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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第三章 〜 Songs of Wren
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死人花(一)

 ひたすらに別れし人のいかなれば 胸にとまれる心地のみする (和泉式部)



     エピローグ



「もうすっかり秋だねぇ」

 高い樹の枝に寝そべり、煉がのんびりとアクビした。茜色の風が艶やかな黒髪を優しく乱す。

「今日はここで休もうか」

「そうだな」

 金色に色づき始めた稲穂の波を見下ろして俺は頷きかけ、そして慌てて首を横に振った。

「いや、やっぱりここはダメだ。違うところにしよう」

「え? 別にいいけど、でもなんで?」

 不思議そうに首を傾げた煉から眼を逸らし、俺は苛々と尻尾で枝を叩いた。

「……ここにはアレが多過ぎる」

「あれって……?」

 何か言いかけた煉がふと畦道に目を遣り、納得したように肩を竦めた。

「うん、いいよ。どうせ一晩寝るだけだし、神社か寺でも探しに行こうか」

 ひらりと樹から飛び降りた煉を追い、その肩に駆け登る。そして辺りを見ずに済むように、固く眼を瞑った。

「焰はさぁ、なんで曼珠沙華が苦手なんだろうね」

「……知らん」

「曼珠沙華って『天上に咲く花』って意味なんだって。別名狐花……彼岸花とか死人花とも言うけど。それにしても狐百合(グロリオサ)は平気なのに狐花(マンジュシャゲ)はダメって、やっぱカケラになる前の焰の過去と関係あるのかなぁ」

「知らん」尻尾で顔を覆い、俺は耳を伏せた。「思い出せもしない過去の事なんか、どうでもいい」


 ……どうでもいい。そうひたすら己に言い聞かせ、固く、固く、眼を閉じ、心を閉ざす。

 けれども幾ら眼を背けても、瞑った瞼の奥に、見知らぬ死人花の緋が燃える――



      1


 紅い、というほどではなかった。陽に透かして見れば確かにヒトより薄く、幾筋かの細い夕陽のような光が入っている程度の事だった。

 それでもヒトはあいつを疎み、忌み嫌った。それはきっと、その瞳の色のせいなどでなく、奴がその眼に浮かべる氷雨のような嘲りと暗く濁った嗤いのせいだったのだろう。


 紅音(あかね)という名は誰に貰ったモノだったのか。紅音は覚りの力を持って生まれた。良きにつけ、悪しきにつけ、来るべき運命(さだめ)を視る力。しかし奴は良き覚りには口を噤み、悪しきモノばかりを口にした。ヒトに疎まれるのも当然と言えよう。 俺はアレを厭うていたわけではないが、かと言って庇う気も無い。アレは残忍で、冷酷で、狡賢く、復讐心に満ち、憎しみに心を沸かせ、それでいてどこか薄氷(うすらい)のように脆かった。


      ❀


 初めて紅音に出逢ったのは、人里を見下ろす山の端だった。気狂いじみた女の泣き声と男の罵声に午睡を邪魔され、何事かと藪の陰から覗いてみれば、これでもかというほどキツく縄で縛った子供を樹の枝に吊るし上げ、それを大の男が憤怒の形相で殴りつけていた。棒が打ち下ろされるたびに、痩せて汚れた身体が風に吹かれる蓑虫のように右に左に揺れ動く。

「薄汚い鬼っ子が!」女が蓑虫に向かって喚いた。「あたしの簪を盗んで売ったのはお前だってわかってんだからね!」

 アカメ、アカメ、アカメの鬼っ子と、女が喚きながら唾を吐きかける。しかし幾ら罵られようと殴られようと、小さな蓑虫は俯いたまま悲鳴ひとつ上げようとはしなかった。

「ったく、強情なガキだぜ!」

 反応の無い相手にさすがに殴り疲れたのか、苛立った男が肩をバキリと鳴らして息を荒げた。

「どこの馬の骨とも知れねぇ野郎相手に身籠って、挙げ句の果てに子供を捨てて男と逃げたおまえの母親にそっくりだな!」

 不意に蓑虫が顔を上げた。垢と血糊に汚れた髪の隙間から覗く眼が、男をじっと見つめる。

「……うぐいす」

 小さな声で何事か呟くと、妙に白っぽく光る眼が獲物を狙うようにすいと細まり、赤い舌が切れた唇をちろりと舐めた。

「……あんた、うぐいすに似てるね」

「なんだと?」

 枝に吊るされた蓑虫が、声にならない不快な嗤いに喉を震わせる。

「その女はあんたの弟と密通して弟の子を産む。そしてあんたは、それを自分の子だと思ってバカみたいに可愛がって育てるのさ。ほととぎすに托卵されたうぐいすみたいにさ」


 ウグイス、ウグイス、愚カナウグイス。

 真実ヲ知ッタ哀レデ愚カナウグイスハ、女ヲ殺シ、男ヲ殺シ、赤児ヲ殺シ、己ノ内ニ渦巻ク憎シミニ、身モ心モ灼カレテ狂イ死ヌ。


 アァ可笑シイ。

 不吉な覚りを甘い蜜のように舌先に弄び、蓑虫が嗤う。

 オマエラ愚カナ人間ガ、悶エ、苦シミ、殺シ合ウ。可笑シクッテタマラナイ。


 激昂した男が手加減も無しに棒を振り下ろす。けれど幾度打たれようと、蓑虫はその口許に浮かべた薄笑いを消そうとはしない。骨が砕ける音に、ザワリと首すじの毛が立った。決して哀れなどと思ったわけでも、憤りを覚えたわけでもない。ヒトの生き死になどどうでも良い。唯、奴の眼が、そこに浮かぶ色が、妙に胸の内をざわめかせた。

