6.9.説得
旅籠が捕らえられている場所は不落城の城下町にある役人の詰所だった。
古緑はそこに赴き、彼らに説得を試みる。
この不落城に異形という驚異が迫っているのだ。
隠し事はせず、旅籠が渡り者であり知らずに魂蟲を喰らったことと、異形と異形人との関わりがあること、そして旅籠を殺して痛め付けてしまえばその異形が怒り狂うこと。
この全てを役人に説明した。
彼らは元秋の颪である古緑に免じて話だけは聞いてくれた。
だが……。
「萩間様の言い分は分かりました。あの者を殺してはならぬと言うのですね?」
「速やかに解放し、元の世に帰すべきだ。異形に見つかってはならぬ」
「あまりこういうことは言いたくないのですが……。萩間様、なにか証拠はございますか?」
「口にしたことが全てだ」
「ああ、そうではなく……」
役人はなにかを差し出してほしそうに手を出した。
彼は物的証拠を欲しているようだ。
だが今回の一件で物的証拠となるものは何もない。
渡り者が落ちてきた時期と、合流した時期と、津留が見た異形と異形人の位置関係。
今まで勝てなかったろくろ首衆に秋の風が勝利した事実と、二口の消息。
これらすべては憶測であり、証拠とは成り得ないと役人は考えている。
古緑は彼が異形を軽視していると感じた。
確かに異形は今の認識では最弱の種族とされており、人間とかけ離れた見た目ということもあって軽蔑されているのが普通だ。
だが今それは命取りになる。
「二山で異形が見つかったのだぞ。見つけた者は手傷を負って帰って来た。それつまり、我らが今まで手を出せなかった九つ山の妖をすべて倒してきたという事」
「それは可笑しな話でしょう。異形は妖の味方です。素通りできるのが普通では? それに人を傷つけたのはまぐれでしょう?」
「異形は妖の下僕だ」
「それでは異形共が謀反を起こしたと? 最弱の奴らが?」
そうだ、と古緑が言っても役人は鼻で笑い飛ばすだけだった。
その態度に眉をひそめたが、彼は自信満々に手を広げる。
「異形如き、役人だけでも仕留めて見せましょう。何を案ずることがありますか」
「……異形を侮ってはならぬ」
「何を恐れることがありますか。所詮、異形でしょう」
何を言っても無駄だということが分かってしまった。
古緑は説得を諦め、大きなため息をついてその場を後にする。
こうしている間にも旅籠は殺され続けているはずだ。
できる事なら今すぐにでも解放してやりたかったが、正規の方法ではもう無理だということがわかった。
あとは強行的な手段を取るしかない。
少し考えが甘かった。
人間の共通認識では、異形は最弱で襲って来たとしても取るに足らない存在だとしか思っていない。
古緑は継矢家の文献を所有し、読んだことがあるからこそ異形たちを危惧していた。
異形への認識が変わらない以上……役人はもちろん他の人に協力を求めるのは難しい。
古緑が外に出ると、すぐに二人が駆け寄ってきた。
浮かない顔をしているところを見て察したようで、しばらく口を開かなかった。
「……役人は異形の脅威を軽視した。迎え撃ってやる、とな」
「次はどうするんですか」
「このまま旅籠殿を放置しておくわけにはいかん。落水が関わっている以上……このままにしてはおけぬ。夜まで待つぞ」
行動を起こすには、昼間は明るすぎる。
協力者も必要になるので一度撤退するしかない。
しかしその間に一つ……やっておかなければならないことがあった。
「……雪野殿、早瀬殿。ひとつ付き合ってくれるか?」
「何にですか?」
「赤雪殿だ。あの者が異形人かどうか確認しておきたい」
見分けられるのは雪野だけだ。
彼女が今どこにいるか分からないが……今までずっと人間に紛れて潜んでいたとなれば、異形人であることを隠す力を持っていることになる。
力量は知っているつもりではあったが、こうなってくるとまだ力を隠しているかもしれない。
そこで必要になるのはこの二人だ。
「これが旅籠を助けることに繋がりますかね」
「捕縛できれば……恐らくは」
一つ息を吐き、古緑は雪野を見る。
「雪野殿、探せるか?」
「近くに居れば多分……。あの亡霊たちが教えてくれるかも」
「では少し歩いてみよう」
街を歩く人も増えてきたので、捜索は難航してしまうかもしれない。
だが街を歩いていても彼女の頭上に漂っている焼け爛れた亡霊を雪野は見ることができるので、近くに来れば見つけることができるはずだ。
捜索を開始する前に、古緑は懐から小刀を取り出して早瀬に手渡す。
丁寧な装飾が施された黒い鞘に入った小刀だ。
これは懐刀という奴ではなかっただろうか。
「これは……?」
「早瀬殿の思考体術は取り回しやすい武器と相性が良い。まずはそれで一つやって見よ」
「分かりました」
明らかに高価そうな物だが、早瀬はそれをすぐに懐に仕舞った。
もしかしたら壊してしまうかもしれないが……今は気にしないことにする。
それから三人は街を歩いた。
赤雪は神出鬼没なので探そうとするとなかなか見つけることができない。
古緑の人脈を使って人伝に聞いて回ったが、どうやら今日は誰も見かけていないようだった。
それでも三人は探し続けた。
異形人であるならば、異形と結託して旅籠を助けに来る可能性がある。
それを阻止できなければ恐らくこちらは不利になるだろう。
夜になる前に旅籠を救う準備を整えなければならないため、それまでには何としても見つけておきたい。
若干の焦りが胸の内で燻った時、雪野が古緑の袂を引っ張る。
「萩間さん……!」
「いたか」
赤く焼けただれた亡霊を雪野が発見する。
それはこちらに手を振っており、ようやく来たかと待ちわびていたようだった。
近づいてみれば確かにそこに赤雪がいる。
丁度甘味処で和菓子と抹茶を食していた。
彼女は口元を隠して菓子を口に入れる。
「……? !」
視線に気づいたのか、赤雪は口をもごもごと動かしながら手を振った。
抹茶を飲んでから代金を支払って近づいて来た。
「赤雪殿。ご無礼を許してもらいたい」
「?」
「雪野殿。間違いないな?」
「はい。真っ赤に焼けただれた亡霊が赤雪さんの背後に居ます」
「!?」
その瞬間、古緑が抜刀した。
居合切りの要領で赤雪の首を斬る。
一瞬の出来事。
首が後ろに落ちるところを見て雪野と早瀬は驚いた。
ここまで衝撃的な光景を見るのは初めてだったからだ。
皮一枚で繋がった首が背中の方へと落ち、赤雪は勢いに負けて数歩後退した。
だが、薙刀の石突を地面に突き立てて止まる。
手を動かして髪の毛を掴み、頭を元あった位置に戻して繋げると傷がみるみるうちに消えて完全に繋がった。
調子を確かめる様にゴキゴキと骨を鳴らしたあと、大きくため息をつく。
「バレちゃったかぁ~」
閉じていた目を開け、ニカッと笑う。
彼女の瞳は赤と黒であり、笑う口元には真っ黒な歯が並んでいた。




