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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第一章 〜 鬼
5/123

春告鳥

 色も香も 昔の濃さに 匂へども 植ゑけむ人の 影ぞ恋しき (紀貫之)


挿絵(By みてみん)


【プロローグ】


 山奥の古い、しかし仲々大きく歴史を感じさせる寺の奥深く、年老いた大僧正と若い御付きの僧が何事か話しながら磨かれた廊下をゆく。奥の間の障子を開けた若い僧が、ぎょっとしたように立ち止まった。塵ひとつ無く拭き浄められた青畳の上に、険しい表情の見知らぬ少年が土足で立っていた。

「……おい、くそじじい」

 少年が若い僧の後ろに立つ大僧正を睨んだ。

「俺に寄越す仕事はよく選べ。二度とくだらない仕事を押し付けるな」

 鋭く吐き捨てるようにそれだけ言うと、少年が荒々しく障子を開けて外に出て行こうとした。

「ま、待てっ、大僧正様に向かってなんと無礼な……」

 若い僧が少年の腕を掴もうとした瞬間、その手の数珠が千切れ、散らばった珠が一瞬にして燃え上がった。驚きに声も無く立ち竦む僧を、少年が肩越しに振り返った。

「俺に触るな……殺すよ?」

 自分に向けられた、何か酷くくだらないモノを見るような眼差しと、その奥に閃く炎の余りの暗さに、僧が思わず息を呑んだ。しかし少年が僧と目を合わせたのはほんの一瞬の事だった。一陣の風のようにするりと部屋を出た少年は、瞬きする間に庭の木立へ消えた。

「な、あれは一体……」

 少年が姿を消した方を睨み、我に返った僧が息を荒げた。と、廊下を小走りにやって来た中年の僧が、部屋の前に膝をついた。

「大僧正様、先だって龍神の祓いを依頼してきた村から先程連絡がありまして……」


「成る程、つまり龍神は祟り神となって村を襲ったわけではなく、全て龍神が邪魔になった村人が仕組んだ罠だったというのか」

 中年の僧からの報告を受けた僧正が暗い顔で溜息をついた。

「申し訳ございません。拙僧の事前の調査が行き届かずこの様な事に……」

「いやいや、お前の責任ではない。元と言えばワシが悪いのだから」

 萎れ切った中年の僧を部屋から下がらせ、僧正が若い僧に向き合った。

「さて、困ったことになった。先程の少年だが……」

 少年、という言葉に僧が利かん気そうな眉をぴくりと動かした。しかし僧正は気にする風もなく先を続ける。

「お前はレンと云う言葉を聞いたことがあるかな?」

「レン……我が寺に代々伝わる最強の退魔の奥義だと伺っております」

 そうだ、と僧正が頷く。「極楽と地獄の狭間、煉獄の煉と書いてレンと読む……先程お前が見た少年、あれが煉だよ」

 僧正が立って障子を開け放ち、庭の木立を眺めた。

「ワシが初めて煉に会ったのは、ワシの祖父、先々代がまだ矍鑠としていた頃のこと。ある時、祖父の力をもってしても祓うことの出来ない妖魔が出たことがあってね。ワシは祖父が父に『レンを使う』と言っているのを偶然聞いてしまったんだ。お前も知っての通り、レンは我が寺最大の秘密とされ、大僧正がそれを使うときは誰もその場に近寄ることさえ許されない。だが、悪戯小僧だったワシはどうしても好奇心を抑えることができず、奥の間の仏像の陰に隠れて祖父がレンを使うのを見ようとした。真夜中、人払いされた奥の間に入ってきたのは、ひとりの少年だった──」



 大僧正の記憶の中で、平伏した先々代が深々と少年に頭を下げる。

『……と言うわけでして、我等には些か荷が重く、是非煉殿の御力をお借りいたしたく……』

 皿の上の菓子をぽりぽりと食べながら少年が屈託無く頷く。

『うん、いいよ。じゃ、報酬はいつもの所に置いといてね。あ、あとさ、面が古くなってきちゃって、ひびが入っちゃったんだ。新しい面を作りたいんだけど、御神木があったら少し分けてくれる?』

