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怪物は霧に潜む3

 震えた瞼がゆるゆる持ち上がる。

 ぼんやりと重たく瞬いたノキシスが、習慣のままベッドサイドへ手を伸ばした。


「ノキ!!」

「ノキぢゃあああああんっ」

「ぐえっ」


 腹に打撃を食らい、ノキシスが撃沈する。

 何度も腹を往復する頭っぽいものを感じながら、彼が辺りの様子に気を配った。


 周囲が明るいため、日が昇った時刻だろう。

 ベッドの感触、部屋のにおいなどから、ここは自分の寝室のようだ。

 先ほど聞こえた声は、サミュエルとシュレーのものだろう。


 ――よし、サミュに聞こう!

 領主が検分を終える。


「サミュ、わたしの眼鏡はあるかね?」

「事務用のものでしたら、ここに」

「ありがとう」


 受け取った眼鏡をかける。

 ようやくクリアになった視界に、ノキシスはほっと息をついた。


 サミュエルが泣きそうな顔で、主人の額から濡れたタオルを取り除く。

 はたと瞬く領主の顔を覗き込み、少年がおずおずと声をかけた。


「ノキ、具合、どうですか……?」

「問題ないよ。なにがあったのか、教えてくれないかね」


 ぐすり、サミュエルの瞳が潤む。

 ノキシスはぎょっとした。

 自分が意識を失っている間に、なにか深刻なことが起きたのだろうか!?


「俺、ノキがいなくなったって、はじめ気がつかなくて……。マリアに言われて、それで……っ」

「ああ……大丈夫だ。思いつきの行動だったんだ。気にしなくていい」

「心配したんです! 必死に探し回って、悪い想像ばかり頭を巡って、本当に苦しかったんですから!!」

「す、すまない……」


 なーんだ、そんなことかー。

 そう安堵した矢先の剣幕に、領主が肩身を狭める。

 依然、腹の上は重たかった。


「マリアには屋敷で待ってもらって、そしたら、シリウスがノキとその人を連れてきてくれたんです」

「シリウス? 獣医のシリウスかね?」

「はい。あの人嫌いのシリウスです。悲鳴が聞こえて、動物たちの落ち着きがなくなったから、仕方なくジャックと探しに行ったといっていました」


 シリウスは城壁に住んでいる。

 獣医である彼は動物を城壁内部で匿い、犬猫パラダイスを作り上げていた。


 ジャックはそんなシリウスに飼われている犬である。

 ラフ・コリーである彼はもふもふしており、ノキシスは時折ジャックの散歩をしていた。


「……そうか。シリウスとジャックに礼をしよう」

「そのシリウスって人、頭から紙袋をかぶった、変な人だったわ。ノキちゃんのことをおぶって、屋敷まで連れて帰ってくれたの」

「紙袋かー。考えたな……」


 人間嫌いのシリウスは、人前に姿を現さない。

 徹底した対策に、領主はおかしそうにくつくつ笑った。


「笑いごとじゃありませんよ! ノキ、気絶してたんですよ!? 心臓止まるかと思いました!!」

「ごめん、あたしのせい」

「知ってます!!!」


 がるる! サミュエルが牙をむく。

 肩を落としたシュレーが、赤くなった目許を擦った。


「……ノキちゃん、ごめんなさい。あたし、あなたたちのことを試していたの」


 ようやく起き上がることの出来た領主が、項垂れるシュレーを見詰める。

 ぽつり、ぽつり、優男が言葉を零した。


「オーティスお兄様、ノキちゃんのことをいじめてばかりでしょう?」

「昔から嫌われているようだからね」

「あたしを派遣するよう、パパに口添えしたのはお兄様なの。あたしが監査の鬼なのは、知ってるでしょう? お兄様は本気でノキちゃんのことを潰すつもりだって、あたし思ったの」


 しょんぼりと肩を落としたシュレーの言葉に、サミュエルが歯噛みする。

 唸るように、少年が呟いた。


「あいつ……ッ、ノキが何したっていうんだよ……!」

「わからないわ。でも、あたし、ノキちゃんを助けたかったの!」


 シュレーの目に、じわりと涙が溜まる。

 身を乗り出した彼が、切々と訴えた。


「あたしの監査が厳しいの、抜け道のためなの」

「抜け道?」

「ええ。査定の厳しいあたしが問題なしと判断すれば、みんな信用するでしょう? それで、ノキちゃんへの注意を逸らそうと思ったの。でも……」


 ぎゅっと白いスラックスを握った彼が、つらそうな顔で俯く。


「もしもノキちゃんが、あたしの助けたいノキちゃんでなくなっていたら、助ける価値なんてないじゃない」

「こいつ、やっぱり嫌いだ!!」

「あたしだって必死なのよ! もしもノキちゃんが、資料通りの最低最悪な人間になってたら? あんなに可愛くてきれいで妖精みたいだったノキちゃんが、もしもぶくぶく太って醜くなってたら!? 見たくないでしょう、そんな姿!」

