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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第三章 〜 Songs of Wren
45/123

落葉(中編)

  5


「こんにちは」

 香蓮が半開きの病室のドアを軽くノックして中を覗くと、ベッドでつまらなそうに雑誌をめくっていた青年が驚いたように目を見開き、慌てて身体を起こした。

「あ、寝てていいから。楽にしてよ」と言いながら、手土産の果物の盛り合わせや頼まれていた推理小説をベッド脇のテーブルに置いた。

「わざわざありがとう、香蓮ちゃん」

「どういたしまして。具合はどう?」

「ぼちぼち、かな。肋骨は治りも良くて、もう殆ど痛みもないんだ。折れたのが足じゃなくて助かったよ」と言って須藤が笑った。「腰の方はリハビリ中。セラピストの先生がスッゲー厳しくってさ、なんか超体育会系なんだよ。美人だけど」

「美人なんだ?」

「うん、だから怒鳴られても涙を飲んで我慢してる」

 子供の頃から顔馴染みの須藤は、香蓮にとっては気のおけない友人だった。他愛ない世間話で盛り上がり、ひとしきり笑い合い、そろそろ(いとま)を告げようと香蓮が立ち上がりかけた時だった。

「ねぇ、香蓮ちゃん。香澄ちゃんの噂、知ってる?」と不意に真顔になった須藤が香蓮に訊ねた。

「香澄の噂って?」

「うん……あのさ、香澄ちゃんが口にした事は本当になるって噂があってさ」

「は? 何それ?」

「いや、本当に大したことじゃないんだけどさ」須藤が何やら歯切れ悪く口籠った。「……次の演目はコレがいいとか、こんなチュチュが着たいとか、明日晴れるといいねとか」

「ハァ?」

「……皆に嫌われてる裏方さんがいてさ、腕は良いんだけど、口が悪くて、時々昼間から酔っ払ったりしてたんだよ。その人がさ、酔っ払って香澄ちゃんに絡んで、踊りのことでなんか言ったらしいんだよね。まぁ目だけは肥えてたからさ。それで怒った香澄ちゃんが『あんな人、顔も見たくない』って言った日の夜に、その裏方さんが酔っ払ってスタジオでボヤ騒ぎ起こしてさ。即刻クビになったんだ」

「……まさかとは思うけど、それが香澄のせいだって言うの?」

「いや、俺だってこんなこと言うのはどうかと思うんだけど……」

「なら言わないでよ。馬鹿馬鹿しい」

「……俺さ、聞いちゃったんだよ」須藤が一瞬躊躇い、そして吐き出すように一気に言った。「バイクの事故を起こす前日、香澄ちゃんの控え室の前を通りかかったらドアが少し開いてて、そしたら香澄ちゃんが『あの人と踊りたくない』って鏡の前で呟いてたんだ。そして翌日俺は事故った」

 そんなに睨むなよ、と須藤が困った顔で苦笑した。

「事故は俺の不注意だったし、別にそれを香澄ちゃんのせいにするつもりはないんだけど、たださ、前々から香澄ちゃんが俺のことなんとなく嫌っているような気がしててさ。気の所為って言われたらそれまでだし、殆どは些細な事かもしれないけど、でも結構こんな事が続いてて、ちょっと気味が悪いと思っている奴らも多いんだ」

 俺や裏方さんのことだけじゃなくて、『白鳥』の主役のこともあるしさ、と須藤に言われ、香蓮が言葉に詰まった。

「ほら、お喋りでいつもヒトの悪口言ってるような奴ならまだしも、香澄ちゃんって滅多に無駄話とかしないだろ? そんな大人しい子が口にした言葉って印象に残りやすくって、それに何度か偶然が重なっただけだと思うんだけど。香澄ちゃんってすげえ真面目だけど、ちょっと思い込みの激しいところがあるし、それで人に誤解されやすかったり、周りに変な印象を与えてるのかも知れないな、って思ってさ。香蓮ちゃんが気が付いてないなら一応言っておこうと思っただけだから」

「……うん、わかった。ごめんね、香澄と少し話してみるから。わざわざ教えてくれてありがとう」


  6


 病院を出てスタジオへ向かおうとしたが、何と無く気分が億劫で足が重かった。通り掛かった公園の時計台の針は午後の二時を指している。香澄はリハーサル真っ最中だろう。今晩は公演があるから香澄も忙しいだろうし、話をするのは今やっている公演が一段落して、スケジュールがもう少しゆっくりしてからでもいい。別に急を要するってわけでもないんだから。