『かしこまりました……』

 少年が席を立つと障子をからりと開けた。ひんやりとした空気が部屋に流れ込む。部屋の外に足を踏み出した少年が不意に振り返ると、仏像の方を見てにやりと笑った。

『……またね』



「つまり、煉と呼ばれる退魔の術は、代々、この寺の僧ではなく、外部の少年達に受け継げられていると……?」

「そうではない。いや、そうかも知れぬが、ワシはそうでは無いような気がする」

 歯切れの悪い大僧正の言葉に若い僧が首を傾げる。

「……ワシが二度目に煉を見たのは、大僧正の座を父から受け継いで間もない頃だった」



 深夜、奥の間に平伏した大僧正の前に、夜風と共に入って来た少年がすとんと座った。

『ヘえ~、今日は仏像の後ろじゃないんだ?』

 驚いて顔を上げた大僧正を見て、五十年前と全く変わらぬ顔で少年がにやりと笑った。何か言いかけた大僧正の口許に、少年がぴたりと指を当てた。

『先代から聞いてるんでしょ? 俺に関することは、何も尋ねてはいけない、調べてはいけない、他人に話してはいけない、書き記してはいけない。約束破ったら、俺はもう二度と来ないから』



「大僧正様、では私がこのお話を伺うのは不味いのでは……?!」

 慌てる僧に向かって僧正が穏やかに微笑み、首を横に振った。

「大丈夫だよ。お前は口が堅いし、いずれこの座を引き継ぐ。それに煉はこの程度の事でへそを曲げたりはせぬ」

「大僧正様は……その、あの少年とはお親しいのでしょうか……?」

「大僧正として、手に負えぬほどの鬼に出会うことなど、多くても一度か二度。つまりそれが歴代の僧正達がその一生の内に煉に出会う数。しかし、ワシが煉を頼んだのは今回で七度目」

「はい、存じ上げております。大僧正様の御名声は日本中に広まり、近年は退魔の依頼が跡を絶たず……」

 深々と頭を下げる僧に向かって大僧正がにやりと笑った。

「ワシが各地に僧を遣り、わざと難しそうな依頼ばかりを探させておるだけだ。手に負えぬ鬼にかこつけて、煉に逢うためだよ……だが、今回は失敗したようだ。煉には済まないことをした」

 大僧正が太い眉毛を八の字に下げ、大きく溜息した。

「この座を受け継ぎ二十余年の間に七度。 当然ワシは年老いてくる。しかし煉は変わらない。そう、あれは、ワシが子供の頃から全く変わっていない──」

「お言葉ですが、鬼か妖魔でもなければ、不老不死など在り得ないのでは? おまけにあの力は、とてもヒトのものとは……」

「煉は鬼ではない。あれは確かにヒトだ」

 僧正の強い口調に僧が俯いた。それを見て僧正が口調を和らげる。

「あの少年が、何故我が寺を助けることになったのかは解らぬが……ワシは只心配なのだよ」

 僧正が開け放たれた障子から空を見上げた。

「不滅とは未来のない観念だ。もし本当にあの少年が不老不死というならば、唯ひたすらひとつの生を生きつづけるとは、一体何の罰だというのか」


「輪廻転生の輪から外れ、煉獄を生きつづけなければならぬ程の罪など、此の世には無い」



     1


 今は昔、いまだ政事の中心が京の都にあった頃。

 雪の残る深い山の道無き道を、煉が独り歩いていた。時々身をかがめては、木の芽、薬草、落ち葉に隠れた茸などを採って背中の籠にいれる。と、蕾の綻び始めた野梅の下に座して動かぬ旅姿の若い僧を発見した。まじまじと自分を見つめる煉の視線に、僧が目を開けた。

