領主様失踪事件2
「教会で橋の凍結の話を聞き、城壁で壁越しにシリウスと面会したあと、ノキの足取りは途絶えました」
サミュエルが得た情報をまとめ、メニュー用の黒板に綴る。
手にしていたチョークをエリアスへ渡し、少年は口を噤んだ。
「次、俺の報告な。ノキさんが畑の方に向かったのが、10時くらいだ」
カツカツ、白いチョークで看板用の黒板をなぞり、エリアスが時間と場所を記す。
パブリック・ハウスには、報告者のサミュエルとエリアスの他に、店主のゲーテ、神父のルーゲン、農家のホフマン、そしてメイドのマリアが並んでいた。
夜を迎えた店内は臨時休業を取り、全員が深刻な顔でカンテラを囲んでいる。
エリアスが続ける。
「ホフマンさんと、冬支度について話したそうだ。食料の貯蔵状況と収穫の見込み量、あと廃屋ゾーンの取り壊しについて相談したって」
「そこんとこは、俺から話すぜ」
どっかりと椅子に座っていたホフマンが、腰を上げる。
彼が全員の顔を見回した。
「前領主の圧政に耐えられず、逃げ出した奴らの家があるだろう?」
テーブルに広げた地図を指差し、ホフマンの低い声が空気を震わせる。
空き家と廃屋の並んでいる区間を指で囲み、彼が声を張った。
「この廃屋の取り壊しについて、前々から協議してたんだ。ガキどもが遊び場にしやがって、危なくってかなわねぇ」
「子どもたちが言っていた『秘密の遊び場』って、ここですか!」
いつぞや、子どもたちがはしゃいでいた遊び場の謎が解け、少年が唖然とする。
住人を失った家は、急速に朽ちる。
雪深いこの町で、老朽化した家々は果たして雪の重みに耐えられるのか。
そして好奇心旺盛な子どもたちが、万が一事故に巻き込まれないか。
ノキシスはホフマンと、廃屋の確認を行っていた。
「雪が降るまでに、特に危険なやつを始末するってぇ話だったんだ」
「ノキ、ちゃんと仕事してたんですね……」
ほろり、サミュエルが目頭をハンカチで押さえる。
あたぼうよ! 苦笑いを浮かべたホフマンが、雑な仕草で少年の髪をかき混ぜた。
「そうでなけりゃあ、今頃謀反の話してたぜ?」
「穏やかじゃないですね!?」
「ははは! 他のヤツは知らねぇが、俺は特に気が短けぇからな!」
豪快に笑い、ホフマンが腕を組む。
即座に真顔へ戻り、視線をエリアスへ向けた。
こほん、店主のひとり息子が咳ばらいをはさむ。
「で、ノキさんは教会の方へ向かった」
「ドナが見たのは、このときですね」
手櫛で髪を整えたサミュエルが、時系列をまとめる。
ふと眉間に皺を寄せたホフマンが、口を開いた。
「ノキさんは、城壁で消えたんだろ? まさか、怨霊の仕業か……?」
「まさか!」
城壁に閉じ込められた怨霊の登場に、サミュエルがぎょっとする。
怪談の創造主であるルーゲン神父が、小さく咳払いした。
「現段階では、不確定ですな。それよりマリアさん、屋敷の方はどうですかな?」
「……いいえ」
「ゲーテは?」
マリアが力なく首を横に振り、同じ仕草を店主ゲーテが取る。
彼が口を開いた。
「今、町の若い衆に、川を探してもらっているよ」
「川に落ちていなければいいのですが……」
両手で顔を覆ったマリアが、喉奥から引きつった音をもらす。
サミュエルが傍に立ち、華奢な背をさすった。
沈鬱な空気に、ゲーテの目線が下がる。
「城壁にはシリウスがいるので、彼に任せればよいでしょう」
「怨霊の仕業だったらどうすんだ。殺意のかたまりだろう」
ホフマンの呟きに、ルーゲン神父が顎をさする。
「……あるいは、亡霊騒ぎに見せかけた、人為的な誘拐……ですかな?」
「だからあれほど金づるだから気をつけろって、言い聞かせたのに!!」
「お前、ノキさんのことなんだと思ってんの?」
わっ! 両手で顔を覆ったサミュエルに、エリアスが呆れた目を向ける。
騒々しい音を立てて扉が開かれたのは、そのときだった。
「だめです、ゲーテさん! 自転車すら見つかりません!!」
「ありがとう、フォードマン、ジェイク」
夜闇の中、袖をまくったふたりの青年が現れる。
逞しい体格をした彼らは、この寒空の下、額に汗を浮かべていた。
「まさか領主様、亡霊にさらわれたんじゃ……」
「おい、やめろって!」
小さく呟いたフォードマンを、ジェイクが肘で小突く。
扉が開かれたことにより、遠のいていた喧騒が店内へ流れ込む。
町の人々がそれぞれカンテラを手に、右へ左へ駆け回っていた。
――領主様が亡霊にさらわれた!!
何としてでも探し出すぞ!!
あちらにはいなかった!
森はどうだ!?
足元に気をつけろ!
飛び交う怒号に、はっと顔を上げたマリアの瞳が潤む。
肩を震わせた彼女が立ち上がった。
「私っ、探してきますわ!!」
「待ってください、マリアッ、うわ!?」
飛び出したマリアを追いかけ、駆け出したサミュエルが、急停止した彼女の背にぶつかる。
短く謝罪の言葉をこぼした少年が、彼女の肩越しに外の様子をうかがった。
「……あっ、あぁッ、ぁあの!」
「ノルベルトさん!?」
パブリック・ハウスの前に立っていたのは、重たい眼鏡をかけた、ボサボサ頭の青年だった。
彼が押す、見慣れた自転車。
周囲の暗さが色の判別を難しくさせたが、へこんだ前かごや傷の多い車体は、間違いなくノキシスの赤い自転車だった。
大きな声を上げ、サミュエルが探し人の愛車を指差す。
「ノキの自転車じゃないですか!! どうしたんですか、それ!?」
「何だと!? どこだ!!」
「どれ、明るいところで見せてくれませんかな」
「君、これをどこで!?」
「あぁわっ、ぁわわ……っ」
続々と店先から重鎮らが顔を出し、後にノルベルトは、「さながら地獄の門のようだった」と語った。




