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第28話- 鏡割り。-Bad Kinds-

 ズタズタ、ズタズタと何かが切り刻まれるような感覚が心臓に突き刺さる。

 ギチギチ、ギチギチに身を焦がすような焦燥が肌を擦り減らす。

 二の腕辺りが枯れてしまう様な脅迫に腕を抱いて、目を見開く。

 ガチガチと顎が恐怖を訴える。ギュルリと眼球が逃れようと動き回る。

 そんな感覚を残したまま、そんな感覚に慣れた上で、僕らは居た。

 どうしようもなく、どうしようもなく、どうしようもなく当然で、それ以外を知らない故に。


 その結末は、言うまでもなく。


                     /


 最悪。

 そんな感情を心に残留させる間もない。

 向かってくる泥底部隊(ヌタ)の1人がホルスターから拳銃を抜こうとしているのが見えた。

 一般人が巻き込まれた時の対処法、平和的解決。そのための公式部隊(アクティブオーダー)に酷似した制服。

 しかし『その子は能力違法使用によって保護命令が出ています。速やかに――――』なんて予測しきった台詞は発せられることはなく、追われる側と追う側を一目確認してタカとクシロは連中と反対方向の道へと走り出した。

 そう。だから最悪。

 もし巻き込まれたとしても、つい先ほどの時点で、連中の台詞を待ってそのまま幼女を引き渡せば解決だったこの問題ごとは、分かっていたこととはいえ積極的に介入しようなんてマネをしてくれる2人のお陰で悪化したわけだ。

 女の子が悪人に追われるなんていう、実際ハズレでもないそんなシチュエーションに出くわしてあの2人が引き下がるわけもない。

 良くも悪くも一般人ほどには正義感と倫理観と道徳を持ったクシロとタカに見放すなんてことはできないだろう。

 知恵を働かすことなく、反射的に逃げるという選択肢をとってしまうところがもう何とも言えないほどに無垢な子供そのものだ。

 本当に、最悪だった。

 しかし、こうして最悪最悪と罵り続けてもしょうがなく、僕も数歩遅れて2人に続く。

 全体的に灰色をしたヘルメットありの本当に自衛隊が着ているような制服姿が3人ほどに増えて追ってきていた。

 大通りを横切って人ごみを掻き分ける際、小さな悲鳴を纏いながら進んでくる連中を横目に、今はとにかく前方に視線を戻す。

「タカッ、できるだけジグザグに逃げて!」

 3人に向かって声をかけて自分もすぐに追いついた。

 クシロ達も全力疾走しているのだけど、そう易々と撒けるわけもなく角をランダムに曲がって死角を作ろうとするものの、なかなかうまくいっていない。

 まるでそのまま鬼ごっこをやっているような感じだ。

 まぁ、もちろんタッチは発砲で終わりはデッドエンドなのだけど。

 何度目かの曲がり角を折れた辺りで、

「くそっ!何だよこの状況!やばくねぇか!?」

 などとタカが言ってくれるが、それはあれか、あれなのか?ツッコミ待ちかなんかなのだろうか?

 誰だ、走り出したのは。

「と、とにかく、落ち着いて事情を聞けるような所に・・・!」

「こっち行った先にあるのは学生寮地帯だけど?」

 僕達は駅から北西に向かってる。連中が来た方向と逆がそうだからなのだけど、これはよろしくない。

人気(ひとけ)のない方に向かってるのはまずいよ」

 夏休み最終日。宿題がなかろうが、テストに備えて部屋に篭っている生徒はいるだろう。しかし、外に出ていなければその存在にあまり意味がない。

 連中にとって目撃者というのは厄介な存在に違いないけれど、部屋にいる人間は外で悲鳴が聞こえたところで無関心を突き通す場合が多いし、そもそも目撃者にしても大多数であることが大前提で、少数ではお話にならないのだ。

 大多数が連中に疑いをかけ、状況に異常を感じてくれなければ目撃者というのは効果を発揮しないというのに、連中はその対策に"不明慮なエンブレム"を着けている。つまり、最初から分が悪い。

