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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第三章 〜 Songs of Wren
88/123

朧月(三)

      3


 深山の静寂の中、優美な曲線を描く煙管から吐く息が霧となり、樹々の間を揺蕩う。はらり、はらりと和紙を繰る柔らかな音が心地良い。そんな優雅で静謐な早朝のひと時を、心ゆくまで味わっている時だった。

 桐刄様、と夜霧が話しかけてきた。

「さきほど旅の鬼からおかしな噂を聞きました」

 ふうん、と和歌集の頁を繰りつつ興味無さげに桐刄が生返事する。

「なんでも、煉の眼玉が闇ノ市の競りに出たとか」

「……なんだって?」

 一拍置いて、書物から顔を上げた桐刄が切れ長の目をすいっと細めた。

「はい、ですから煉の眼玉が闇ノ市に……」

「それは分かった。それで、その眼玉はどうなったの?」

「引く手数多で、なにやら物凄い高値で取引きされたとか」

「誰が買ったか知っている?」

「いえ、そこまでは聞いておりませぬ」

 煙管の灰が膝の上に落ちるのにも気付かぬまま、桐刄がじっと考え込んだ。己を差し置いて、腕尽くで煉から眼玉を奪うほどに力のあるモノなどそうそういない。煉の事だ。つまらぬ情にほだされて下手を打ったか、それとも誰かに嵌められたか――

「……仕方無いね」

 溜息と共に桐刄が立ち上がった。物憂げに歌集を閉じる静かな仕草とは裏腹に、地を這う霧が激しく渦を描く。

「桐刄様、もしや闇ノ市に参られるので?」

「そうだけど、別に遊びに行くわけではないよ」

「闇ノ市じゃ! 闇ノ市は久方振りじゃの!」

 主の言葉も聞かず、眼を輝かせて小躍りする小鬼達の姿に、桐刄が再び呆れたように溜息を吐いた。



      4


 山吹の、と彼女に呼ばれる度に、朧月はつまらなそうに肩を竦める。

「俺の名は朧月だ。山吹じゃない」

「おまえ、おぼろ月をみたことないのか?」

 少女が小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「おぼろ月はもっとボンヤリした色だぞ? おまえには似合わん」

「そう言うお前こそ、ナズナなんて、全然似合ってないだろうが」

 銀の炎を眼に持つ少女の名が何故道端の雑草なのか。ここまで似合わぬ名も滅多に無いと朧月は思う。

 襤褸のような少女を拾ってひと月程が過ぎた。異形の朧月を怖れる風も無く、山吹の、山吹の、と親しげに纏わりついてくる鬼喰いの少女をどうするべきか、朧月は考えあぐねていた。

「ナズナはナズナだ。ナズナはこれでいいんだ」

 雑草の名を持つ少女がツンと小さな鼻を上げた。

「かか様がつけてくれた名だからの」

「なんだお前、母親がいるのか」

 思わず驚いて聞き返したが、考えてみれば当たり前のことだ。闇や月の光が凝って此の世に出ずる鬼と違い、ヒトの子はヒトの女からしか生まれない。

「母親はどこにいるんだ?」

「しらん」

「……死んだのか?」

「しらん」

 口を尖らせたナズナが、何やら思い迷うかのように僅かに視線を彷徨わせた。

「……しらんが、死んではおらん。と思う」

「お前、もしかして母親に捨てられたのか?」

「ちがうッ」

 ナズナが朧月を睨んだ。

「かか様はナズナを捨てたりはせん。山ではぐれて、迷い子になっただけじゃ」

「山?」

「そうだ」

 ナズナが得意げに頷いた。

「かか様と、山に栗をひろいにいった。ナズナは栗だんごがすきだからの。いっぱい拾って、食べきれんほど栗だんごをつくる約束をしたんじゃ」

 ……薄気味の悪い銀の眼を持つ娘を持て余した母親が、栗拾いに夢中になっている娘を山に置き去りにする姿を想像するのは難しくはない。彼女は初めからそのつもりで深い山奥に娘を連れて入ったのだろう。そこに母親としての葛藤があったのか、無かったのか、そんなことはどうでもいい。願ったものが生であれ死であれ、彼女は娘と関わる事を拒み、それは少女の存在の否定に他ならない。しかし年端もいかぬ娘が獣や鬼の餌にならず、まさか生きて人里に下りるなどとは思いも寄らなかったに違いない。

 朧月が椀によそってやった山菜汁に、ナズナがふうふうと嬉しげに息を吹きかける。この屈託無い少女は、いつの日か、己が母と慕う者に棄てられたことを覚るのだろうか。その時、その小さな胸に去来するものは、心が砕けんばかりの悲しみか、怒りか、虚しさか。それを哀れと思ったわけでも、切ないと感じたわけでもない。唯、母親の記憶が彼女の心を砕き、歪めるのなら、そんなモノは無い方が良いのではと思った。

