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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第三章 〜 Songs of Wren
27/123

紅桜(後編)

     6


 陽の落ちた宵闇の中、勇人が呆然と塚を見上げた。

 子供の頃みた夢の光景そのままに、満開の桜が夜目にも紅いその枝を暗い夜空へ伸ばしている。わけもなく怖ろしくて、カチカチと歯が鳴りそうになるのをぐっと堪えた。

 勇人が一歩桜に近づいた時、紅い桜の影の中から音も無く人影が現れた。一瞬夢でみたあの着物の女かと思い、どきりとした。

「……第十二代塚乃護家当主、塚乃護勇人」

 影が静かな声で勇人の名を呼んだ。

「君を待っていたよ」

 勇人が訝しげに眉をひそめた。

「……煉?」

 月明かりの中に歩み出た煉を見て、勇人が大きく息を吐いた。

「ったく、脅かすなよな~。ここってウチの敷地だぜ? 不法侵入すんなって。こんな時間に一体何しに来たんだよ?」

「……約束を果たしに」

「は? 約束? 何それ? 俺、お前となんか約束したっけ?」

「……俺が約束を交わしたのは勇人じゃない。でも約束を果たすためには君の協力が欠かせない」

「は? お前ってホントわけわかんねー奴だな」

 勇人がぽりぽりと頭を掻くと、気を取り直したように桜を見上げた。

「どっちにしろ、ソレは後回しな。こっちの用が済んでからにしてくれよ」

 勇人が懐から護符を出すとそれに力を込め始めた。

「……勇人、何するつもり?」

「何って、この人喰い桜を祓うんだ。煉、危ないからどいてろよ」

 勇人が護法を唱え、護符が描いた法陣の中に式神が現れた瞬間、護符が燃えあがった。現れたばかりの式神がキィキィと耳障りな悲鳴を上げながら護符と共に燃え、あっという間に灰と化す。

 一瞬驚いたように目を見開いた勇人が、煉を振り返ると睨みつけた。

「……煉、てめー、何しやがんだよ?!」

 煉が落ち着いた表情で勇人を見返す。

「悪いけど、君に紅桜を祓わせるわけにはいかないんだ」

「ふざけんなよっ、コイツは、この鬼は、みぃを喰ってやがるんだっ! 今まで俺達一族に大切にされてきたのに、その恩も忘れて……!」

 煉が鼻を鳴らしせせら笑った。

「大切に、か」

「どけッ、煉ッ! 邪魔すんじゃねーっ」

 樹に襲いかかろうとした勇人の横腹に、立ち塞がった煉が鋭い蹴りを入れた。避ける暇もなく苦しそうに腹を押さえて倒れ込んだ勇人を、煉の冷ややかな瞳が見下ろす。

「悪いね、勇人。でも紅桜を祓うのは勘弁して欲しい。君や俺が祓ったモノは無に還り、二度と転生することはない。それだけは困るんだ」

 激しく咳込みつつ勇人が笑った。

「煉、てめー、思いっきり蹴りくれやがって……悪いなんて全然思ってないだろ?」

「あ、ばれた?」

 脇を押さえて立ち上がった勇人に煉がやけに無機質な目を向けた。

「肋骨折れてるんでしょ? 無理しない方がいいんじゃない? 君を殺すつもりは無いけど、容赦するつもりも無いから」

「やっぱ、みぃの趣味サイアク」勇人が呆れたように笑った。

「煉……つまりテメーはあっち側の人間ってわけか。退魔の力を持ちながら、ヒトではなく鬼を守る、闇に喰われた退魔師。そんな奴がまさか本当にいるとは思わなかったぜ」

「ヒトとか鬼とか関係ない。俺は俺の守りたいモノを守る」

 煉がじっと勇人を見つめた。

「勇人、君は? 君は、その君の力で、ナニを守っているつもりなの?」

「ヒトに決まってんだろーがっ」


 紅桜を守りつつ、煉は涼しい顔で勇人の攻撃をかわす。それはまるで幼子の手遊びの相手をしている大人のようで、勇人では全く歯が立たなかった。勇人の投げた護符を全てキャッチした煉が、護符で切れた頬の傷を軽く撫でると溜息をついた。