 それでも、今もタカに手を引かれるこの幼女が叫んだあの場所で、その騒ぎを大きくしていたなら可能性はあったのだけど・・・・・・今更遅すぎるか。

「最悪、寮の部屋にでも隠れるか?」

「やめた方がいいね。一時的にならともかく隠れきれはしないから。連中、徊視蜘蛛と監視衛星使ってくるだろうし」

「衛星!?そんなことできるのかよ!」

「曲がりなりにも治安部隊・・・ってことになってるんだよ。衛星が治安維持のために打ち上げられた以上は連中にも使う道理はある」

 後を確認するすると、3人から何時の間にか5人になっていた。

 しかしこれが上限だとは思えない。最悪の場合、広範囲を捜索していたとなると、時間の経過と比例して数十人単位が続々と集まってくる可能性がある。

 何度も角を曲がり、向こうの照準を合わせさせないようにするけれど、こんな応急手段がいつまでも続くわけもない。

 寮地帯に入ったおかげで分岐路が頻繁に見られるようになったのは助かるけれど・・・、

「こうなったからには・・・向こうも必死だろうな」

 待機組とは別に応援を呼んだのは間違いないとして、その規模と到着時間が気になるところだ。

「全く厄介な連中に・・・捉まったよ」

「なぁ葉月、お前さっきからあいつらのこと知ってるみたいだが・・・」

「そりゃあ、まぁ、知識としては。連中は泥底部隊と書いてヌタって呼ばれる部隊だよ」

「ヌタ・・・?」

「ヌタっていうのはヌタウナギからきてるのですよ」

 と、今まで黙っていた幼女が話に入ってきた。

 タカと手を繋いで走る彼女は頭の上の方で細い髪束を左右2つ縛った髪型をしていて、後ろ髪はロングだ。

 血の気のいい褐色の肌をして、中学一年生の全力に合わせているというのに呼吸の乱れは見られない。

 さすがは、医療系能力者。とするとやはり、彼女は予測通りに昨日のニュースの犯人なのだろう。

 幼女は続ける。

「海底に棲むウナギの一種で、鯨の死骸に群がったりしてるのを見たことないです?触ったりすると透明でヌタヌタデロデロしたゼラチンみたいな物質を出すゲテモノなのですけどね。

 つまりそういう生理的に受けつけられない気持ちの悪い連中ってことです」

 ・・・・・・というか、何だこの毒舌野郎。

 ついさっきの猫かぶりな『お兄ちゃん』が既に剥がれ落ちて跡形もない気がする。

 そこら辺、逃げるのに必死な2人は気づいてないみたいだけど・・・いいのかねぇ?

 釈然としない気持ちを振り払い、取られてしまった説明の代わりに僕も付け加える。

「連中は公式治安部隊(アクティブオーダー)の擬似部隊で、ほら、よく似たエンブレムをしてる・・・」

「・・・へぇ・・・?」

 クシロとタカは後方を確認。数秒後、納得いったと頷いた。

「遠目にはまるで判別つかねぇな」

 その治安部隊にしか見えない連中から即座に逃げ出すってどういうことだ。

「・・・追いかけてる連中が何であるかぐらい確認しようよ・・・」

 うわぁああ、駄目だ。2人にまで苛々してきた。

「とにかく、この毒舌幼女の言った通りのあんまり気持ちのいい連中じゃないってことは確かだね」

「あんまり?あれは最っ低な連中ですよ。ヌタヌタデロデロのネチョネチョドロドロです」

「そもそも僕あんまりあの名称好きじゃないんだけど。ヌタウナギは革製品なんかで使われてる有用生物で連中とは違うじゃない」

「じゃあ何て呼べばいいのです?」

 おおぅ、まさかの質問だ。えーと、

「素直に屑でよくない?」

「それじゃあ生温いです!」

 力いっぱいに否定されてしまった。

「・・・・・・葉月達が連中のことが大っ嫌いなのはよく分かった」

 呆れたように言ってくれるタカだけど、あんな連中を好き好む人物はいまい。

「しかし連中、まさかとは思うが拳銃撃ってこないよな?」

「何言ってるの、撃ってくるに決まってるでしょ。あまり連発とさすがに騒ぎが大きくなるからね。外すと面倒だから、確実に当てられる状況を待ってるんだよ。どこかで追い詰める気じゃない?」