「……俺はヒトの覚えを喰う」

「おぼえ?」

「つまりは過去の思い出さ。ヒトは覚えを失えば自己が定かでなくなり、その存在は春の夜の月のように霞む」

「なるほど。それでおぼろ月か」

 ふむふむと、銀色の眼を輝かせて少女が賢しげに頷く。しかし幾ら賢しげであっても、そしてたとえ鬼喰いであろうとも、少女は未だ幼く、ヒトの悪意や鬼の爪からその身を守る術を持たなかった。銀目の鬼喰いがどうなろうと自分の知ったことではないと、朧月は嘯く。それでも何故か、少女を棄てて立ち去るのは忍びなかった。

 鬼は銀の眼を持つヒトに近づいてはいけないよ、と諭す月虹の冷たい眼が脳裏を過る。鬼が鬼喰いに近づくのは、余りに危ない。ならば必要以上に近付かなければ良いだけでは、と考える。遠くから見守るくらいなら構わないだろう。そもそもナズナが鬼喰いとして朧月を脅かすようになるのは、まだ随分と先のこと――

「それでもやっぱりおまえは山吹だ」

 クシャクシャに乱れた髪に山吹の花を挿し、ナズナが膝に飛びついてきた。木洩れ陽に燦めく満面の笑顔と燃え立つような銀の眼に、不意に胸の奥が騒めいた。

 その月夜の葉擦れに似た騒めきに、少女を手離す決心を固めた。



      5


 百鬼夜行絵巻さながらに、大小様々な鬼妖が道をゆく。異界の闇ノ市は今日も盛況だ。

 無数の店がひしめく中、一際大きな天幕の前で桐刄が足を止めた。

「競り市の大元締の天幕ですかな」

「なんとも派手な色合いと言うか……」

「いかんせん品のない色合いですなぁ」

 ほほうと感心したように夜霧が緋色に金糸で刺繍を入れた天幕を見上げれば、その横で朝霧が僅かに顔をしかめ、夕霧がふふんと小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「用が済むまで、君達は向こうで何か食べておいで。迷子になってはいけないよ」

 三匹の小鬼達に小遣いを与え、桐刄が天幕に足を踏み入れた。

 一歩中に入った途端、息が詰まりそうな濃い香と汗の入り混じった匂いに桐刄が顔を顰める。と、薄暗い奥の卓で金勘定をしていた鬼が振り向き、脂じみた顔に愛想良い薄笑いを浮かべた。

「これはこれは、桐刄様ではありませぬか。かように薄汚いところへわざわざお越しとは、なんともお珍しいことで」

「……煉の眼玉が競りに出たって聞いたのだけど、君なら何か知っているのではないかと思ってね」

「煉の眼玉……? はて、煉の眼玉とは……」

 わざとらしく腕を組んで首を傾げた鬼が、桐刄の冷たい視線に気付いた途端に慌てて咳払いした。

「ああ、思い出しました。煉と言うと、人魚殺しの面使いのことですな。はいはい、そうなんですよ、先日でしたかな? 彼奴の採れたてホヤホヤの眼玉が競りに出まして」

「それで?」

「なんせ齢千年などと言われる面使いの眼玉でしょう? それはもう大変な騒ぎになりまして、溢れんばかりの鬼集りで天幕が壊れるかと思いましたです、はい」

「売り手と買い手は誰だったの?」

「はい、それがですな、何やら錚々たる御身分の方々だったらしく、どちらも代理を立てておりまして。その代理も顔を隠して競りに立つという有様でして、結局誰が売って誰が買ったのか、ワタクシ共にもさっぱりなのですよ」

 ふうん、と呟き、桐刄が煙管から流れる煙をゆっくりと目で追った。

「……何故かな?」

「は?」

「煉の眼玉が競りに出ると分かっていて、君は何故僕に使いを寄越さなかったのかな?」

「いえ、それは……」

「僕と煉の仲を知らないモノは少ない。君のような情報通なら尚更のこと」

「お言葉ですが、闇ノ市の競りに何が出るかは鬼次第。競り直前まで分かりかねることも多く……」

「普通の物ならそうだろうね。だが煉の眼玉は普通の物ではない。ソレを買いたがる者、そして買える程に財力のある者に先にそれとなく教えるのが、君達闇ノ市を仕切る者の常套手段じゃないのかな?」

「……桐刄様」

 コホンと鬼が咳払いした。

「ワタクシめがわざと桐刄様に面使いの眼玉の件をお話ししなかったなどと思われるのは大変心外でありますが、それはまぁよしと致しましょう。しかしですな、このようなところで油を売っていてよろしいのですか? あれほどに力のある面使いの眼玉は大変な馳走。今の今にも何処ぞの誰ぞに料理され、パクリとやられているかも知れませんぞ?」

