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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第三章 〜 Songs of Wren
57/123

氷魚(前編)

『忘れ草』より六十年以上遡った昔の物語──

山深み春とも知らぬ松の戸に 絶え絶えかかる雪の玉水 (新古今・式子内親王)


挿絵(By みてみん)


    1


 確かにそこに魚がいたと思った。タモで掬い上げた瞬間、きらきらと光の雫を跳ね上げる魚の影を見たのだ。しかし勇んで覗き込んだ網の中には何もいなかった。

「ヒウオだよ」

 不意に掛けられた声に顔を上げると、川の中程の石に見知らぬ少年が腰掛け、面白そうにこちらを眺めている。

「……氷魚?」

「うん、そう」素足で冷たい水をパシャパシャと跳ね上げながら少年が笑った。「いくら頑張っても無駄だよ。氷魚はヒトには捕まえられない」

「氷魚ゆうたら、鮎の子やんか。捕まえられへんことないやろうが」

 透明な硝子のような鮎の稚魚を思い浮かべて修造が口を尖らせると、「チガウチガウ」と少年が首を横に振った。少年が動く度に艶やかな黒髪が軽やかに揺れ、春の陽射しに透明な光の雫を散らす。

「氷魚は氷魚でも、鮎の子じゃなくって春の精霊だよ。雪解け水から生まれて、川に春を呼ぶんだ」

 ……コイツ、正気だろうか。年の頃は十一〜二歳、修造と同じくらいか、少し下にみえる。小柄だが敏捷そうで、顔つきはどことなく大人びている。愉しげに冷たい水飛沫と戯れる少年に、修造は訝しげな眼を向けた。

「……お前、いい歳してアホちゃうか」

「アホとは失礼しちゃうなぁ。折角教えてあげたのに」

「アホやなかったらホラ吹きやろうが。何が精霊や。けったいなこと言いよってからに」

「本当だよ」

 石の上に立ち上がった少年がくしゃりと髪を掻き上げると、僅かに(まなじり)の吊り上がった猫のような瞳を細めて笑った。

「氷魚の訪れと共に春は必ず巡る。でも、ヒトは誰も、その手に春を捉えることは出来ない。刻を捉まえることは誰にも出来ないからね。だから、氷魚は君には捕まえられない」

 そう言うと、少年は仔鹿のように軽やかに川の石を跳び渡り、あっという間に姿を消した。



    2


 無理と言われれば、余計にやってみたくなるのが人情だ。修造は暇さえあればタモを片手に川へ行き、冷たい雪解け水に見え隠れする透明な魚の影を追い回した。しかし手で掴もうがタモで掬い上げようが、氷魚はいつも一瞬にして陽の光に溶け、冷たい雫と燦めきだけを残して消えてしまう。そして再び澄んだ流れの中に現れ、まるで修造をからかうように、しなやかな尾びれを優雅に震わせる。

「またやってんの?」

 聞き覚えのある声にムッとして顔を上げると、小柄な狐を肩に乗せた黒髪の少年と目が合った。

「なんや、またお前か。鬱陶しい奴やの」

 大きく平べったい岩の上に腹這いになって自分を見下ろす少年の姿に、修造が顔を顰める。

「お前がいると気が散るで、どこかよそへ行け」

「え〜ヤダ。今、光合成中なんだよね。川のせせらぎを聴きながらさ、春の海、ひねもすのたり、のたりかな」

「なにが光合成や。そもそも海ちゃうやろうが。ホンマけったいな奴やの」

 舌打ちする修造を笑いながら眺めていた少年が、不意に眉根を寄せると風の音に耳を澄ませた。続いてハッとした表情で立ち上がると、修造の背後を指差した。

「ねぇ! あれって、君の妹じゃない?!」

 少年の指差す先を訝しげに振り返った修造は、覚束ない足取りで泣きながら遥か下流の川岸を走る妹とその手前をぷかぷかと流れる紅いゴム毬を目にした途端、川を飛び出し猛然と駆け出した。



