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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第三章 〜 Songs of Wren
83/123

木守り柿(前編)

夕されば いとどひがたき我が袖に 秋の露さへ置きそはりつつ (詠み人知らず)



    プロローグ


 おばあちゃんが死んだ。


 おばあちゃんはオシャレで、女の子のように可愛いモノが大好きで、すごく手先が器用で、ころころと鈴を転がすような声でよく笑い、抱きつくとふわふわしていて、いつも甘いクッキーと焼きたてパンの匂いがした。私はそんなおばあちゃんが大好きだった。

 一階のおばあちゃんの部屋には庭に面した濡れ縁があり、目の前に一本の柿の木があった。柿の木はあまり大きくはなかったけれど、でも毎年びっくりするほど沢山の甘い実をつけた。おばあちゃんはいつも小さな果物ナイフで、器用にくるくると途中で切れないように柿の皮を剥いてくれた。縁側に座って甘い柿を食べながら、その日学校で見たことや聞いたことなど、私はおばあちゃんに色んな話をした。おばあちゃんはどんな話でも、ふんふんと熱心に聞いてくれた。私は引っ込み思案で友達が少なかったけれど、おばあちゃんはいつも、「おばあちゃんもこう見えて昔はシャイだったから友達は多くはなかったけれど、でも友達っていうのは本当の仲良しがひとりふたりいればいいのよ」と言って慰めてくれた。

 ある日学校から帰ってくると、縁側にふたつの湯呑みと空のデザート皿があった。

「誰か来てたの?」と聞くと、おばあちゃんはとても嬉しそうにうふふ、と笑い、「おばあちゃんのとってもとっても大事なヒト」と言った。ほんわりと上気したほっぺたが若い娘さんのようで、おばあちゃんだけど、でもなんだかとても可愛らしかった。

「大事なヒトって?」

「おばあちゃんのボーイフレンド」

 ボーイフレンド?! と驚いて声を上げると、おばあちゃんはしーっと口に指を当て、「あんまり大きな声で言ったらダメ。おじいちゃんがヤキモチ焼くからね」と笑いながら赤い柿の実の供えられた仏壇を指差し、悪戯っ子のように片目を瞑った。

 それから数日後、「少し疲れたから昼寝でもしようかな」と言って炬燵に横になったおばあちゃんは、そのまま、まるで眠るように死んでしまった。

 お葬式には近所の人やおばあちゃんの茶飲み友達がたくさん来た。その中には優しそうなおじいさんや、ロマンスグレーのちょっと素敵な人もいたけれど、でも結局誰がおばあちゃんのボーイフレンドだったのか、最後まで分からなかった。



     1


 大好きなおばあちゃんが亡くなってから数日後、仲良しの綾ちゃんがお母さんに連れられて引越しの挨拶に来た。綾ちゃんが引越してしまうことはだいぶ前から知っていたけれど、でもいざとなるとやはり離れ難く、綾ちゃん、ミチルちゃん、とふたりで名を呼び合い、手を取り合っておいおいと泣いてしまった。

 綾ちゃんが帰った後、泣き疲れたミチルは夕暮れの縁側にぼんやりと座り込んでいた。たったひとりの友達だった綾ちゃんは引っ越してしまい、慰めてくれるはずのおばあちゃんはもういない。ミチルはひとりぼっちだった。

 ふと見上げた茜色の空に柿の木が黒々と枝を伸ばし、その先にぽつんと実がひとつ残っていた。哀愁というものを知ったのはそれが初めてだったと思う。その時は勿論そんな言葉は知らなかったけれど、でも、暮れなずむ空にひとつ取り残された赤い実を見ているうちに、胸がぎゅっと苦しくなって、ただひたすら寂しくて、ぽろぽろと涙がこぼれた。

「泣くな」

 不意に頭上で声がした。辺りを見まわしたが誰もいなかった。気のせいかと思い、再び柿の実に哀愁を感じて目を潤ませていると――どうも少し自分に酔っていたらしい――今度ははっきりと酷く不機嫌そうな声が、「ウルサイ」と言った。驚いて声のした方を見上げると、柿の実のなっている枝にカラスが一羽とまってこちらを見ている。九官鳥じゃあるまいしカラスが喋るわけないと思ったが、しかしじっと自分を見つめる黒い眼が何だか不気味だった。ミチルは思わず息を呑むと、慌てて硝子戸を閉め、足をもつれさせるようにして母のいる台所へ走って逃げた。

