6.12.やられた
不落城城下町で鐘が鳴り響いている。
火消と秋の風、冬の風が走り回って消火活動と解体作業が同時に行われていた。
赤雪を追うどころの話ではなくなってしまった為、古緑は近くにいた者たちに指示を出し続ける。
消火活動が行われている間に日が傾き始めた。
だが燃えている炎のせいで明るさは衰えない。
炎の勢いもまだ弱まっておらず、今も尚人がかき集められて消火活動へ動員させられていた。
これでは旅籠を救うどころの話ではない。
「……いや、今が好機なのでは?」
「私もそう思う」
早瀬と雪野は顔を見合わせる。
古緑は今も指示を出し続けている為、こちらの様子には気付いていない。
彼には悪いことをするかもしれないが……。
二人はもう、待っていられなかった。
頷き合い、走り出す。
雪野のペースに合わせながらその場を後にし、混乱の真っ只中で旅籠が捕らわれている役所へと向かった。
それからしばらくして、古緑が戻って来る。
まだやるべきことは残っているが二人を放置しておくわけにはいかなかった。
屋敷へ戻る様に説明するつもりであったが……。
どうしたことか、二人の姿が見えなかった。
「……やられた」
彼らが向かう場所は一つしかない。
すぐさま追いかけようとしたが、そこで声を掛けられる。
「萩間様ぁー! こ、こちらの指揮をお願いしたい……! 人が溢れてまとまらぬのです!」
「ぐぬ……! ……くそ。頼むぞ早瀬殿、雪野殿……! 現状は!」
「人が逃げ遅れております! それと家を壊す道具が足りません!」
「そこからか! 案内せよ! それと鬼か鬼人を連れてこい!」
速足でそちらの方へと向かう。
叱責する様に指示を飛ばして急がせた。
二人の方は残念だが手が回らない。
とはいえ旅籠を救うだけだったらあの二人でも何とかなるだろう。
この混乱している状況の中で向かったのはいい判断だ。
不安は残るが……今は任せるしかない。
早くこの場を治めて合流しよう、と古緑は声を出しながら現場へと向かった。
◆
火事のせいで空が赤黒くなっている。
現場から遠ざかっても鐘の音が聞こえてきた。
こちら側に居る火消したちが、装備を着込んで走っていくところをやり過ごしてからまた移動する。
火事ということもあって人通りが少なかった。
男たちは消火作業を手伝いに向かったのだろう。
そしてようやく役人の詰め所までたどり着くことができた。
周囲が昼間よりも暗いのでここに来るまで時間がかかってしまったが、ここまでくればどうとでもなる。
物陰から見てみれば、役人が一名だけ見張りをしている。
火事が遠くで起こっていることに少し恐怖を抱いているようで、そわそわとして落ち着かない。
動き回っているので死角があまりなさそうだ。
どうやってあの中に侵入するかを考える。
早瀬だけであれば簡単に侵入できるかもしれないが、雪野を連れていくとなると話が変わる。
そうなった場合は正面にいる役人を何とかしなければならない。
どうしようか悩んでいると、雪野が早瀬の肩に触れる。
「陸さん……私じゃ足手まといになるから、ここで見張っておく」
「分かった」
「出てくるときに何か合図が欲しい……。そしたらあそこにいる人を何とか動かしてみる」
「……か、考えとくわ……」
どうやって合図を出せばいいか皆目見当がつかないが、とりあえず潜入することにする。
少し遠回りして、役人にバレないように建物に張り付いてから塀を登って中に侵入した。
古緑と一緒にこの建物中に入れなかったのは痛い。
一度でも中に入って間取りを確認しておけば、旅籠がいる場所も予想できたかもしれないのだ。
てっきり古緑が一緒について来るものだと思っていたので、その辺りは任せっきりにしていた。
とはいえ、もうここまで来た。
あとは自力で何とかするほかない。
庭の方に回って、縁側から建物の中に侵入する。
可能な限り足音を手てないように意識するだけで、完全に足音を殺すことができた。
本当になんでもできてしまう力だ。
襖を少し開けて中を覗く。
燈台が二つ立っており、それは今も火をつけて燃えていた。
部屋の中を照らすほのかな光が……血みどろになった部屋を鮮明に早瀬に教えた。
「!?」
スパンッと音を立てて開けてみると、そこには無理矢理体を引きちぎられたかのような死体が転がっていた。
強烈な臭いに鼻を摘まむ。
抵抗したようで刀を抜刀しているが、その刀身に血液は付着していない。
部屋もそこまで荒されていないし、刀傷もない事から抵抗という抵抗はできなかったようだ。
初めて見るグロテスクな死体に吐き気を催すが、空気を飲み込んで耐え抜く。
こんなところで吐いていられない。
旅籠を救うために動揺などしていられないのだ。
早瀬は古録から預かった小刀を抜く。
死体から飛び散っている血はまだ乾いていない。
ということはまだここに、下手人がいる可能性がある。
一体誰がこんなことをしたのかは分からないが……ここに理由を持って訪れる存在は一つ知っている。
「……異形……?」
彼らより早く、旅籠を見つけなければならない気がした。
警戒を続けたまま部屋の奥へと歩いていく。
敵がどこにいるか分からない屋敷の中を歩くのは緊張する。
常に心臓が鳴りっぱなしだ。
まともな防具もしていないため、こんなので異形に勝てるか不安になりつつも、速足で奥へと進んでいった。
しばらく進んでいけば牢が並んでいる場所に出る。
途中から石造りの牢になり、この辺りに閉じ込められていそうだと直感した。
だが会話も苦しそうな声も聞こえない。
まだ奥に行かなければならないのだろうか、と思いつつしっかりと小刀を握った。
ギイィィ……と建付けの悪い扉が開く音がする。
びくりと体を跳ね上げてそちらの方を見てみれば、背の高い何かが出てきた。
黒い毛むくじゃらのそれは足元に黒い霧を纏っており、巨大な拳で扉を開く。
こちらの存在に気付いたようで、ゆったりとした動きで指を差した。
「っ……!」
「殺すなケムジャロ」
「……」
早瀬はその声が旅籠のものであるとすぐに分かった。
その証拠に、牢の中から旅籠が出て来る。
彼の着ている服は長い間殺され続けていたはずなのになぜか新品だ。
それに違和感があったし、なにより後ろにいる存在が気になる。
傷はないようだが、精神はズタボロの可能性があった。
可能な限り優しく声をかける。
「旅籠、大丈夫か……?」
「もちろん」
「……旅、籠……?」
笑顔だった。
だがその笑顔には……影が落ちている。
猛烈に嫌な予感がした。
こういう時の勘は、そうそう外れるものではない。
旅籠が指を鳴らす。
それと同時に、小さな振動が足の裏から伝わって来た。
「怪蟲。壊そっか」
小さな振動が地震となり、外から瓦解音が響き渡った。