 桐刄がふっと薄紫の煙を吐くと、僅かに首を傾げて鬼を見つめた。

「ねぇ、まさかとは思うけど、僕を脅しているの?」

「……そんなまさか、桐刄様を脅すなど、滅相もない……」

 ああ、良かった、と言うと、桐刄が涼やかな目許を細めるようにして微笑んだ。

「びっくりして、もう少しで君を殺してしまうところだったよ」

 桐刄の吐いた紫煙がねっとりと地を這い、青褪めた鬼の首に蛇のように絡みつく。

「煉の眼玉が競りに出ると予め知っていたら、僕が必ず手に入れる。けれどもそれでは君には正規の仲買料しか入らない。でも例えば、もしも他の者が煉の眼玉を手に入れたなら、きっと僕が後から来て、それを買い戻そうとする。そして君には二度目の仲買及び紹介の手間賃が入る……勘定高い君の事だ。そんな風に考えたのかと思ったのだけど、僕の考え過ぎだったようだね」

 震え上がり、言葉も無く幾度も頷く鬼の姿に、桐刄が刃物のようにひんやりと冷たい憐れみを込めた眼差しを向ける。

「あと一刻ほどで陽が暮れる。いつの間にか陽が暮れるのが早くなったね」

 高い天幕の明かり取りを見上げ、桐刄が嘆息した。

「陽が落ちるまでに真の売り手と買い手が誰だったのか、思い出すなり調べるなりしてくれるとお互いに色々と手間が省けると思うのだけど……どうかな?」



      6


 山吹の、と朧月を見上げた瞳の中で、銀の炎が頼り無げに揺らめく。

「ここはどこだ?」

「尼寺だ」

 草木も眠る丑三つ時。深く笠を被った朧月がナズナの手を引き、山奥の寺の門をほとほとと叩いた。深夜の客を怪しんでか、中で微かな人の気配はするものの、門が開く様子は無い。

 山吹の、とナズナが朧月の着物の端を引っ張った。

「今宵はここで寝るのか?」

「そうだ。ここには暖かい寝床がある」

「……ナズナは寝床なんぞなくてもよいぞ? 木のホラで眠れるぞ?」

「だめだ」

 ナズナと眼を合わさぬまま、朧月が素気無く首を横に振った。

「もう秋も終わりだ。すぐに冬が来る。木の洞ではお前は冬を越せない」

「そしたら、あしたの晩も、あしたのあしたの晩も、ここで寝るのか?」

「そうだ」

「ナズナと、おまえと、ふたりでいっしょに寝るのか?」

「違う」

 ナズナを逃さぬよう、しっかりとその手を握り締めたまま、開かぬ門戸を再び叩く。

「ここで寝るのはお前だけだ」

 門の奥からヒトの話し声が近付いてくる。この門は何故さっさと開かないのだ。重い木の扉を苛々と蹴りつけたくなる衝動を必死に堪える。

 山吹の、と小さく囁く声が夜風に掠れた。

「……おまえもナズナを捨てるのか。かか様のように」

 驚いて振り返った朧月を見つめる銀の眼には、悲しみも怒りも虚しさもなかった。同じ銀色でも、ナズナのそれは物静かに澄んだ月虹の眼とは似ても似つかない。そこには、少女の命そのもののように冷たく燃え盛る銀の炎があった。

「……違う。誰もお前を捨てたりはしない」

 夜風に乱れた髪をそっと掻きあげ、銀の眼を覗き込んだ。指に絡みつく髪は、朧月が幾度も洗ってやったお陰で汚れてこそいなかったものの、乾き、傷んでいる。椿油を塗り込んでやれば良かったと、ふと思った。

「俺はお前を捨てるわけじゃない。だが俺はこの寺には入れないんだ。結界があるからな」

 この尼寺の住職は術に秀で、追儺の儀などもよく為すと知られている。特に親しいモノでない限り、鬼同士の仲間意識は薄い。辺りをうろつく小鬼をナズナが喰らうのを見ても、朧月は別に何も感じない。しかし根拠は無いが、鬼を喰い続けることはナズナの為にならないような気がした。この住職の庇護のもとにあれば、ナズナが必要以上に鬼に近づくことも近づかれることもないであろうと考えた末、朧月はナズナをここまで連れてきたのだ。

「心配するな。ここの住職なら、お前の眼を見ても怯えたり不吉がったりもしないさ」

 朧月の言葉に無言のまま俯いていたナズナが不意に朧月の手をキュッと握り、山吹の、と呟いた。

「冬がすぎたら、雪がとけて、春がくるな」

「……そうだな」

「春がきたら、また木のホラで眠れるな」

 重い門戸が軋む。その隙間から漏れる細い明かりに向って、少女の背を押し出してやる。

「春がきたら――」

 その言葉を最後まで聞くことなく、朧月は閉じられた門戸に背を向けた。



 木々が紅く染まった葉を落とし、降り積もる雪が朧月の足跡を消す。そして雪が解け、春が来た。 春の夜空にしっとりと濡れ、けぶるように霞む月にあの少女を想う。やがて春は過ぎ、蛍の淡い光が足下を照らし、秋が深まり、粉雪が舞う。

 こうして幾度も繰り返される四季の流れの中、ヒトは新しい記憶をつくり、古い記憶は埋もれゆく。その自然のままに、あの少女の内に沈む己の面影もおぼろに霞んでゆくのだろう。


 もう二度と逢うことも無い。そう思っていた。風の噂に、鬼喰いの女と聞くまでは。



(To be continued)

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