「待ってくれ。どうやら途中、幻聴が聞こえたようだ」


 頭痛に耐えるような顔で、ノキシスがこめかみを押さえる。

 キッと眼光を鋭くさせたシュレーが、胸ポケットに手を突っ込んだ。


「幻聴じゃないわっ。見てみなさい! これが小さい頃のノキちゃんよ!!」

「うわ!? これ、ノキですか!? どうしてこんなになっちゃったんですか!」

「どういう意味だろうか……」


 ばばん! 掲げられたセピア調の写真を、食い入るようにサミュエルが見つめる。

 写されていたのは、白い髪の小柄な少女と、幼き日の少年らしいシュレーだった。


 うっとり、シュレーが写真を見詰める。


「ノキちゃん、本当に可愛いでしょう? あたしの初恋なの」

「いや、それは初耳だ」

「ノキちゃんが男の子だって知った日は、泣いて泣いて、泣き暮らしたわ」

「罪深いことしてますね、ノキ……」


 どん引きしている顔で、サミュエルがシュレーを見下ろす。

 写真を懐に仕舞った彼が、けほん、咳払いを挟んだ。


「だからあたし、まずはノキちゃんを試そうと思ったの」

「それでサミュに声をかけたのか」

「あー。そっちは、その子を人質にして、ノキちゃんを脅したことにしようと思ったの。来たらラッキーぐらいの感覚で」

「いい迷惑ですね!? だったら、ノキを城壁まで連れて行く意味ないじゃないですか!」


 サミュエルが声を荒げる。

 肩を落としたシュレーが、頰をふくらませた。


「だってこの子、てこでも動きそうになかったんですもの。じゃあもう、ノキちゃんを直接脅そうと思って……」

「もっと平和的に解決してください!!」


 サミュエルとシュレーの応酬を目で追い、三角座りをしたノキシスが、「なるほどなー」納得する。


 同時に、前回死んだときは太っていたせいなのか! デブに厳しい世界だね!

 戦慄していた。


「ところで、シュレー。きみは城壁で、なにに驚いていたのだね?」

「霧に大きなバケモノの影が浮かんでいたのよ! ノキちゃん、本当に見えなかったの!?」

「眼鏡がなかったんだよ……」


 シュレーの剣幕に肩を引かせ、ノキシスがしょんぼりと呟く。

 まだ新調して月日の浅い眼鏡だったのに……。


 シュレーの証言に、さっと顔を青褪めさせたのは、サミュエルだった。


「バケモノ!? やっぱりあの城壁、怨霊がいるんじゃないですか!?」

「ルーゲン神父に聞かせてあげれば、とても喜ぶだろうね。怨霊なんていないよ」

「でも、バケモノが!!」

「ブロッケン現象だよ」


 はて。サミュエルとシュレーが、ぽかんと首を傾げる。

 ベッドサイドの引き出しから、用紙とペンを引っ張り出した領主が、きゅるきゅるインク瓶のふたを開けた。


「昨夜は新月だったからね。加えて曇天と空に明かりはなく、濃い霧まで出ていた」

「おどろおどろしいの最高潮じゃないですか」

「わたしたちがいたのは、城壁の見張り台だ。見晴らしのいい霧の幕と、足許に置いたカンテラ」


 白紙に描かれる床の線と、カンテラの照明。

 カンテラを焦点に線が引かれ、霧の中まで直線が伸ばされた。

 霧とカンテラの間に、丸印が描かれる。


「さて、カンテラの光を背負った影は、どこへ伸ばされる?」

「……霧の中、ですか?」

「そうだね。あのとき、私たちはそれぞれショールを羽織っていた。余計に人間離れした影になっただろうね」


 ペンをサイドテーブルに置いた領主が、両手の親指を重ね、ぱたぱたと手を羽ばたかせる。

 影絵の鳩の登場に、サミュエルがはっとした。


 力なくベッドに手をついたシュレーが、疲労に満ちた顔をする。


「じゃあ、あたしが見たあれは……」

「わたしたちの影だよ」

「そんなあ……っ」


 ぐったり、ベッドに倒れ込む。


 バケモノなんていなかった。そう安堵したところで、寝室のドアがノックされた。


「失礼しますわ。……っ、ノキさん!」

「マリア、心配かけ、うわ!?」


 押してきたワゴンを置き去りに、扉を開けたマリアがノキシス目がけて駆け出す。

 ベッドに座る主人の頭を両腕で抱き締め、彼女が細い肩を震わせた。


「ま、マリア……?」

「……わたくし、ノキさんが目を覚まさなかったら、自壊しようと思っていたの」

「待ってくれ。物騒だ。わたしはこの通り元気なのだから、そのように思い詰めないでくれ」

「よかった……」


 揺れる声がしぼり出される。


 マリアは自動人形だ。

 喜怒哀楽の感情表現はプログラムされているが、実質、彼女たち自動人形に感情はない。

 自動人形の表情は、適切な場で適切な対応ができるよう、計算されたものでしかなかった。


 マリアの瞳から、白い雫が滑り落ちる。


 自動人形に『涙』の概念は不要だった。

 彼女たちはどのような環境化においても、冷静で的確でなければならない。

 涙などという感情の噴出は、そもそもプログラムされていなかった。


 マリアの異常を目の当たりにしたシュレーが、ぎょっと目を瞠る。


 彼女が本気で腕に力を込めれば、人体など容易く引きちぎられるだろう。

 震える肩を懸命に調整させ、マリアはノキシスを抱き締めていた。


「よかった……っ」


 再度、掠れた声音でマリアが囁く。

 ノキシスの白い髪を慈しむように撫で、頬を経由しない雫がもう2滴、シーツに滲んだ。

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