 そう思い直し、くるりと方向転換したところで見知った姿が目に入った。

「煉くん!」

 公園の屋台の前に立っていた少年が振り返り、大きなクレープを片手に人懐っこい笑顔をみせた。

「香蓮さんに奢ってもらって以来ハマっちゃってさ」公園のベンチに腰掛けた煉が満足気に特大クレープの端から垂れるチョコレートを舐めた。「色々試したんだけど、チョコと苺のコンビネーションが最強だね。バナナ・オレンジ・チョコってのも捨て難いけど。マンゴー・チョコはイマイチだったな」

 チョコレートたっぷりのクレープにかぶりつきつつ、煉がちらりと横目で香蓮を見た。

「なんか元気ないね。どうかした?」

「え? うん、香澄の事でちょっと……」

「香澄さんがナニ? 今度は火の精の気持ちが分からないとか喚いてるの?」

 生意気な口調に反し、煉が目を細めて柔らかく微笑んだ。

「俺で良かったら話くらい聞くよ? 言葉にしてヒトに話すことによって纏まる考えだってあるからね」

 しかし香蓮の話が進むにつれて、煉は顔から笑みを消し、眉根を(ひそ)めた。

「口に出して言った事が本当になる、か……」煉が指についたチョコレートを舐めながら考え込んだ。「それは確かに気になるね」

 妙に真剣な煉の表情に、なんだか香蓮の方が狼狽えてしまった。

「え、でも、ただの偶然が重なっただけで、香澄がどうこうってわけじゃなくてね、ただあんまり変な事を人前で口にしないように注意しようと思って……」

「変な事を口にしない方がイイってのは俺も同意するけど、これはそれだけじゃない気がするな」

「……どういうこと?」

「無限とは言わないけど、『未来』には多くの可能性がある。明日の天気なんてのは単純に考えれば『晴れ』か『晴れではない』かの二択だし、天気予報を観れば予測が当たる確率なんて50%よりずっと高くなる。まぁ反対に、天気予報で台風直撃とか言ってる時に『明日晴れるといいね』と言って晴れる確率は凄く低いけどね」

「え、まぁ、そうだけど……」

 少年が言わんとしていることがよく分からず、香蓮が密かに首を傾げた。

「『次にバレエ団がやる演目』なんてのも、まぁ大体ダンサーの技量や過去の演目や人気なんかを考慮して精々五〜六個の中から選ばれるんじゃないかな? それを言い当てる確率はそんなに低いわけでもない。それに対して、俺と香蓮さんが人生の上で知り合う確率ってのは物凄く低かった。だってあの日、香蓮さんがこの公園をぼんやり歩いていなければ、引ったくりに目を付けられなければ、俺がここを通りかかるのが五分遅ければ、俺達の人生が絡み合う可能性なんてゼロに近かっただろうからね。だから、まぁ人生に於いて物事が『口にした通り』に起きる平均的確率をサイコロの目くらい、つまり六分の一だとすると、1の目ばかりが連続で十回出る確率は0.0000017%以下。実際の確率はもっと低いと思う」

 煉が闇色の瞳を細めるようにしてジッと香蓮を見つめた。

「だからね、他人が気味悪く感じるほど『偶然』が重なるのは、もうそれは偶然なんかじゃないかもしれない」

「偶然じゃなかったら何?」

 煉がにやりと嗤った。「……歪んだサイコロ」

 ……取り敢えず私にとって気味が悪いのは香澄の『偶然』よりもこの少年のような気がする。しかしそんな香蓮の困惑など全く気に掛けないかのように、煉が軽く髪を掻き毟ると木洩れ陽に向かって伸びをした。

「う~ん、ちょっと気が進まないけど、言之神に会ってみようか」

「コトノカミ?」

「言ノ葉とか言霊の神様。ヒトが言葉を持った時から存在してるから古くて力も強いんだけど、かなり性格が歪んでるんだよね」

「は、はぁ?」

「まぁ任しといてよ」と言うと、煉が自信有り気に片目を瞑ってみせた。



  7


「この辺でいいかな」と言うと、煉が広い公園の一画で立ち止まり、見事な銀杏の大木を見上げた。初夏の銀杏の木は瑞々しい葉を生い茂らせ、翡翠色の木洩れ陽が煉の髪にチラチラと踊る。