「……なにしてるの?」

「春告鳥の初鳴きを聴きたくてね」

「あんまり気配がないから、死んでるのかと思った」

 遠慮の無い煉の言葉に僧が微笑んだ。

「知っているかい? 春告鳥の声は極楽浄土から溢れた天女の唄なんだよ。春の初鳴きを聴けば、少しだけ極楽浄土に近づける」

 煉の瞳が僅かに翳った。

「……じゃあ俺は永遠に聴けないね」

「どうして?」

 僧の問に一瞬沈黙した煉が、空を見上げると不意に嘲るような嗤いを口許に浮かべた。

「極楽にも地獄にも、俺の居場所を用意してくれるほど親切な奴がいなかったらしくってさ。だから永遠に煉獄に在り続ける。それが俺の宿業なんだよね」

「……泣くが嫌さに笑うて候、か」

 煉の嗤いを見て僧が呟いた。自分に向けられた静かな眼差しを避けるように、煉が僧に背を向け歩き出した。

「行ってしまうのかい?」

「俺がいたら、極楽浄土の唄が聴けないでしょ?」

「君、名を教えてくれるかい?」

 煉がちらりと肩越しに僧を振り返った。

「……煉」



     2


 夕刻。陽が落ちた山の中、焚火で煉が川魚や茸を炙っていた。

「この茸の毒って、なんだったかなぁ。昔桜ちゃんが教えてくれた気がするんだけど、思い出せないなぁ。まぁいいや。試してみよう。っと、その前に……」

 懐から数枚の短冊を出すと筆で何かさらさらと書き、周囲の樹の幹に木釘で次々とそれを打ち付ける。そして短冊の結ぶ線の中心に座ると、炙った茸を食べ始めた。

「げ、不味いな、これ。毒茸って美味しいのが多いのに、これはハズレだな」

 ぶつぶつと文句を言いつつ茸を平らげる。そして半刻後、怠そうに近くの岩にもたれかかった。

「あ~、思い出した。コレ、神経毒だった」

 目を半開きにしたまま、ずるずると横になる。

「手足に痺れがきて、呼吸が出来なくなるんだったっけ。まぁ、息出来なくったって、苦しいだけで死なないから別にいいけど。でも毒が抜け切るまではちょっとキツイかも……」

 周囲の暗闇の中から無数の光る目が現れ、ぐったりと横たわる煉を見つめた。

「見ろ、動かなくなったぞ」

「死んだか?」

「死んどらんが、何やら手も動かせんようじゃ」

「喰いたいのう」

「ほんに喰いたいのう」

「あいつは喰ったらさぞかし美味かろう」

「しかし結界が邪魔で近づけぬ」

「悔しいのう」

「喰いたいのう」

 毒のせいか、騒ぐ鬼の声がやけに耳にきんきんと響く。うるさい。喉が渇いてひりひりする。苛々する。黙れ。イラつくから。うるさい。うるさい。うるさい。

「うるさいッ」

 煉が掠れた声で怒鳴った途端、ぼっ、という音と共に樹に打ち付けた短冊が一枚燃え上がった。

(し、しまった……)

「見ろ、結界が壊れたぞ」

 嬉しげな声をあげ、鬼達がひしひしと近づいてくる。

「くそっ」

 必死に鬼を祓おうとするものの、身体にまわった毒のせいか、見当違いのモノばかりが燃え上がる。

「どこから喰ろうてくれようか」

「ワシは右眼が欲しい」

「じゃあ俺は左眼だ」

「俺は肝が欲しいぞ」

「ワシは舌を啜りたい」

 きんきんと響く鬼共の声に、煉が目を瞑った。別に多少喰われたからって死なないとは思うけど。あー、でも、そんなバラバラにされたら、俺ってどうなるんだろう。頭だけになっても、そのまま生きていくのかな。千切れたモノはくっつくけど、腕丸々一本失くしたりすると再生とか出来ないのは実験済みだし……。

「ワシが一番乗りじゃ」

 目前に迫った鬼が牙を剥き、煉に噛み付こうとした瞬間、何かに驚いたかのようにぴたりと動きを止めた。毒で掠れた目に、酸でもかけたかの如くじゅわりと溶ける鬼の姿が映った。断末魔の悲鳴を上げて溶ける鬼の向こうに、昼間出会った若い僧が護符を手に立っていた。僧の姿を目にした途端、煉を取り囲んでいた鬼共が一瞬にして姿を消した。

「間に合って良かった。大事はないかい?」

 僧が煉に駆け寄り、その体を抱き起こした。

「どうした、鬼に驚いて腰でも抜かしたか?」

「……」んなわけないだろ、と言いたいが毒で痺れて口が利けぬ。僧が辺りを見廻し、喰いかけの茸を見て蒼ざめた。

「まさか……毒茸を食ったのか?! 大変だ、早く胃の腑のモノを吐かねば……!」

 俺、吐くのって超苦手なんだよ。大丈夫だから、お願いだからほっといてよね、と言いたいが、身体の自由が利かぬ。僧に無理矢理毒消しを呑まされ、げーげー吐いて、やっと口が利けるようになった。