「え?じゃあ今俺達やばい?」

「ごめんクシロ、叩いていい?」

 危険への自覚がなさすぎだ。

 もうさっきから、色々と我慢の限界がきそうなんだけど。

 けど、引っ叩くのは落ち着いてからだ。

「早い内にこっちも手を打た、ない・・・・・・と」

 そこでいきなり、後方の横道から駆動音をさせながら見たくもないものが躍り出てきた。

 もちろん車などではない近未来型フォルムをした、SFな代物。

「・・・あんなのが出てくる」

 もう、なんか本当に嫌になってきた。

 対応が早すぎることを考えると、最初から用意してたんだろうな、アレ。

「サワガニじゃねぇか!」

「脚足戦車まで引っ張り出してくるなんて・・・横着者ですね」

 他人事な毒舌幼女だけど、そもそもは、

「君が抵抗して逃げ回るからだ」

 ・・・・・・。

 サワガニ。もちろん脚足戦車の名前だ。

 有人操縦用のポッドを背中につけているから外見はどっちかといえばヤドカリなのだけど、ヤドカリの種類なんて一般的に知られていないし、特徴付けて識別できないのでカニで統一されている。

 脚足戦車はアームに取り付けられている武器が種類によって違うため、それを鋏に見立てて名前をつけているのだ。

 サワガニの場合は最も小さい種類で小銃などの小型銃器しか搭載できない分、小回りが利いて機動力が抜群にある。

 最小と聞いてじゃあマシな方だとか思われそうだけど、冗談じゃない。

 アレの上にあるのといえば対戦車とか対脚足戦車とか対要塞とか極まって対空母とかだ。

 サワガニすら対能力者、装甲車仕様のとんでもないスペックを誇ってる。

 装甲を焼き切るレーザーメスに厄介な照準補助システム。特に照準システムの方は今が必要としているものだ。

 見るに右鋏は捕縛網状弾用の銃に取り替えられているようだけど、左はそのまま殺傷能力のある小銃らしい。

 その装備なら捕らえて殺すつもりだろうと思いつつ、そうならないように手を考える。

 とりあえず角を曲がって――――、

「止まれ!止まらな・・・っかごぅ!」

 と言ってくれる待ち伏せ隊員の顎下を躊躇なく殴り上げ、気絶したその彼を立ち止まるわけもいかないので、襟元を掴んでそのまま走り続ける。走りながら持っている装備を剥ぎ取ってから手を離して道路に転がした。

 顎骨は砕けているだろうけど、まぁそんなのどうでもいいことだ。

「よし、武器は手に入った」

「酷いなぁ・・・」

 いやいや。

「これぐらいしないと」

 手に入ったのは拳銃一丁と弾倉2個に閃光弾(フラッシュバン)

 銃は見る限りダブルアクションのオートマみたいだ。装弾数は9発かな。

「それ、9mm拳銃だな。自衛隊の制式拳銃」

公式治安部隊(アクティブオーダー)も使ってるから偽造のためにもこれ以外は携帯できないんだろうね」

 などと説明してくれるクシロ達(ミリタリーマニア)