「えーっとね、じゃあ今から俺がやる通りにステップを踏んでくれる?」

「ステップ?」

「うん、禹歩(うほ)って言ってね、道教で鬼神とかを呼び出したりする時に使う足踏み呪法があってさ、それを俺風にアレンジしたんだ。ちょっと難しいかも知れないけど、ゆっくりやるから」

「ジュホウ? ドウキョウ? キジン?」

「道教って聞いたことない? 中国の三大宗教のひとつでさ、古くて強力な呪術で有名なんだけど」

「それって物語とかに出てくる陰陽師とかが使うやつ? なんだっけ、有名なアベノナントカさん」

 安倍晴明? と言って煉が笑った。「うーん、陰陽師が使うのは陰陽道って言って、正確には違うけど、まあ似たようなもんかな。陰陽術は道術の影響を受けているからね」

「じゃあ、その道教の呪法をアレンジって……?」

「うん、鬼神を呼び出すんじゃなくって、自分が向こうの世界に行けるようにしたんだ。あいつらをこっちに連れてくると、はしゃいじゃって色々と悪ふざけして収拾がつかなくなることが多いからね。ちょっとした用事なら自分で向こう側に行った方が早いし面倒がないんだ」

 ……大丈夫か、ソレ。なんか色々なレベルでアブナイ気がするが。それどころか疑問は疑問を呼び、何が何だかさっぱり分からない。そもそも煉君って何者? 知らないヒトについて行っちゃいけません、という子供の頃の教えがふと頭の隅に湧いた。

 不安気な香蓮に、大丈夫だよ〜、と煉が気楽そうに笑いかけた。

「俺達が会いに行くヤツは一応神だけど、別に鬼神ってわけじゃないから。ルックスも割と普通だし。たださっきも言ったけど、若干性格に難点があるくらいでさ。まぁ神々ってのは一筋縄ではいかないヤツが多いからね」



「左に三歩。右に二歩」

 煉の隣に立った香蓮が、見様見真似で奇妙なステップを踏む。

「摺り足で前に左足を一歩出して、足の位置はそのまま、クルリと時計回りに身体を反転させて……」

 穏やかな初夏の公園で、私は一体何をやっているのだろう。コレは知り合いに見られたら、ちょっと恥ずかしいかもしれない。そもそも、こんなことで神様に会えたら誰も苦労しないよ――

 ねぇ、もう辞めようよ、と少年に言いかけた時だった。

 不意に激しい風が吹き、全身を殴られたような強い衝撃に香蓮が悲鳴を上げて目を瞑った。しかしそれはほんの一瞬のことで、激しい風も公園で戯れる人々の穏やかなざわめきも嘘のように掻き消え、辺りが静寂に包まれた。

 香蓮が恐る恐る目を開けた。

 其処は一見、先程まで自分がいた公園と何ら変わることはないようだった。銀杏の大樹を樫や木蓮が囲み、木々の梢から零れたひかりがチラチラと躍っている。しかし辺りには人っ子一人いなかった。それどころか、鳥や虫の影すらみえない。そこには生き物の気配が無かった。