「あぁ、良かった。これだけの量の毒茸、常人ならとっくにあの世行きだよ。君は実に運が良い」

  無理矢理吐く方が実は痛手なんですけど、と思うが、しかしそう言うわけにもいかない。ぐったりと横になった煉が、にこにこと嬉しげな僧をチラリと見上げた。

「……心配してくれてありがとう。でも毒茸で死ねないのは別に運が良いからじゃないから」

 煉の言葉に僧が首を傾げた。

「どうしてだい? まさかその若さで自死するつもりだったのか?」

「まさか。言ったでしょ、特殊事情で俺はあの世には行けないの。毒茸喰ったのは、いざという時に備えて毒に対する躰の反応を試してただけだから」

「それは一体どういう “いざという時” なんだ?」

「……わかんないけど、まぁ生きてれば色々あるでしょ。とにかく、鬼を祓ってくれたのは本当助かったよ。ありがとう」

 億劫そうに立ち上がると荷物をまとめ、立ち去ろうとする煉に、僧が柔らかに微笑みかけた。

「貸しだね」

「……は? 」

「私は君の命を助けた。これは大きな貸しだと思うが?」

「禅僧がそういうこと言っちゃっていいの? 第一俺はね……」

「君は死なないという。しかし鬼に喰われた躰では、志も果たせないだろう?」

 無言で自分を睨む煉に、僧が穏やかに微笑む。

「あるのだろう? 何か、死ぬことさえ赦されない程大切な志が。ならばその志を護った私に、君は大きな借りが出来た。違うかい?」

 煉が舌打ちするとそっぽを向いた。

「はいはい、じゃ、俺の借りでいいから。機会があったら返すから」

 座ったまま静かに微笑む僧に背を向けると、煉が暗い山路を歩きだした。



     3


 数日後。少し汗ばむ程の陽気の中、煉が山の中を素早く移動していた。小鳥の囀る麗らかな景色にもかかわらず、顔をしかめ、やけに苛ついている。水の枯れた険しい沢に出た煉が、岩から岩へ軽々と飛び移りつつ、ちらりと背後に目を遣った。

(よし、今度こそ撒いたかな……)

と、目の前の藪からひょっこりと僧が顔を出した。

「?!!」

 驚いて岩から足を滑らせた煉を、僧がにこにこと見守る。

「煉、遅かったね。ところでいつも不思議に思うのだが、何故君はわざわざ足場の悪い道を選ぶんだい? 修行の一種かい?」

「んなわけないでしょ! あんたが俺に付き纏うからだよ!」

「それは心外な言われようだなぁ。やはり共に旅すると決めた者は同じ道をゆくべきだと思うのだが」

「はあ?! ナニソレ?! なに勝手に決めちゃってんの?!」

「おや、もう忘れてしまったのかい? 君は私に借りがある」

 僧が突如煉の背後に向かって護符を投げた。と、同時に僧の背後で何かが燃え上がる。

「いつ借りを返して貰うことになるか解らないからね、それまでは一緒にいないと」

 煉の後ろに倒れた鬼と自分の背後で燃え尽きた鬼を見比べ、僧がにっこりと人懐こい笑みを浮かべた。

「これは貸し借り無しだね」

「はぁ~」煉が脱力したように岩の上に仰向けになった。「あんたさ、鬼よりタチ悪いね。なんで俺、あんたみたいなのに借りなんか作っちゃったんだろ」

 黙ってにこにこと笑う僧を見て、煉が諦めたように溜息をついた。

「あんた、名前は?」

「名前?」

 僧が顎に手を当てて考え込んだ。

「……難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花……花が咲くや、で咲也(さくなり)というのはどうかな?」

「は? なにそれ?」と煉が首を傾げた。

「梅を唄った詩だよ」 僧がにこにこと答える。「私は春告鳥、つまり鶯が好きだ。常々、鶯の宿である梅の木を羨ましく思っている。出来ることなら梅の木になりたいくらいだ。しかし、白梅、などという名ではなにやら芸妓の様で、余りにもアレだろう?」

「そりゃ、まぁねぇ。でもサクナリって、変なヤツだな。僧名とかないの?」

 それには答えず、無言で微笑む僧に煉が肩を竦めた。

「ま、別にいいけどね」


     ❀


 春が過ぎ、夏が来て、やがて山々が紅く色づき、そして雪が全てを白く染める。流れゆく季節の中、煉と咲也は国中を共に旅した。

 そんなある日のこと、煉が自分に襲いかかってきた鬼を山路で祓っていた。鬼を倒し、煉の炎が消えると、隠れて見ていた物の怪達がいそいそと寄ってくる。小鬼や精霊達は皆、飲み水を渡したり怪我の具合を調べたり、甲斐甲斐しく煉の世話を焼こうとする。それを隣りで眺めていた咲也が、不思議そうに首を傾げた。

