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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第三章 〜 Songs of Wren
68/123

濡れ鼠(前編)

(あふち)咲く そともの木かげ 露おちて 五月雨晴るる 風わたるなり(藤原忠良)


     1


 梅雨入り。

 淡い光を放つ鈍色の空から、細い針のような雨が降りしきる。縁側に寝転んで空を見上げていると、その銀色の雫が天から落ちてくるのか、それとも宙に浮いたまま動かぬ無数の水滴の中を自分自身が上へ上へと昇っているのかわからなくなる。

 離れの縁側に寝転んだまま、ふわ~、と(トオル)が欠伸した。大学一年の徹は実家から離れた地方の大学に通うため、この春から親戚の離れを間借りしている。今日は午後イチに必須科目の授業がある。もうそろそろ昼食を食べ、支度して家を出た方がいいのだが、雨の中を出て行くのはどうも億劫だ。

 ふわ~、と再び力の無い欠伸を漏らす。カメハメハ大王だって雨が降ったらお休みするんだから、やっぱり俺もサボろうかな……などと怠惰極まりない言い訳を呟きつつ、ポキポキと指を鳴らしながら腕を空へ伸ばした丁度その時、目の端に何か白く光るモノが映った。

「ん?」

 仰向けに寝そべったまま顔をそちらに向ける。そこには、大きめの輪を組み合わせたような鎖が屋根の端から地面まで垂れ下がっていた。前々から不思議に思っていたのだが、あの鎖は一体なんだろう。飾り、って感じでもないし、何かのおまじないか?

 寝転がったまま頭上に垂れ下がる鎖をぼんやりと眺めていると、白く光るモノが突如地面から鎖に飛びつき、雨に濡れた輪の間をうねるようにして目にも留まらぬ速さで駆け昇った。ありゃ一体なんだ――

「あっ、ダメな大人がいる!」

 猛烈なスピードで次々と鎖を駆け上がる白い光に徹が呆気に取られていると、不意に頭の上から甲高い声が降ってきた。慌てて起き上がれば、傘を差した従兄弟の俊介(シュンスケ)が白い目を徹に向けている。俊介は生意気盛りの小学五年生。母屋に家族と住んでいる。

「あぁ、(シュン)、いいところに来てくれた。コレ、この鎖みたいなのなんだけどさ」

 俊介が冷めた目で雨に濡れた鎖をちらりと見る。

「鎖樋がナニ?」

「あ、コレ鎖樋っていうんだ? あぁ、なるほど……」

 屋根の横樋に溜まった雨水がこの鎖を伝わって下に落ちるという仕組みらしい。中々風情があっていいな、などと徹が感心していると、「鎖樋がどうかしたのかよ?」と俊介が苛立った声をあげた。俊介は短気なのだ。

「え、あぁ、あのさ、なんかさっきからさ、コレをなんかが駆け登ってるんだけど」

「は?」俊介がまじまじと鎖樋を見る。「なんにもいないじゃん」

「あれ? おかしいな、さっきまで確かに……」

 徹が首を傾げていると、俊介が呆れたように溜息を吐いた。

「トオルってば昼間から寝ボケてんじゃないの? それより母さんが良かったらお昼を食べに来いってさ」

「ああ、うん、ありがとう。ところでお前、学校は?」

「……創立記念日で休み」

 徹から目を逸らした俊介が僅かに口を尖らせるようにして低い声でボソリと答えると、雨の中を母屋へ向かって駆け出した。そんな俊介のうしろ姿を見送りつつ、徹が再び首を傾げる。

「創立記念日ねぇ」

 確かアイツ、先週もそんな事言ってなかったっけ? まぁどうでもいいけど。ふわ〜、と欠伸をしつつ、徹が立ち上がった。

 徹は良く言えばおおらか、悪く言えば大雑把な性格だとよく人に言われる。どちらにしろ、余り細かい事に目くじらを立てる方ではない。年下の従兄弟が学校に行かない事とその理由など、徹にとっては全くもってどうでも良い事なのだ。

 着替えて母屋に行こうとした徹がふと鎖樋に目をやった。先程より雨脚が強くなったせいか、鎖樋を伝い落ちる水は銀色の細く艶やかな流れとなり、音も無くうねるようにして地面に敷かれた玉砂利の隙間に消えてゆく。

