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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第三章 〜 Songs of Wren
31/123

霧隠し(後編)

   7


 桐刄が袂から一枚の紅葉を取り出し、ふっと息を吹きかけた。と、霧の中に若い女の影が現れた。

「自分を捨てた恋人が自分の女友達と付き合っていることを知った女。彼女の望みは、彼等の破局? 彼等を見返すような新しい恋人? それとも……」

「自分を裏切った二人の目前での凄惨な死」

 何の躊躇いも無く煉が答えた。

「ハァッ?!」と叫んで目を剥く克也に煉が軽く肩を竦めてみせる。

「死という形で自分の影を相手の中に永遠に刻み込みたいっていう歪んだ欲望。別に珍しいことじゃない」

「こっわ! 一体どーゆー思考回路してたらそんな答えが出ちゃうわけ?! 後見人として俺はお前の将来が非常に心配だ」

「……この女の鬼を視たのか」と桐刄が低い声で尋ねた。

「昨日偶然ね。ま、運も実力のうちでしょ」

 ニヤリと嗤う煉に桐刄が舌打ちする。

「って、何? まさか当たり?! うわ、俺、お前等といると人間不審になりそうなんですけど」

 髪を掻き毟る克也に向かって桐刄がふんと鼻を鳴らした。

「ある程度の年月をヒトと過ごせば誰でもそうなるだろうね。寧ろそうならない方がおかしい。まぁ、いい。次にいこうか」


   ✿


 桐刄が手に取ったモミジから、泥に汚れた小学生くらいの少年の影が現れた。それを見た煉が僅かに眉を顰めた。

「……珍しいね。子供はすぐ弱って面倒だから、餌には向かないんじゃなかったの?」

 桐刄が少年の影を見つめ微笑んだ。

「優しい子なんだ。動物好きでね、少し君に似ている。ただ君と違って、彼は大人しく、とても気が弱かった。優しさと気の弱さは往々にして紙一重だからね。

 人間の子供の群れというものは原始的で残虐だ。彼等はその未発達で浅はかな知恵を絞って己の優勢を他に示そうとする。そんな群れの中で牙を持たない子供は格好の餌食さ」

 桐刄が愛おしそうに少年の頭を撫でた。

「群れのあまりの仕打ちに、死という選択が彼の脳裏をよぎった。しかし健気にも彼はこう考えた。『あと半年足らずで卒業だ。それまで我慢すればいい、それくらいは出来る、大丈夫だ』しかしその直後、狭い道を無理に走ってきたトラックが数日前の雨で道に溜まった泥水を彼に浴びせた。前日の夫婦喧嘩で虫の居所の悪かった運転手は、謝るどころか全身泥まみれの彼に怒鳴った。『気をつけろ、馬鹿野郎』ってね。

 その一言で、少年の張り詰めた心の糸がふつりと切れた。クラスではいじめられ、虐げられ、泥を浴びせられ、その上、赤の他人にまで馬鹿と呼ばれる。つまり自分は本当に馬鹿で、社会不適合者なのだろう。こんな世の中で頑張って生きてみても仕方がない。今までもこれからも、良いことなんて何もない。彼は生きることを放棄した」

