6.3.巫女
古緑の目の前に現れたのは、雪野に劣らない美貌を備えた女性だった。
歩き方もお淑やかで流麗。
長い髪の毛はしっかり手入れがされているようで艶がある。
紅白の巫女服を身に纏っており、手には大幣を持っていた。
気を取り直して咳払いをした。
「御代様。このような夜更けにいかがされたのですかな?」
「萩間様の気配がしましたので」
「こんな老いぼれに挨拶など不要でございますぞ」
「何を言いますか。これまで秋の風はもちろん、他の風たちも面倒を見てきた元颪様が来られたとなれば、挨拶しないわけにはいきません」
「明るい内でもよいでしょうに……。夜風はお体に触ります故、お戻りいただけると私としても安心できるのですがな」
「少し確認をしたらすぐにでも」
その言葉に背筋を凍らせた。
確認とは、一体何のことなのだろうか。
「確認ですか?」
「妙な気配がありまして……。とても大きな、強い気配」
冷汗が流れ出そうだった。
それが旅籠のことならば、このまま進ませるわけにはいかない。
何とかして戻ってもらうように説得したかったが、巫女が妙な気配を感じているのにそれを否定するわけにもいかなかった。
御代は結界を作ることが得意な巫女であり、感知能力にも長けている。
彼女の言う気配というのは強い気配であるほどはっきり感じられるらしく、これが外れたことは一度としてない。
「どのような気配ですかな? どちらから感じられましたか?」
「一山の方なのです。細く強い気配でしたが、今は薄れておりまして……」
「こちらの方に来た、と?」
「ううーん……。一山に伸びてきた後、引っ込んでしまったのです」
「一山には私が先ほど見て参りました。されど何も感じられませんでしたな」
旅籠が戻ってきたことは伏せ、あとは本当のことを口にする。
気配が何もなかったのは本当だ。
ろくろ首衆はもう居らず、九つ山を支配する妖も異形たちに殺されているはずなので居ない。
御代はそれを聞いて少し安堵した様子を浮かべた。
どうやらその気配が気になってここまで歩いて来たらしい。
それほど、強大な気配だったのだろうか。
なんにせよこれは旅籠のことではない様だ。
とはいえ見られてはいけない。
「萩間様がそう言うのであれば大丈夫ですね……」
「老骨の身ではありますが鋭さは衰えておりませぬ故、ご安心を。秋の風も強者揃い。もし敵が来たとしても討ち取って見せましょうぞ」
「頼りにしています。安心しましたので私はこれで」
「はっ」
小さく頭を下げると、御代はそのまま踵を返して元来た道を戻っていった。
見えなくなるまで見送った後、心底安心した様子で息を吐く。
一難去った。
雪野が巫女の力をもってして旅籠の背後にいる霊を見たというならば……御代も見ることができる筈。
旅籠の背後にいる霊が屋根を突き破っていなくて本当に安心した。
それ程大量に抱えているわけでは無い様だ。
「……今回ばかりは、巫女が多く居らず良かったな……」
口が乾いている。
あそこまで気を張ったのはいつぶりだろうか。
屋敷に戻って温かい茶を今すぐに飲み干したい気分だ。
これ以上面倒なことは起きないでくれ、と切に願いながら屋敷に戻る。
使用人に茶の用意をさせるように言ってから歩いていく。
辿り着いた部屋の前で『入るぞ』と断りを入れて襖を開けた。
そこには机の前で深く考えこむ孫六の姿があった。
父親が入ってきたのにも拘らず顔を上げずに頭を抱えている。
孫六の気持ちは手に取るようにわかった。
我が息子ながら勘がいい。
「父上……。渡り者が異形の地から帰ってくるなどあり得ぬことです……」
「……あの者は異形のことを知らぬようだが」
「そんなはずありません! ろくろ首衆が居らずとも砂かけ衆がいるでしょう!? いやそれも居ないのか……。渡り者が落ちて来た時期がろくろ首衆が討たれた後の山だとは思えませぬ! そんな事例は一度としてない! 落ちるならば異形の地、人の地、鬼の地、獄門の地! この四つのみ! 九つ山の何処かに落ちたとしても、異形が来るはずがない!」
「津留の話を聞いたか」
「本人からではありませんがね……」
孫六は机に置いていた茶を一気に飲み干した。
そこで使用人が入って来て新しい茶を机に置く。
一礼をしてから部屋を出ていったのを見て、古緑が自分で茶を淹れる。
興奮しているのか言っていることが少し乱れているようだ。
それを丁寧に直してやる。
「異形が二山にいるということは、九つ山全ての妖を殺したという事」
「妖は異形を使わず下僕としていますからね。共闘するとは思えません」
「されど異形は何かきっかけを持たねば立ち上がらぬ」
「それが旅籠殿であることは大いにあり得ます」
「異形が立ち上がり、二口衆を仕留めた。故にろくろ首衆の力が削がれ秋の風が勝利した」
「……まさに、その通り……」
「しかし旅籠殿は知らぬを貫いている」
「何か隠しているのは明白でしょう。彼が変えなければ、誰が変えるというのですか」
「何故隠す必要があると思う?」
「え?」
古緑が喉を鳴らして茶を飲んだ。
ようやく乾いた口の中を潤すことができて一息ついたが、今度は孫六の口が乾いてくる。
旅籠が異形たちのことを隠す理由は何だ。
古緑がこうやって問うということは、彼はその答えを知っている。
試されているかのように感じた孫六は真剣に考え始めた。
「……っ! 何故隠しているんだ……!?」
「そこだ」
湯呑をコトリと机に置いた。
普通、異形と出会ってそのことを隠しておく渡り者などいない。
異形と出会えば恐怖して逃げ回るだろう。
それを口にしない渡り者がいるだろうか。
では何故旅籠は異形のことを隠しているのだろう。
孫六は少し考えたが、すぐに津留の持ち帰った情報を思い出す。
「異形人!」
「元人間の異形人。それが口止めしているに違いないだろう」
「……となると、旅籠殿の存在は危険なのでは……? ここで殺しておいた方が……」
「それはできぬ」
罠だと知っていて何故殺さないのか。
そんなものを人間の領地に持ち帰る気か、と孫六が訝しんだが、古緑は大きくため息を吐く。
「旅籠殿は……異形人だ」
孫六が握った湯呑が割れた。