「煉、君は本当に人気者だなぁ。襲われたり懐かれたり、忙しいね。ところでいつも思うのだけど、君は霊力の総量の割に戦うのが下手だね。修行不足なのかな?」

「う、うるさいなっ!」

「それから、君は鬼に向き合った時、真っ向から奴等の眼を見据えるよね?」

「し、仕方ないだろ、癖なんだから……」

「妙な癖だな。鬼はヒトの眼から心の闇を視る。君はまるで自ら弱点を曝け出している様なものだから、やめた方が良いよ」

 ちぇっと舌打ちする煉に咲也が微笑みかける。

「君はどうも危なっかしい所がある。気をつけてくれ。私としても貸しを返してもらう前に君に何かあったら困るからね」

 自分に向かって舌を突き出す煉を見て、咲也がくすくすと笑った。

「あぁ、もうひとつ」

「なんだよ~、まだなんかあるのかよ」

「煉」咲也の深く穏やかな眼が煉をみつめた。「君はいつも、一体何をそんなに必死に償おうとしているの?」


 瞬時に一切の表情を失くした煉が、咲也に背を向け無言でその場を立ち去った。



     4


 数日後のこと。通りかかった海辺で、煉と咲也が疲れた顔の村人に呼び止められた。話を聞けば、村が疫神に襲われ壊滅状態とのこと。祓いを頼まれた咲也は即座に快諾した。咲也がやると言うなら、煉に否応もない。

 咲也はいつもそうだった。雀の涙程の金で、いや、金など貰わなくても祓いを引き受ける。しかしそれは煉とて同じだった。

「これは……」

 村を覆う疫神の大きさに、咲也が珍しく眉を顰めた。

「大きいな。恐らく二人掛かりでやっとと云うところか……煉、大丈夫か?」

「うん、大丈夫……」と煉が少し考えてから頷いた。


 しかしその夜。疫神との攻防のなかで、煉はやはり力の制御にもたついていた。

 最近どうも調子が出ない。疫神の攻撃をかわしつつ、煉が密かに舌打ちした。理由はわかっている。でもどうしようもない。だって、俺は咲也にアレを見られたくはないから……。

 集中を欠き、足場を崩した煉に疫神が襲いかかった。

「煉ッ!!!」

 咲也が己の身を顧みず、煉を助けようと咄嗟に足を踏み出した瞬間、煉が懐から出した白い木の面を被った。疫神を正面から見据えた煉がその首を掴むと、凄まじい炎がその身を包んだ。天を焦がす業火に煉の面に現れた火焔隈がくっきりと浮かび上がる。煉が面を取ると、火焔隈がすっと消え、面がただの白面に戻った。

 全てを燃やし尽くした炎が消え、やがて辺りが暗闇に包まれた時、咲也が静かに話し始めた。

「……昔、面を被り、鬼を見据えて祓う勇壮な一族があったと聞いたことがある。神木から作られた白面は、その者達が被れば様々な模様を浮かせ、その霊力は諸々の術者には及びもつかないものだったとか。しかし、なにか不幸な成り行きで一族は離散し、その血も絶えたと聞く」

 無言で暗闇に佇む煉に咲也が穏やかに微笑みかけた。

「ずっとお伽噺だとばかり思ってたよ」

 煉が暗い眼差しを海に向けた。

「今まで私の前で面を被らなかったのは、出生を知られたくなかったからかい? 過去を知れば、自ずと関わりも深くなる。それが嫌だったのか?」

 煉が咲也に背を向けると何も言わず歩きだした。

「煉。君が他人に知られたくないことを無理に知るつもりはない。君は鬼を祓う力を持ちながら、鬼と心を通わせることが出来る。そんな君が不思議で、私はもっと君を見ていたいと思った。ただそれだけだよ。君が何者でも構わない」 咲也がふわりと微笑んだ。「……君と旅する日々は楽しい」