 その夜のことだった。

 明日、ひとりぼっちで登校することやおばあちゃんを想い、ミチルが独り枕を濡らしていると、コツコツと小さく窓ガラスをノックする音がした。ミチルの子供部屋は二階にある。樹の枝が風に吹かれてガラスに当たっているのかな、と思ったけれど、風の音はしない。ミチルには樹を登って夜中に遊びに来てくれるような、そんな何かの物語に出てくるような友達もいなかった。

 ただの気のせいだろうと思い、チリ紙で鼻をかもうと起き上がる。と、再びコツコツコツと音がした。振り返ると、月明かりに照らされたカーテンに小さな影が映っている。

 これはもしかしたら迷子の小鳥かリスかも知れない。微かにうごめく影にミチルは胸をときめかせた。綾ちゃんが飼っていた文鳥が以前逃げ出した時、慣れない外の世界に怯えたのか、近所の家に逃げ込もうとして窓ガラスに張り付いている鳥を捕まえたって言っていた。

 白い翼に赤い嘴の愛らしい文鳥を想像してどきどきしながら、でも迷子の小鳥を驚かせないように、そうっとカーテンの端をめくった。

 満月の煌々とした明かりに照らされ、ソレは窓の外からじっとミチルを見つめていた。

 かの有名な妖怪漫画で、目玉の妖怪的なモノがいるでしょう。大きな目玉に細い手足が生えている、アレ。あの目玉の部分が柿で、その柿に目鼻口プラス太くて妙に凛々しい眉毛のおっさん顏がついていると思って貰えればいい。

 ヤモリのような小さな手をぺたりと窓ガラスに貼りつけ、おっさん顔の柿が口を開いた。

「入れろ」

 よくホラー映画で、ヒロインがキャーッとつんざくような悲鳴を上げるけれど、真に恐怖を感じた時にヒトはあんな声を出すことはできない。だってあんな大声で叫ぶにはまず大きく息を吸い、続いてそれを吐かなければならない。吸うでもなく吐くでもなく、ひっひっひっ、と小刻みに胸を震わせているだけでは駄目なのだ。

 ひっひっひっ、と息を詰まらせ、よろめくようにして現れたミチルを見て、両親はミチルが喉に何か詰まらせたと思ったらしい。母が慌ててミチルの背中を叩き、父が「医者だ! 医者を呼べ!」と喚いた。

 懸命に柿のオバケのことを両親に話したが、二人はミチルが寝ぼけて夢でもみたのだろうと笑い、初めは全く取り合おうとしなかった。しかしあまりにミチルが怯えるので、翌日父が近所の神社の神主さんにお祓いを頼んでくれた。柿の木を見た神主さんは、「別に悪いモノが憑いている感じはしませんが」と言って首を傾げつつ、しかし念の為にとお祓いをして、木の前に御神酒と盛り塩を置いて帰った。


     ❀


 お祓いが効いたのか、それともやはりあれはミチルの夢だったのか。その後柿のオバケがミチルの部屋に現れることはなかった。十日程してようやく柿のオバケのことを忘れかけた頃、ミチルは家の前の細い道で見知らぬ老婆に声をかけられた。

「……もし」

 嗄れた声に振り返ると、酷く猫背の老婆が塀の陰に隠れるように立っていた。

「そこな木には悪いモンが憑いとろうが」

 枯れ枝のような指が庭の柿の木を指差し、深い皺の中で濁った眼がぎょろぎょろと動く。

「木を切りなされ。切らんと死ぬぞ」

 老婆の眼がねっとりと白く光り、黄色い歯の間からやけにぬらぬらと濡れて赤い舌がチラチラと見え隠れする。

「……おまえら皆死ぬぞ」

 もういやだ。柿なんか見たくもない。お願いだから木を切ってくれとミチルに泣きつかれ、困った父が優しい眉毛を八の字にした。

「だけど、この木はおばあちゃんが大事にしていたんだけどなぁ。ミチルだって毎年柿を食べるのを楽しみにしていただろう?」

「いらないっ! 柿なんかもう絶対食べないっ」

「う〜ん、仕方ないなぁ」

 あなたはミチルに甘すぎるのよ、と母に呆れられつつ、父は植木屋さんに頼んで数日中に木を切ってやろうと約束してくれた。



     2


 綾ちゃんのいない学校なんて本当につまらない。家の前で老婆に声をかけられてから数日後、ミチルは重い溜息を吐きつつトボトボと学校帰りの道を歩いていた。と、家の前の細い道に、塀に凭れるようにして知らない男の子が立っていた。肩には猫ほどの大きさのふわふわした尻尾の動物が乗っている。野球帽に隠れて男の子の顔はよく見えないが、どうみてもミチルより年上だ。