「アホウが! 川のそばで鞠遊びなんかすんなやっ」

 川を流れる鞠を捕まえ、ポタポタと雫を垂らしながら川から上がった修造が、泣きじゃくる幼い妹の頭にぽかりとゲンコツを落とす。

「自分が()けて川にハマりよったら、どないするつもりやッ?!」

 妹は驚いたように一瞬だけ泣き止み、恐い顔をした兄を見上げ、そしてより一層大きな声で、安堵の混ざった泣き声を上げ始めた。

「コラッ! うるさい! いつまでも赤ん坊みたいに泣くなや!」

「まぁまぁ」と笑いながら少年が修造を諌める。「無事だったんだから、そんなに怒らなくてもいいじゃん。それより、怪我の手当てをしてあげるからおいで」

 自分の目線まで屈んだ少年を見て、妹が目を瞠った。幼心にも少年の妙に印象的な容姿に惹かれたのだろうか。濃く長い睫毛に縁取られた大きな瞳に微笑まれ、途端に大人しくなった妹が素直にコクリと頷くのを見て、修造が密かに舌打ちした。

「あき子ちゃん? 可愛い名前だね。女のコだから傷にならないように……化膿止め塗っておこうね」

 転んで擦りむいたらしい妹の膝小僧を少年が濡らした手拭いで丁寧に拭き、すり潰した薬草を傷口に塗る。

 こんなガキに女のコも何もないだろうが、と二人の背後に所在無く立つ修造が口を尖らせる。『あき子』だって別に普通の名前だ。オンナに見え透いた世辞を使うとは、都会もんだろうか。妙にスカした奴だ。ケッと思ったが、しかし自分の妹の傷の手当てをしてくれているのだ。文句を言う訳にもいかない。

「……面倒掛けて、すまんの」

「どういたしまして」

 ぶっきらぼうに礼を言う修造の膨れっ面に、振り返った少年がおかしそうに笑った。



 すっかり元気になって田んぼの横で鞠遊びをする妹を眺めつつ、煉と名乗る少年と畦道に並んで座り、修造は濡れた服を乾かした。

「あの鞠は去年、父ちゃんが土産に()うてきたんや」修造が妹の紅いゴム鞠を指差す。「父ちゃんは冬は町に出稼ぎに行きよるんや。でももう春やで、そろそろ田植えも始まるし、もう帰ってきよる頃や」

 ……もうすぐ父に会える。あのがっちりと広い肩と大きく温かな手に会える。冬の間に修造は随分と背が伸びた。驚く父の顔を想像するだけで、期待に胸がワクワクする。自然と顔が綻びかけたが、煉の視線に気付いて慌ててコホンと咳払いした。

「そう言やあ、お前、見かけん顔やけど、どこの村のもんや?」

「う〜ん、どこって、まぁこの辺の村出身ではないよ」

「町から来よったんか?」

「うん、まぁ町とか村とか、色んなとこ」

 不審気に眉を顰める修造を見て、煉が少し困ったように肩を竦めた。

「俺さ、ちょっとヒト探ししてて。だから日本中、あっちこっち旅してるんだよ」

「ふうん、そうか。なんや羨ましいな。俺は村から出たことないからの。東京に行ったりもするんか?」

「うん、東京も結構よく行くね」

「東京ゆうたら、どないな感じや?」

「大きな街だよ。新しいモノや珍しいモノが溢れていて、ヒトが多くて、賑やかで」

「なんやら、ごっつうデカイ塔が建ちよるんやろ?」

「東京タワー?」

「観に行ったんか?」

「うん、俺が行った時はまだ工事中だったけど」

「ええなぁ、俺も観に行きたいわ」

 目を輝かせて都会の話を聞き、羨ましそうに溜息を吐く修造から、煉がふと目を逸らした。

「……俺はあんまり大きな町は好きじゃないな。深い山や綺麗な川のある、自然の中の方がホッとするよ」

「そうか? まぁ俺も山は好きやけど。でもいっつも同じもんばかり見とるんは流石に飽きるで、たまにはちゃうもんが見たいわ。ところで煉、お前、親兄弟と旅しとるんやろ? 村におる間はどこに泊まっとるんや?」

 何気無い修造の質問に、煉が僅かに口籠った。

「……そうじゃないけど」

「は?」

「泊まるところとかはテキトーだよ。寝るだけなら場所は幾らでもあるからね」

「適当って、まさかそこらで野宿しとるんか?」

「うん、まあね」

「変わった親子やのう」と修造が首を傾げると、煉が少し迷ってから、「……親子じゃないよ」とぼそりと呟いた。

「は?」

「親子じゃない。旅してるのは俺と焰だけだよ」

 煉が膝で居眠りしていた小柄な狐の背をするりと撫でた。

「ホムラって、そんなもん、ひとりと変わらんやろうが?! 親はどこにおるんや?! 家出でもしよったんか?! ってかお前、ガキの癖に一人旅って、一体何モンや?! まさか犯罪者やら言うんやないやろうな?!」