「いいねぇ、風流風流――」

 シャッ、と目の端を白い光が走った。何気無く振り返った瞬間、紅く光る一対の眼と目が合った。



「あわわわわわ」

 雨の中を()けつ(まろ)びつ母屋に駆け込んできた徹に、叔母と俊介が驚いた目を向けた。

「まぁ、徹君、どうしたの?」

「くくくくく、くさ、くさ、くさりといッ」

「鎖樋がどうかした?」

「へへへへ、ヘビがッ」

「蛇?」

「へ、ヘビがッ! 鎖樋を、の、のぼ、のぼって……ッ」

「はぁ?」俊介がほとほと呆れたとばかりに大袈裟に肩を竦めた。「蛇が鎖樋を登るわけないだろ。トオルってば、まだ寝ぼけてるの?」

「いやいやいや、ほ、本当だって! 紅い眼の白い蛇が次々とアレを伝って屋根に登ってるんだってば!」

 叔母の出してくれたコップの水にむせ返りながら徹が喚く。

「まぁ、蛇だなんて、いやあねぇ。でもそんなことってあるかしら」

 蛇と聞いて僅かに眉をひそめた叔母が、考え込むように頬に手を当てる。

「ナイナイ、絶対トオルの見間違えだよ。第一さ、なんで神社でもないのに白蛇がそんな何匹もウチの庭にいるわけ?」

「本当だって! 信じてよ、叔母さん! 俺、もう怖くてあそこで寝れないよ!」全く取り合おうとしない俊介を無視して徹が叔母に泣きつく。「頼むからあの鎖樋ってヤツ、屋根から外してよ!」

「でもアレを外しちゃうと、屋根の横樋の水が地面まで綺麗に流れずに上からシャワーみたい降ってきちゃうわよ?」

「いいから、シャワーの方が蛇より絶対マシだから!」

 必死の涙目で叔母を説得し、ようやく自分でやるなら雨が小降りになり次第外しても良いと許可を得た。しかし夕方になっても雨が止む気配は無かった。都会育ちの徹は蛇なるものに免疫が無い。頭上を這いずる無数の爬虫類を想像すると、とてもではないが離れに帰る気にはなれなかった。結局その夜は嫌がる俊介の部屋に無理矢理押しかけ、そこでまんじりともせず一夜を明かした。



 翌朝。

 相変わらずどんよりと厚い雲が空を覆っているが、雨は止んでいる。しかしいつまた降りだしても可笑しくない空模様だ。善は急げと屋根に梯子をかけた徹が、恐る恐る上へ登ってみた。

 如何に大雑把でのんびりとした性格とはいえ、屋根を覆い尽くすようにして蠢く蛇の海などという絵柄はぞっとしない。しかし予想に反し、息をつめて怖々と覗いてみた屋根の上には蛇など一匹もいなかった。もしや樋にぎっちりと蛇が寿司詰めになっているのでは……などとイヤな想像に肝を冷やしたが、樋には数枚の濡れた枯葉が入っている程度で蛇の姿はなかった。

 ほっとしたが油断は禁物。雨が降りだす前に急いで鎖樋を屋根から外し、庭の隅の物置の中に突っ込み、ほっと安堵の溜息をついた。これであの空恐ろしいような光景が繰り返されることは二度とないだろう。

 昼過ぎからまた雨が降り始めた。大学にも行かず、用心深く閉め切った縁側の硝子戸越しに庭を観察し続けたが、有難いことに離れの周りに蛇が現れる様子はなかった。

 夕方、ようやく安心した徹は母屋で叔父の晩酌の相手をすると、ほろ酔い気分で機嫌良く離れへ帰り、ろくろく顔も洗わず布団に倒れこんだ。


 ――真夜中。

 部屋の中でナニカが微かにざわめく気配にふと目覚めた。何だろう。耳を澄ましたが何も聴こえない。気のせいかと思い、寝返りを打った徹の頭の近くをトタトタトタと微かな足音を響かせナニカが駆け抜けていった。