 煉が立ち止まり、しかし振り返らず、ぽつりと呟いた。

「……俺といると、いつまで経っても鶯の初鳴きが聴けないよ」

「構わないよ。春告鳥の唄よりも、君の方が余程面白いからね」咲也がにっこりと微笑んだ。「貸しを返してもらうまでは離さないよ。これは約束だ」



     5


 そしてまた季節は流れ、冬。

 仲良しの物の怪達と雪の中、薪を集めて戻ってきた煉が焚火の側で蹲る咲也を見て凍りついた。

「さ、咲也?!」

 吐血したのか、咲也の周りの雪が真っ赤に染まっていた。咲也を抱き起こした煉の手も血で染まる。その不吉な赤さに、余りに多くを失くしたあのおぞましい日の光景が不意に蘇った。

「嘘だろ……」

 震える手で咲也を揺すり、掠れる声で幾度も名を呼んだ。


「咲也っ!」イカナイデ。

「咲也ってばっ!」ナンデモスルカラ。オネガイ。モウ誰モ……

「咲也!!!」オレヲ オイテ イカナイデ。


「煉……?」

 煉の腕の中ふと気づいた咲也が、自分を覗き込む煉の髪にそっと触れた。

「あぁ、ごめんね、驚かせてしまって」

 身を起こした咲也が落ち着いた仕草で懐から出した手拭いで口を拭う。

「……いつからだよ」煉が血が滲むほど唇を噛みしめ、咲也を睨みつけた。「なんで黙ってたんだよ?!」

「煉、大丈夫だよ。今日明日にもどうこうなるというわけではないからね。まだ旅は続けられるさ」

「そんなこと言ってるんじゃないっ、なんでっ、もっと、もっと早く知っていれば……!」


 俺ノセイカ?

 俺トイタカラ、咲也モ死ヌノカ?

 俺ガ殺シタ、アノヒト達ノヨウニ……


 咲也がそっと煉の震える肩に手を置いた。

「癌なんだ」

 咲也の穏やかな瞳が白銀の雪に埋もれた山々を見渡す。

「病は全ての者に平等だ。歩いてきた過去も、歩くべき未来にも斟酌は無い。何者であろうと病に罹る時は罹り、それは誰の責でもない。清々しいほどにね」

「……ずるいよ」 俯いた煉が消え入るような声で呟いた。「俺、まだ借り返してない」

 煉の言葉に咲也が微笑んだ。

「そうか、それではこういうのはどうだろう?」


「私は此処より東の寺に、五人兄弟の末っ子として生まれた。我が寺では、歳に関わり無く最も強い霊力を持つ者が寺を継ぐしきたりだ。しかし、元来風来坊だった私は寺を継ぐ重責に耐えられず、全てを兄に押し付けて逃げ出した。後悔はしていない。実に愉快な人生だった。寺とて、私のような無責任な者が継ぐより真面目で質実剛健な兄が継ぐほうが余程良かったのは確か。ただ……」 咲也が僅かに顔を曇らせた。「我が寺は代々妖魔調伏を生業としている。兄の霊力では及ばぬものもあろうかと、それだけが気懸りだ。その折は、煉、私に代わり、どうか兄の手助けをしてやって欲しい」

 涙がこぼれ落ちないように、大きな目を精一杯見開いた煉が、口を尖らせぶっきらぼうに応えた。

「アンタの兄貴のお守りか。いいよ。面倒臭いけど、恩に着せられ続けるのも面白くないからね。で、期間は?」

 咲也がそっと笑いを噛み殺した。

「それは有難い。では……」

 煉の艶やかな黒髪をくしゃりとかきあげると咲也が悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべた。

「……君の気が済むまでお願いすることにしよう」


     ❀


 初春。柔かな稜線を描く山の裾野のひとけの無い静かな陽だまりに、見事な枝振りの野梅の古木があった。その薫る枝の下に煉が独り座っていた。春霞にけぶる山々を見つめていた煉が、やがて泥で汚れた手で古木の幹をそっと撫でて呟いた。

「ね、ここならきっと寂しくないよ」


 綻びかけた花の薫りに惹かれたのか。オリーブグリーンの影が煉の視界を横切り頭上の枝にとまると、春の到来を告げた。



【エピローグ】


 夕方、大きな買い物袋をさげた若い僧が長い石段を登って寺に帰ってきた。建物に入ろうとした僧が立ち止まるとふと首を傾げ、買い物袋を持ったまま裏にまわり、庭に入った。広い寺の庭を横切り、梅の古木の前に立ち止まった僧が枝を見上げた。 夕闇の中、枝に腰掛けた小さな影が生い茂った葉の間に見え隠れしている。