 こんな細い道に突っ立って、何をしているのだろう。気味の悪い老婆のことを思い出し、ナンダカ嫌だな、と思った。しかし家に帰るにはどうしてもここを通らなければならない。ミチルは俯いたまま、足早に少年の前を通り過ぎようとした。

「もしもし、お嬢さん」

 ミチルが丁度目の前に来た時、不意に少年が顔を上げた。ミチルがびくりとして思わず足を止めると、少年が人懐っこい笑顔をミチルに向けた。健康そうな真っ白な歯と、サラサラの黒髪が何かの映画のワンシーンみたいだった。

「甘い柿はいかがですか?」

 少年が微笑みながら手の中の熟れた赤い実をミチルに差し出した。

「すごーく美味しいので、是非一緒に――」

 少年が言い終える前にミチルは凄まじい悲鳴を上げ、泣きながら駆け出した。

「えっ、ちょ、ちょっと待ってよ! ミチルちゃん?!」

 見知らぬ少年に名前を呼ばれ、益々大きな悲鳴を上げたミチルが玄関に飛び込み引戸をピシャリと閉める。後に残された少年がやや呆然としてミチルの去った方を眺めた。

「うわあ、俺、こんなモロに拒否られたの初めてなんだけど。ちょっと傷つくな」

「しかし今のは隣で聞いていても恥ずかしかったぞ? 白雪姫とやらに毒リンゴを喰わそうとする魔女の真似でもしているのかと思った」

 肩の狐が喉を震わせて嗤う。

「だって俺、あれくらいの年の女の子って苦手なんだもん。虫とか蛇とかなんでも怖がってすぐ泣くし。ってゆーか、今のはなんで泣いたの?」

「行き止まりの薄暗い路地裏でイキナリ柿を勧めてくるヤツなんぞ、俺でもコワイぞ?」

 女を口説く時はもっとスムーズにやれ、と狐に言われ、う〜ん、と唸って煉が髪を掻き毟る。

「明日の朝までになんとかしなくっちゃいけないんだよなぁ。でもこの分だと今日はあの子、外に出てきそうにないし……もうメンドクサイなぁ」


     ❀


 真夜中。ぼんやりと辺りを照らす月明かりの中、路地裏に現れた少年の影がミチルの窓に近い樹をするすると音もなく登った。

「……夜這いか」

 不意に庭の柿の木の根元から嗄れた声がした。

「んなわけないでしょ。お前の為にやってんだから、少しは感謝してよね」

 舌打ちと共に煉が二階の窓の高さまで登ると、その肩からひょいと狐が飛び下り、細い枝を伝って窓際に近付く。

「ったく、俺にこんなクダラナイ事やらせやがって」と焰が軽く煉を睨む。

「いいじゃん。焰は女のコ大好きなんだからさ、その才能を活かそうよ」

「小便臭いガキなんぞ、オンナのうちに入らん」

 ぶつぶつと文句を言いつつ、コツコツ、と焰が窓ガラスをノックした。


     ❀


 ――あの子は一体誰だったんだろう。

 布団に頭まで潜り込み、ミチルは昼間出会った男の子のことを考えていた。黒くて綺麗な髪、猫のような大きな目、光るような笑顔。綾ちゃんだったら、「あら二枚目ねぇ〜」と黄色い声を上げて喜びそう。でもあんなところで待ち伏せしていきなり柿を食べさせようとするなんて、絶対アブナイヒトに違いない――

 うとうとし始めた時、不意に窓の外で話し声が聞こえたような気がした。どきりとして窓の方を見ると、黒い影がカーテンに揺らめき、続いてコツコツと窓を叩く音がした。

 両親の部屋に転がり込み、寝ている父を叩き起こす。

「いるっ! また来たっ! そとっ!」

 怯えて泣き叫ぶミチルを母が宥め、父がカーテンを開けた。窓の外には月明かりに照らされた樹の枝があるだけで、何もいなかった。

「ほら、大丈夫だよ。何もいないじゃないか」と父が笑う。

「きっと風で枝が窓に当たって、夢をみたのよ」と母がミチルの頭を撫でた。

 両親がミチルを布団に入れて自分達の寝室に帰ってから数分後、再び窓をノックする音がして、カーテンに影が映った。しかしミチルの悲鳴を聞いて駆けつけた父がカーテンを開けると、やはりそこには何もいなかった。