 しかし、こんな拳銃が手に入っても、正直今の状況では使いようがない。

 撃ったら銃声を立てないために銃を使わないでいる連中を触発させるようなものなのだ。

 それらをクシロに渡してもう1度後を振り返ると、サワガニが右鋏を突き出していた。

「お?」

 捕縛網を放つつもりらしい。やっぱり照準を合わされたか。

 まさしく機械的に移動する僕達に合わせてアームを微調整し続ける鋏の揺れが収まってきた。

 バゴムッと空気抵抗をあからさまに受けたような発射音が響く。

「ちょっと厄介だなっ・・・と」

 とは言いつつもここが狙っていた最大のチャンスだ。

 網というのは非常に便利な道具で大抵のものを絡めてしまえる。そしてそれは敵にしても同じこと。

 両手で髪を一房ずつ握って千切り、スナップを利かせて投げた。

 ブーメランのように回転しながら飛んでいくその柔らかくて重い髪だったモノは、空中で拡がった網を絡め取りながら網ごと逆方向へと押し返す。

 それがサワガニの足に絡まったのを見届けて、クシロの腕からひったくった閃光弾を隊員1人の顔面にお見舞いする。

 後に倒れる様子を見る限り、こっちは鼻骨は折れただろう。

 数秒遅れで閃光が拡がった。

「早く!こっち!」

 連中にとって不可欠だろう脚足戦車に障害が発生した以上、連中は一応とはいえ足止めできるはずだ。

 頭の隅に追いやられていたここら周辺の地図を引っ張り出して、最適と思える場所を割り出すと率先するように3人の前に出て誘導する。

 角を何度も無駄に曲がり、それでもある一点を目指す。

 そこまで行けばとりあえずの休息は取れるだろう。モノを落ち着いて考える時間ぐらいは取れるだろう。


 しかし、これからどうするか。どうするべきか。


                     ♯


 学生寮の中に、それでもいくつか存在する場違いな建物の1つに僕達は身を滑り込ませていた。

 それこそ、まんま倉庫ですと言っているような外見と内装をしたその建物は岱斉から貰った例の本に載っていた場所だ。

 まぁ、地図帳のようなものなので、掲載されている範囲内なら大抵のことは載っているのだけど、ここは特に重要地点(ベストポイント)でもある。

 表のシャッターは閉まっていたものの、裏口の方は開いていた。ドアは鍵以外で施錠できないタイプなので、この倉庫の出入り口は裏口の2つだけだ。

 その2つの扉然り、サワガニがやってきたら正面シャッターにしても裏口にしても焼き切られるだろうし、篭城するには門が脆弱すぎる。

 広いはずの空間を(せば)める大量のダンボールが整理されているのかされていないのか微妙な状態でそこら中にあるので、隠れやすそうではあるのだけどあまり意味があるとは思えない。

「私は筒蓑美恵(つつみの みえ)というです」

 そんな脆すぎる隠れ家の休憩時間を利用して毒舌幼女が自己紹介を始めた。

 今までそれをしなかったのはそれどころじゃない状況だったからだけど、正直僕はあんまり興味がない。

 出会う前に予想していた事柄を再確認したところで、それが最悪の事態だということには変わりないんだし。

 前日のニュース、医療系能力で、泥底部隊(ヌタ)に追われるぐらいなのだから至極(いきすぎ)研究所出身者とくれば、もはや答えは出たようなものだ。

「浅代研究所から華麗に隙をみて脱走・・・まではよかったのですが、ちょっとヘマをやってバレちゃったのですよ」

 医療系能力、浅代研究所。

 健康体すら傷つけて、能力向上を目指すという。

 しかし・・・ヘマをやる以前に、徊視蜘蛛が見張っているこの学園都市から気づかれずに逃げれるわけがないだろうに。

 普通は気づかれても逃げ切れる策を練るものだ。この幼女、かなり無計画だったかよっぽど切羽詰ってたのか。

「じゃあ、ヌタって連中は君を連れ戻しそうとしてるのか。あ、俺は朽網釧」

「俺は四十万隆だ。で、筒蓑ちゃんは何で逃げたんだ?」

「はい、それはですね――――」

 聞くまでもなくそんな分かりきったことはこっちで言わせてもらう。

「どうせ、実験で満足いく結果が出せないで見限られたクチでしょ」

 それを聞いて、彼女はむっとした顔をしたけど、無視してとっとと自己紹介も済ましてしまおう。

「僕は織神葉月だ」

「・・・!織神?あの(・・)織神です?」

「そう。万可統一機構の織神」

「・・・・・・そうですか。そういう・・・いや、そんなことより、ですね。

 どうするんです?こんな所で留まっていたら囲まれるだけ・・・何か策があるんですよね?」

「策・・・あるにはあるけど、どれもこれも実現困難だからあまり使いたくないんだよねぇ」

「実現困難・・・?そんな策ないに等しいじゃないですか!もうっ、無謀な人ですね」

「・・・・・・」

 この毒舌幼女め。

 君にだけは言われたくない。

 そもそもこっちは君の無謀に付き合ってる身だ。

「私はとにかくあいつらから逃げ切らないといけないんですっ!」

 その台詞に僕はほとほと呆れた。

 溜め息が勝手に口を抜ける。

「逃げ切る?何を馬鹿なことを言ってるのさ。

 逃亡し切れると、逃避し切れると思ってるの?逃げたところで終わりはこない。切りがなく逃げ続けることになるだけだ。逃避は逃避でもそれは現実逃避だね」

「なっ、なんてことを言ってくれるんですか!この未熟児!」

「こらまて、そのまま幼女になんでそんな暴言吐かれなきゃならない?ん?君、鏡見たことないの?」

「いいんですー。私はいいんですー。歳相応の成長具合なんですー。

 他のお2人さんに比べると、どう考えても成長が遅い誰かさんとは違いますー」

「こんなもの形骸変容(メタモルフォーゼ)なら何とでもなることなんだよ」

「あら?珍しい能力ですこと。マニア受けのロリボディにはお似合いですね」

「・・・・・・クシロ、タカ。僕が思うに今最も簡単で可能な策は、この毒舌幼女の手足を折るでもして連中に引き渡すことだと思うんだけど」

 ぶんぶんと2人は首を振った。

 その必死さから間接的に、今自分がどんな笑顔をしているのかは想像に足りる。

 うふふ。あはははは。僕にも我慢の限界ってものがあるんだよ?

