6.7.落水の罠
三人は先程いた場所から少し離れた桟橋で足を止めた。
隠れる場所がなく、誰が来たか分かりやすい。
朝ということもあってまだ人はまばらで、この桟橋を通る者はほとんどいない。
馬の手綱を握ったまま、古緑は二人に向き直る。
「旅籠殿は……異形の地に落ち、魂蟲を喰らって生きながらえた。その時、異形たちと関係を築いたに違いない」
「……はい」
早瀬の代わりに雪野が頷く。
彼はまだ少し怒りが収まっていないようで、常に眉間に皺を寄せていた。
しばらくは黙って話を聞くつもりの様だ。
「これは罠だ」
「……罠?」
「津留は異形と異形人を見たと言った。異形人とは旅籠のことではなく、他の異形人の筈だ。あやつが私に聞いた問いから察しが付く。その人物もな」
「……誰ですか?」
「継矢落水」
聞いたことがある名前だった。
代果城にある萩間家に、先祖が異形を従わせていたという一族の文献がある。
異形について良く書かれている物だったが、眉唾物だとして内容を真に受けたことはない。
古緑は、過去を思い出して少し口をつぐんだ。
目を瞑ればその時の光景が脳裏に蘇る。
過去の友を失った、と思った時の様子と惨状は忘れられない。
「継矢家は放火され、一族全員が殺された」
「……どうしてですか?」
「先祖が異形と関りがある一族だからだ」
異形は、人間の敵だ。
妖の下僕だとしても、その傘下にいるのであれば敵対してしまうのは必然。
そんな奴らと過去に関りがある一族を、同族として見ることができた者は少ない。
萩間家はその数少ない一族だ。
古緑と落水は同年代であり、共に剣の修行をしたこともある。
当時の落水は古緑よりも強く良く笑う人物だった。
冬の風である彼はその実力だけで言えば颪にもなれるはずだったが、素性を知る者は落水を颪にしたいなどとは思わなかった。
だが、落水は冬の颪の座に就く。
「実力主義の颪の座。それを落水は力ずくで奪い取った」
己の風である冬に、冬の颪に決闘を挑んだのだ。
当時の冬の颪も確かに強かったはずだが、落水は一瞬で切り伏せてしまった。
これにより冬の颪は落水になった。
が、それを良く思う者は誰一人としていなかった。
だからこそ大義名分を作って継矢家を滅ぼすことにしたのだ。
「……その大義名分って……なんですか」
「……魂蟲喰らい」
ようやく話が見えてきた。
雪野ははっとして目を瞠る。
「無理矢理……魂蟲を食べさせられて……」
「仔細は知らぬ。私はその場にいなかったからな……。後に聞いた話で魂蟲について調べていた、と誰かが触れ回っていたな。嘘だろうが」
屋敷が燃え上がる中、金属音を幾度も聞いた。
中に入ろうとしても燃え盛る炎で入ることができず、その金属音すらいつの間にか掻き消える。
火の手が回り続ける屋敷から出てきた人物は……一人としていなかった。
友人を一人失ったのだと、その時感じてしまったのだ。
人間としての継矢落水を。
だが再会は意外にも早く訪れる。
全焼した継矢家。
ここに足を運ぶものは誰も居らず、片付けようとする者もいなかった。
そんな場所で、ずぶ濡れになった友人を見つけた。
その時は喜んだ。
駆け寄って声を掛けようとしたが強く食いしばっている歯と、彼が抱えている妹を見て足を止めてしまった。
最後に落水が口にした言葉は、今でも覚えている。
筆舌に尽くしがたいほどの憎悪と悪意、そして決意が入り交じった顔で放たれた言葉には魂が乗っていた。
「“人間”。恨みを込めてそう言った」
「……復讐を企てているってことですか……?」
「十中八九そうだろうな。その一手として、旅籠殿を送って来た」
「私にはまだそこが分かりません。どうして旅籠さんが罠になるんですか?」
一つ息を吐く。
憶測の域を出ないが、恐らくほとんど合っている筈だと思うことを口にする。
「人の領地に踏み入る為には軍勢がいる。だが落水は異形を束ねられるような人間ではない。妖を仕留める程の力を持つ異形をまとめたのは旅籠殿。落水は……元人間でありながら人間の理を旅籠殿に教えていない。巫女に見つかり、異形人とされて殺され続けることを望んでいる」
「他に異形人がいる可能性はないんですか?」
「あるにはある。が、時期が一致しすぎているのだ。旅籠殿が落ちてきたのは雪野殿たちが落ちる少し前……。位置関係とここまでの移動時間を照らし合わせれば、丁度私たちがここに来る時に旅籠殿もここに来る」
「……その落水って人には軍勢を率いる力がないんですね? ていうことは異形もそんなに落水さんに従ってはいない?」
「いや……あいつがやろうとしていることはな……」
そこで一拍おいた。
古緑は難しい顔をしている早瀬の方を見る。
「……旅籠殿を怒らせることだ」
「どういう……」
「異形は九つ山の二山までは来ている。九つ山の妖を討ち取る程の力がある異形共だ。奴らは従属を得意としておる。もしその主が旅籠殿であるならば……」
「旅籠さんを怒らせたら……その異形たちも怒る……!」
雪野と早瀬が顔を見合わせる。
このまま食べた魂を全て抜くまで殺され続けるなら、旅籠は確実に怒るだろう。
旅籠にとってはすべてが理不尽な話。
肉体は回復するといっても、ズタボロにされては精神も摩耗する。
ようやく早瀬が口を開いた。
「でも待ってくださいよ。その前にどうして旅籠はさっき攻撃されたんですか」
「巫女だ」
あの矢と、矢が放たれた方角。
この二つから古緑はあの攻撃が巫女のものであると看破していた。
巫女は魂蟲喰らいを見つけ出すことができる。
大量の魂蟲を食べているなら、比較的力の弱い巫女でも見分けることができるのだ。
弓を放った巫女は山になっている霊を見つけてしまったのだろう。
だが、矢は二方向から飛んできた。
旅籠に矢を命中させた者は誰か分からない。
巫女であるとは思うのだが、その方角には巫女が住まう屋敷などなかったはず。
一体、誰が放った矢のかは未だ謎だ。
「……萩間さん。少し話が変わるんですけど……。人の背後に霊がいるなら、その人は異形人……なんですよね?」
「左様。……なにか思い当たる節があるのか」
「赤雪さん……なんですけど……」
古緑の表情が強ばった。
だがあり得ないことだ、と首を横に振る。
「赤雪殿は……四年間この地に身を置いている。異形人であるはずが……」
「で、でも焼けただれた亡霊が赤雪さんの頭上に漂っていました……」
「……これが金巫女の力か……」
雪野の力であれば、他の巫女が見落とした異形人も見つけ出せるのだろう。
厄介な問題が一つ増えた。
一気に様々なことが起こりすぎている。
旅籠を何とかしなければならないのと、赤雪が異形人である可能性。
だが急がなければならないのは旅籠の方だ。
彼がこのまま殺され続けるのはこちらの望むことではない。
それこそ落水の思う壺だ。
「せねばならぬことは二つ。旅籠殿を救い出すことと……その後、もしくはそれまで異形を近づけさせぬことだ」
「どうやって助けるんですか」
「……まずは穏便に。その後に強行だ」




