死人花(二)
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軀が重いと呟くと、煉が僅かに眉を顰めて俺の顔を覗き込んだ。
「もしかして、例のアレ?」
「……久し振りすぎてわからん」
「前回のは二十年近く前だったっけ?」
数年から数十年に一度、鉛でも飲んだように軀が重くなる時がある。そうなるともう動くのも億劫で、瞼を開けることすらままならず、気鬱になり、俺は幾日も死んだように眠り続ける。煉はソレを『陰に入る』と呼ぶが、その原因が何なのか、俺にも奴にもわからない。深い淵に沈むような重く気怠い眠りの中、繰り返し、繰り返し、同じ夢をみているような気もするが、醒めればすべて忘れた。ただ、陰に入るのはいつも死人花の咲く頃で、だから、俺はあの花の紅さが苦手なのだろう――
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「余計な真似しやがって」
二度目に出逢った時、奴が俺に向かって放った第一声がそれだった。風通しの良い山の端でのんびりと秋風を楽しんでいた俺は、突如現れた小汚いヒトの姿に驚いて、無言で幾度か瞬きした。
「……オマエ、あの時の子供か」
俺を睨みつける眼を見て、それがあの蓑虫だと思い出すのにそう時間はかからなかった。そして、やはりあの時、坊主ですら気づかなかった俺の存在をコイツだけは気付いていたのかと、その勘の良さに少しばかり感心した。しかしそんな俺の密かな感慨など、蓑虫の知ったことでは無いらしい。
「あの日、雨を降らせたのはおまえだろう。雨さえ降らなければあのクソ坊主共に出会うこともなかったのに」
余計な真似しやがって、と再び言うと、蓑虫が地面に唾を吐いた。
「なんだ、寺での待遇が悪いのか。そんなことは俺の知ったことじゃないぞ」
わざわざ文句を言いに来るとは、たかがヒトの子の癖にいい度胸だ。のそりと身を起こし、俺は奴を見下ろしてやった。そこらの山犬なんぞより遥かに大きな俺に睨まれても、奴はその紅い眼を逸らそうとはしなかった。
「……メシと寝る場所はある」
「そのわりに薄汚れているな」
「汚いほうがいいのさ」
ふんと鼻を鳴らすと蓑虫はようやく俺から眼を逸らし、頬を歪めるようにして嗤った。
「汚ければ、あの生臭坊主に目を付けられずにすむからな」
その嗤いの裏にあるモノの腐臭に、思わず鼻先に皺が寄る。
「……鎖で繋がれているわけでもあるまいし、イヤなら出て行けばいいだろうが。子供といえど、オマエ一人が生きてゆくくらいどうとでもなるだろう」
蓑虫が何事か言いかけ、しかし忌々しげに舌打ちすると口を噤んだ。そのまま無言で俺の隣に座ると、山の麓に広がる景色を見下ろした。そこには小さな村があった。やがて風が茜色に染まり、辺りがゆっくりと夕闇に沈み始める中、紅い花の咲き乱れる畦道を幾人かの子供が笑いながら駆けてゆく。母の待つ家へ帰るのだろうか。子供らが手にした紅い花が、鬼火のようにゆらゆらと宵闇に揺れる。
俺はヒトという存在に意味を見出したことはない。けれども、このどこか物哀しい夕暮れの匂いと、家路につくヒトの穏やかなざわめきは好きだった。
ゾクガクル、と不意に蓑虫が呟いた。
「……なんだと?」
「賊ガクル。村ノ秋ノ収穫ヲ狙ッテ、飢エタ山犬ノヨウニ、殺シ、奪イ、焼キ尽クス」
燃エル、燃エル、血ニ染マッタ紅イ花ガ燃エル。まるで唄うように無機質な声が繰り返す。
「……それはオマエの覚りか」
「そうだ」と答えて無表情に村を見下ろす蓑虫の眼には、憐れみのカケラすら無かった。
「知っているなら、なぜ言ってやらん?」
「なんでかって?」馬鹿にしたように蓑虫が鼻を鳴らした。「ヒトなんて誰が死のうと、痛くも痒くもないからさ」
