第4話 不当契約の強制終了
屋敷の正門前。
そこには、朝っぱらから血圧の上がりそうな怒鳴り声が響き渡っていた。
「おい! ルベリット男爵はどうした! 利息の支払いが三日も遅れてんだよ! 払えねぇなら、この屋敷の権利書か、あるいはそのガキを寄越しな!」
門を蹴りつけているのは、この界隈で悪名高い高利貸し、バルガス。
脂ぎった顔に、見るからに質の悪そうな毛皮を羽織った男だ。後ろにはガタイのいい取り巻きが二人。
「ま、待ってくださいバルガス殿! 旦那様は今、病に伏せっておられ……どうか、あと数日の猶予を!」
「あぁん? 猶予だぁ? そんなもんは前世に置いてきたんだよ!」
ハンスさんが必死に食い下がるが、バルガスは聞く耳を持たない。
……さて、出番ね。
私はハンスさんの背後から、一歩前に出た。
「おはようございます。朝から随分と元気な『アラート』が鳴っていますね」
「あ? なんだぁ、このガキは……」
バルガスが眉をひそめ、私を見下ろす。
私は前世で、理不尽な仕様変更を迫るクライアントに対峙した時と同じ、「完璧な営業スマイル」を浮かべた。
「初めまして、バルガス様。ルベリット男爵家、当主代行のリリアです。本日は『債務状況の確認』および『契約内容の適正化』に参りました」
「当主代行ぉ? ハッ、ガキがままごとを……おい、遊んでる暇ねぇんだ。金を出せ、金を見せろ!」
バルガスが汚い手を私に伸ばそうとする。
ハンスさんが悲鳴を上げ、私の前に飛び出そうとした。
……けれど、それより早く。
私は昨夜何回も繰り返した「手順」を、脳内で爆速実行した。
(変数:光。指向性:極小。出力:〇・〇五%。座標:相手の眼球前方一センチ――実行)
パッ、という鋭い閃光。
魔法回路を流れる魔力の痛みは、昨夜のそれよりずっと軽い。
「ぎゃあああああっ!? 目が、俺の目がぁ!」
バルガスが顔を押さえてのけぞる。
私はただ指を鳴らしただけだ。派手な爆発も、派手な呪文もない。ただ、「針のように細く鋭い光」を相手の視界にピンポイントで叩き込んだだけ。
昨夜の反復練習が、私の指先に「精密機械」並みの精度を与えていた。
「な、なんだ!? 今、何をした!」
「あら、失礼。少し『ノイズ』が混じったようですね。……さて、バルガス様。話を戻しましょうか」
私は、ハンスさんの手から奪っておいた古い契約書を広げた。
前世で、数千枚の契約書と戦ってきた私の眼は、そこに潜む「バグ」を一瞬で見抜く。
「この契約書、第十四条の利息規定。王国の法定金利を三割も超過していますね。いわゆる『コンプライアンス違反』です。それにこの署名……病床で意識が混濁していた父に書かせたものですね? 法的には『契約無効』の要件を十分に満たしています」
「な、ななな……何を言ってやがる!」
「もしこれを王都の憲兵局に持ち込めば、あなたの営業許可は『強制終了』。最悪、詐欺罪でブタ箱行きですが……どうします? 今すぐここで、適正な利息による『再契約』に応じますか?」
バルガスは顔を真っ赤にして震えている。
後ろの取り巻きが「やっちまえ!」と私に掴みかかろうとした。
私はため息をつく。
あーあ。物理攻撃で解決しようとするなんて、やっぱり民度が低い現場ね。
「……ハンスさん、少し下がっていてください」
私は右手の指を揃え、彼らに向けた。
昨夜の「ライト」の応用だ。光を拡散させず、一点に収束させ、さらに高周波で振動させる。
「ライト(指向性・熱変換モード)」
シュッ、という静かな音。
取り巻きの一人が持っていた棍棒の先端が、一瞬で焼き切れて地面に落ちた。
「……ひっ」
「次は、その汚い鼻の頭を『デバッグ』してあげましょうか? それとも、三秒以内に私の提示する『修正案』を飲みますか?」
私の瞳には、一切の慈悲はなかった。
月百五十時間残業のデスマーチを生き抜いた人間の眼。
それは間違いなく八歳の幼女のソレでは無く、異世界の堕落した生活を送っているような悪党ごときが耐えられるものではない。
「わ、わかった! わかったからその指を向けんじゃねぇ! 契約だ! 再契約してやるよ!」
バルガスは這々の体で書類にサインし、逃げるように去っていった。
門前に静寂が戻る。
「……リリア様……」
ハンスさんが、信じられないものを見るような眼で私を見ていた。
あ、やばい。ちょっとやりすぎたかな。八歳の令嬢として。
「あ、あのね、ハンスさん。今のは、その……夢の中で女神様に教わった『防犯対策』で……」
「……ああ! ああ、リリア様!」
ハンスさんが突然、その場に膝をついて号泣し始めた。
「なんと神々しい……! 病に倒れた旦那様に代わり、その小さな身で悪鬼に立ち向かわれるとは! 魔法を修練されていたのは、この時のためだったのですね! ああ、ルベリット家の守護聖女様だ……!」
……えっ、聖女?
いや、私、ただの元社畜で、自分の権利を守るために当然の交渉をしただけなんだけど。
魔法をこっそりやってたつもりがハンスさんにはバレてたのかぁ、まぁいいか。
「リリア様、その隈は、民のために身を削られた誇り高き勲章でございますな! 私が! このハンス、命に代えてもお支えいたしますぞ!」
違うんです、ハンスさん。
この隈は、夜中に「魔法のデバッグが楽しすぎて止められなかった」だけなんです。
でも、ハンスさんの眼には、私は「領地のために命を削る、尊い幼女聖女」として映っているらしい。
「(まあ……人的リソースのモチベーションが上がったのは良いことね)」
私は内心で肩をすくめた。
借金問題は、これで一旦「保留」にできた。
次は、キャッシュフローを改善するための「特産品開発」と、さらなる「リソース確保」――つまり、森の開拓だ。
「よし。ハンスさん、お昼ご飯を食べたら、ちょっと裏の森まで『市場調査』に行ってくるわね」
「森!? あそこは魔物の巣窟で……! ああ、またリリア様が危険な場所へ……!」
ハンスさんの勘違いの鳴き声を背に受けながら、私は自室に戻って三時間の「チャージ(睡眠)」に入る準備を始めた。
コツコツ積み上げた魔法の精度は、実戦でも十分通用した。
なら、次はもっと「効率的」な開拓方法を考えなきゃ。
異世界ホワイト生活(仮)は、まだ始まったばかりだ。