 驚いて声を高めた修造を、顔を上げた狐が不機嫌そうな金色の眼でジロリと睨んだ。

「一人で旅してたらいきなり犯罪者呼ばわり? やだなぁ、俺、そんなに警戒されるようなこと、なんかしたっけ?」

 肩を竦めて笑う煉の口調は軽やかだったが、しかし修造に向けられた眼差しには温度が無かった。ひんやりと静かに、相手の胸の内まで見透かすようなその視線に、修造は思わず言葉に詰まった。

 よそ者に強い警戒心を抱くのは、こんな山奥の小さな村ではよくあることだ。良しにつけ悪しきにつけ結束が固く、異色であることを許さず、僅かな変化にも怯える。それは弱い己を守るために、群れの一員として生きる人の本能なのだろう。

 この少年は異色だ、と修造は思う。艶やかな黒髪を風に靡かせ、春霞に霞む山々を眺める少年の横顔は、たとえ犯罪者などではなくてもどこか浮世離れしている。けれどもそれは彼を人の輪から弾いてもよいという事にはならない。そんなことは、真っ当な人間のすることではない筈だ。

「……煉、お前、なんで町は好かんのや?」

 自分から目を逸らしてぶっきらぼうに話を変える修造に、煉がふと口許を緩めた。

「……大きな町は寂しいから」

「さびしい? 人がようさんおったら、さびしいことなんか、あらへんやろうが」

 夕飯の食卓を賑やかに囲む弟妹や祖父母、そして両親の顔を思い浮かべて修造が首を傾げた。身動きできないほど狭くて、隣に座る者の声も聞こえないほど騒がしくて、温かな食卓。冬が来て、父が一人いなくなっただけで、ぽっかりと大きな穴が空いたように寂しくなる食卓……。

 あのね、と煉がその柔らかな眼差しを修造に向けた。「ヒトが沢山いて、でもその誰の眼にも自分が映らない時、ヒトにとって己の存在はとても虚ろで曖昧になるんだ。ヒトは誰も、無条件に己の存在を信じられるほどには強くはないからね……シュウは海を見たことある?」

 修造が黙って首を横に振ると、そう、と言って煉が僅かに首を傾けた。長めの前髪がサラサラと零れる。

「孤独は海の波に似ている……孤独はまるで波のように、ヒトの心を削る」

 煉が何を言わんとしていたのか、その時の修造にはまだ分からなかった。当たり前だ。修造は海を知らず、孤独も知らなかったのだから。

 修造とて、稲刈りの終わった田んぼに吹く晩秋の風に、しんみりとした侘しさを感じたことはある。けれどもそれは煉の言う孤独とは違う気がした。春霞にけぶる山々に目を細めるこの少年は、孤独なのだろうか。なぜか、胸の奥につきりと小さな痛みが走った。

「……お前を最初に見た時、なんやヒトやないもんかと思うた」

 振り返った煉が口許に微かな笑みを浮かべ、ジッと修造を見つめた。

「ヒトじゃないもの?」

「なんや知らん、雪童子(ゆきわらし)やら、山彦(やまびこ)やら、そんなもんかと思うたで。春の精霊がどうたらやら、おかしなこと言いよるし」

 不意に煉が身を乗り出すと、修造の肩を掴んで引き寄せ、近々と顔を覗き込んだ。

「……俺のこと、鬼かと思った?」

 長い睫毛が頬に触れそうな程間近で見つめられ、修造は思わず息を飲んだ。突如周囲の音が遠のき、くらりと眩暈がした。目の前の少年は紅い口許に優しげな笑みを浮かべていたが、その深い淵のような眼は全く笑っていなかった。

 ねぇ、と掠れた低い声が耳許で囁く。「……喰われるかもって、思った?」

 黒々と濡れた瞳の底に宿る暗色の炎に捉えられ、身動きはおろか、息すら出来ない。肩を掴む指先が、火傷するほど熱いのか、凍えるほどに冷たいのかすら分からない。しかし一瞬の後、その眼は愉しげな光を帯びてくるくると動き、修造を呪縛から解き放った。

