3.4.老人の話
「私の名は萩間古緑。お主らは?」
「早瀬陸」
「雪野彩、です」
「悪いが現実から突き付けさせてもらう。お主らの友人は、死んでいる可能性が高い」
ひゅっと冷たいものが落ちた。
雪野は口を隠して驚き、早瀬は嘘だと思って頭を振り、鋭い目つきで睨みつけた。
まだ可能性だ。
決めつけるのは、早い。
だが萩間はその理由を淡々と説明していく。
「この世に渡り者……別の世からやってきた者をそう呼ぶ。彼らのほとんどは妖の地と異形の地、どちらかに降ろされる」
「……あ、妖? 異形?」
「鬼もいるぞ」
架空の存在がここには存在している。
彼の言っていることは嘘ではないということがその口調から伝わって来た。
「渡り者は人間の領地か鬼の領地、獄門の領地であれば救うことが容易い。発見されれば報告があがるはずだ。だが、そのような話は聞いていない」
つまり安全な地に旅籠は降りてきていないということになる。
となると……。
「その友人は、妖の地か異形の地にいることになる」
「……あ、あの……。あの時、化け物が……何か言ってた気がする。異形の地にとかなんとか……」
「そ、そういえば……」
ほとんど独り言の様な言葉だったので、忘れかけていた。
だが悪態をつくようにしてこぼれた言葉を、雪野は覚えていたようだ。
すると萩間が眉を顰めた。
「異形の地か……。異形は妖の傘下にあり、奴隷でもある。酷なことを言うが……やはり既に喰われている可能性が高い。友が居なくなったのはいつだ」
「……最低でも三日前……だと思います。その時に、違和感に気付きました」
「違和感とな?」
「旅籠のことを……あ、友達のことを忘れてしまっていたんです。ここに来るまで名前も思い出せませんでした」
「辻褄合わせだな」
萩間の言う通り、居たはずの人間の記憶を消すことで辻褄を合わせているように感じた。
恐らく、今頃早瀬と雪野も皆から忘れられているだろう。
帰ることができれば、また辻褄は合わせられる筈だ。
だがそちらの方は今はどうでもよかった。
問題は、旅籠の方だ。
雪野がおずおずとした様子で問う。
「えっと、その……萩間さん」
「なにかな」
「旅籠さんの……安否を確認する方法は……」
萩間は唸る。
その反応からして、簡単に確認できるものではないということが分かった。
安全な地に降ろされたのであれば、帰還させるために人間の里にわざわざ送り込んでくれる。
情報も共有されるし、その準備も受け入れも滞りなく完了するのだ。
だがその管轄外にあるのが、妖の地と異形の地。
そもそも異形の地はここから遠い。
人間の領地を出て鬼の領地を渡り、九つの山を越えて少しの妖の土地を越えた先にあるのが異形の地なのだ。
距離からしても……確認しに行く前に喰われてしまうのがオチだとのこと。
「お主らの友がここに降りてきて、お主らが来た間のずれもある。三日前に失踪したと認識しておっても、向こうは三週間の月日を過ごしているやもしらぬ」
「じゃあ諦めろって言うんですか!?」
「それが最も楽な道だ。お主らは元の世に戻れば友の事を忘れられる。妖に食われた渡り者など……見つかりはせぬよ」
萩間の言う事も、間違ってはいない。
忘れられるならばどんなに楽なことか。
だが早瀬はそれをしたくないから、ここに来た。
「でも……!」
「ではお主が妖を斬るか?」
続こうとした言葉を無理やり切り、じろりと睨む。
それだけの覚悟があるのかと聞いているのだ。
早瀬は一瞬たじろぐ。
勢いのままに何でも頷きそうになったが、ここは知らない世界なのだ。
リスクを顧みずに進む度胸は認められるだろうが、計画性も何もないのであればそれは冷静とは言えない。
言葉が詰まってしまったので、それだけの覚悟もないのかとも思われるかもしれないが、少なくとも萩間は一瞬冷静になった早瀬に感心した。
自分を一度制御するのは、難しいことだ。
視線を前に戻し、木枯らしを眺める。
「……お主らの友は、旅籠といったか。旅籠殿は異形の地にいる可能性が高い。その周りには人間を喰らう妖が蔓延っている。無事に生きてこちらに戻ってくることはまずないと考えよ。そのような事例は、一度としてないのだ」
「……!」
「そんな……」
できれば力になってやりたい。
だが、不可能なことはあるのだ。
できないことをできると言って、彼らに無駄な希望を与えたくはない。
酷なことではあるが、望みは限りなく低いのだ。
捜索に何日掛かるかもわからない。
そんな不透明な存在の為だけに、戦うことができる戦力を割くわけにはいかなかった。
妖怪との戦いは、未だに終わりを告げていないのだから。
歯を食いしばる音がこちらまで聞こえてくる。
すすり泣く声はこっちが悪いことをしている気分にさせた。
申し訳ないと思いつつも、事実だけは述べさせてもらった。
これも彼らの為なのだ。
あとは……彼ら次第である。
今すぐ踵を返して元の世界に帰るもいいだろう。
そうすればすべてを忘れることができる。
この世界のことは覚えているかもしれないが、旅籠の事は綺麗さっぱり忘れることができるはずだ。
ここに残るのもいい。
生きていることを信じ、力をつけ自らが探しに行くこともできる。
忘れたくないからという理由で残るのも間違いではない。
萩間は最後まで責任を持つつもりでいた。
ここまで追い込んだ後の彼らの最後の答えを、尊重したい。
「……生きてるはずだ」
「……」
雪野も泣きながら何度か頷いた。
諦めたくもないし、忘れたくもない。
可能性は限りなく低いが、その低い可能性を信じることにした様だ。
早瀬が力強くこちらを見る。
迷いは、もうないらしい。
「旅籠は生きてます! 絶対に!」
「……! うん……!」
「私はお主らの答えをもう否定はせぬ」
彼らの方針は決まった。
であればやることも自ずと見えてくるというものだ。
「一度私の屋敷に来るといい。そこで少し説明をしよう」
歳を感じさせないほどの動きで立ち上がった萩間は、腰に日本刀を差し直して階段を下りていく。
その後ろを数歩空けて、二人は付いていった。




