死人花(四)
5
「焰、おなか空いてない?」
名を呼ばれ、重い瞼を上げる。
「さっき川に仕掛けを作っといたからさ、なんか掛かってないかちょっと見に行ってくるけど、ひとりで大丈夫?」
俺のことは気にするな、おまえこそ腹が減っただろうと言おうとしたが、喉が掠れて言葉にならなかった。心配そうに覗き込んでくる煉から顔を背け、さっさと行けと頬を尻尾で叩いてやる。
煉はいつも腹を空かせている。喰っても喰っても永久に満たされぬ渇きを身の内に抱き、生き続ける。そんな彼奴が他人に見せる優しげな微笑みが、その嘘臭さが、俺は嫌いだった。嫌いなのに、目が離せない。もっと自由に、心のままに生きる姿を見たいと願いながら、他人の欲望と己の渇望の狭間でがんじがらめに生きる背中を見つめ続ける――
❀
川に仕掛けていた網に穴が空いていたらしい。獲物のない仕掛けを引き上げて、紅音が舌打ちした。その姿に思わずニヤニヤしていると、奴がジロリと頭上を睨んだ。
「……いるんだろ。隠れてないで出てこいよ」
「別に隠れているわけじゃない」樹から飛び降り、大きくひとつ伸びをする。「俺が昼寝をしていたところに、オマエが後から来たんだろう」
「狐ってのは、よっぽど暇なんだな。なんだって俺を付け回すんだ?」
「ヒトの子なんぞを付け回すほど暇じゃないさ。だがオマエはなかなか面白い。ここら一帯は俺の縄張りだからな。オマエが生きているかどうか、たまに見回ってやってるだけだ」
アリガタク思え、と言ってやると、奴は忌々しげに顔をしかめ、俺に向かって水を跳ねかけてきた。
「最近ちっとも魚がかからん。何度直しても網が穴だらけだ。おまえのせいか?」
「バカ言うな」苛立たしげに網を直す紅音を横目に、思わず声を上げて笑った。「オマエ、この前、そこの白っぽい石に小便をひっかけただろう? その石はこの川の主のお気に入りの座り場所だからな、奴を怒らせたオマエが悪い。奴の機嫌がなおるまで、ここの魚はオマエには捕まらん」
紅音は不機嫌そうに口を尖らせていたが、やがて上目遣いにチラリと俺を見た。
「……その主の機嫌ってのは、どうすればなおるんだ?」
「さあな。指の一本でもくれてやればなおるんじゃないか?」
欠伸まじりに俺がそう言った途端、奴は懐からよく磨かれた石刀を出し、それを振りかざした。
「おいバカやめろッ! 冗談だ!」
何の躊躇もなく己の指を切り落とそうとした大馬鹿者を慌てて止める。
「ヒトの血肉なんぞを喜ぶのは悪食の鬼か悪神の類いだけだ。魚が欲しいならよその川に行ったほうが早い」
「よその川じゃダメだ。ここの魚がいい」
「川魚なんかどこでも同じだろう」
「違う」紅音が首を横に振った。「……ここの魚が一番肥えてる」
そのやけに頑なな横顔を見て、俺は溜息を吐いた。
「コタロウがまた風邪でも引いたか?」
生来身体が弱いのか、小太郎は病がちで、寝付くことが多かった。その度に紅音は魚やら野兎やらを捕まえて、寺に持って帰る。
「精のつくモノを喰わせたいなら、サワガニにしとけ。アレは猪の脂で炒るとウマイが、汁にしても悪くない。それくらいなら川の主も文句は言わんだろう」
紅音はしばらく何やら考えていたが、納得したのか、ゴソゴソと浅瀬に入ると蟹の隠れていそうな石をめくり始めた。秋の水の冷たさに赤くなった鼻先が年相応に子供じみていて、それがなぜか俺を安心させた。
6
ぱちぱちと火の爆ぜる音に、心が現に戻る。
「あ、起こしちゃった?」
焚火に枯れ枝を投げ入れていた少年が振り返り、小首を傾げた。猫のように眦の切れ上がった大きな眼にじっと見つめられ、その瞳の色に一瞬戸惑う。
「……煉」
掠れた声で呼ぶと、黒い瞳が優しげに細められた。温かな手が俺を抱き上げ、ゆっくりと背中をさすり、そしてまた抗いようの無い眠気が兆す。煙の匂いにまじり、どんどんと、遠く鼓の音がする。秋祭りが近いのか。いや、ちがう。これは、祭りの音などではなくて、これは、煉の鼓動か、己の鼓動か――
❀
どんどんと鼓の音が響く。秋が深まり、無事に稲の収穫を終えた人々が祝いの酒に酔い痴れる。村が賊に襲われたのは、誰もがほっとひと息ついた、そんな夜のことだった。