「ん? ネズミでもいるのかな?」

 寝返りを打とうとしたが、何やらやけに掛布団が重い。布団を跳ね除けるようにして無理矢理身体を起こすと、丸いモノが幾つもころころと転がり落ちた。

「……なんだ?」

 寝惚け眼をこすりつつ、部屋の暗闇に目を凝らす。

 枕元、床、机、棚の上……星明かりすら届かないドロリと重く湿った闇の中、紅く光る無数の眼が部屋を埋め尽くし、瞬きひとつせず、じっと徹を見つめていた。


 恐怖のあまり気を失ったらしい。気がつくと朝だった。



     2


「まぁ、蛇の次は鼠? 次々と色々出てくるわねぇ」

「トオルの事だからさ、生ゴミとか離れに溜めてんじゃねーの?」

「徹君、確かネズミ捕りが物置にあったと思うから探してみるといいよ」

「叔父さん、それがネズミ捕りで済むような数じゃなかったんだって!」

 のんびりと朝食をとる一家の前で、髪を振り乱した徹が喚いた。

「なんだ、そんなに出てきたのか?」

「出てきたも何も、もう百匹単位で部屋中ぎっしり、布団の上にまで乗っかってきたんだから!」

 それまで笑いながら徹の話を聞いていた叔父叔母夫婦も流石にぎょっとして朝食を食べる箸を止めた。一人悠々とパンにジャムを塗りつつ、俊介が横目でチラリと徹を見る。

「東南アジアの方ではさ、夜中にデカイ鼠が生きてる赤ん坊を襲って喰ったりするんだって。なんかの小説で読んだけど、日本でも戦中に――」

「俊! 食事中にくだらないこと言わないの!」

 叔母が慌てて叱ったが、俊介はけろりとしたものだ。叔父がこほんと咳払いした。

「まぁ徹君は大人の男だからな、そんな事は万が一にも無いとは思うが、衛生上良くないかもしれないから、なんなら保健所にでも相談した方がいいかもしれないな」

「本当ねぇ、部屋の中は大丈夫だったの? 食べ物とかお菓子とか、少しは置いてるんでしょ?」

「そう、それが菓子とかは大丈夫だったんだけど、不思議なことに封を開けたばかりの酒の一升瓶が空になってて――」

 数秒の沈黙の後、俊介がぷっと噴き出した。続いて叔父がははは、と愉快気に笑い出す。

「なんだ、夢オチか。徹君は話が上手いなぁ。ついつい本気にしちゃったよ」

「えっ、ち、違うよ叔父さん!」

「トオルって変なクスリでもやってんのかと思ったら、ただのアル中か。俺、アル中ってピンクの象を見るんだと思ってた」

「もう、徹君ったら、まだ学生だからたまには羽目を外すのもいいけど、お酒は程々にしなくちゃダメよ?」

「やめてよ、叔母さんまで! ホントに酔ってたわけじゃないって!」

 必死に否定する徹には取り合わず、皆は笑いながら朝食を終えて家を出ていった。



 ――そしてその夜。

 夕食後もウダウダと俊介の部屋で漫画を読んでいる徹に俊介が胡散臭げな目を向けた。

「トオル、もう離れに帰れよ」

「え、もうちょっと……コレ読み終わってから……」

「それ持って行っていいからさ」

「シュン君ってばツレナイなぁ。そうだ、折角明日は土曜日なんだから、オールナイトでプレステしようぜ!」

「冗談。俺、明日は塾の試験なんだよ。だから早く寝ないと。忙しい小学生にはダメな大人に付き合ってる暇なんてないの」

 ううう、と唸りながら恨めしげに自分を見る徹に俊介が溜息をついた。

「いい加減にしろよ、ここってそんな田舎じゃないんだぜ? 鼠が百匹も出るわけないだろ?」

「そ、そんな、お前はアレを見てないから――」

「トオルってばまじでアル中かよ? 昨日だって父さんと飲みまくってただろ? ただの幻覚だって」

 それでもぐずぐずと部屋を出て行こうとしない徹の背中を、俊介が無理矢理部屋から押し出した。

「脱アル中への第一歩は自分がアル中だと自分で認めることなんだってさ。がんばってね」

 愛想のカケラもない年下の従兄弟に追い出され、渋々と離れに帰る。恐る恐るドアを開け、片腕だけ中へ入れて手探りで電気をつけると、ドアの隙間から舐めるように部屋を観察する。とりあえず何もいない事を確認。続いてそっと足音を忍ばせて部屋に入り、もう一度辺りを見回す。部屋は別に荒らされているというわけでもなく、生き物の気配とて無いが、しかし油断は禁物だ。しっかり戸締りをして煌々と明かりを灯したまま布団にくるまる。蒸し暑いが我慢するしかない。俊介から借りてきた漫画を読み始めた。

 ――どれほどの間、そうしていたのか。漫画にも飽き、座ったまま少しうとうとしていたらしい。トントンと軽くドアをノックする音にハッとして目覚め、慌てて時計を見ると夜中の二時。草木も眠る丑三つ時ではないか。こんな時間に一体誰が訪ねて来るというのだろう。