 俺の胸の騒めきに呼応したのか。不意に空が暗くなり、びゅうと生温かい風が吹いた。どろどろと腹に響く山鳴りに、棒を振りかざした男が不安気に辺りを見回す。ぽつり、と大粒の雨が男の顔に当たったかと思うと、あっと言う間にけぶるような夕立ちが来た。いっそのこと、このまま鬼火かなんぞで脅してこの胸糞悪いニンゲン共を追い払ってやろうかと考えた時だった。背後の藪から不意に人影が飛び出してきた。

「やぁ、凄い夕立ちだ」

 僧服に身を包んだ二人の男が木陰に駆け寄り、続いてぎょっとしたように足を止めた。

「これは一体……何をしているのですか」

 枝に吊るされた蓑虫と棒を手にした男女を交互に見遣り、僧達が眉をひそめる。一人は若く、涼しげに整った面立ちで、もう一人は旅装束と言えども中々に高級そうな袈裟を着けた恰幅の良い男だった。

「勘違いしないでくだせぇ。ただの悪ガキの躾でさぁ」

「躾と言うには行き過ぎではないか」

「いえね、コイツは手グセの悪いとんでもねぇガキで、それどころか捨て子のくせに養われている恩も忘れて、気味の悪いホラばかり吹きやがって……」

「どんな事情があるにせよ、幼子をここまで痛めつけてよい訳などあろう筈もない。早く下ろしてやりなさい」

 若い僧に睨まれ、男が渋々と蓑虫の縄を解く。地面に崩れ落ちた蓑虫を抱き上げ、僧が顔を曇らせた。

「憐れな……今にも事切れそうではないか」

「お言葉ですがねぇ、死んだほうがコイツのためなんでさぁ」

 開き直った男が地面に唾を吐いた。

「コイツは『覚り』でね、この赤目で気味の悪い先読みばかりして、近頃じゃあコイツは未来(さき)を読むんじゃねぇ、読むふりをして本当は呪っていやがるんじゃねぇかって言う奴もいるくらいで」

「こんな子供が覚りなどであるわけあるまい。子供の戯れ言を真に受けて、大の大人がなんと愚かなことを」

「本当でさぁ。コイツに死ぬと言われて死ななかった奴は、今まで一人だっていねぇし……」

「ひとは必ず死ぬものだ。死なぬほうがおかしい」

「そんなもんじゃねぇ、よそ者のあんたさんにはコイツの恐ろしさはわからねぇ」

「まぁまぁ」

 それまで黙って事の成り行きを見守っていた歳上の僧が、不意に割って入った。

「その子供が覚りかどうかなど我らにもわからぬが、しかしどちらにせよ、かような所業は御仏の御心にも沿うまいて。その子供、よくよく見れば中々賢しげな顔をしておる。手に余ると言うなら、寺に連れて帰って我らが育てよう」

 にこやかながらも有無を言わさぬ僧の言葉に、男女が顔を見合わせた。

「こんなガキで良けりゃあ、いくらでも連れて行ってくだせえ。これもお釈迦様のお導きとかですかねぇ。こんなクソガキ相手に、全くありがてぇこった」

「雨も止んだようだ。一刻も早く寺へ戻って手当てをしてやろう」

 馬鹿にしたように鼻先で嗤う男を気に留める様子もなく、歳上の僧が若い僧に子供を背負ってやるように命じる。やれやれ、ヒトの子がどうなろうと俺の知ったことでは無いが、しかしこれ以上に煩わしいことにもならず良かったと胸を撫で下ろした瞬間だった。細身の背に負ぶわれた蓑虫の腫れた瞼がうっすらと開き、唇が微かに動いた。

 ヨケイナ真似シヤガッテ、という奴の言葉を聞いたのは、おそらく俺だけだっただろう。そして奴のその後を鑑みるに、ヒトが覚りなどという力を持ち得るのなら、その言葉は俺に向けられたモノだったのだろう。

「何か言ったか?」

 若い僧が振り返った時にはすでに瞼は閉じられていた。


 ……紅い、というほどではなかった。陽に透かして見れば確かにヒトより薄く、幾筋かの細い夕陽のような光が入っている程度の事だった。けれどもその眼は奴の内に揺らめく炎を映し、ヒトのモノと言うには余りにも昏く、妖しく、俺自身ですら気づかぬうちに、俺を捉えていたのかも知れぬ。

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