夜更け、なんの前触れもなく突如村に上がった火の手を見て、俺はその日が来たことを悟った。知っていたこととは言え、これから起こるであろうことを思えば首すじの毛が厭な具合いにざわつく。ヒトの生き死になど俺の知ったことではないが、しかし目の前で繰り広げられる同族殺しの醜さとヒトという生き物のクダラナサは、どうにも好きになれなかった。
逃げ惑う女子供の悲鳴とむせかえるような血の臭いに辟易として、山へ帰ろうとした時だった。お待ちくだせぇ、命だけはお助けくだせぇと泣き喚く男の声が不意に耳に飛び込んできた。
「こんな小さな村なんぞより、よほどいい所をお教えしますんでッ」
妻子共々畠の隅に追い詰められた男が、泥の中に這いつくばって必死に命乞いをする。
「ここから西へ行った山奥に、寺があるんでさぁ。表向きは戒律の厳しい寺って話ですがね、そこの坊主はひと皮剥けばたいしたナマグサで、裏では領主と手を組んでやりたい放題、そりゃまぁ色々とワルさをして金を溜め込んでるってもっぱらの噂でして……」
ヒトはヒトを裏切る。己が助かるためなら、他人の命など惜しくも無い。あたりまえのことだ。そんなあたりまえのことなのに、ふと寒気を覚えた。もしもあの時、紅音がこの襲撃の覚りを村人に話していれば、彼等を助ける手立てをしていれば、コトは違っていたのだろうか。未来は変えられたのだろうか。そもそもあの紅い眼は、一体コレを何処まで視ていたのだろうか――
手にした槍を振り上げ、賊がニタリと笑った。
「知ってるさ。だから向こうにはカシラが行った。コッチは目眩しを兼ねたタダの暇潰しよ」
それを聞いた瞬間、俺は藪陰から飛び出し山道を走り出した。
……血の臭いが鼻を突く。イキモノの焼け爛れる臭いに風が濁る。村から離れ、山を駆け抜け、山頂にある寺に近づけば近づくほど、異臭は強くなった。不意に目の前が開け、どうと火柱が上がった。
「オトナは皆殺しだ! ガキは売りモンだが、逆らったら殺しても構わねぇってよ!」
爆ぜる火と熱風が喉を焼く。血塗れの死体を蹴り、誰かが笑う。家畜のように縛られた子供たちが泣き叫ぶ。その中にアイツの姿はない。
「おい、コイツはどうする?」
刀を手にした男が、目に布を巻いた子供を指差した。
「なんだオメエ、目が見えんのか?」言葉も無く震える子供を見て、相方が鼻を鳴らした。「こんなキズモン、連れていくだけむだじゃ。捨てておけ」
ツブレタ眼玉ノオカゲデ、オマエハ死ナナイ。
ずくり、と頭の芯が痛んだ。
……奴は知っていた。この未来を。この結末を。
どうと再び火柱が上がった。
「ここんとこ雨が降らんかったからな、火の回りがはええな。急がんと坊主共がため込んだお宝も灰になるぞ」
「ったくカシラも、火ィ付けるのは後にすりゃあいいのによ」
「仕方ねぇさあ、カシラの派手好きは今に始まったわけじゃねぇ」
燃エル、燃エル、血ニ染マッタ紅イ花ガ燃エル。
アイツはこの火の中にいる。躍り狂うような火の海に囲まれ笑っている奴の姿が眼に浮かび、俺は理由も分からぬままに火の中へ飛び込んだ。
紅音と小太郎が寝起きしていた三畳間で、うつむけに倒れている若い僧を見つけた。ナニカを必死に守るように丸められた背中は腰まで深々と斬り裂かれ、溢れた臓物が炎に照らされて、それがぬらぬらと光る様は妙に物静かで綺麗だった。その腕に隠されるように抱かれた柔らかな薄茶の髪に、俺はそっと鼻を近づけた。
デモ、オレガイルヨ。オレガ、イツモ、ズット、アカネト一緒ニイルカラ――
……そこに生きたモノの匂いは無かった。紅音を見つめる少年のはにかんだ微笑みが瞼の裏を過ぎる。俺は部屋を飛び出し、火の中をさらに奥へ奥へと駆けた。そして、崩れかけた寺の一番奥で、俺は奴を見つけた。
「……そうか、小太郎も逃げることは叶わなんだか……皆哀れなことをした。先ある若者が死に、老いさらばえた者が生き遺されてしまうとは、なんと胸の痛むことよ」
煤に汚れた顔を豪奢な袈裟の端で拭い、年老いた僧が嘆く。しかし言葉のわりには忙しげに床板を上げて、金目の物の入った重たげな木箱を動かそうと必死になっている。そんな老人の背後に、紅音は何をするでもなく、斧を片手に無言で立ち竦んでいた。