「勇人、俺は別に君と争いたいわけじゃない。ちょっと俺達の話を聞いてくれない?」

 すっぱりと切れて血の流れる煉の頬の傷がみるみるうちに塞がっていくのを、勇人は信じられない思いで凝視した。

「……煉。お前って、あっち側の人間どころかヒトでもないんだな。そんな奴の話を聞く奴がどこにいるんだよっ?!」

「勇人ッ」

 再び桜に襲いかかろうとした勇人を、背後から父の声が止めた。

「と、父さん?」

「勇人、紅桜を祓ってはならない。その鬼は祓う為に在るのではない」

「え、だけど……」

 父が懐から太い鉄鎖を取り出した。

「忘れたのか。紅桜は我が家の守り神なんだ。祓うのではなく、鉄鎖で封じるだけでよい。いや、そうしなければならない」

「だ、だけど、コイツはみぃを喰ってるんだ! みぃの病気はコイツのせいなんだっ、いくら封じたって、生きている限りコイツはきっとみぃを喰い続ける。みぃだけじゃない、もしかしたら春樹叔父さんだって……!」

「勇人、お前は何もわかっていない」

「そう、勇人、君は何も知らない。知らされていないから」と煉が口を挟んだ。

「……なんだって?」

「君は、この桜が塚乃護家にとってどういう意味を持つモノか、知ってる?」

「どういう意味って……知ってるに決まってるだろ。ガキの頃から耳にタコが出来る程聞かされてるからな。この桜は大昔、その美しさでヒトを惑わし喰う鬼だったんだ。それを塚乃護家をつくった俺の先祖、つまり一代目が封じて、それ以来一家を守る御神木として大切にしてきた」

 煉が幽かに嗤った。

「……何がおかしいんだよ?」

 むっとしたように煉を睨む勇人に向かって、煉が肩を竦める。

「だってさ、おかしいと思わない? その話は矛盾だらけだ。何故ヒト喰い桜を神聖であるべき一家の御神木などにしたのか。御神木というなら、何故神域を示す注連縄(しめなわ)ではなく縛りを現わす鉄鎖なのか」

 答えに詰まった勇人を煉が静かに見つめる。

「教えてあげようか? 真実(ほんとう)の話」

「くだらん。勇人、そんな素性もわからんような奴の話などに耳を貸すな」

「俺の話を聞けば、なんで君の父さんが紅桜を祓いたくないか解るよ」

 勇人がごくりと唾を飲み込むのを見て、煉が微かに口の端を上げた。

「……君の先祖、塚乃護家を興した一代目は、生まれつき強い霊力を持った本物の陰陽師だった。彼は国中にその名を馳せ、幕府や朝廷に対しても強い発言力を持っていた。そしてその力を駆使して彼は一代にして莫大な財を成した。問題だったのは、彼の霊力は子孫には殆ど受け継がれなかったということ」

「なんだって……?」

「霊力は確かに遺伝する。だけど、強い力を持った子孫を残すには、強い霊力を持った者同士が婚姻関係を結び続けなければならない。少しでも違う血が混じれば霊力はあっという間に落ちる。君の先祖みたいに突発的に生まれる霊能者ってケースは、すごく稀な特別変異なんだ」

「だけど、俺は、いや父さんや祖父さんだって……」

 煉がちらりと勇人の父に目をやった。

「ねぇ、勇人、君のお父さんはまだ結構若くて元気そうなのに、なんで君が塚乃護家の当主なの?」

「そ、それは……ウチのシキタリっていうか……」

「誤魔化さなくていいよ。君の父さん、殆んど霊力が無いからでしょ。もっと正確に言えば、昔は塚乃護家当主として充分に通用する程の霊力があったのに、今は無い。はっきり言って、一般人に毛が生えた程度。それじゃあ塚乃護の当主なんてやってられない」

 黙り込んだ勇人を見て、煉が話を続ける。

「だけど子孫の繁栄を願った一代目には、どうしても代々受け継がれていく退魔の力が必要だった。だから、彼は紅桜に目を付けた」


     ❀


 三百年前。師走の早朝、数人の役人が縄に繋がれた罪人を桜の樹の下に連れて来た。霜の降りた地面に跪いた男の首を役人が一刀のもとに刎ねる。首のない胴から流れるどす黒い血が、霜を赤く染め、土に染み込んでゆく。