「冗談だよ、冗談」

 きゃははは、と腹を抱えて笑う煉を修造が無言で睨んだ。

「そんな睨むなって。シュウがあんまり真面目で正直だからさ、ちょっとからかってみただけだよ」

 笑いながら立ち上がった煉の肩へ猫のような狐が駆け上がる。

「じゃあ、俺もう行くから。からかってゴメンね」

 軽く手を振って歩き出した煉を、おい、と修造が呼び止めた。

「おい、煉。お前、人探ししとるとか言いよったな?」

「うん」

「誰を探しとるんや」

「……兄貴だよ」

「兄貴の名前はなんや」

 ぴたり、と煉が動きを止めた。全ての感情を呑み込んだ暗い淵のような瞳が不意にその深みを増した。僅かな間を置いて、煉がゆっくりと口を開いた。

「……泪」

「るい? 変わった名前やの」修造が煉から目を逸らし、軽く咳払いした。「ほんなら、もしルイっちゅうヤツに()うたら、お前が探しとったって言うといたるわ」

「……うん」

 煉が驚いたように目を瞠り、不意に頬を赤らめ、続いて弾けるような笑顔をみせた。

「うん、ありがとう」


「しばらくはこの辺りを廻るつもりだから、また近くに来た時に寄るよ」

 そう言って肩越しに手を振った少年の笑顔は、彼が今まで見せたどんな笑顔よりも明るく、嬉しげだった。



     3


 桜が散り、梅雨がしっとりと山々を濡らし、蛍の淡い光が夜の川辺を照らす。

「あれが琴座のベガで、天の川の反対側にあるのが鷲座のアルタイル。ベガって織り姫星のことで、アルタイルが彦星のことなんだ」

 七夕に飾られた笹の葉が夕風に涼やかに鳴る軒下で、煉が夜空を指差す。

「煉、お前、何でもよう知っとるの」

 修造が感心と呆れの混ざった溜息を吐くと、煉は恥ずかしそうに笑いながら肩を竦めた。煉は謎の多い少年で、修造の知る他の子供達とはどこか異なる。しかし自分に向けられるその明るく屈託の無い笑みが、修造は好きだった。

 煉は何の前触れもなく、時折ふらりと村に立ち寄った。そして修造に乞われるまま、様々な旅の話をする。北国の流氷の泣き声や、都会の夜景を飾る華やかなイルミネーション、果ては南国の空を飛ぶ鳥の影に想いを馳せ、修造は時が経つのも忘れ、夢中になって煉の物語に耳を傾けた。話し終えると、煉はまたふらりと何処かへ消える。

 煉がいなくなると辺りは急に静かになる。物の例えではなく、本当に、煉の周りにはいつも鳥や獣の気配が溢れていた。煉と共にそれらが一斉に消えると、修造は急に現実の世界にひきもどされる。煉のいない現実(そこ)に吹く風は、妙に虚ろで寒々しかった。

 すでに暦は七月に入り、田んぼの稲は青々と風に揺れている。しかし父からの音沙汰は無い。いや、正確には春先に一度だけ、幾ばくかの金と共に小さな小包が送られてきた。手紙も入っていた筈だが、修造は見せては貰えなかった。手紙を読んだ祖父と母は唯、「父ちゃんは元気だが、仕事の都合で帰るのが少し遅れる」とだけ子供達に伝えた。

 父はどこにいるのか、仕事の都合とは何なのか、少しとはどれ程の間のことなのか。何故か母に尋ねることが躊躇われた。



「おい、修造!」

 鬱々と父の事を考えつつ田んぼの草引きをしていると、畑の裏の家に住む老人が肩を怒らせ、のしのしと大股に近付いてきた。

「おめえんとこの悪ガキが、儂の大切にしとった菊の鉢を割りよったで」

「悪ガキゆうたって、ようけおるで、どれや分からんが」

「そんなもん、正太に決まっとろうが。あのガキ、登とった枝を折って木から落ちて、下に置いとった鉢を割りよってからに、後も見んと逃げよった」

 クヌギの木の下に散らばる割れた鉢の破片に修造が溜息を吐いた。正太は虫が好きだ。この家のクヌギはよく樹液が出るので、多くのクワガタやカブト虫が集まる。前々から正太がそれに目をつけている事には気付いていたが、老人は子供嫌いで酷く気難しく、村の子供達はなるべく近寄らないようにしているので油断していた。まさか勝手に木に登った挙句、盆栽まで割るとは。