 そんな事が数回繰り返され、とうとう母がミチルを叱った。

「ミチル! いい加減にしなさい。お父さんは明日もお仕事があるのよ?」

 まぁまぁ、と父が母を宥める。

「明日柿の木を切るついでにミチルの窓の外の樹の枝も切ってもらえばいいじゃないか。ミチル、今晩はお父さんと寝るか?」

「いけません! すぐそうやってあなたが甘やかすからミチルはいつまで経っても泣き虫なのよ。二年生にもなって一人で寝られなくてどうするの!」

 母に決めつけられ、悄然として部屋を出て行く父の後ろ姿をミチルは絶望と共に見送った。これでもう味方がいない。オバケはすぐそこまで来ているのに、誰も助けてはくれない。この恐ろしい世界で、ミチルは独りぼっちなのだ。

 恐怖と絶望に打ち砕かれ、ミチルが頭まで布団に潜り込み震えていると、窓際でことりと音がした。

 ……どうしよう。見るのは怖いが見ないのはもっと怖い。恐る恐る布団の隙間から目だけ出してみる。月明かりに照らされたカーテンに猫のような影が浮かんだ。しっぽをふわふわと揺らした影がコツコツと窓を叩くのを見て、ミチルはじっと考え込んだ。

 ……コレは少なくともアレではないようだ。アレはこんなに大きくはなかったし、チラリと見ただけだからよく覚えてはいないけれど、でも尻尾なんかついていなかったと思う。窓の外にいるモノは、柿のオバケではなくて、猫的なナニカのような気がする。ミチルは動物好きだ。猫なら怖くはない。それどころか大歓迎だ。

 コツコツコツ、と再び影が窓ガラスをノックする。ミチルはごくりと唾を飲み込むと意を決し、毛布を頭から被ったまま、そっとカーテンの端を捲ってみた。

 白い月明かりの中、鮮やかなオレンジ色の顔の尖ったイヌのようなモノが、ふわふわと尻尾を揺らして窓の外に座っていた。黒々と濡れた大きな瞳にじっと見つめられ、ミチルはそれまでの恐怖も忘れ、カワイイ、と呟いた。と、イヌが丸い目を僅かに細めて小首を傾げ、入れてくれ、とでも言うように窓ガラスを小さな前足でカリカリと引っ掻いた。その仕草に誘われるように思わず窓を少しだけ開けると、細い隙間からイヌが夜風と共にするりと入り込んできた。

 甘えるかのようにミチルの足に体を擦り付けるソレをそっと撫でてみる。柔らかな毛皮はお母さんの大切にしているシルクのドレスよりもつるつるとしていて、とても温かい。

「――ミチル」

 不意に名前を呼ばれ、ミチルがびくりとして撫でる手を止め、窓の外を見た。

「ミチル、こっちだ」

 手元のハスキーな声に下を見ると、イヌがミチルを見上げていた。

「……喋った」

 ミチルが呆然として呟くと、月明かりに目を細めるようにしてイヌが得意気に笑った。

「驚いたか? 俺様にとって人語を操るくらいお手の物さ。ところでお前と会うのはこれが二度目だ。昼間に道で会ったろう?」

 イヌの言葉に、不意に昼間の少年を思い出した。そうだ、どこかで見たような気がしたけれど、そう言われればこのイヌはあの変な男の子の肩に座っていたんだ。

「あの子の飼いイヌなの?」とミチルが首を傾げると、イヌがあからさまにムッとした顔で鼻を鳴らした。

「違う。俺は煉に飼われているわけでもなければ奴の式神でもない。そもそも俺はイヌではない。お前、狐を見たことないのか?」

 レンというのはあの男の子の名前だろうか。でもシキガミってなんだろう。

「だが今日は奴の使いで来た。煉に会って、奴の話を聞いてやって欲しい」

「い、いや……」

 ミチルが慌てて後退りすると、イヌ改め狐が困ったような顔でしょんぼりと肩を落とした。

「なぁ、頼むよ。とても大事な話なんだ。それに奴は確かに変わり者だが、しかしそこまで嫌がるほど危なくはないぞ? 俺が保証する」

 お願いだよ、と夜空に浮かぶ月に似た金色の瞳を潤ませ、狐が上目遣いでじっとミチルを見つめた。と、なんだか頭がぼうっとして、思わずこくんと頷いてしまった。途端に狐がにたりと笑い、窓の外に声をかけた。

