3.8.修行
「ほら、どうかしら!」
「ええーとぉ……」
違う部屋に連行され、灰と黒の色合いの着物を着付けさせられた。
完全に着せ替え人形になってしまっていたが、着物自体は美しい。
一つの簪だけで纏められた髪も、そう簡単には崩れないようになっていた。
自分がこんなに高価な物を着ていいのか不安になる。
だがこれが普段着というわけではないだろう。
意外と動きにくいので、できればもう少しゆったりとした物があればいいのだが……。
そんな不安をよそに、真下はニコニコと笑っている。
満足そうなその顔を見ると、愛想笑いしか浮かべられなかった。
「じゃあ準備も整ったし、巫女の力の使い方を教えてあげるわ」
「準備……?」
「その服。高価な衣は巫女の力を増幅させるの。これで少しは感覚が掴みやすくなるはずよ」
「へ、へぇ……そうなんですね……」
つまり修行も戦闘も、こういう格好をしなければならないということらしい。
恥ずかしな、と思いながらもピシッと背を伸ばした。
それから真下から教えを乞うことにする。
「真下さん、よろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ。では、まずは巫女について少し説明しておくわ」
こほんと咳払いをする。
「まず巫女の主な役割は妖の妖術を防ぐこと。あとは結界を作って安全な場所を作ることね」
「け、結界……」
「そんなに難しくはないわ。見ててね」
真下が手を広げると、そこには多面体の結界が出現した。
いとも簡単に作られた小さな結界を見て雪野は心底驚く。
異世界だということは知っていたが、こういう離れ業を見ると本当にここが異世界なのだと実感できた。
「す、すごい……!」
「渡り者さんはみんな驚かれるわ。でもあなたならすぐにできる。ほら手を出して」
真下に手を握られる。
手の平を上にしただけでは流石に結界は出現しない。
「結界は守りたいって想いが重要よ。素質によってその大きさは変わるけど、まずはさっきみたいな小さな結界を作って見ましょ。さ、念じてみて」
「は、はい……!」
手の平を睨んだまま、少し力みながら念じてみる。
感覚も何も教えてもらっていないので不安だったが、ゆっくりと掌の上に多面体の結界が生成されていった。
それは先ほど真下が作った物より分厚く、重量がある。
淡い金色の光を纏っている多面体は美しかった。
「わぁ……!」
「さすがね。これの規模を大きくすると、拠点を守る結界になるわ」
「でもちょっと生成速度が……」
「初めてだったからね。すぐにぱぱっと作れるようになるわ。次は戦闘時の技ね」
雪野が最も知りたい技だ。
聞き逃さないように、真下の目をしっかり見ながら耳を傾ける。
すると、手を前に出した。
しばらくすると綺麗な青いオーラのようなものが出るが、それは溶けるように消えていく。
「これが妖の妖術を無力化する技。名前を『守の御力』。巫女の力は守るための力だから、これも想いが強いほど強くなる。それと妖を弱体化させられるわ」
「結界は物理攻撃を防げるのですか?」
「妖術も防げるわ。でも結界はその場から動かせない。でも守の御力は広範囲で妖術を防げるわ」
「なるほど……」
能力的に便利なのは結界だが、妖術だけに絞るのであれば守の御力の方が便利らしい。
戦闘中に突然結界を作られても迷惑だろう。
守の御力の効果範囲内であれば妖術が使えないし、弱体化もするということであれば、そちらの方が戦う兵士も楽になるはずだ。
自分で解釈し、納得しながら何度か頷く。
だが注意すべきことが幾つかあるようだ。
「守の御力は巫女の力の消費が激しいの。さらに巫女の力量によって防ぐことができない妖術も存在することを覚えておいてね」
「えっ……。そ、そうなんですか……?」
「ええ。この場合は結界が有効。壊される場合もあるんだけどね……」
妖の力に、巫女が勝てない場合はそうなるらしい。
元々妖が妖術を使う場合、それなりに強大な力を秘めていなければならない。
つまり妖術を扱うことができる個体は少ないのだ。
そして今、前線に配属されている者の中に妖術を無力化できるほどの力を持った巫女はいない。