「……それにしてもお上のお考えになる事はさっぱりわからん。何故わざわざこんな所を処刑場にしたんだ? ここでは遠くてかなわん」

 ひとりの役人が死体を片付けながら不服そうに溜息した。

「確かにな。しかしそれも三月程の辛抱じゃ。なんでも春、この桜が咲くまでという話らしいからな」

「なんじゃそれは、ますます訳がわからんな」

「噂では、なんでも塚乃護様からのご要請だとか……」

「なんと、あの塚乃護様か?」

 上役が渋い顔で振り返ると喋る二人を叱責した。

「おい、滅多なことを口にするな。お上のお考えなど、我等が詮索するべきことではない。用意が出来たならさっさとしろ。後がつかえておる」

 慌てて次の処刑の準備を始めた役人のうちのひとりがふと樹を見上げて呟いた。「……しかし、この桜は花の見事なことで知られているというのに、その下で罪人が処刑されたとあっては折角の花見も台無しだなぁ」


     ❀


「……ここが処刑場だったって……?」

 勇人が辺りを見回し、信じられないように呟いた。

「たった三月程の間に百人以上がここで首をはねられた。その血を吸った土は赤黒く染まり、腐り、錆びた鉄のような汚臭を放った。そして春が来た時、桜は泣きながらヒトの血のように赤い花を咲かせたという」

 煉が哀しげに桜を見上げた。

「……殺されてゆく者の恨みに染まり、その血を呑んだ紅桜は鬼と成った」


     ❀


 春のある日、ひと気のない満開の紅桜のもとへ一人の男がやって来た。樹の下に座っていた紅桜の(かさね)の美しい女が顔をあげ、男をひたと見つめた。

「……其方、陰陽師か?」と女が低い声で尋ねると、男が頷いた。

 そうですか、と紅桜が呟いた。

「ヒトの如き下賤のモノの手に依って祓われること、口惜しくもありますが、致し方ありますまい。わたくしとて、かような姿に相成ってまで、此の世に在りたいとは思いません」

「美しく哀れなヒト喰い桜よ。私は貴女を祓いに来たのではありません」

 男が口元に、それと見なければ気付かれない程の微かな笑みを浮かべた。

「貴女と盟約を結ぶ為に参りました。お望みとあれば、貴女のその穢れた命、今ひとたび此の世の為に役立たせてみせましょう」

 

     ❀


「俺の知っている紅桜はとても綺麗で気高かった。彼女の花は、決して濃紅なんかじゃなく、薄く、柔らかく、人々にその美しさを称賛される喜びと誇りによって薄紅色に染まっていたんだ。しかしその反面、彼女は世間知らずだった。そんな紅桜を騙すのなんて君の先祖にとっては赤子の手を捻るより簡単だった。奴は鉄鎖で無抵抗の紅桜を封じると、己の血に呪術をかけた」

 煉が夜空に咲き乱れる紅い花弁を見上げ、唇を噛んだ。

「……一族に生まれる子供のうち、長子以外を贄として桜に与え続ける。そしてその桜の力を長子が退魔力として得る。つまり弟妹がいなければ長子であっても霊力を得ることは出来ない。勇人さ、君の父さんの弟妹は全員亡くなってるって言ってたよね? それが君の父さんの霊力が衰えた原因だよ」

「な、なんでわざわざそんな事を……」

「ヒトはヒトを喰って霊力を得ることは出来ない。でもヒトを喰った鬼からその力を奪うことは出来る」煉が幽かに嗤った。「それだって本当はすごく難しいんだけど、君の先祖はまじでイヤになるくらい優秀だったからね」

「まさか、この事を知っていたから、母さんは俺からみぃを守ろうとして……」

 勇人が顔を上げると煉を睨んだ。

「……てめー、ここまで解ってて、何でこうなる前に止めなかったんだよ?!」

「知らなかったのさ。俺は常に国中を旅してるから」寂しそうに桜を見上げる煉の黒髪が、夜風に靡く。「そして知った時には手遅れだった」

「君の先祖は呪術に長けていた。誰も傷つけずに彼がかけた術を解くのは俺には無理だった。だから、俺はただひたすら鉄の(くびき)が解ける日を待っていた」

 煉が勇人の胸元を指差した。目を凝らした勇人に、自分の躰に巻きついた鎖がうっすらと視えた。

「チャンスは今しかない。勇人、君の血にかけられた呪いを解くことが出来るのは、その鎖を断ち切ることが出来るのは、君だけなんだよ」煉の真っ直ぐな眼が勇人を見つめる。「……頼む。君の力で、どうか紅桜を自由にしてやって欲しい」

