4.8.夢の中の魂
クスクス、ケラケラ、クスクス、ケラケラ。
ひそひそ話をしながら声を潜めて笑う声。
こちらを指さすように笑う声。
聞いていて気持ちのいいものではない笑い声を聞いて目を覚ます。
のそり……と上体を起こした。
周囲にいたはずのワタマリがいないことで異変に気付き、辺りを見渡した。
「……ここは……」
どうしたことか、ここはあの小屋ではなかった。
夜であることは分かるが、周囲には何もない。
しかしぼんやりとした色とりどりの蛍が周囲を漂っており、それらから笑い声が聞こえる。
ここはどこだ……。
蛍がいるということは、綺麗な水辺なのかもしれないけど、水の音は聞こえてこない。
そう心の中で考えると、急に小川を流れる水の音が聞こえてきた。
振り返ってみればいつの間にか小川が作られており、気付けば山の中にいる。
月明りさえ阻む巨大な大木や小さな草木によって周囲は暗くなっており、蛍の光が良く映えていた。
急に世界が作り出されていくような違和感を感じ、混乱する。
一人山の中に置き去りにされた?
いやいや、異形たちがそんなことをするはずがない。
となれば、ここは……どこなのだろうか?
『もう、しばし』
「!?」
真後ろから声が聞こえた。
暗い山の中で声を掛けられて肩を跳ね上げる。
ばっと後ろを振り向いてみれば、そこには異形がいた。
見たところ人の姿に近い異形だ。
黒子の様な布で顔を隠しているが、鼻までしか隠れていなかった。
そこから見える口は人間のそれと同じものだ。
深い青の髪が長く垂れており、捻じれながら一つにまとめられている。
四重に羽織った黒、白、灰、黒の着物は着崩されており、一番下の着物以外は肩にかかっておらず、肘から二の腕の当たりで引っかかっていた。
それらは大きめの帯で無理やり結ばれている。
これだけであれば人間なのだが、目の前の異形には下半身がなかった。
実体化しているのは上半身だけであり、下半身は青い炎がゆらゆらと燃えている。
浮遊している異形だ。
この異形が出現した途端、周囲を漂っていた蛍が急に元気になった。
尾を引いて飛び回り、更に幻想的な景色が見せてくれる。
己の姿をしっかり見た私を見て、数拍置いてから口を開く。
『見えるか、姿が』
「……み、みえ、まス……ケド……」
『我が名はシュコン。よくぞ我が魂を喰らってくれた』
シュコンがゆっくりと頭を下げる。
気を抜けば思わずひっくり返ってしまいそうではあったが、またゆっくりと顔を上げた。
……え、魂……?
私はこの異形の魂……魂蟲を食べたという事?
異形も魂蟲になるの!?
思わず口にした言葉に、シュコンが首を横に振る。
『否、我は特殊故に』
「あ、えと、そう……ですか。あの、ここはどこですか?」
『お主の中……。魂のたまり場』
蛍たちがこちらに寄って来る。
指先に止まった蛍をよく見てみると、これらは蛍ではなく色とりどりの小さな火の玉だということが分かった。
火の玉なので熱いかと思ったが、どちらかといえば温かい。
これが魂……?
私が食べた魂蟲……魂の一部か。
「てことは……シュコンさんの下半身が無い理由って、まだあなたの魂が集まっていないからですか?」
『否。我は一つの魂蟲に魂を詰めた。これが本来の姿なり』
「な、なるほど……?」
『この二千二百年……酷く詰まらぬ土にて過ごした。ようやく、外に……!』
「ニセンニヒャク」
とんでもない引きこもりがいたものだ。
彼にはいろいろと聞きたいことはあるが……なんだかここは不気味だ。
できる事なら早く目覚めたい。
だがシュコンは久しぶりに会話できることが嬉しいのだろう。
旅籠の側に近づいてストンと座る。
座るといっても、浮遊している高度が地面すれすれになっただけではあるが。
『我はこの場より動けぬ。お主には様々な場所へ連れて行ってほしい。助けが必要ならば助けよう。この力、存分に扱うがいい』
「ええーーーーっと? えっと、どんなことが……できるようになるんですかね」
『うむむ? 人間であれば知っておると……思うたのだがな』
「いや知らないです」
こちとら別世界の人間です。
あとそれ二千年前以上のお話ですよね。
今の人は知らな……。
……二千年前?