 桐刄がすっと視線を克也に戻した。

「教えてよ。彼がこうなったのは誰の責任?」

「そんなのそいつをイジメたガキ共に決まってるだろうが」

「ばっ、克也!!」 全く躊躇せず答えた克也に煉が慌てた。

「周りで見て見ぬ振りをしてた奴らも悪いし、社会が教育がどーのこーのって話はよく聞くけど、やっぱり一番許せねぇのは根性の曲がったガキ共だな」

 何故か天を仰ぐ煉とにやにやと嗤う桐刄を見て克也が腑に落ちない顔をする。

「……ナンダヨ」

 煉が腹ただしげに克也を睨んだ。

「あのさー、あんたって脊椎反射だけで生きてるの? 思考回路とかって皆無なの?!」

「……俺、なんか間違ったこと言った?」

 ぽかんとした克也に煉がため息をついた。

「正しいとか間違ってるとか、コレはそういう問題じゃないんだよ。答えが無いことが答えだったんだよ」

「は?」

「つまりさ、コップの水を溢れさせたのは、最初の一滴か、最後の一滴か、ってこと。たとえこの子の絶望の原因の大部分がクラスメートによるいじめでも、トラックの運転手が怒鳴らなければ、夫婦喧嘩さえしなければ、国道庁が道の整備をちゃんとやっていれば、数日前に雨が降らなければ、この子のコップは溢れなかったかもしれない。桐刄は誰が一番悪いか聞いたわけじゃないんだよ」

「なんだよ、そのひっかけ問題」

「引っかかるのはあんたとゾウリムシくらいでしょ」

「君の心は真っ直ぐで、曇りがない」

 少年の影をモミジに変えて袂に落とすと、桐刄が克也に微笑みかけた。

「でも曇りのない鏡が全てを映し出すわけじゃないんだよ」

「……今のは褒められたのか?」と訊ねる克也に煉が白い眼を向ける。

「んなわけないでしょ」


   ✿


「これで最後だね」

 桐刄が取り出した三枚目のモミジから竹中が現れた。

「た、竹中?!」

「知り合い? いい機会だから、君がどれほど他人の心を知っているか試してみるといい」

 桐刄がぼんやりと佇む竹中の影を見てにやりと笑った。

「これと言った取り柄もなく、人の陰で怯えるように生きる少年。空気のように軽く薄い自分の存在を苦痛に思いつつ、しかしそれをどうすることも出来ず、ただぼんやりと影のように生きる。彼は今、自分が容姿も才能も兼ね備え、人々の中心となって生きる夢をみている。彼が目覚めた時、元の世界に帰りたいと願うか、それとも僕が魅せた夢の中に生きたいと願うか」

「そんなの決まってるだろーが……」

「克也!」煉が克也の袖を引っ張った。「慎重に考えるんだ。囚われてるヒトの数が多過ぎる。奴は気紛れだし、このチャンスを逃すと全員無事に救うことは難しい。出来れば奴と物理的にやり合うのは避けたい」

 煉の言葉にハッとする。そうだ、竹中だけじゃない。もし俺が間違えば煉だってこの鬼の餌食になるんだ。ヤバイ、これってもしかして結構責任重大じゃね?

 しかしそんな克也の内心を見透かしたように煉が肩を竦めた。

「あのさ、俺のことは心配しなくていいから。俺にはやらなくちゃいけないことがあるから、むざむざ奴の餌になる気はないし、奴もそれを知っている」

 桐刄が黙って考え込んだ克也を見て嘲るように口許を歪めた。

「ねぇ、知っているかい? この少年は君に憧れていたんだよ。でも、彼の心の内がわからないからって落ち込むことはない。此の世には生まれつき持つ者と持たざる者がいて、両者の溝は余りに深い」

  克也が顔を上げると桐刄を睨んだ。

「おまえさ、黙って聞いてりゃ失礼なんだよ。確かに竹中は、クラスの中心になって騒ぐような奴じゃないけどな、こいつだって誰にも負けない特技くらいあるんだぜ。お前のくだらない妄想なんてお呼びじゃねぇよ」

「それが君の答えなの?」

 克也が頷くと桐刄がにたりと笑った。

「そうか。ならば答えは彼に聞くとしよう」

 桐刄が軽く手を振ると、竹中を包んでいた霧が薄くなった。克也に肩を揺さぶられ、桐刄の幻想から醒めた竹中が、まだ夢の中にいるような虚ろな眼でぼんやりと克也を見る。

「オイッ、竹中! 大丈夫か?!」

「……櫻井君? あぁ、なんだろう、なんだかとても不思議な夢をみていたみたい……僕が櫻井君に負けないくらい背が高くてカッコ良くてさ、運動神経抜群、成績優秀、女子からキャーキャーいわれて、クラスの人気者で、なんか人生超勝ち組みたいな……笑っちゃうでしょ?」