「でも、鬼を……みぃを喰う鬼を見逃したりするわけには……それに、俺は、ヒトを救うために今まで……」

「ねぇ、よく見て」

 煉が切れてなお樹の幹に喰い込む鉄鎖を毟り取ると、自分の足下を指差した。

「……これが君達が鬼と呼び、三百年もの間貪ってきたモノの姿だよ」

 煉の足元の闇に蹲る、あまりに無残なその姿に勇人が思わず息を呑んだ。

 勇人の夢に現れたあの(あで)やかな紅桜の姿はそこにはなかった。生命を貪られ続けた鬼は、黒く乾いてひび割れ、醜く縮こまり、立つことも動くこともままならず、餓鬼の様な姿で地面に丸まり、虚ろな眼で暗い空をみつめていた。そして勇人の胸に巻きついた呪術の鎖のもう一方の端は、痩せ衰えた鬼の肉を(ただ)らせ骨にまで喰い込み、その躰を縛りつけていた。

「紅桜には自らヒトを喰う力すら残っていない。望まぬ紅桜に君の妹の命を無理に与え、生かしているのは君達を繋ぐその鎖だけだ」

 煉がふと哀しげに微笑んだ。

「勇人、初めて出逢った時、君は自分のことを正義の味方だって言ったよね。でも、正義って、正しい行いってナニ? こうやって得た不自然な力で、君は一体何を守ろうとしているの?」

 唇を噛み拳を握りしめた勇人の肩を父が掴んだ。

「勇人、情に流されるな。お前は塚乃護家の当主だ」

 煉が静かに勇人を見つめる。

「勇人、決めるのは君だ」

「これはお前が個人の意思で決める事ではない。お前は当主として一族への務めを果たさなければならない」

「君の先祖が血の呪いに屈したからって、君までがそうする必要なんてない」

「一族は長い年月、闇に棲む鬼からヒトを守ってきた。それは決して金や権力の為などではなかったはずだ」

「その(いびつ)な霊力を手に入れるために犠牲となったヒトやモノ……」

「迷うな」

「考えるんだ」

「ヒトを守れ」

「決めるのは君だ」


 ヤメテクレ。勇人が思わず耳を塞いだ。でも幾ら耳を塞いでも、父と煉の声が頭にガンガンと響く。迷ウナ、考エロ、決メロ、ヤルナ、ヤレ──


 ヤメテクレ。なんで俺を責めるんだ? 俺は今までだって一生懸命やってきたじゃないか。多くのモノを犠牲にして、俺は常に周囲の期待に応えようとしてきた。誰も褒めてなんかくれなかったけれど、でも褒められたかった訳じゃない。俺が必死になって今までやってきたのは、それは──


 瞑った目の裏に、不意に自分をひたと見つめた煉の冴え冴えとした瞳が浮かんだ。


 ……俺ハ俺ノ守リタイモノヲ守ル。


 勇人、と落ち着いた声で父が呼び掛け、頭を抱え込んだ勇人の肩に手を置いた。

「何を犠牲にしても闇を祓いヒトを守る。それが塚乃護の当主として生まれた者の運命(さだめ)なんだよ」

「違うっ!」不意に勇人が肩に置かれた父の手を振り払った。

「俺は当主になる為に生まれたわけじゃないっ」

「何を訳のわからんことを……」

「俺は俺だ。俺がどう生きるかは、俺の意思で決める」勇人が父を睨んだ。「みぃの命はみぃの物であるように。誰であっても、どんな理由でも、ソレをみぃから奪うことは許されないんだ」

「……お前は間違っている。確かに此の世の多くの者は然るべき理由もなく生まれてくる。しかし、極一部、ナニカの為に生まれてくる者達がいる。必要悪というのが嫌なら、尊い犠牲、殉死者と言ってもよい。それは此の世を闇から護る為に絶対に必要な者達で、美春もその一人だ」

「……もうたくさんだよ」

「何がだ?」

「もう嘘はたくさんだって言ってんだよっ」

 父が勇人を殴った。よろめいた勇人が血の混じった唾を吐くと、燃えるような目付きで父を睨んだ。

「……父さんさ、春樹叔父さんが死んだ時、俺が泣いてたら俺のこと叱ったよね。当主としてみっともない、男として恥ずかしい、って。でも、俺知ってるよ。春樹叔父さんが死んだ時、父さんが何週間もずっと眠らずに、毎晩一人でお墓の前に立っていたこと。父さんだって本当は……」