「・・・こんな幼女を助けるのは癪だけど・・・巻き込まれた以上は僕達自身、抜け出さないといけないからね・・・」

 気乗りはしないけど、本当に、しないけれど、やるしかないか。

「それで?どうするんだ?」

 完全に僕任せなタカの言葉を聞いて、さらに出そうになった溜め息を飲み込む。

 本当に、今の状況が分かっているのだろうか?

 間違えれば殺されかねない程度には危険で、非現実の入り口の瀬戸際、そのギリギリ内側(・・)だっていうのに。

 しかしまぁ、そういうのから守るのが僕の役目であるわけか。

「それじゃあ、まず・・・」

「おう」

「で?」

「クシロとタカでここから出て真っ直ぐ行って左のコンビニで買い物をしてもらう」

「「は?」」

 綺麗に声を揃えた2人を無視して、買い物リストの提示に移る。

「必要なのはね・・・いい?一度しか言わないからね?

 ガムテープ、カッター、ハサミ、ストッキング、ホッチキス、スポーツドリンク、おにぎり・・・はツナマヨね」

「いやいや、それはマズイだろう。何時連中が来るか分からないのに」

「そうだとしても、これから長丁場になる可能性も捨て切れないからね。時間が経つに連れて物資補給できるような余裕はなくなるよ。今しかないし、今でもギリギリ」

「それで、その後はどうするんだよ?」

「それは後で話すよ。とにかく今は時間が惜しいし物が欲しい」

 手を振って2人を急かす。

 2人とも納得し切ってはいないものの、僕の言うことなので従ってくれる。

 倉庫の裏出口から出て行くのを見送って、改めて幼女の方へと向き直った。

 さてこれで、

 僕と毒舌幼女と、2人きりになった。


 2人きりになった。


                     ♯


 ぐらりぐらりと上方に取り付けられた換気用の巨大プロペラが回っては、万華鏡のように影の形を変えていく。

 詰まれた雑多の巨大ダンボールや鉄製ラックを背景に、模様替えの激しい床を踏みしめる。

 足を一歩、幼女へと進めた。

 お互いに、お飾りは削ぐべきと言わんばかりに、人間らしさを殺ぎ落とした表情で向かい合う。

 先に口を開いたのは幼女だった。

「あの2人を行かせたのは連中に捕まえさせるためですね?」

 くだらない語尾も口調も捨てた台詞。

 それに僕は沈黙で答えた。

「2人が捕まえられて人質にされれば、私を引き渡せる・・・?」

 重ねて沈黙。

 重ねて肯定。

 それを受けて、彼女の今まで心内に閉じ込めてあった怒りが身を食い破っていくのが分かった。

 憤怒が一気に破裂する。

「このっ卑怯者!人でなし!悪魔!悪女!