「あの村に恨みでもあるのか?」
「行ったこともない村さ。だけどヒトなんてみんな同じさ。俺の言葉を信じないヤツはウソをつくなって殴るし、信じるヤツは呪いだとか言って俺を殺そうとする。そんなヤツらを助けてやる義理なんてない。みんな死んじまえばいいのさ」
それは、ヒトに疎まれ、蔑まれ、傷つけられて生きてきた奴の本心からの言葉だったのだろう。その善し悪しを問うつもりはない。ソレが奴の生きる理だった。唯、それだけのこと。
蓑虫が無言で立ち上がった。
「寺に帰るのか」
ちらりと俺を振り返っただけで返事をしない奴に向かって、俺は肩を竦めた。
「好きでもない場所になぜわざわざ帰るんだ? 家に帰る村の子たちを見て羨ましくなったか? ヒトなんか死ねばいいと言ってるクセに、ひとりで生きるのはさびしいか?」
「……狐ってのは、みんなそんなにお喋りなのか?」
と、アカネー、アカネーと遠くで呼ぶ声がした。ナニカひどく柔らかで透明なモノが近づいてくる。途端に不機嫌そうに口の端を曲げた奴を尻目に、俺は素早く背後の木陰に身を隠した。そこに現れたのは、ひとりの少年だった。
「アカネ、どこ行ったかと思った」
人懐っこい笑顔を浮かべ、少年がほっとした様子で蓑虫の足元にしゃがみ込む。走ってきたのだろうか。抜けるように色白な頬が僅かに上気して、少女のように愛らしい。しかしその目元は泣き腫らしたように赤かった。
「……コタロウ、おまえ、また赤毛をからかわれて泣いたのか」
「違うよ、そんなんじゃない」
小太郎と呼ばれた少年が、ふるふると首を横に振った。その少年の髪を見て、俺は思わず溜息を吐いた。全体的にやや色素が薄い感は否めないが、しかし鬼のような赤毛とは程遠い。この程度の違いをあげつらうとは、ヒトとはなんと暇なイキモノなのだろう。
「アカネが怒ってくれたから、この髪の色のせいでイジメられたりはしてないよ」
ふむと頷き、俺はちらりと蓑虫改め紅音を見遣った。この見るからに弱々しげな少年の為に怒ってやるとは、侠気と言うよりは同病相憐れむと言ったところか。しかし紅音は鼻白んだ様子でそっぽを向いた。
「勘違いするな。なんで俺がおまえなんかのために怒らなきゃならないんだ。昼寝の邪魔をされて、イラついただけだ」
「うん、わかってる」
ふふ、と笑って、少年が紅音にそっと身を寄せた。てっきり突き飛ばすかと思ったが、紅音はますます不機嫌そうに眉根を寄せただけで、身を寄せられても避けようとはしなかった。無言で寄り添うふたつの影法師が、沈む夕陽に長く伸びる。その背中を眺めつつ、俺はふんと鼻を鳴らした。コレが、紅音が嫌々ながらも寺に帰る理由なのだろう。
「……ありがたいと思わなくちゃいけないんだよね」と不意に少年が呟いた。
「拾ってもらって、食わせてもらって、親にもみすてられた役立たずの赤毛のくせに……だから、主様の言いつけはぜんぶ守って、なにを言われても、なにをされても、ありがたいと思って、生きていかなくちゃいけないんだよね」
自分の足元にうずくまる細い背中が震える様を、紅音は長い間無言で見つめていた。
「……死にたいのか?」
その眼に不意にゆらりと紅い火影が揺れた。
「死にたきゃ勝手に死ね」
吐き捨てるように言って、紅音が顔を背けた。咲き乱れる花の群れが風を染め、奴を染め、そしてゆらゆらと紅い炎が燃え盛る。
「いいか、知らないなら教えてやる。この世は地獄だ。神も仏もいない。ここに在るのは、奪う者と奪われる者だけだ。弱ければ奪われ、貪られ、殺られる」
ソレナラ俺ハ、奪イ、貪リ、殺ルホウニマワッテヤル。
紅音というニンゲンは、どこかあの紅い花に似て、狂おしいほどに鮮やかで、美しく、毒があった。