「黙れっ!」

 父が勇人を殴り倒すと鉄鎖を手に桜の樹に飛びかかった。

「……させないよ」

 父が投げた鉄鎖が立ち塞がった煉の腕に絡まり、父と煉が激しく睨み合った。

「……アンタは、アンタ達はまだ懲りないのか。命を奪い、奪われ、傷ついたのはアンタだって同じはずだ」

 煉の眼がぎらぎらと光り、煉の周りの空気が光を帯びて揺らぎ、不意に熱を孕んだ。

「なのに、なんでわかろうとしないんだっ、あんた達は、ヒトは、何故同じ過ちを繰り返す?!」

 煉が腕に巻き付いた鉄鎖を一瞬にして燃え散らすと同時に、凄まじい力を両手に込めて勇人の父親に襲いかかった。

「父さんッ!!!」

 凄まじい轟音と共に地面が割れた。眼を射る激しい炎と熱風に気が遠くなった父の耳に、懐かしい弟の声が聞こえた。

「……兄さん」


     ❀


「兄さん」

 春樹が廊下ですれ違った兄を呼び止めた。

「父さんから聞いたよ。また退魔の依頼を断ったんだってね」

 無言で答えぬ兄に弟が静かに微笑みかける。

「僕の身体を心配しているのなら、余計なことだよ」

 春樹が静かに着物の前をはだけた。黒ずみ、爛れ、樹皮のように硬くなった皮膚が現れ、その無残な姿に兄が思わず息を呑んだ。

「兄さん。これは兄さんのせいなんかじゃない。兄さんが力を使おうが使わまいが、紅桜は僕を喰い続ける。誰にもどうしようもないんだ。だから、どうせ死ぬなら、せめて、僕は誰かの役に立ったと、僕の命が誰かを救ったと思いたい」

 春樹が春の陽光に照らされる桜を見上げ、鮮やかに微笑んだ。

「だって僕はきっと……」


 春樹、と胸に浮かぶ弟の面影に囁きかける。

 お前はあの時、何を言いかけてやめたんだ? 自分は人の役に立つため、一家の繁栄の礎となるため生まれてきたとでも言うつもりだったのか。ならば何故言いかけて止めた?


 誰ニモドウシヨウモナイ。

(……本当に?)


 尊イ犠牲トナルタメ、誰カノ役ニ立ツタメ生マレタ。

(本当はお前だって……)


 爆風で岩に叩きつけられ、息を詰まらせた父の眼に、大きく切り裂かれた地面と、そしてその前に炎から父を守るようにして立つ息子の姿が映った。その姿に何故か、春の陽の中、産まれたばかりの美春を人知れずそっと抱いていた弟の後姿が重なった。


「春樹……」 不意に涙が零れた。 「……俺はお前に生きていて欲しかった。誰かの為ではなく、自分の為に生きるお前の姿を見たかった……」



     7


 殺されるな、と思った。煉の両手に込められた凄まじい炎を見た時、勇人は酷く冷静に、自分は恐らく一瞬で燃え尽くされ、灰すら残らないだろうと思った。

(完全燃焼だっけ? 全て窒素と二酸化炭素と水蒸気になっちゃって、後には何も残らない)

 丁度いい、と思った。自分を正義の味方と勘違いしていた愚かな思い上がりと、先祖代々受け継げられたきた醜悪な秘密、全て跡形も無く燃え尽きればいい。


 けれどもアイツは最後の瞬間、荒れ狂う炎を勇人や父ではなく、地面に叩きつけた。おまけに地面から跳ね返った衝撃波の殆どを自らの身体で受けた。あの衝撃波だけでも、勇人を粉々にするのには十分だったのに。


 奥歯を噛み締めた煉がやがて顔を上げ、勇人を見つめた。

「勇人、これは君にしか出来ない。彼女を助けられるのは、君だけなんだ」

「紅桜……」

 勇人が地面に横たわる鬼に近づき、その前に跪いた。

「紅桜。いままでごめんね。謝って済むことじゃないけど、どうやって償えばいいのかさえわからないけど、でも本当にごめん」

 勇人が自分と鬼を繋ぐ鎖に力を込めた。鬼が苦しそうに呻き、身悶えする。三百年もの間、俺達が力を使うたびに、コレはこうやって苦しんできたのだろう。それはヒトには償いようもない、余りに長い時間だった。