 自分の体裁を守るためにわざとそうせざる負えない状況を作り出そうだなんてっ!・・・っんの極悪人っ!」

 毒舌幼女にそれらしく罵声を浴びせられた。

 何度吐いても吐ききれない溜め息が、肺の空気を出し切るが如く長く深く出た。

 ・・・まるで、分かっちゃいない。

「舐めるなよ、毒舌幼女」

 切りつけるように、未だ罵詈雑言を吐いていた彼女に言葉を刻みつける。

「体裁?ふざけるな。そんなもの最初から気にしてないんだ、僕は。クシロやタカのためなら2人に嫌われたって構わない。だからそんなもの最初から計算に入れてすらいない。

 問題は2人の精神面だろう?僕には、今後時間の経過と比例して行き詰まっていく状況で、最後の最後毒舌幼女を売り渡すなんて葛藤を2人にさせるつもりはないね」

 そんなものは、そんな穢れて知るべきでない世界の話は全て僕の担当だ。

「だから2人が決して加害者ではなく被害者としての立場で毒舌幼女を連中に渡すというのがベストなんだよ」

 今度は幼女が黙った。

「この策なら2人が捕まったとしても、それは僕のヨミ間違えが原因だと言い張れる。毒舌幼女のことは忘れろと慰めが効く。

 これが最もクシロにとって、タカにとってダメージの少ない方法だ」

 重ねて沈黙。

「先ほどの逃走中、反撃を行ったのが僕である以上、連中に厄介だと認識されたのは僕だろう。

 その僕を封じた上で、毒舌幼女を引き渡させる切り札を連中は殺すわけがないし、そもそも僕みたいな研究所の貴重なモルモットを誤って殺してしまったら連中の命が危ない。つまり連中は殺す前に僕達の素性を確認なければならないし、そうなれば僕が織神であることが判明する。

 だから2人の安全はこれ以上ないほど確保されているわけだ。

 いいか、毒舌少女」

 一旦台詞を区切って、息を吸い直す。

「これが"策"だ。君の穴だらけな無謀とは違う」

 先ほどから押し黙って口から反論は出ない。

 ここまで計算されてなおかつ実行に移されているということがどういう意味合いを持つのかは分かっているだろう。

 だから、滞った怒りは代わりに違う形で放たれた。

「・・・さっきから人のことを毒舌幼女毒舌幼女と・・・っ!」

「へぇ、何?じゃあ、屑とでも呼べばいいの(・・・・・・・・・・)?」

「っ!お前・・・!」

「これ以上ないほどの呼び名だろう?自分の借金(ペナルティー)を支払うために他人を犠牲にする泥沼(れんちゅう)と自分のために他人を巻き添えにした毒舌幼女とに何の違いがある?」

「わ、私には生きる権利ってものが・・・ある」

「そのために他人を巻き込む権利があるとでも?だから言ったんだ、舐めるなよ、と。

 あの連中が汚い仕事をして自分の命を延ばしているその様をヌタウナギに例えて、泥と底辺を混ぜて表現するように、君のその姿だって同じようなものだ」

「そんなわけないでしょう!!連中の身滅ぼし(ペナルティー)は自業自得で!私はただの被害者です!

 ・・・同じじゃないっ!」

「それがどうした。結局、クシロ達を危険な目に遭わせたのには違いない。僕にしてみれば同じことだ」

 全く同じことなのだ。彼女ごときに2人を危険な目に遭わされれば僕の堪忍袋なんてものは切れるどころか爆発する。

「何ですか!何なんですか!?私はまだ死にたくないんです!生きたいだけなんですよ!!」

「生きたいだけ?じゃあ逃げれば?ただただ逃げればいいだろう?

 全く関係もないどこぞの長井孝治さん36歳に医療系能力者、朝代研究所の関係者だと分かるような手口で傷害を行うなんていう下準備までして、今日タカに大声で抱きついて大通りで騒ぎを起こすことで、マスコミに騒いでもらって安全を確保しようだなんて打算的なことを考える必要はないね。