 そして恐ろしい程の静寂の中、黄金色に色付いた銀杏の葉がはらはらと音も無く散っていた。銀杏の樹の下には着物姿のひとりの銀髪の少女が座り、静かに瞑目していた。

 ふ、と不意に空気が揺らぎ、『だぁれ?』と耳許で囁く声がした。慌てて背後を振り返ったが、辺りには誰もいない。

『だぁれ?』『だぁれ?』と無数の囁きが空気に満ち、そして風に溶けるように消えた瞬間、少年が一歩前へ踏み出し、「煉」と名乗った。

『……煉』

 恐れげもなく銀杏に歩み寄る少年の気配に少女がゆっくりと目を開き、口許に微かな笑みを浮かべた。一陣の風が煉の艶やかな黒髪を乱した。

『……煉。火之神に愛されし者。緋の花を枯らす者』

 言ノ葉の神が囁く歌が無数の木の葉となって、風に舞う。

『煉は彷徨う。枯れし地に潤いを求め、未来永劫、燃え盛る煉獄の炎の中を、彷徨い、惑い、迷いつづける……』

「相変わらずウザイなぁ」

 煉が溜息を吐くと風に舞う木の葉を一瞬にして燃え散らした。

「俺の顔見る度に嫌がらせみたいな歌を紡ぐのやめてくれない?」

 口を閉ざした言之神が紅い唇を歪めてニヤニヤと笑う。

「今日来たのはさ、このヒトの双子の妹に言霊の力を与えているのが何か知りたくって。言霊ならあんたの領域(テリトリー)でしょ?」

 言之神が煉の後ろのに立つ香蓮に視線を移した。

 ひんやりとした灰色の透明な硝子玉のような眼は瞬きひとつせず、それはヒトのモノではなかった。その眼に見つめられた香蓮は、彼女はもしかして眼が見えないのではないかしら、と思った。いや、盲目という意味ではなく、言之神の眼にはヒトには視えないモノが映り、しかしヒトが見るように物事を見る事は出来ない。何の根拠も無いが、ただそんな気がした。

『……おまえ、なまえ』

 小さな銀の鈴を転がすような微かな声で言之神が囁いた。

「か、かか香蓮です」

 香蓮が慌てて答えると、言之神が僅かに首を傾げ、やがてゆっくりと口の端を上げた。

『……かれん。かれん、かれん、か・れん』

 硝子玉の瞳を細め、言之神が歌うような不思議な抑揚で幾度も香蓮の名を口遊む。

『か・れん。煉の名を借るモノ……』

 温度のない灰色の眼に射竦められ、身動きが取れない。

 ひらり、と木から落ちた一枚の銀杏の葉がゆっくりと目の前を過ぎった。

『紅い、紅い石。石に込められし少女の祈り。石は紅くとも風は吹かず、始まりは徒らな偶然の交わり……』

 はらはらと、際限無く散り続ける黄金色の葉が風に舞う。

『偶然は因果に、因果は必然に、少女の紡ぎし言ノ葉は呪を結ぶ』

 銀杏の葉に染まる風が言ノ葉の神の長い銀髪を乱す。

『頬を撫でし微風は野分となり、木の葉は散り、激しき風にやがて樹は折れん……』

「はいはい、ストップ」

 煉の声に言之神が口を噤んだ。

「それだけ分かれば十分だから。ってゆーか、ドサクサに紛れて歌を紡ぐなって。あんたの予言は口にすることによって本当になるから、タチが悪いんだよね」

 ニヤニヤと笑う言之神に向かって肩を竦めると、煉が香蓮を振り返った。

「えーっと、御礼が必要なんだけど、なんかある?」

「えぇっ?! 神様に御礼って、あのお賽銭的な……?」

 香蓮が慌てて財布を引っ張り出した。うぅ、月末で金欠だ。しかし神様の前でケチるわけにはいかないだろう。仕方無い。さらば、福沢諭吉よ。

「あ、お金じゃなくってさ、なんか香蓮さんが身に付けているモノとかがいいんだけど」と煉に言われ、香蓮が首を傾げた。

「え? 身に付けているモノって言われても、私そんなたいした物持ってないよ?」

 と、言之神が香蓮を指差して煉に何事か囁いた。

「そのイヤリング……」煉が香蓮を振り返った。「香蓮さんのそのイヤリングが片っぽ欲しいってさ」

「え?! こんなものでいいの? でもこれってその辺で量り売りしてるような安物の石で私が作ったんだよ? 何の価値も無いよ?」

「いいからいいから」

 香蓮が慌てて両耳のイヤリングを外して煉に手渡そうとすると、煉が首を振った。

「ふたつは要らないって。ひとつだけでいいって」

「え、でも……」

「いいんだよ。対価は過不足なく、相手が望むモノを」

 煉から渡されたイヤリングを言之神が満足気に指先でつまんで眺めた。淡いピンク色のローズクォーツは、確かに彼女の輝くような白銀の髪に映えるかもしれない。と、言之神が不意に赤い舌を出してぺろりとそれを呑み込んだ。ぎょっとして息を呑んだ香蓮を見て笑う煉に、言之神が再び何か囁いた。