「……でも、これで最後だよ」

 渾身の力を込めて、勇人が鎖を引き千切った。


「君は自由だ……」


 ひらり、と花びらが舞った。紅桜が顔を上げると勇人を見つめ、幽かに微笑んだ。と、その姿が無数の花びらとなり、崩れ、跡形も無く風に舞い散った。次の瞬間、桜の古木に亀裂が入り、空洞な幹が雷が落ちたかのように幾つもに裂け、崩れ、轟音と共に紅い花びらが夜空を舞い、やがて溶けるように消えていった。

 跡には何も残らなかった。


「……え? これでお終い……?」

 これでいいんだよ、と煉が茫然とする勇人に囁いた。

「で、でも、だって、紅桜は……」

 煉が星の無い暗い天を見上げると静かに呟いた。

「……死はありとあらゆる悲哀の終末なり」

 違う、と震える声で勇人が叫んだ。

「違うっ、そんなの、あんまりじゃないかっ! 俺はイヤだ、これで終わりだなんて、死ぬことでしか救われないなんて……!」


 拳を握りしめて叫ぶ勇人に煉がかすかに微笑むと、崩れた古木の根元を指差した。



   エピローグ


 一年後。


「いってきまーす!」

 家から駆け出した美春を勇人が慌てて追いかける。

「こら、待てよ、みぃ、走るなって! 転んでも知らねーぞ!」

「だーいじょうぶ」

 美春が楽しげに笑う。

「お兄ちゃん、はい、お花見のお弁当」

 母が勇人に大きな重箱を渡した。

「美春をよろしくね」

 勇人に向けられた母の微笑みが眩しい。

「お兄ちゃ~ん、はやくはやく!」

 美春の声に勇人が慌てて駆け出した。


「レン君もう来てるかな?」

「わかんねーぞ。アイツのことだから、平気でドタキャンとかあり得るぞ」

「レン君はそんな不誠実なことしません」

 一体コイツの煉に対する絶対的信頼はどこから来るのか。兄としては腹ただしいばかりである。あの日の煉の眼を思い出すと、今でも背筋に寒気が走る。

(……アイツ、最後の瞬間まではぜってーマジで俺のこと殺すつもりだったぞ)


 息を切らせながら塚を登った兄妹の目に、倒れた古木の根元に育つ細い若木と、その前に腰をおろした懐かしい姿が映った。


「美春ちゃん、お誕生日おめでとう」

 煉が桜色の紙袋を美春に手渡す。袋を覗いた美春が歓声を上げた。

「うわ~、可愛い~♡ もしかしてコレってレン君の手作り?!」

「うん、そう。気に入ってくれたらいいんだけど」

 耳に淡いピンクの桜を飾った狐のヌイグルミを見て、勇人が呆れた顔をする。

「煉、お前、器用過ぎだぞ。手芸男子かよ」

「あ、勇人もついでに誕生日おめでとう」

 煉がブルーの紙袋を勇人に渡した。

「ついでとか、思ってても言うかフツー?」

 文句を言いつつ満更でもなさそうな顔で袋を覗き込んだ勇人が硬直した。

「……煉、てめー、コレは一体なんのイヤガラセだよ……?」

 勇人の袋を覗き込んだ美春が目を見張った。

「すっごーい、これもレン君が作ったの?!」

「うん、そう」


 表地に紅を、裏地に紫を配した紅桜色の襲を着た黒髪の日本人形は、赤い口元にうっすらと笑みを浮かべ、ぞっとする程艶やかに美しい。


 勇人の引き攣った顔を見て煉がにやりと笑った。

「これ、すごいんだよ。モナリザ風にさ、ほら、どの角度から見ても人形の眼が自分を見つめているみたいになってんの。俺の力作。ね、すごいでしょ?」

 煉が人形を勇人の顔のまわりで動かしてみせる。

「……テメ~、つまんないことにチカラ入れてんじゃねーッ! こんなコワイもんいるかっ!!!」


 暖かな春の陽の下、子供達の透明な笑い声に、若木に咲いた淡い紅色の桜の花びらが揺れる。


(END)

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