 自分の目的のために他人を犠牲にしてるくせに"だけ"などと純粋な言葉使いをするな」

「悪いですか!?それぐらい生きたいんですよ!生きたいんです!死ぬなんてまっぴらです!あんな・・・あんな目に合わされるなんて絶対に嫌!」

「君はさっき生きる権利などとふざけたことを言ったけど、そもそもそんな上等なもの実験体(モルモット)にはない」

「私は実験体(モルモット)なんかじゃない!!物心ついたらあそこにいただけ!孤児だっただけ!」

「そんなの、僕も似たようなものだ。そしてそれでも僕は実験体(モルモット)でしかないね」

 ない。そんなものが、クシロ達を傷つけるのなら、そんな理由で彼女がクシロ達を巻き込むというのなら、その無価値さを知らしめるために自分だって突き落とす。

 似たもの同士の僕達が鏡であるのなら、向こう側を割るためには自分をまず割ってしまえばいい。

「は・・・ははっ、だからでしょう?『見限られた』なんて曖昧な表現を使ったのは!私の台詞を遮ったのは!!」

 ああ、その通り。遮って、釘を刺した。

「当たり前だ。成果が望めなくなったら解剖(バラ)して情報化(ころ)して次の実験に有効利用(フィードバック)されるなんてこと、クシロ達に知られるわけにはいかない」

 幼女と僕が似たようなものである以上、その結末も同じであろうことは絶対に感づかれてはいけないのだから。

 あの時、『殺される』なんて言葉を毒舌幼女に吐かれてはいけなかった。

 そんな当然なことでも、特にクシロには知られてはいけなかった。

 あの無垢な少年に知られてしまえば、危険に晒すことになる。それは彼自身の人生を壊してしまうから。

 それだけは僕は自身にも許さない。

 皆の前では、クシロの前では、僕は実験体にされている"だけ"の織神葉月でいなければならないのだ。

 仮初めだろうと虚飾だろうと何でもいい。このどうしようもなくだらけた日々は守り切る。

 だから、そのためには僕は降りかかる火の粉を火元ごと消し潰す覚悟がある。100人だろうが、1000人だろうが殺すぐらいの覚悟は。

「本当のことを言えば、僕だって別に他人を犠牲にしようがどうしようが構わないと思ってるさ。それがどうでもいい誰かならね。

 けれど毒舌幼女はクシロ達(・・・・)を巻き込んだ。

 それは僕が絶対に、絶対に許さない」

「・・・何で・・・何でよ!あの(・・)施設育ちっていうなら貴女だって分かってるでしょ!?

 実験体(モルモット)というのがどういうことか!命がどんなに取り返しのつかないモノか!人生が!どれほど尊くあるべきか!」

「命とか人生とか、そんなものは人間らしい人間が考えることだ。

 人にも命にも元より価値はないよ。誰かに求められて、望まれて、愛着を持たれてそれが価値になる。

 僕にしても毒舌幼女にしても、その価値は実験体(モルモット)としてモノのでしか、ない。

 ・・・命や人生なんて考察は数年前にやり終えてるんだ。

 僕の人生のその終着点なんて決定的に決定付けられているんだから、足掻く必要性も感じられない。

 今、こうして僕が生きて動いているなんてことは単なるまぐれだ。

 既に死んでいるようなものなのに、本当の終わりがまだ来ていないからただ生きてるだけ」

 今という日々は、何かをやり遂げるなんてことも何かを遺すなんてことも放棄した意味なき人生の過剰部分。

 故に、終着を過ぎたにも関わらず続いている『終着越境』。

 故に、死んでいるにも関わらず生きている『死後過動』。

 日々に散りばめられた宝石をただ鑑賞するという生き方。

 元より未来なんてものはないのだから、刹那的にその時が楽しければそれでいい。

 願わくは、幸せがそのまま終わりまで続きますように。

 そんな姿を見て、自嘲試作品(プロトタイプ)は『馬鹿野郎の愚か者』と僕を呼称した。

 しかしその自嘲試作品(プロトタイプ)でさえ、未来視のできない欠陥作品でさえ、自嘲して己が名を次世代の糧になる試作品などと呼び、その未来を見据えていたに違いないのだ。