人間であれば知っていると思った……?
「ちょっと待ってくださいシュコンさん」
『いかがした』
「二千二百年前って……人間はシュコンさんの持つ力を知っていたんですか?」
『左様。それを目的とし、我が魂を喰ろうたのではないのか?』
「すいません違います。っていうか人間ってシュコンさんの力を欲してたんですか!?」
『いかにも』
人間が異形の力を欲していたならば……。
昔の異形は、人間よりも強かったのではないだろうか?
シュコンがおもむろに手を上げる。
ギッと力を入れた指は骨ばっていた。
すると青白い球体が展開し、地面に向かって目に見えない速度で着弾する。
青い炎が吹きあがり、地面を焦がした。
『妖が妖術とするならば、異形が使うは異術なり』
「異術……?」
『妖術は火、水、雷、風、土……俗にいう世にあるものを操るに長けている。されど異術は、無いものを操るに長ける。長けているだけで、使えぬわけではないがな』
シュコンは先ほど放った球体が着弾した場所を指さす。
見てみれば、今も尚青い炎が吹きあがっていた。
木からひらりと一枚の葉が落ちる。
それが炎に触れた途端、一瞬で枯れて朽ちた。
燃えたのではなく……朽ちたのだ。
『時喰らい。生命すべての命を喰らう』
「こわっ!!!!」
ないものを操るってそういうことかよっ!
ありえない物を操るの間違いじゃないのか!
だが思い返してみると、月芽の能力は異術になるのではないだろうか……?
大地に継ぎ接ぎを好きなだけ伸ばすことができ、その間を移動することもできれば破壊することもできる。
異術を使えるようになるのが、名前を付けてあげたことによるものだとしたら……。
やはり漢字を宛がうのではなく、名前を与えた方が異形は強くなるのだろう。
しかし落水の言っていたことがそれを押さえつけてくる。
魂の繋がりを強くするまではいいが、問題なのは名付けした異形が死んだとき……。
肉体へのダメージはないらしいが、魂の繋がりが切れた瞬間は辛いらしい。
シュコンなら知っているだろうか?
「……シュコンさん。名付けの代償って知っていますか?」
『ほう? お主、名付け親か。名付けは魂の繋がりを強くし、異形に力を与える。この繋がり、甘く見てはならぬ』
「……はい」
『繋がりが切れる時は名付けた異形が死んだ時。名付け親には、その感情がすべて流れ込んでくる』
なにを見たのか、何に殺されたのか、何を想ったのか、何を後悔したのか、嬉しかったのか、楽しかったのか、辛かったのか。
他人の走馬灯が一気に流れ込んでくる衝撃に襲われる。
それに耐えられる者は少ない、とシュコンは明言した。
名前を付けた時と漢字を宛がった時ではその代償も少しは違うらしい。
だが繋がりが少しでも繋がっているのは事実。
多少なりとも、感情の濁流は流れ込んでくる。
『耐えきれず、死ぬまで異形の死を嘆き続けた者を知っている。異形の本音に耐えられず、自害した者も知っている。名付けは良い。問題は名付けた後だ』
接し方に気を付けろ、と彼は忠告しているのだろう。
名付けした後、名付け親が異形を失望させてはならない。
それによって死後の感情の濁流の内容は大きく変わる。
『とはいえ、そう悩むことはない。胸を張れ』
不安そうにしているのが分かったのだろうか。
少し優しい口調でそう言ってくれた。
リィン……と甲高い鈴の音がした。
シュコンが眉をひそめて嘆息する。
『時間か……。お主、名を何という』
「旅籠です。旅籠守仲」
『では旅籠よ。お主に危機が及んだ時、入れ替わっても良いだろうか? 宿主を守るがこのシュコンの務め。どうか、許してくれるだろうか?』
「ま、まぁ守ってくれるなら……」
下半身の炎が元気よく燃えた。
満面の笑みを作ったシュコンはこちらに近づき手を握ってくる。
『是非に力を振るわせてくれ。主殿』
その言葉を最後に、視界が暗転した。