「君が望みさえすれば、今君が見たものは、永遠に君のものになる」

 克也の背後に立つ桐刄を見た途端、竹中が目を瞠って息を呑んだ。

「てめー、嘘つくんじゃねーっ、竹中、騙されるな! それはただの夢だ。あいつがお前をおびき寄せるために見せた幻覚だ。そもそも俺の成績は下から数えた方が早いっ」

「人の生なんて夢みたいなものだよ。一瞬にして過ぎ去り、跡には何も残らない。どうせみるなら良い夢の方を選ぶべきだと思わないかい?」

「思わねーよッ」

「君は珍種だからね」桐刄が竹中に優しく微笑みかける。「選ぶのは君だよ。君が僕と共に在りたいと望むなら、僕は決して君を拒みはしない」

 桐刄が踵を返し歩き出した。

「待って、行かないで……!」

 必死の形相で桐刄を追う竹中を見て煉が舌打ちし、桐刄が妖艶な笑みを浮かべた。

「残念だったね。賭は僕の勝ちみたいだ」

 止めようとする克也の手を振り払い、竹中が桐刄に追いすがった。

「お願いです、行きずりの人にこんなこと頼むの変だってわかってるんですが……ッ」

「そんな心配は無用だよ。僕は君以上に君の心が欲するものを知っているのだから」

「じゃあ是非! 是非僕の絵のモデルになって下さい!」

「「「…………」」」

「僕、前から竹久夢二みたいな美人画に憧れてて、でも、綺麗な人はいてもイメージに合う人って仲々いなくって。本当に、あなたが僕の想像する和風美人にぴったりなんです! いや、もうホントそれ以上……!」

 桐刄が突如破顔した。

「そうか、克也、といったかな? これが君の言うこの少年の特技か。確かに彼の審美眼には素晴らしいものがある」

「……」いや違うんですけどね。

「賭は引き分けだね」桐刄がフッと勝ち誇ったように微笑んだ。

「確かに彼は僕を選んだが、それは僕が創った幻ではなく、僕自身の美しさに魅せられたのだから。そう思うと僕の幻術もまだまだだな……しかし考えようによってはちょっと鬱が入るな。自身以上のものを創るなど、流石の僕でも恐らく未来永劫無理だろうからね……」

 克也と煉が無言で桐刄に白い眼を向ける。

「……コイツちょっとやばくね?」

 克也がヒソヒソと煉に囁き、煉が頷く。

「俺が桐刄のこと苦手なのわかるでしょ?」

 和牛にまたがった桐刄が袖を振り、無数の紅葉を秋の空に散らした。一枚だけ残った紅葉を指先でつまむと、桐刄が煉に微笑みかけた。

「この女は僕が連れて行こう。鬼を祓うまでもない、(うつつ)に返る頃には自死する気力もなくなっているだろう。子供の方は君に任せるよ。僕には脆弱な餌の世話をする趣味はないからね」


 空を舞う紅葉の中、ゆっくりと歩き出した黒牛から、桐刄が不意に身を乗り出し克也に何か囁いた。霧と共に桐刄が溶けるように消え、渡月橋に人の喧騒が戻ってきた。



   8


「あーッ! 馬鹿発見!」

 霧の晴れた渡月橋を駆け渡ってきた裕子が克也の頭を殴った。

「も~、何考えてるのよ?! 信じらんない、竹中君まで!」

「ご、ごめん……」

 おろおろと謝る竹中の横で克也の腹の虫が鳴いた。

「あれ? 櫻井君達お昼まだなの?」

「私達あっちで湯豆腐食べてきちゃった。美味しかったよ」

「なに?! よし、竹中、俺達も行くぞ!」

「もうすぐ三時よ。どのお店もとっくに閉まっちゃって、夕方まで開かないわよ」

「ちぇ、しょーがねーな、それまで茶でも飲んで時間潰すか」

「却下。忘れたの? 今日は最終日で夕方六時に京都駅に集合です。それまでにもう一カ所行きたいところあるし」

「どーせ仏像だろ、後生だからもう俺達のことは放っておいてくれ」

「京都国立近代美術館に行こうと思ってたんだけど。竹中君、美術館とか好きかと思って……」

「えぇっ?! 本当?! なんで知ってるの?!」

 竹中が興奮に顔を赤くした。その美術館には今まで未公開だった竹久夢二の作品が新しく展示されているのだ。本当はすごく行きたかったのだが、みんなは興味ないだろうと思うとどうしても言い出せなかったのだ。