これは萩間から少し聞いた話だ。
「村に一人は巫女が居るんですよね?」
「そうよ。たまに妖が現れたりするから……油断はできないんだけどね」
「そう、ですか……」
村も後回しにされているような気がする、と雪野は思った。
あれだけの田園風景はこの代果を支えるものだが、それを管理しているのは村民だ。
領地があったとしても……守ってあげなければ廃れてしまう。
そんな村が一体幾つあるのだろうか。
「彼らは……ずっと妖に怯えなければならないんですか?」
「いいえ、そうではないわ。今は秋だから秋の風は前線に出てるけど、冬、夏、春の風が担当区画を防衛しているの」
「あ、そうなんですね! 安心しました……」
「暇してたら腕が鈍っちゃうからね。でもこれは颪様たちが決めた事なの。城の防衛を捨てでも守るべきだって城主様にね」
「へぇ……!」
もちろんこの城にも防衛のための兵士は残されているが、依然と比べれば少なくなったそうだ。
「あら、話が逸れたわね! えっと、巫女の力はこの二つだけよ。貴方ならきっと扱えるわ」
「頑張ります」
カコーンッという音が庭から響いた。
何だったんだろう、と首を傾げていると真下がやれやれと言った様に笑う。
「打ち身と打撲に効く薬を持って行かないとね」
「……?」
真下はその場を後にしてどこかに行った。
雪野は彼女の言葉を不思議に思いながら、音が聞こえてきた庭の方へと移動する。
先ほど通った道を戻ればいいので迷いはしない。
萩間と話した部屋に戻り、襖と障子を開けて縁側に出る。
広い日本庭園が広がっているそこに、木刀を打ち合い続ける二人の姿があった。
「え!? り、陸さん!?」
「む、戻ったか。ほぉー、見事なものだな」
縁側に座って茶を楽しんでいた萩間が、綺麗な着物を身に纏った雪野を見て感嘆する。
真下のことだからもっと派手にすると思っていたのだが、落ち着いた色合いだ。
目の前で起きている事と、急に褒められた事で少し混乱する。
「え、あの、あ、ありがとう? ございます……。じゃなくて!」
「修行だ修行」
聞かれることを分かっていたように、簡単に説明した。
それは見れば分かるのだが……。
明らかに本気の立ち合いだ。
しかし早瀬は意外にも鏡夜の攻撃に対応することができており、今のところ一太刀も受けていない。
とはいえ基本はなっていなかった。
それでもここまでできるのは萩間も想定していなかったらしく、しばらく茶を飲むのを止めてじっと見ていたほどだ。
動きはいいし、筋もいい。
しっかりと鍛えれば前線を堂々と張ることのできる男になるはずだ。
「……ふむ、まだ分からん」
「何がですか?」
「早瀬殿の力だ。まだ何かある気がするのだがな」
鏡夜の攻撃を五回見事に受け切った後、ようやく反撃に出る。
初めての反撃に鏡夜は目を瞠ったが、即座に姿勢を低くして薙ぎ払いを回避した。
萩間は早瀬にまだ違う力が宿っているのではないか、と考えていた。
渡り者の力が四季の風という微妙な能力であるはずがない。
彼らはもっと、大きなものを持っているのだ。
それを今見極めようとしているのだが……まだ分からなかった。
「む、そういえば雪野殿はもう巫女の力の使い方は習ったのか?」
「はい。もうできますよ」
片手に結界、片手で守の御力を使用する。
淡い金色のオーラが空気に溶けていった。
「見事なものだ。それであれば十分戦える。あとは……あっ」
ブォンッと力強く振られた木刀をひらりと躱した鏡夜が、木刀を逆手に持つ。
大きく足を伸ばして肉薄し、回転しながら遠心力を付けて横から殴り打った。
木刀がかち合う硬い音が鳴り響く。
素早い速度で攻撃されたが、早瀬は何とか防ぎきったようだ。
だがこれだけでは終わらなかった。
更にもう一度回転して今度は上から叩きつける様に木刀を振り下ろす。
横からの攻撃を受けて手が痺れていた為、若干遅れてギリギリ防ぐ。
しかし再び回転して下段から振り上げられた木刀までは対処できなかった。
カコーンと良い音が鳴って、早瀬は顎をかちあげられた。
「あっ」
最後に鏡夜の素っ頓狂な声が聞こえて、稽古は強制的に終わった。




