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魔女の一撃2

「彼女は、マエストロのエイプリル。マリアの整備を担当してくれている、凄腕の技師だ」

「はあ……」

「……ノキ坊、この状態で褒められても、ちっともかっこつかねぇぜ」


 ノキシスが手で示した先、折りたたみベッドにうつぶせる、妙齢の女性。


 サミュエルが曖昧な顔で頷き、マリアが親方エイプリルの腰に氷のうをのせる。

 直立のまま伏せるエイプリルは微動だにせず、ぎっくり腰とは恐ろしいものだと、サミュエルは学んだ。


「それで早速だが、他にマリアを整備できる技師はいないかね?」


 どこか焦りを滲ませたノキシスの声に、ぴくりとエイプリルの耳が跳ねる。

 彼女の返した声は、拗ねたものだった。


「……この辺りじゃあ、アタシだけだよ」

「そうか……」

「全く、坊は相変わらず心配性だね。マリアはアタシが生涯かけて直すって、言ったろい」

「……すまない、マエストロ。そうだったね」

「ありがとうございます、マエストロ」


 マリアが胸に手を当て、腰を折る。

 ノキシスが眉尻を下げた。


「マリアはあまり不調を言わないからね、動揺してしまった。以前は、確か右目のノイズだったかな」

「7年前の義眼レンズの交換だね」


 震える指で差された机の上に、つづり紐でまとめられた書類を見つける。

 机上には機械油のはみ出たボトルや、汚れたウエス。スパナや歯車など、様々なものがのっていた。


 サミュエルが書類を手に取り、中を開く。

『マリア』と綴られたカルテに、少年が目を瞠った。


「マリアは定期レポートも安定してんだ。ここまで大切にされてる自動人形は早々いないよ。よっぽどのことは起こらねぇから、安心しな」


 エイプリル言葉に、ふわり、マリアの表情が緩む。

 自動人形と馴染みのないサミュエルが、カルテのページをめくった。


「俺、マリアしか自動人形って知らないんですけど、そんなに違うんですか?」


 何気ない少年の質問に、カッとエイプリルが目を見開く。

 腰の痛みも忘れ、彼女が早口でまくし立てた。


「そりゃあもう、月とスッポンよ! 普通はこうはいかねぇ。みんなかえが効くってんで、雑にしか扱いやがらねえ! メンテだって寄越さねぇで、新型を買い替えやがんだ!!」