「美味しかったって。また何か聞きたい事があったらいつでもおいでだってさ」



  8


「ねぇ、つまりどういう事だったの?」

 禹歩を行きとは逆に踏み、『此方の世界』に戻ってきた香蓮が公園のベンチでのんびりと缶ジュースを飲む煉に()くように尋ねた。

「香澄さんが大切にしている紅い石のネックレスあるでしょ。リハーサルに連れて行ってもらった時さ、楽屋裏で香澄さんがすごい必死の形相で握り締めてたヤツ。アレが香澄さんの『言霊』の力の元凶、『歪んだサイコロ』だったのさ」

「だけどあれはこのイヤリングを作った時に私が一緒に作って香澄にあげたのよ? その辺で買った安物の石よ?」

「うん、そうなんだけど」煉が片方だけ残った香蓮のイヤリングを手に取って陽に透かした。「言之神が言うにはさ、別に石そのものに特別な力があったわけじゃなくて、始まりは単なる偶然だったんだよ。『失敗しませんように』とか『こんな風に踊れますように』とかさ、香澄さんだってきっと初めはそんな小さな願い事を口にしたんじゃないかな。それで上手くいくと、何と無く石のお陰みたいな気がしてきたんだよ。上手くいったのは香澄さんが一生懸命練習してるからで、別に石のお陰じゃなかったんだけどね。でもよくあるラッキーチャームみたいなもんで、『これがあれば上手くいく』って自分に暗示をかければ誰だって気が楽になるし、その分リラックス出来て余計に上手く踊れたりしてさ、香澄さんは段々石に依存するようになってきた。

 そんな時にきっと何か、もう少し大きな願い事を偶然口にしたんじゃないかな。自分の実力よりも少し高めの願い事か、それとも努力ではどうしようもないこと……例えば、『あの人が嫌いだから、いなくなればいいのに』とか。それが偶然にしろ叶って、香澄さんはソレを石の力だと思い込んだんだよ」


「偶然起こったことに後ろめたさも加わって、そこに因果があると思った時に『(シュ)』が生じ、そしてその呪が香澄さんのサイコロを歪めた」


「ヒトが口にする『言葉』は最も原始的な呪いなんだ。だから心に思ってもいないことを無闇に口にするもんじゃない。紡いだ言ノ葉に己を絡めとられてしまうからね」

「言ノ葉に己を絡み取られる……」

「うん、そう。たとえ口からでまかせでも、口にした途端にそれは『呪』となり『真実(ほんとう)』になってしまうかもしれない。よくあるじゃん、『好き』って百回言ったら本当に好きになっちゃうみたいなやつ」

 首を仰け反らすようにして缶ジュースを飲みつつ、煉がちらりと横目で香蓮を見た。

「とにかく、これ以上香澄さんが願い事を口にする前にあの紅い石は始末した方がいい。願いが叶うのは確かに石の力だけど、でも願い事には代償が必要なんだ。タダで願いを叶えてくれる便利で親切なモノなんて此の世にはないからね」

 空き缶をくしゃりと潰し、煉が立ち上がった。

「俺はちょっと用があってしばらくいなくなるけど、明後日くらいにもう一度様子を見に立ち寄るからさ、その時までに香澄さんの石を手に入れといてくれる? その後の始末は俺がつけるから」

「うん、分かった。香澄は石を手放すのを嫌がるだろうけど、何とかしてみるわ」

 缶をゴミ箱へ投げ入れた煉が、ふと振り返って微笑んだ。

(ゆが)んだサイコロが創り出す(ひずみ)はいずれ自分に返ってくる。これは香澄さんの為なんだよ」

「……ごめん、煉くん、もうひとつだけ聞いていい?」

 立ち去りかけた煉を香蓮が呼び止めた。

「なあに?」

「……あの、さっきの、言之神様の歌なんだけど、その、煉くんの歌……」

 香蓮が僅かに口籠った。言之神の歌の中の、潤いを求めて未来永劫彷徨うとはどういう意味なのか。しかしコレは私が聞くべきことではない気がする。背後に立っていた為に表情までは分からなかったが、しかしニコニコと屈託無い笑顔をみせるこの少年は、あの瞬間全身から青白い焔を燃え上がらせた。