「おい、入ってきてもイイってよ」

「え?! なにそれ?! 入ってきてイイって……今すぐ?!」

「善は急げと言うだろう」

 ミチルの困惑など意にも介せず、狐がふふんと鼻先で笑う。ミチルが文句を言う暇もなく、からりと窓を開けて少年が部屋を覗き込んだ。

「こんばんは、ミチルちゃん」

 ミチルが怯えたように後退ると、少年が困った顔で頭を掻いた。

「そんなに怖がらないでよ。ミチルちゃんが嫌なら部屋に入ったりしないから、このままでいいから話だけ聞いてくれる?」

 少年の声は穏やかで優しく、近所に住む意地悪で乱暴な男の子達とは全然違う。しかしやはりと言うべきか、煉という名の少年の話はミチルにとっては迷惑この上ないものだった。

 庭の柿の木を切らないで欲しい、と煉に頭を下げられて、ミチルはまたしても泣きそうになった。また柿か。もういい加減にして欲しい。

「ダ、ダメ」とミチルが必死に抵抗した。

「気味の悪いお婆さんが来て、木を切らないとみんな死ぬって言ったもん」

「そんなの嘘だよ」と煉が肩を竦める。「ミチルの父さんが呼んだ神主さんは悪いモノは憑いてないって言ってたでしょ?」

「だ、だけど、もしかしたら神主さんには分からなかっただけかもしれないし、おばあちゃんだってあの木のせいで死んじゃったのかも……」

 それを聞いた途端、ミチルの布団で勝手にくつろいでいた焰とかいう名前の狐が肩を揺らして嗤った。

「阿呆か。ありゃただの寿命だ」

 この狐、顔は可愛いがどうも性格に難がある。そもそも煉くんだって、初めは猫撫で声で『ミチルちゃん』とか言ってたのに、いつの間にかミチルのことを呼び捨てにしている。

「あのね、ミチルが会ったお婆さんってのは、おそらくこの木が切られれば得をするモノなんだよ。だからミチルを怖がらせて木を切らせようとしただけだよ。誓ってもいい。この木も、この木に憑いているモノも、悪いモノじゃない。それどころか、なくてはならないとても大切なモノなんだ」

「大切なモノって、あの老け顔の柿のオバケの出来損ないが……?」

 ミチルの訝しげな顔に、あはは、と声を上げて煉が笑った。

「アレはね、木守り柿っていって、柿の木の精霊なんだよ」

「コモリガキ? セイレイ?」

「うん、ちっちゃな神様みたいなもん」

「嘘」

 なにが神様だ。柿の癖にオッサン面をした、あんな有り難味のない神様がいるわけない。

「本当だよ。でね、ここが大切なんだけど、ミチルは木守り柿と仲良くしなくちゃいけない。それはミチルにとっても、この辺りの平和にとっても、すごく重要な事なんだ」

「は……はぁ?」

「木守り柿は木を守り、木は家を守り、家はこの地を守る」

「家ってこの家が?」

 ミチルが古びて何の変哲もない我が家の天井を見上げた。

「家っていうか、この家が建ってる礎に使われている石がね、この辺り一帯の『重石』なんだよ。重石は地の均衡を保つんだ。重石が動けば地が揺れ、空間に歪みができる。歪みは鬼を呼び、鬼は人心を荒らす」

 煉の話は難しくてよく分からなかった。そもそも何故選りに選ってミチルが柿のオバケなんかと仲良くしなくちゃいけないのだ。

「代々木守り柿を守る役目に就くのは、先代が亡くなった時にこの家で一番若い者って決まってるんだよ」

「先代って?」

「ミチルのばあちゃん」

「おばあちゃん?! おばあちゃんって柿のオバケと知り合いだったの?!」

「そうだよ」

 ふと懐かしげに目を細め、煉が微笑んだ。

「ミチルのばあちゃんも丁度ミチルくらいの歳の頃に守りになって、その後七十年近く木を守ってきたんだよ。ミチルはばあちゃんが大好きだったんでしょ? だったら、ばあちゃんを安心させてあげるためにも、木守り柿の守り役を引き継がなくっちゃ」