 弟を探して歩き回り、ようやくこんもりと生い茂ったイチジクの木の下に隠れている小さな背中を見つけた。兄の足音が近付くと、膝を抱えた弟は、まるで此の世から消え去ろうとするかのように、益々小さくその身を縮めた。

「正太。おめえ、裏のオッチャンの盆栽、割りよったんか?」

「……知らん」

 小さな背中をびくりと震わせ、蚊の鳴くような声で弟が答える。

「嘘言うたらあかん」

「……ウソやない。俺はなんも知らんもん」

 木から落ちた時に擦り剥いたらしい弟の肘や膝小僧を見て、修造が溜息を吐いた。

「いいか、正太。人に嘘をつくのはあかんが、自分に嘘をつくのはもっとあかん。嘘つきは泥棒の始まり言うやろ? 人や自分に嘘つくんは、自分で自分の心を盗むようなもんや。そうやって、だんだんと自分の心を失くしよる」

 鼻の頭を赤くした弟が肩越しにそっと振り返り、しかし修造と目が合うと慌てて下を向いた。

「なんでさっさとオッチャンに謝らんかったんや」

「……そんなん言うたって、オッチャンごっつう怒りよるもん。謝ったって、許してくれへんわ」

「許してくれへんかって、自分が悪いんやから謝らなあかん。相手の態度で自分の態度を決めたらあかん。どんな相手にも、真っ直ぐに向き合わなあかん。それが正直ってもんや」

 それは父がいつも、幼かった頃の自分に言い聞かせてきた言葉だった。幼い弟が自分の言葉を理解出来るかは分からない。けれども父が帰って来るまでは、自分が父の代わりに父の言葉を伝えるしかない。家族の為に懸命に働き、疲れて帰ってくるであろう父を落胆させないために。父に自分達兄弟を誇らしく思って貰うために。

「……兄ちゃん」俯いたまま、弟が小さな声で囁いた。「ウソついてごめんなさい」

「おう」

「……オッチャンとこ行くん、兄ちゃんもついてきてくれる?」

 上目遣いに自分を見上げる弟の丸い坊主頭を、修造が笑いながらくしゃりと撫でた。


    ❀


「──ってな、そんなことがあったんや」

「ふ〜ん。兄貴ってのも大変だねぇ。六人兄弟だっけ? シュウが年の割に老けてみえる理由が分かったよ」

 河原の木陰に座って修造の話に耳を傾けていた煉が、パシャパシャと足で水を跳ねあげながら笑った。

「ホンマ笑いごとやないで。畑仕事手伝うて、弟と妹の面倒みて、こんなん学校の勉強まで手が回らん。はよう父ちゃんが帰ってこんと、しんどくて(かな)わんわ」

 はぁ〜、と大きく溜息を吐き、ごろりと仰向けになった修造が、橋を渡る小柄な影に目を留めた。あれは川向かいに住む婆さんだ。団子や饅頭などの菓子作りが上手く、修造達兄弟もよくお相伴にあずかっている。

「おーい、ばあちゃん、どこ行くんや?」

 河原から手を振った修造へ向かって、風呂敷包みを手にした老女がのんびりと歩いてきた。

「春になぁ、山菜やら木の芽やら、ようけご馳走さんになったでなぁ。山の神さんにお礼せな思うてなぁ」

 修造は老女のゆったりとした話し方が好きだった。

「ばあちゃんの団子は旨いで、神さんも喜ぶやろうな。山の祠まで御供えに行くんか? 俺がひとっ走り行って来ようか?」

「まぁまぁおおきに。そやけど、ばあちゃんもお陰さんで、足腰はしっかりしとるでなぁ、ぼちぼち行くで、心配せんといてなぁ。そない言うたら、あんたらのお父ちゃんはまだ帰っとらんのんか?」

 不意に父の事を聞かれ、修造が僅かに口籠った。目を逸らし、無言で頷いた修造を見て、老女が何かを思い出そうとするかのようにゆっくりと首を傾げた。

「……烏瓜の花がええなぁ」

「カラスウリ?」

「烏瓜の花はなぁ、ええ便りを持ってきよるんで」

「ばあちゃん、一体なんの話や?」

「花言葉だよ」と隣に座っていた煉が口を挟んだ。「烏瓜の花言葉は『良い便り』」

 そうそう、と言うように老女が嬉しげに目を細め、何度も頷く。

「もうちぃと()したら、あき坊の誕生日やろうが? はよう、お父ちゃん帰ってきよるとええなぁ」



(To be continued)

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