「あぁ、あれね」肩に座った狐を撫でつつ、煉がふわ〜とアクビした。「まぁアイツ特有の嫌がらせっていうか、悪い冗談みたいなもんだよ」

「悪い冗談……?」

「うん。俺、ちょっと事情があってヒト探ししてるんだけどさ、そのヒトは永遠に見つからないだろうとか、そんなつまんない冗談だよ」

 そう言うと、少年は澄んだ空を見上げて笑った。



  9


「香澄、ちょっといい?」

 煉と別れたその足で、香蓮はバレエスタジオへ向かった。どう切り出せば良いのか正直迷ったが、あまりに遠回しな物言いは香蓮の得意とするところではない。要はあの紅い石を返して貰えばいいだけなのだ。

「悪いんだけど、そのネックレス、返して貰えないかな?」

「……え?」鏡に向かって化粧を整えていた香澄が驚いたように大きく目を見張って香蓮を振り返った。「どうして? そんな、急に……」

「えっと、そのう、その石が、香澄に悪い影響を与えてるんじゃないかって思って」

「なんでそんなことを言うの? これは香蓮ちゃんがくれたんじゃない」

「うん、まぁそうなんだけど……」

 胸元の紅い石を握り締め、怯えたように自分を見つめる香澄の姿に香蓮が溜息をついた。

「香澄、なんでその石を手放すのがそんなに嫌なの? 代わりのネックレスなら幾らでも新しいのを作ってあげるからさ――」

「いやよっ! 私にはこれが絶対に必要なのよ!」

「……人を呪う為に?」

 思わず口に出して言ってから、シマッタと思った。しかし一度口から出てしまった言葉は取り戻せない。香澄の顔が温度を失い、白く無表情になった。

「……ある人から聞いたのよ。その紅い石が不思議な力を持っていて、香澄が口にする願いを叶えてくれるって」香蓮が香澄から目を逸らし、低い声で吐き捨てるように言った。「白鳥の主役の座を手に入れる為に、その石の力を使ったんでしょう?」

「香蓮ちゃん……」香澄の眼が不意に悲しげな色を帯びた。「喜こんでくれないの? 私、香蓮ちゃんの好きな白鳥を踊るために、本当に頑張ったのよ」

「頑張っただなんて、そんな、人を呪うようなことを頑張ったなんて言わないんじゃ……」

「違うわ。私は誰も呪ってなんかいない。私は別にあの人が事故にあえばいいとか怪我をすればいいとか願ったわけじゃないもの。私はただ、あの役を踊りたいって思って、それを口にしただけよ」

「だけど、たとえ口にしただけでも、言葉は呪いになるのよ?」

「呪いだなんて……」香澄がひっそりと笑った。「知ってるでしょう、私は最高のダンサーになりたいの。その為には踊り続けなければいけないのよ。この機会を逃したら、次はいつ白鳥を踊るチャンスが来るかわからない。立ち止まって他人の踊りを指を咥えて見ている暇なんてないわ」

 ――これは誰だろう。香蓮が呆然として香澄を見つめた。生まれる前から全てを分かち合ってきた、わたしの姿を持つ者。鏡の中のわたしが、見知らぬ者のような眼差しをわたしに向ける。

「わかってるでしょう。全ては香蓮ちゃんの為よ」

「やめてよっ! 私の為だなんて言わないでっ」

 息が苦しい。自分のシャツの喉元を掴みながら、香蓮が香澄を睨んだ。

「最高のダンサーになるためっていうなら、須藤君のことはどうなのよっ?! 須藤くんに怪我をさせたのは、踊りとは関係ないじゃないっ」

「……香蓮ちゃんは須藤さんの事が好きなの?」

「な、何言ってんのよ?! そう言う問題じゃないでしょ?!」

「ねぇ、香蓮ちゃん」

 香澄が折れそうな程に細い首を僅かに傾げ、妖精のように透明な微笑みをその白い頬に浮かべた。

「須藤さんは私に『ベタ惚れ』だって言ったわよね? なら香蓮ちゃんでもいいんじゃない? だって私達は、同じ顔なんだから」

 香澄の言葉が理解できなかった。しかしその全く意味を成さない言ノ葉の鋭い切っ先が香蓮の胸の内側を引っ掻き、不協和音を奏でる。

「あぁ、違った。須藤さんが『私』の代わりに『香蓮ちゃん』を欲しがるわけがないわね」

 香澄が濃い舞台化粧を施した顔を歪めるようにして嗤った。その顔を見て、化粧の所為だろう、と香蓮は思った。素の顔もわからなくなるような舞台化粧の所為で、香澄が別人に見えるのだろう。だって、香澄はこんな表情(かお)はしない。わたしは、こんな顔ではない。