 ね、と煉の甘い笑顔に諭され、ミチルは遂に不承不承頷いた。

 おーい、と煉が庭に向かって声をかけると、月明かりの中、ひっくひっく、としゃっくりしながらおっさん顔の柿が現れた。

「……なんだかお酒臭くない?」とミチルが顔をしかめる。

「あぁ、こいつ、神主さんが置いてった御神酒で毎晩酒盛りしてるから」

 ……本当にコレがこの地を守る精霊なのか。怪しすぎる。

 ミチルが疑いの眼差しを赤ら顔の柿に向けると、「仕方ないんだよ。精霊とか神様ってのは呑ん兵衛が多いからね」と言って煉がコホンと咳払いした。

「ではこれから木守り柿の守り継承の儀を行います」

 柿の精とミチルの前に正座した煉が重々しい口調で言う。

「ミチル、木守り柿に名前付けてあげて」

「え? 名前?」

「うん、何でもいいんだけど、こう、ミチルが木守り柿を見てぴーんと来る名前がいいんだ」

「ぴーんと、って言われても……」

 自分の前で腕を組んで瞑目している柿を見る。一体此の世に柿の名付け親になれなんて言われる人間が何人いるのだろうか。赤ら顔の柿をつくづく眺めてみても、特にぴんとくるモノもないが、まぁこうなったら仕方がない。

「えっと、じゃあ、かき、かき、柿助?」

「あ、ごめん、それは先代と同じだからダメ」

 なんだ、おばあちゃんもあんまり考えずに適当に付けたんだな。

「ちなみに柿男とか柿太郎とかも以前使われたから。新しいヤツじゃないとダメなんだ」

「か、柿ピー?」

 柿が片目を開けてじろりとミチルを睨んだ。どうも気に喰わないらしい。

「あのね、こいつって長目の名前が好きらしいんだよね。それもどっちかって言うと古臭い、時代劇に出てきそうなヤツが好みなんだ」

 何でもいいとか言う割りにはこだわるんだな。たかが柿の癖にめんどくさい。

「えっと、えっと……」

 おばあちゃんの好きな歌舞伎役者さんを必死になって思い出そうとする。それにしても、ああゆうのに出て来るおじさん達は、なんでみんな眉毛が太くて眉間にシワを寄せて、まるで渋柿を間違って食べたような顔をしているだろう。

「あ! 渋柿太郎とかは?」

 柿が組んでいた腕をほどき、両目を開けてまじまじとミチルを見た。この反応は気に入ったのだろうか……などと思っていると、柿がぼそりと呟いた。

「……趣味が悪い」

 おっさん顔の柿に趣味が悪いとか言われたくない。流石のミチルもムッとした。

「柿の名前なんてなんでもいいだろうが。ポチかミケにでもしておけ」と焰が欠伸する。

「柿坊、柿の字、柿右衛門!」とミチルがやけくそ気味に叫ぶと、柿と煉がはっとして顔を見合わせた。

「それ、その最後のやつイイんじゃない?」

「……柿右衛門?」

 自分で言い出しておいてナンだが、あまりカッコイイとも新鮮味があるとも思えない。しかし柿は何やら満足気にふむふむと頷いている。

「よし、じゃあ柿右衛門に決定!」

 声高らかに宣言すると、煉がほっとしたように笑った。

「ではミチルは頑張って立派な木守り柿の守りになって下さい」

「木守り柿の守りって、何をすればいいの?」

「そんなに難しいことじゃないよ。一番大切なのは柿右衛門に色んな話を聞かせてあげることで、後は毎年ひとつだけ枝に実を残すことと、木に虫がついたりしないように世話するくらいかな。まぁ剪定や肥料の世話なんかは植木屋さんに任せておけばいいし」

「話って何の話をすればいいの?」

「ミチルが見たことや聞いたこと、感じたことや思ったこと。友達と遊んだ話とか、学校の授業がつまらない話とか、お母さんに叱られた話とか、なんでもいいんだよ」

 不思議そうに首を傾げるミチルに向かって煉が微笑んだ。

「ミチルの話は柿右衛門の中の種を育てるんだ。沢山の話を聞けば聞くほど、その実は甘く、種は大きく丈夫に育つ。ほら、話の種って言うじゃん?」

 煉の話も、喋る狐も、柿右衛門の赤ら顔も全てがまるでお伽話のように不思議だったが、ミチルにとって一番不思議なのは、仄かな月明かりの中で楽しげに声を上げて笑う煉の存在だった。


(To be continued)

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