 それと同じく、僕達のようなものの末路はとうに決定してる。

「与えられた幸せだけで十分だよ。それ以上を望むなんてことは図々しい。

 終わりが来たのなら大人しく諦めればいいんだ」

 普通に生まれて普通に育って普通に生活している人間に迷惑なんてものをかけるほど、僕にも毒舌幼女にも価値はないのだから。

 彼らと僕達とは決定的に致命的に、違うモノなんだから。

「・・・・・・・・・・・・」

 毒舌幼女は再び沈黙した。

 言い返す言葉がないとか、諦めがついたとかそんなわけもなく、唇を噛み締めた顔にはありとあらゆる感情が込められていてぐるぐるとしている。

 思うことがありすぎるのに、言いたいことがありすぎるのに、何も喋れない。

 譲れない気持ちを抱きしめて、心を守るのに必死になっている。

 幼女がくっと食いしばった顔を上げて、叫ぶ。

「私はそれでも生きたいんだ!」

 これまで以上の慟哭に、倉庫が揺れる幻覚を覚える。

「笑いたい怒りたい泣きたい!好かれたい嫌われたい愛されたい憎まれたい遊びたい憧れたい疎みたい疲れたい怖がりたい恥じたい悩みたい怪我したい!」

 枯れそうな喉を酷使して、まだ続ける。

「普通に普通に普通に!夢もみたい恋もしたい・・・・・・誰かに抱きしめてもらいたい!」

 普通でありたかった幼女の願い。

 まどろみから覚めるような自我の目覚めのその先に、平凡で平和な日々を望んだ現実逃避。

 だけど、人は生まれる場所を、環境を選べないから。

 選びようがないその不幸だけは避けられない。

 逃げよう。逃げれば。逃げ切れたなら。

 そんな発想がなかった僕やあの子はズタズタでギチギチな感覚を残したまま、そんな感覚に慣れた上で、

 どうしようもなく、その当然を受け入れて、それ以外の何もかもを知らない故に、

 あそこに居るしかなかったけれど。

 逃げていいなんて知らなかったけれど。

 でも、彼女は逃げた。

 夢物語を信じて、小数点以下連なるゼロの果てに微かな数字を探して、逃げてきた。

 譲れない気持ちがあるから。

 煮えたぎった心を以ってしてずっと走り続けてきたのだろう。

 それは僕がとうに捨てたモノだ。

 数年前のあの8月に捨てたモノだ。

 だから僕の言葉には魂なんてものは入っていない。

 そんな僕が彼女を言い伏せれると、本当は最初から思ってもいなかった。

 僕個人の価値観なんて、そもそも彼女には関係ないことだなんて分かっていた。

 でも、だとしても、僕にだって譲れないモノはある。

 クシロ達は何があっても守りきる。

 大切で大切でかけがえのないものだから、欲張りをして確率低い策に賭けるなんてことはしない。

 どうしようもなく被害者な幼女を切り捨ててでも、最も高確率な手を選ぶ。

 故にもしもここで彼女言い負かせて、手柔らかに連中に引き渡すことができなければ、僕は彼女の手足を引き千切ってでもそれを強行しないといけない。

 四肢を切断しても医療系能力者なら断面に皮膜ぐらい張れるあろうというのもあるのだけど、そもそも面倒なことに至極(いきすぎ)研究所の能力者は日常的な赤(コード・レッド)の無自覚的能力発現法をニュートラルに教育させられている。医療系能力者の場合それは気絶からすら早々に復帰してしまうことを意味するため、意識を奪うことが困難なのだ。

 つまりここが、瀬戸際。

 これ以上の境界(ライン)を超えてしまうと、クシロ達に傷をつけるどころか、まず物理的に幼女も地獄を見る。

 絶対に守りきりたい、踏ん張りどころ。

 譲る気持ちの微塵もない固い決意を持って彼女を睨む。

 なのに、

「・・・ぁ」

 思わず、そんな小さな声が口を出た。

 対峙して、向き合って、目を合わせて、視線で射抜いて、視界が捉えるその姿が、

 あまりにも、似ていると、思ってしまった。

 幼い容姿、幼い声、幼い顔の、

 そのくせ幼くなかった弱々しいあの子。

 脳裏に掠める姿が重なって、重なりすぎて。

 華奢な体を揺り篭のように揺らしながら、泣きそうな笑顔。

 駄目だ。駄目だそれは駄目なんだ。

 その先は、駄目、なんだよ。

 駄目、駄目駄目駄目駄・・・目駄目駄目駄目駄目・・・・・・思い出してはいけない!

 けれど、雪崩のように留まることを知らない僕の焦燥なんてお構いなしに、

 彼女は口を開いた。

 幼い、大人びた、稚拙な、精巧な、綺麗な、無様な、強い、弱い、優しい、怖い、温かい、哀しい、切ない笑顔で。


「ねぇ・・・、私達が生きてることに、私達の人生に意味なんてないのかなぁ?

 何で・・・・・・生まれてきちゃったんだろ?」


 それはあの日、聞いたあの子の台詞。

 全く幼くなかった幼女の問い。

 その問いに、僕は。

 息を呑んで、呑み込んで、心臓の爆音を抑えつける。

 足がふらついて、立っているのすら辛い。

 息も荒いが、頭の熱が思考を乱す。

「は・・・ははっ、ははは・・・・・・」

 そのあまりの動揺ぶりに、自分で笑ってしまう。

 なんて様なんだろう。

 どんなに格好つけたところで、あの一点だけはまるで折り合いをつけられていない。

 僕は無様で、無様で・・・無様で無様な人間だ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 しばらくの沈黙の後、思い出したように言葉を紡ぎ出す。

「・・・もし、もしもクシロ達が帰って来れたなら――――その時は、君を救ってあげるよ」

 完膚なきまでに、救いようのないほどに、塵屑すら残さず。



 ――――クシロとタカは帰ってきた。

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