「えっと、でも……」

 竹中が克也をチラリと見上げると、「なんで俺のこと見てんだよ」と言って克也が笑った。

「竹中、行ってこいよ。俺に遠慮する必要なんかないからさ。で、面白い絵があったら、後で描いてみせてくれ」

「は?!」

「美術館に飾ってあるやつより、俺はきっとお前が描いたやつの方が好きだからさ」

「……あんたはどうするつもりよ」

 裕子に睨まれ、克也がひらひらと手を振った。

「心配しなくても、六時までには京都駅に行くからさ。今日ばかりは見逃してよ」

 克也が竹中に手を振ると煉に向かって歩き出した。


   ✿ ✿ ✿


 克也と煉は、たいした会話もなく桂川の河原に並んで座っていた。やがて辺りが夕陽に染まり始め、煉が隣にぼんやりと座って空を眺める克也に目を向けた。

「あんたさ、もうそろそろ行った方がいいじゃない?」

「え? あぁ、もうこんな時間か。なんか色々話したいことがあったはずなんだけどな、いざ会うとなんかアレだな」

 克也が軽く咳払いする。

「その、つまり、お前には俺にはわからない事情が色々とあるんだろうけど……その、俺もお前がいなくなってから色々と考えてたんだけど、なんてゆうか……」

「俺ももう行かないと」煉が立ち上がった。「じゃあね」

 軽く手を挙げ、素気なく立ち去ろうとした煉の肩を克也が慌てて掴んだ。

「ちょ、ちょっと待て」

 バックパックを掻き回し、急いで何かを取り出す。

「俺が言いたいのはだな、煉、お前、これから最低でも週イチで電話してこい」

 克也が煉の手にテレカの束と紙切れを押し付けた。

「これ、俺と峰の番号とメアドな。俺のケータイ時々通じないから、その時は自宅にかけてくれ。たまには峰にも連絡してやれよ。あいつ、お前のことすっげえ心配してたから、声でも聞かせてやればきっと泣いて喜ぶぞ」

 手渡された物を黙って見つめていた煉が、やがて顔を上げた。

「悪いけど……」

 固唾を呑んで自分の口許を見つめる克也の真剣な表情に、煉が僅かに口ごもった。

「……そんなにしょっちゅうは無理だけど、たまには連絡するよ」

 渡されたテレカの束と紙を手に、煉が克也に背を向けて歩き始めた。

「煉……」

歩み去る煉を呼び止めようとした時、不意に桐刄が去り際に残した言葉が頭を(よぎ)った。


『……傲慢だよ』と奴は囁いた。


 口許に幽かな笑みを浮かべ、しかし克也を見る桐刄の眼は全く笑っていなかった。


『不遜と言ってもいい。たとえ君が何者であっても、君の存在はいつか煉を傷つける』


 赦さないよ、と囁いた鬼の暗く低い声……。


 煉が不意に立ち止まり、振り返った。

「もし俺に用があったら、東西南北、それぞれの方角に進むモノに俺の名を言えばいい。二〜三日中、遅くとも一週間以内にはこっちから連絡するから」

「は? 東西南北に進むモノ?」

「えーと、例えば桜前線。大体南から北向き進むでしょ? 紅葉前線ならその逆だし、東風なら西向き。台風とか冬将軍とか、動くモノなら渡り鳥でもいい」


「……大丈夫。あんたの大声なら、きっと何処にいても聞こえるからさ」


 くすりと笑った少年の艶やかな黒髪が、紅葉に染まる風に揺れた。



(END)

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