「須藤さんは私なんか欲しくない」と目の前の見知らぬ顔が囁く。「だって須藤さんが好きなのは、昔から香蓮ちゃんの踊りだもの。須藤さんが一緒に踊りたかったのは、私ではなくて、『香蓮ちゃんのクララ』だったのよ。私では不満だった」

「……そんなことで」目の奥が痛み、酷く眩暈がした。「そんな事で誰かを傷つけていいと思ってるの? そんな事が理由になるとでも……」

 自分の内側で何かが歪み、軋む音がする。ナニカ、必死になって自分の奥底に押し込めていたモノが。

 永遠かと思うほど長い間無言で香蓮を見つめていた香澄が、やがてひっそりと哀しげに微笑んだ。

「私は香蓮ちゃんになろうとした。でも無理だった」

 ほっそりと長い腕を伸ばし、香澄が香蓮の腕に触れた。凍った水鏡に触れるような、その余りの冷たさに、背筋にゾクリと寒気が走る。

「……香蓮ちゃんになれない私と、私に香蓮ちゃんを求める須藤さん。私達はお互いの存在が目障りだったの。ならどちらかが消えるしかないじゃない」

「香澄……」

「ねぇ、香蓮ちゃん」香澄が香蓮の腕を掴む指先に力を入れた。「私は香蓮ちゃんに赦される為に、一体何をすればいいの? あとどれだけ頑張ればいいの? 最高のダンサーになればいいの? それとも私が踊り続ければ、踊り続けてさえいれば、香蓮ちゃんはいつか、私を赦してくれるの?」

 鏡に映る、冴え冴えと冷えた眼差しがわたしを見つめる。

「私が踊れなくなったら、私がもう踊りたくないって言ったら、香蓮ちゃんはどうするの?」

 踊りたくないなら辞めればいい。それは香澄が決めることであり、わたしには関係無いことだ。そう言おうとしたが、喉が凍りついたように言葉が出なかった。

「……私、知っているのよ」

 凍った鏡の中のわたしがわたしに向かって言ノ葉を紡ぐ。

「たとえ私が死ぬまで踊っても、香蓮ちゃんは私を赦してはくれない。私を自由にしてはくれない。私を永遠に捉えたまま、私を憎みつづける……」



 腕に喰い込む氷のような指を振りほどき、香澄を突き飛ばすようにして控え室を飛び出した。眩暈と吐き気が酷く、自分がどこにいるのかすら分からず、ふと我に返ると、暗く入り組んだ舞台裏の大道具の陰に身を竦ませるようにして座り込んでいた。

 心を落ち着けようとして吐き気を堪え、暗い部屋の隅で幾度も深呼吸を繰り返した。これ以上心を波立たせてはイケナイ。考えてはイケナイ。思い出してはイケナイ。わたしがわたしで在る為に、わたしは自分がナニモノであるか、忘れなければイケナイ。

 カスミサン、という声が不意に耳に飛び込んできた。


「香澄さんって双子の姉妹がいるんですよね?」

「あぁ、香蓮さんだろう。香蓮さんが姉で、香澄さんが妹だよ。ほら、よくデカイカメラもってウロウロしているだろうが」

「ああ、そう言えば。その方は踊らないんですか?」

「いや、昔は踊ってたんだが、高校時代に妹を庇って交通事故に遭ったんだよ。その後遺症が今でも残ってるって話だぜ?」


 ヤメテ。思イ出サセナイデ。


「へぇ、若いのに可哀相に」


 ヤメテ。哀レマナイデ。


「でも不幸中の幸いというか、お陰で妹のダンサーとしての才能が守られたんですね」


 ヤメテ。


「カメラマンなら多少身体に不自由があってもやっていけますが、ダンサーの怪我は命取りですもんね」


 ヤメテ。


「でもお姉さんの方も写真の才能があって良かったですよね。当たり前ですけど、やっぱり顔が同じでも才能まで同じってわけでもないし」


 ピシリ、と鏡にひびがいき、砕け、その鋭い銀色の欠片が粉々に散った。


(To be continued)

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