 普段なら何の気もなしに戸を開けるところだが、流石に連日変なモノを見続けたせいか、何やら気味が悪い。じっと動かぬまま、外の気配を探ろうと徹が全身の神経を研ぎ澄ませていると、再びトントンとノックの音が響き、続いて微かな話し声が聞こえてきた。

「あれ? 電気ついてるのにいないのかな」と誰かが言うと、「つけっぱなしで寝てるんじゃないのか? 窓から覗いてみろ」と少し高目でハスキーな声が答える。

 ……誰だろう。子供の声のようだが、俊介ではないようだ。聞き覚えのない声だが、どちらにしろ子供なら大丈夫だろうと思い、ドアを細く開けて隙間から外を覗いてみた。

 しっとりと湿り気を帯びた淡い月明かりの中、肩に小さな狐のようなモノを乗せた少年が立っていた。

「コンバンワ」

 少年が人懐こい笑顔をみせると愛らしく首を傾げた。

「もしかして起こしちゃった? 電気がついてたから起きてると思ったんだけど」

「え? あ、別に、ちょっとウトウトしてただけだから構わないけど……」

 この少年は誰だろう。見知らぬ少年のあどけない笑顔に、徹が僅かに口籠った。俊介の友達か? 俺に子供の知り合いなんていないし、そもそも今は子供が出歩くような時間じゃない。そこまで考え、不意にはっとした。もしかして、児童虐待とかで逃げてきて助けを求めてるとか、そーゆームズカシイやつか?! 最近は児童虐待やら子育て放棄やらが多いとか、今日も夕方のニュースで聞いたばかりだ。よくよく見れば、少年の大きく黒々と濡れた瞳は微かな憂いを帯びている……ように見えなくもない。徹はこう見えて結構子供好きなのだ。蛇のことも鼠のことも一瞬にして頭から消え去り、思わず少年の肩を掴んで揺さぶった。

「きみっ、大丈夫かい?! どこか痛いところとか、怪我とかはない?!」

「は? いや別に……」

「じゃあ誰かに追われているとか? あ、こんな所で立ち話もナンだから、とりあえず中に入って貰って、ちょっと落ち着いた方がいいね。うん、そうだ、何事もまず落ち着いて考えることが大切だからね! さ、遠慮はいらないよ、入って入って!」

「……オカシナ奴だな」とハスキーな声がぼそりと呟く。

「え? 何か言ったかい?」

 徹が振り返ると、狐の頭をはたいていた少年が慌てて、「ううん、なんにも」と首を横に振った。

 部屋に招き入れ、改めて名前を尋ねると、少年は煉と名乗った。徹が出したお茶を一口飲むと、煉が軽く咳払いして話し始めた。

「えーっとね、俺がここに来たのは、実はお願いがあって」

 うんうん、と徹が真剣に頷く。一介の大学生に過ぎない自分に出来ることなど少ないだろうが、しかし助けを求めてきた少年を放ってはおいては漢が廃る。

「あのさ、ここの屋根の鎖樋、取っちゃったでしょ?」

 ん? 振り子の様に振り続けていた徹の頭が止まる。鎖樋と児童虐待がどう関係しているのだろうか。

「ああ、確かに外したけど……」

「アレ、悪いんだけど付け直して貰えないかな?」

「……え?」

「アレって俺の知合いのお気に入りの遊び道具っていうか、アレがないとがっかりするやつらが結構いてさ、だけど自分達だと上手くコミュニケーションが取れないから、俺に代わりにお願いして欲しいって頼まれたんだ」

「ごめん、ちょっと話が見えないんだけど、君って児童虐待から逃げてきたんじゃないの?」

「……全然違うよ」

「なんだ。こんな遅くに一人で外なんかウロついてるからてっきり……まぁいいや。でも頼まれたって、鎖樋なんて、そんな事一体誰が?」

「えーっとね、ちょっと説明し難いんだけど……」

 隣に大人しく座っていた狐とちらりと目を合わせ、煉が僅かに返事を躊躇った。丁度その時、徹の背後の窓をカリカリと小さな爪で引っ掻くような音がした。あ、コレは振り返っちゃダメなやつだ……と思いつつ反射的に後ろを振り向いた徹の目に、硝子越しにじっとこちらを覗き込む無数の紅い眼が映った。


(To be continued)

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