだ。ハシゴを使ったのはそういうことかもしれねえ」
「足跡が二つ残されていましたけど、たしかに片方は小さめでしたね。一人は女性だったかもしれません」
輝斗は足跡の大きさを思い出しながら話す。
「殺した後に逃げる時、女が塀を越えるためにハシゴを使って、そのまま放りっぱなしにしたと。なるほど、親分の話は筋が通っています。銀三さんは、塀を越えるのにハシゴは要らないから、使わずに蔵の裏へ隠せた」
「塀を調べてみたら、よじ登ったと思しき足跡が内側にも外側にもいくつか付いていた。おそらく銀三とか人殺しとかのものだろうな」
「殺人犯二人組が忍び込んだときはどうやったんでしょう? 男の方はよじ登れたでしょうけど、女は難しいんですよね? 外側にもハシゴをかけたんでしょうか?」
「男が女を担ぎ上げれば越えられるだろ」
「ああ、そうか。逃げる時は蔵の中へ入るのに使ったハシゴがあるから、担ぐ手間をかけなかったと」
輝斗がポンと手を鳴らした。
「さて、話を変えるぜ。変えるって言っても文湧堂の話のままだが。一昨日の夜の五つ(およそ午後八時)頃に、文湧堂の蔵の方で大きな物音があったらしい」
「一昨日の夜ですか? ひょっとして、その時に善左衛門さんが殺されたのかもしれませんね」
「輝斗の言う通りだ。俺もそう睨んでいる」
「音を聞いたのは誰ですか?」
「奉公人の新平だ」
「ああ、鍵を取りに来た若い人ですね。大きい物音を聞いて、新平くんは見に行かなかったんでしょうか?」
「どうやら、お時と睦み合っている最中だったから放っておいたらしい。で、そのまま忘れてしまっていたんだが、主人が殺されたと聞いて思い出したんだとさ」
「お時さんって越ヶ谷から来ているという奉公人でしたっけ?」
「そうだ。若い男女が一つ屋根の下で暮らしているんだ。そういう仲になっても別段不思議じゃねえ」
「店の主人が戻ってきていない状況で、そんなことをしていたんですか」
「その時は大事に思っていなかったんだろ。番頭も帰っちまっていたわけだしな」
「そういえばそうでしたね」
(お時さんに恋人がいるのを知らない主人が勝手に見合い話をすすめて、何だかんだもつれて殺人に発展しちゃったとか、あり得ない話ではないけど)
あの二人が恋仲だとすると、色々と想像をかき立てられてしまう。ともあれ、この考えをいったん封印して、藤次に質問をしてみる。
「お時さんも物音を聞いていたんですか?」
「いいや、気付かなかったらしい。目の前の色男に夢中だったんだろうな」
「その時に新平くんがお時さんと一緒に蔵へ行っていれば、殺人犯を捕まえられたかもしれませんね」
「今さら言っても仕方がねえ。まさか蔵で主人が襲われているなんて思うめえ。一昨日の晩に殺されたと思われるって御検視が仰っていたから、文湧堂の旦那が死んだのは夜五つで間違いねえだろう」
「お時さんと言えば、文使いが持ってきた手紙って見つかりましたか?」
「いや、今のところどこからも出てこねえ」
善左衛門が殺される前に受け取った手紙。いかにも今回の事件に繋がってそうではあるが、見つからないのなら中身を想像するくらいしかできない。
「手紙が出てくるのを気長に待ちましょう。検視で他に分かったことはあります?」
「殺しに使われた刃物が脇差しのようだとも仰っていたな。相変わらず見つかっていねえから、確かな話じゃねえが」
「脇差しってことは武士ですか?」
「町人や百姓でも脇差しを持つことは許されているだろ。おめえ、横浜から江戸まで歩いてきたのに、まさか丸腰で来たのか? 呆れた野郎だな」
「オレなんかが脇差しを構えても何もできないってことで」
輝斗は曖昧な笑いを浮かべて誤魔化す。
(凶器の見当が付いたのなら、何とか見つけて欲しいけど)
現代の警察なら人海戦術で周辺の捜索をしたり、刃物の販売店の特定をしようとするだろう。しかし、これは人数を多く抱えているからできることである。東京都を守る警視庁が四万人を超える人員を保有しているのに対して、江戸の治安維持を担当する人員は民間人の岡っ引きやその子分を合わせても数百人程度だ。同じことを求めるのは酷な話である。
「これからの話に移るが、徳兵衛は吉原に向かえ。長八の馴染みの店を探すんだ。いつもは猪牙舟を使うらしいが、今回は徒歩で行ったかもしれねえからな。あと、文湧堂に現れた文使いも探し出せ。浅草の親分に話は通してあるから、存分に働け」
「へえ、承知しました」
「輝斗は日本橋の方だ」
「ちょっと待ってください、親分。こいつはワシと一緒に動くんじゃないんですか?」
「おめえと組ませて仕事を覚えさせたいところなんだが、猫の手も借りてえくらいに人手が足りてねえから、新米でも一人で働いてもらいたい……」
ここまで言って、藤次が不安そうな表情になった。
「おめえ、一人で江戸の町を歩けるのか? 急に心配になってきた」
「親分まで子供扱いするのは酷いです。オレはれっきとした二十一歳の大人ですよ」
「丸腰で旅に出るような奴をどう信じろと? おめえは今日もお咲ちゃんと一緒に動け」
「今日はお稽古ごとがあるから、お咲さんは動けないと思いますけど?」
「休ませろ。一日くらい休んでも罰は当たらねえだろ」
この親分の言葉に、徳兵衛が異を唱える。
「いやいや、稽古を休ませるのはよろしくありません。うちの嬶が大騒ぎするさかい」
「おめえの女房は稽古稽古とうるさすぎだ。奉公へ出すわけでもねえのに、そこまで入れ込んでも仕方あるめえ」
「娘のことだから女親に任せっぱなしなのは、たしかですが……」
「俺からの頼みってことでよろしく頼む」
「はあ……」
「そんなに嫌そうな顔をするな。お咲ちゃんと輝斗が男女の仲になることはねえよ。お咲ちゃんは身持ちが堅えし、輝斗は輝斗でお咲ちゃんを女と思ってねえから」
藤次が笑い飛ばした次の瞬間、徳兵衛が鬼のような形相で輝斗の胸ぐらを掴んだ。
「おい、お咲を女として見てないってのはどういうことや?」
「どうして徳兵衛さんが怒るんですか? 見た目は大人びていますけど思いっきり条例違反ですし、女性として見るなんて無理ですよ!」
「わけ分からんことをぬかすな! うちの娘はどこに出しても恥ずかしくないよう育てているんやで!」
「手を出しても出さなくても怒られるなんて理不尽すぎです!」
もみ合う二人を見ながら、藤次が大きく嘆息する。
「おめえたち夫婦は、いい加減に子離れしろ。輝斗も横浜言葉は江戸では通じないと思え」
そう言って、仲裁に乗り出したのであった。