「……おい」 影がぴくりと動いた。 「おい、煉」

 返事はない。僧が足元に転がっていた青梅の実を拾うと影に向かって思いっきり投げつけた。コンッ、といい音がして影が飛び上がる。

「イッテーな!なにしやがんだよっ」

 枝に足を絡ませ逆さまにぶらさがった煉が不機嫌な顔で僧を睨みつけた。

「お前が返事をしないからだろう。さっきのお返しだ」

 ふんっ、と鼻を鳴らすと煉が枝の上に座り直してそっぽを向いた。

 と、樹の下に佇む僧がやおら懐から帳面を取り出し、それを声に出して読み出した。

「『煉の好むモノ。煉は大食いで食材に特に好き嫌いなし。しかし菓子など甘いモノを特に好み、中でもゴディバのトリュフやチョコレート味のアイスキャンデー、トップスのケーキに目がない』 」

「な……」煉がぎょっとした顔で僧を振り返った。

「ふん、ゴディバのトリュフか。子供のくせに贅沢な奴だ。せいぜい森永か明治にしておけ」

「なんだよ、なに読んでんだよ?!」

 煉を無視して僧が帳面を読み上げる。

「なになに、『酒は嗜まず……』 ふん、当たり前だろう。『辛いモノをやや苦手とする。激辛カレーを食わせてみたところ、水を立て続けに10杯程飲み、更に部屋の温度が7-8度程上がった』 なんだ、人間暖房機みたいな奴だな。冬にお前にタイ料理でも食わせれば寺の暖房費が節約出来るのではないか?」

「てめっ、一体なんなんだよソレ?!」

 樹から飛び降りた煉が、僧の手から帳面を奪い取ろうと掴みかかった。僧が煉に取られないように帳面を持った手を上にあげるとにやりと笑った。

「これか? これはな、大僧正様の覚え書きだ」

「な、なに〜っ?! なにやってんだよアイツ! 完璧契約違反じゃんっ、俺のことを関係ない奴等に知られるのは困るってか、嫌なんだよっ」

「心配するな。こんなもの、誰が見たって何処かの呆け老人が溺愛する孫のことを書いた日記くらいにしか思わんだろう。まだあるぞ。『煉は女の涙に弱し。気の進まぬ依頼でも、女の泣き顔を使えば大抵のことは承知するなり』 なんだ、お前、フェミニストか?」

「うっせーーーーッ!!!」

 顔を真っ赤にした煉が僧に掴みかかった。そのまま二人でもんどり打って庭の斜面を取っ組み合いながらごろごろと転がる。袈裟も破けて二人共に泥だらけになった頃、煉の膨れっ面を見た僧が、堪えきれずに噴き出した。煉が忌々しげに舌打ちした。

「ったくあのクソジジイ、まじ最悪だな」

「まぁそう怒るな。これは僧正様からだ」僧が笑いすぎて出た涙を拭きながら買い物袋を煉に手渡した。「帳面に書いてあったモノを町で買ってきた。ゴディバの季節限定トリュフも入っている」まだ少し頬を膨らませたまま、煉が袋を受け取ると立ち上がった。

「煉」僧が不意に笑いを消すと、真面目な顔で煉を見た。「済まなかったと、この借りはいつか必ず返したい、と僧正様からの伝言だ」

「……借りは返してもらわなくていい」煉がふと目を逸らした。「俺、ヒトとは貸し借りしない主義なの。前にそれで痛い目に遭ったからね。ってゆーか、今でもソレが続いてるんだけどさ。ま、こっちのこと」

「夕餉を食っていかないか? 今日の料理当番は仲々腕が良いのだが」

「ありがと。でも、今日はこの菓子とチョコでトモダチと宴会するから」

「煉」立ち去ろうとする煉を僧が呼び止めた。「……もし良ければ、その宴会に拙僧も混ぜては貰えないか?」

 しばらく黙って僧を見つめていた煉が、やがて静かに微笑んだ。

「悪いけど、アンタと俺のトモダチって、多分色々と合わなくて無理だと思う。それに俺、ヒトと付き合うのはあんまり好きじゃないんだ」


 夕闇の中に消える寸前、煉が不意に振り返った。

「……またね」


 不思議な少年の柔らかな笑顔が、一抹の寂しさと共にいつまでも僧の胸に残った。


(END)

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