「しかし何事も御仏の御心のままに、これも試練ならば、苦しゅうともお前と二人、皆の供養のためにも生き延びようぞ――」
それまで無表情に老いた背中を見つめていた紅音が、不意に口の端を歪めるようにして笑った。
「生き延びるのは俺だけだ」
次の瞬間、老僧の首すじに向かって斧が振り下ろされた。
「薪を割るみたいにはいかないんだな」
血飛沫と共に声も無く倒れた老僧を見下ろして僅かに首を傾げると、紅音は首の根本に斜めに突き刺さった斧を抜き、ひたすら淡々と、裏庭で薪でも割るように、再びそれを振り下ろした。それを三度ばかり繰り返し、ようやく落ちた首を掴むと、返り血に真っ赤に染まった顔で俺を振り返った。
「もうここに用はない」
早朝の薪割りでも終えたかのようにスッキリとした顔を、俺はただ静かに見つめ返した。
「……コタロウの仇か」
「ふざけるな」床下の財宝に唾を吐きかけ、紅音が立ち上がった。「あいつは弱かった。弱かったから奪われ、貪られ、死んだ。それだけのことさ。そんなことより賊の奴らに捕まる前にここを出ようぜ。おまえなら逃げ道くらい知ってるんだろ?」
俺は無言で紅音の前に立ち、寺を出た。追っ手がかかる前にこの山から立ち去るべきだと急いだが、山に入ってしばらく行くと、「ここでいい」と言って紅音が足を止めた。
「夜明け前になるべく寺から離れたほうがいい。こんなところでグズグズしていると捕まるぞ」と俺が言っても、紅音は肩を竦めただけで、寺から持って出た老僧の首を片手にやおら木に登り始めた。
「前にコイツが言ってた。死体が野晒しのままじゃあ成仏できないんだってさ」
尖った枝に生首を突き刺し、冷えた眼差しで頬の返り血を拭うと、紅音が嗤った。
「コイツに供養なんていらん。こうやって野晒しのまま、鳥やケモノに喰われて糞になるのがお似合いさ」
「成仏もなにも、死んだモノはただの肉だ。灰になろうが糞になろうが変わりはない」
それには答えず、紅音はただふんと鼻を鳴らし、俺から眼を逸らした。坊主の首を獣に喰わせたくらいで、その胸の内を濁らす恨み辛みは晴れはしない。滾る怒りが消えることなどない。そこに救いなどない。
「こうなると知っていたのなら、なぜコタロウを連れて逃げなかった?」
「……変わらない」生首の刺さった枝に座ったまま夜明け前の空を見上げ、紅音が再び鼻を鳴らした。「連れて逃げても、あいつは死んでいた。山に逃げれば飢えと寒さにヤられ、村に降りれば流行り病で死んだ」
「だからオマエが選んでやったのか? 殺されるという未来を」
長い間、紅音は無言で俺を睨んでいたが、やがてふいと眼を逸らし、「生きてどうする?」と吐き捨てるように言った。
「コタロウと一緒に死んでた坊主がいたろう? コタロウはあいつのことを好いていた。馬鹿なやつさ。元はと言えばあいつのせいで酷い目に遭ったってのに、あの上っ面の優しさに騙されて、すっかり懐いちまってさ。あいつの本性をいくら俺が教えてやろうとしても、あいつを信じるのだけはやめようとしなかった。素直なクセに、妙に頑固なところがあったからな。そうやって、騙されつづけて、救われていると勘違いし続けて、あいつの腕の中で、あいつと一緒に死んだんだ。本望だろ?」
「確かに馬鹿だな。馬鹿だが、オマエよりは強い」
「……なんだと?」
「強くなければ誰かを信じることは出来ん。坊主を信じ、オマエを信じていた分だけ、コタロウのほうがオマエよりも強い」
俺を睨むヤツの眼の奥に、ゆらゆらと紅い火影が揺らめく。その色に見入り、魅入られ、俺は嗤った。
「その紅い眼に映る世界を生きるのがそんなに怖いか? オマエ、そもそも一度でも本気で生きようと思ったことはあるのか? 生きてどうするだと? そんなことは生きてみてから言え」
「……おまえに言われなくても生きてやるさ。俺にはまだヤルことがある」
ひらりと樹から飛び降りると、紅音が地面に唾を吐いた。
「奪い、貪り、殺ってでも、死ぬまで生きてやる」
ぬっと背後から突き出された腕が、紅音の肩を掴んだ。