「へ、へえ……、そうなんですか……」


 親方の巻き舌に圧され、少年がたじろぐ。

 ノキシスが苦笑いを浮かべた。


「マリアはわたしの唯一だからね。代わりなんてどこにもいないよ」

「ノキさん……」


 マリアの瞳が潤む。彼女の手が、胸の辺りを押さえた。

 クーッ!! 寝台で両の拳を固めたエイプリルが、ここに感極まり。そんな声を放つ。

 サミュエルの肩が跳ねた。


「だからこそアタシは、マリアを生涯担当するって決めたんだよ!!」

「よ、よくわかりました。ですけど、今はご静養された方が……」

「そこなんさね……」


 がくり、エイプリルが寝台で項垂れる。

 先ほどまでの輝きに満ちた声とは異なり、どんよりと沈んだ声だった。


「マリアが来るってんで、つい張り切っちまったんだよ……。まさかぁこの年でやっちまうとは……」

「マリア、罪深いことしてますね……」

「あ、あらあら?」


 後輩から向けられた視線に、マリアが首をひねる。

 繊細で滑らかな表情の変化は、違和感なく人らしさを伝えた。


「アタシは動けねぇ。でもだからって、他の工房なんざにマリアを預けたくねぇんだ!」

「モテモテですね、マリア」

「照れるわ、サミュさん」


 頬を押さえ、唯一のメイドがはにかむ。

 エイプリルが震える手を伸ばした。転がったペンを掴む。


「マリア、問診だ。不調箇所を口頭で述べてくれねぇかい?」

「かしこまりました」


 静かに腰を折り、マリアの目がちらとノキシスへ向けられる。

 はたと気がついたサミュエルが、主人の背を押した。


「ノキ、向こうで待ちましょう」

「……マエストロ、マリアを頼んだ」

「ああ、任せな!」


 伏せたまま親指を立てたエイプリルの姿が、蝶番の速度に合わせて、扉の向こうへ遮られた。






「さて、マリア。症状を教えとくれ」


 親方エイプリルの促しに、マリアの手が自身の胸へ添えられる。

 彼女が金の睫毛を伏せた。


「胸部に違和感が」

「胸かい。程度と頻度は?」


 新しいカルテの用紙に、ガリガリ、高い筆圧の音が響く。

 ためらうように口を噤んだ患者が、静かな声を押し出した。


「……言葉では表現しにくいのですが」

「アンタが認知してる表現でいいよ」

「……むずがゆいような、刺さるような、痛むような、締めつけられるような……そのような感覚です」

「おん? 多様だねぇ」


 首をひねったエイプリルが、利き手を止める。


「その不和に、規則性はあるかい?」

「……」

「マリア?」


 言い淀むような沈黙は、命令を絶対とする自動人形には珍しい現象だった。

 問いかけるエイプリルに、俯いたマリアが胸元を握る。


「……ノキさん」

「ん? 坊?」

「ノキさんの、笑った顔を見たとき、特に軋みます」

「……」

「痛くて、苦しくて、でも、あたたかい」


 僅かに頭を持ち上げ、親方が自動人形を見遣る。

 顔色を悪くしているマリアは深刻な面持ちで、その姿は冷静であるべき自動人形らしくなかった。

 エイプリルが、ペンを置く。


「……こいつぁ、たまげた……」

「マエストロ、やはり私は廃棄されるのでしょうか?」


 声音を震わせたマリアの目線は、終始床に縫い留められている。

「いや……」呟いたエイプリルが、上着のかかった椅子を指さした。


「ひとまず座りな。……そうさな。アンタを廃棄なんてしちゃあ、坊が黙っていないよ。まず、それを認知しな」

「……はい」


 浅く椅子に腰かけ、マリアがか細く応答する。

 首の向きを変えたエイプリルが、患者の姿を視界におさめた。


「マリア。アンタは、人形に魂が宿る話は、聞いたことがあるかい?」

「魂? 自動人形には、無縁の項目だと思うのですが」

「ところがどっこい。長く愛されたモノにはね、心や命が生まれるんだよ」

「??? 理解不能です。論理的ではありません」


 エイプリルの説明に、首を倒した自動人形が困惑の顔をする。

 やさしく微笑んだ親方が、幼子に語りかけるように問いかけた。


「もしもノキ坊が泣いてたら、アンタはどう思う?」

「『思う』ですか? 自動人形に感情は……」

「胸は痛むかい?」


 ハッとしたマリアが、視線を俯ける。

 ふらふらとさ迷わせたそれが、顔ごと背けられた。


「……痛みます」

「どんな風に?」

「キリキリと、捩じ切られるような。少しでも笑ってほしくて、……涙を拭いたくなります」

「じゃあ、他に痛むときは、どんなときだい?」


 やわらかく促され、自動人形の喉がこくりと動く。

 震える唇が、ゆっくりと動かされた。


「……ノキさんが、サミュさんといるとき」

「うん」

「ツキリと、突き刺さるような痛みが、一瞬走ります」


 マリアの両手が顔を覆う。絞りだされた声音は、涙声を思わせた。


「マスターの占有権など、私にありません。なのに、『取られてしまう』と思ってしまうの……!」


 くぐもった声音は上擦り、冷静さからほど遠い。


「これまでずっと、ノキさんのお世話をしてきたの。もちろん、これからも! あの人が微笑んでくれるだけで、胸が満たされる。なのに、あたたかいのに、疼いて痛むの! ノキさんが私を褒めるたび、バイタルの上昇を観測する。それなのに、胸が締めつけられるように苦しいの!」


 エイプリルの相槌を置いて、勢いよくマリアが顔を上げる。

 切羽詰まったかのようなそれは、彼女に人間らしさを与えた。


「マエストロ、私はおかしいの!? このままじゃっ、廃棄が、ノキさんの傍にいられないことが、恐ろしいの……ッ」

「それが『愛しい』って感情だよ、マリア」


 やさしく諭すようなエイプリルの声に、マリアがハッとする。

 胸を強く押さえ、戸惑いの顔で復唱した。


「これが、愛しい……?」

「アンタは知ってるかい? ただのオモチャの人形でも、魂が宿って髪が伸びたりだとかする話」

「いいえ……」


 横に振られる首に、エイプリルが微笑む。

 伏せたままの彼女が、サジを投げた。


「マリア、それはアタシたちには直せないものだ。それをどうにかするにゃあ、アンタのデータを全て初期化しなきゃならねぇ」

「ッ、それは……」

「ノキ坊との思い出も、アンタがこれまで把握してきた好みも、全部まっさらに消さなきゃなんねえ。……それが、その胸の痛みを消す唯一の方法だ」


 うつむいたマリアが、両手で胸を強く押さえる。

 その顔に浮かんだ表情は、泣き笑いのものだった。


「人間は、こんなにも重たいものを持っているのね……」

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