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道化が暗躍する

 シュレー・ゲルトシュランクは、無愛想な兄オーティスと、わがままな妹フレーゲルをきょうだいに持つ、次男である。

 きょうだい間のつながりは希薄ではあるが、それでも長男の横柄さと、末っ子からの無茶を押し付けられてきた。


 めんどくさいなあ、と思った回数は計り知れない。

 次第に面倒事を回避するよう、シュレー少年は上手く立ち回るようになった。

 彼の危機管理能力が、めきめきと鍛えられた瞬間だった。


 シュレーがノキシスとはじめて出会ったのは、7歳の暑い日だった。


 親族の集うその日は、普段見かけない子どもたちの数も増える。

 面倒な挨拶を手っ取り早く済ませた彼は、退屈を紛わせる遊び相手を求めて、屋敷内を散策していた。


 不意に弾んだ笑い声が聞こえ、廊下の窓から庭を見下ろす。

 そこには、メイドに帽子を被せられている、ひとりの女の子がいた。


 真白な髪と肌が、高いコントラストの日差しに照らされている。

 甘えるようにメイドに抱き着いたその子が、カンカン帽の下で、にっこりと笑った。


「――ッ!!」


 その瞬間、シュレーは廊下を走っていた。

 階段を駆け下り、大急ぎで庭へ飛び出す。

 手早く髪や服をはらい、弾んだ息をにこやかな笑みで整え、小さな紳士として少女の前に立った。


「ねえ、ぼくも一緒に庭を見てもいい?」


 彼は齢7歳にして、ナンパを果たした。


 初恋だった。

 出会ったその日に手を繋いでデートするほど、シュレーは積極的に少女へ近づいた。

 さらには挨拶と称してハグするくらいは、情熱でぐいぐい推した。


 少女の名前は、ノキシスという。

 年はシュレーより、ひとつ下らしい。

 内気な彼女はもじもじとメイドの後ろへ隠れたがったが、シュレーが優しく接することで、次第に笑顔を見せるようになった。


 そのノキシスが少女ではなく少年なのだと知ったときは、シュレーは熱を出して寝込んだ。

 泣いた。しばらくは食事も喉を通らなかった。

 頼み込んで一緒に写った写真を見詰め、初恋の終わりを嘆くように、ぼろぼろ泣いた。


 そも、ことの発端は、シュレーがノキシスを婚約者に据えてほしいと、両親に頼み込んだことにある。

 厳格な父親が、はじめて「え?」という人間味ある顔をした瞬間だった。



 さて、シュレーは危機管理能力に優れている。


 そのとき彼は、ぴこーんと閃いた。

 ――このままじゃ、ノキちゃんが危ない!


 元々シュレーは、本家のやり方に疑問を抱いていた。

 第一に、本家の人間というだけで、彼は友達ひとり作ることができない。

 横暴な兄を見ていて、常日頃思う。


 ――そんなんじゃ、絶対にハッピーになんかなれないのに……。


 さて、ノキシスも本家の敷地にいる以上、本家と関わりのある人間だ。

 彼等の役職などは、少年には難しくてまだわからない。


 けれども、遠路遥々やってきたおじさんたちが、蒼白な顔で父と面会している姿は、よく見ていた。

 応接間から漏れ聞こえる、懇願する泣き声。

 幼心ながら、シュレーはそれらに不気味さと恐怖心を抱いていた。


 次男ではあるが、将来的にシュレーは父側の立場につく。

 では、ノキシスは?

 遠路遥々やってくる、蒼白な顔色のおじさん側だ。


 虚ろな顔でぶつぶつ呟く人。はたまた、頭を掻き毟って泣き喚く人。

 様々な人が、あの応接間から追い出されてきた。


 ――そんな絶望のふちに、ノキちゃんを立たせるわけにはいかない!


 シュレーは当主にはならず、影で暗躍する道を選んだ。


 彼は初恋に対して、一途だった。

 その分、ノキシスへ対しても変わらぬ美を求めている。

 もしもノキシスが醜悪に成長していれば、シュレーはあっさりと彼を見捨てただろう。

 それ以上に、大切な思い出を穢した報いとして、率先して首を取ろうとしていたかもしれない。


 何にしても、ノキシスにとっては迷惑極まりない。

 シュレーは良いお兄ちゃんでいるよう、道化に徹して内情を伏せた。

 ベーレエーデで見せたしおらしい態度も、『こうした方がノキちゃん怒らないし』という計算が下にある。






 本家へ戻ったシュレーが、急ぎ足で当主の元へ向かう。


 ――まずはパパに報告を。

 確かにお兄様は次期当主候補として有力だけど、現当主はパパだもの。

 パパさえ納得させれば、お兄様は口出し出来ないわ。


 兄と遭遇する前に、出来るだけはやく報告へ向かわなければ。

 シュレーの長い脚が、カツカツ廊下に音を刻む。


 不意に、その脚が止められた。

 父の執務室が開く。

 現れたのは、兄のオーティスだった。シュレーの微笑が強張る。


 ――タイミング、さいっあくじゃない!!


 内心天を仰いだ。どうにかして、ノキちゃんを守らなきゃ!

 彼が思考を巡らせる。


 弟の存在に気づいたオーティスが、大股に歩む。

 にっこり、シュレーが得意の笑顔を張りつけた。


「はあい、お兄様」

「……シュレー」


 父譲りの厳格な顔をしかめて、オーティスの低い声が響く。

 まずいまずいやばいじゃない! 笑顔の下で冷や汗をかきながら、シュレーは会話のシミュレートをした。


 ――あたしからノキちゃんの話題を出すなんて、悪手だわ。

 変に違う話題を振って、怪しまれるのもごめんだわ。

 ……藪をつつかず、お兄様の出方を伺いましょう。


 彼が固唾を呑む。

 オーティスの口が、うすらと開かれた。


「……荷物は渡ったか?」

「は?」


 てっきり監査結果を尋ねられるのだと身構えていたシュレーが、ぽかんと口を開く。

 厳しい眉間の皺を作る兄の表情は変わらず、諸々の思考を置いた弟が、件の箱を思い出した。


 こくん、頷く。


「ええ。ちゃんとお兄様に言われたとおり、ノキちゃんに手渡したわ」


 ベーレエーデの領主邸に到着して、真っ先に手渡した、大きなリボンの巻かれた丸い箱。

 こちらはシュレーが用意したお土産であり、オーティスから持たされた箱は、その下に抱えていた。


 長方形の箱は軽く、振っても乾いた音しかしない。


 内容物を不審に思ったが、そこはプライバシーの守られた領域だ。

 シュレーは兄より受けたおつかい任務を、淡々と遂行させた。


「そうか」


 端的に呟いたオーティスが、シュレーの横を通り過ぎる。

 追撃がないことを驚いた弟が振り返るも、兄の大股な歩みは止まらない。


 ――てっきり、ノキちゃんのことを根掘り葉掘り聞かれるんだと思ってたわ……。


 唖然としたシュレーが、これ幸いと父の部屋へ駆け込む。

 自室へ戻ったオーティスが、両の拳を天高く突き上げているとも知らずに……。

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