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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第三章 〜 Songs of Wren
119/123

蝙蝠(終)

      18



 トモダチという言葉の意味が解らない。


 俺がそう言うと、黒髪の少年は首を傾げ、口許に微かな笑みを浮かべた。

「時間とか、空間とか、感情とか、自分にとって大切なモノを分かち合いたいと思える相手がトモダチなんじゃない?」

 それならば、ヒトと鬼はトモダチというモノになれるのかと尋ねると、少年の口許から笑みが消えた。深い静けさをたたえた瞳が俺を見つめる。

「俺はヒトとはトモダチにならない主義だけど、鬼のトモダチはいるよ」

 この少年がヒトなのか、鬼なのか、いつまで経っても俺にはよくわからなかった。

「でもさ、誰かとナニカを分かち合いたいと願うことに、相手が鬼だとかヒトだとかってのは関係ないんじゃない? だからさ、柊もそんな細かいコトに囚われずに、自由に、心のままに、自分が好きなモノを選び取ればいい。言ったでしょ? 『自由』って心が縛られてないってことだって。それがたとえどんな結末につながろうと、柊が幸せなら俺はそれでいいと思ってるからさ」


 柊の幸せな結末を祈っている。

 そう言って白々と冷たい月明りを見上げて笑う少年の横顔は、何故か少し寂しそうだった。



      ✿



「和馬。ちょっとここに座りなさい」

 日が暮れてから家に帰って来た和馬を、リビングルームにいた母が呼び止めた。いつになく真面目な母の顔に嫌な予感がしたが、おとなしく母の前に座る。

「ねえ、和馬。あなた、最近帰りが遅いみたいだけど、どこに行っているの?」

「どこって、塾とか、あと図書館とか」

「今日は塾だったでしょう? 算数の日よね? 和馬は国語は得意だけど、算数は苦手なのよね。課題の出来はどうだった?」

 ……しまった。塾の課題のことなんて、すっかり忘れていた。無言で俯いた和馬を見て、母が小さく嘆息した。

「塾を休んだのね?」

「……ごめんなさい」

「ねぇ、和馬。母さんは別に塾を休んだことを怒っているわけじゃないの。勝手に休んだのはもちろん良くないけれど、でも大切なのは休んだ理由じゃない?」

 理由を教えてちょうだいと言われ、和馬が唇を噛んだ。そんな和馬の姿に母が再び溜息を吐く。

「先生から電話があったわ。あなたがクラスメイトと殴り合いの喧嘩をして、それどころかその子に向かって『殺してやる』って言ったって……本当なの?」

 俯いたまま答えようとしない和馬に、母が困惑したように眉をひそめた。

「殴り合いだなんて、どうしてそんなことをしたの? おまけに殺してやるだなんて……和馬はそんな乱暴な子じゃないでしょう?」

 ……自分でも理解出来ないほどのあの激昂を、一体どうやって母に説明すればいいのだろう。自分の中に無い答えを求めて、和馬が視線を彷徨わせた時だった。それからね、と不意に母が声を低めた。

「あなたが年上の男の子と遅くまで遊んでいるみたいだって近所の人から聞いたんだけど、本当なの? その子、ちょっと服装や髪が変わった感じだって」

 トクリ、と胸が変な打ち方をした。

「ヒイラギは……髪の色はたしかに変わってるけど、でもあれは生まれつきって言うか……」

「ひいらぎっていうの、その子?」

「うん……」と頷きながら、唇を舐める。嫌な予感に喉が渇いて、ヒリヒリと痛む。

「ねぇ、和馬。あなたくらいの歳ではわからないかも知れないけれど、でもね、お友達は大切よ。つまりね、誰と友達になるか選ぶのが大事なの」

 和馬をなだめるように母が首を傾げ、硬く握り締められた和馬の手にそっと手を重ねた。

「母さん、心配なのよ。年上の癖に妙な格好で学校にも行かずに公園でぶらぶらしているような子と付き合ったりして、あなたが悪い影響を受けるんじゃないかって……」

「なんで……」

 ズクリ、と頭の芯に痛みが走った。

「なんで母さんまでそんなこと言うんだよ?! いつも、見た目でヒトを判断しちゃいけませんとか偉そうなこと言ってるクセに、みんな、なんで、どうして、ヒイラギのことなんか何も知らないくせに……ッ」

「和馬?! 待ちなさいっ」

 伸ばされた母の手を振り払い、家を飛び出した。


 胸が張り裂けそうに痛い。

 柊の美しさを見ようとしないヒトに苛立った。彼の哀しみに気づこうとしないヒトが許せなかった。ヒトという生き物が憎くて、自分もその一人であると言う事実に吐き気がした。全てを見透かしたような煉のあの眼差しですら憎い。でも本当は、柊の心を捉えたまま自由にしようとはしない過去(かのじょ)を妬んでいたのかもしれない。自分を振り返ってくれない柊が寂しくて、口惜しかったのかもしれない。鬼だとかヒトだとか、そんな瑣末なことにこだわって、囚われて、和馬を遠ざけているのは柊自身だったから。

「……みんな、みんな、大嫌いだ……ッ」

「おい、カズマ!」

 目の前に不意に金色の影が飛び出してきた。我に返って足を止めた和馬の前に、焰が立ち塞がった。

「こんな遅くにどこに行くんだ?」

 ……わからない。自分はどこに行くつもりだったのだろう。無我夢中のままどこまで走ってきたのか、辺りは真っ暗で、街灯どころか月明りすらない。ぬらぬらと妖しげに光る狐の金色の眼だけが闇に浮いている。

「……公園に……ヒイラギに会いに……」

「やめておけ。今日はもう遅い。行くなら明日にしろ」

 ぜえぜえと苦しげに喉を鳴らし、それでも押し黙ったまま帰ろうとしない和馬を見て、焰が僅かに眼を細めた。

「なあ、カズマ。悪いことは言わん。ヤツと関わるのはもうやめておけ」

「……なんで、君までそんなこと言うの?」

「アイツが鬼だからだ」

「ヒトだとか鬼だとか、そんなこと関係ない!」

「ヒトは醜い生き物だ」

 自分を見つめる金色の眼がゆらりと闇に揺れた。

「蝙蝠達の力はヒトの内に秘められた欲望を露わにし、ヒトを狂わせる。それは決して逃れることの出来ない、ヤツの鬼としての宿命だ。煉だって言ってただろう? おまえもヤツといれば、いつかヤツに『求める』ことになる」

 ……ヒトは醜い。柊に出会ってから、一体幾度その言葉を耳にしただろう。蝙蝠達の美しさが、その力が、ヒトの内に燻る燠火を煽り、その醜さを露わにする。そしてその醜さは、自分の中にも在った。目を背けても、耳を塞いでも、それは無くなりはしない。ヒトの醜さが、ヒトを狂わせ、ヒトを喰む。

「……でも、だからどうしろって言うの?」

 ほろほろと、淡いひかりを零すようにして微笑む彼の姿が瞼を過る。

「ヒイラギにずっと独りぼっちで生きていけって言うの? 誰ともかかわらずに、誰にも愛されないまま生きていかなくちゃいけないの? ヒイラギは、あんなに優しくて……あんなに寂しいのに……ッ」

 カズマ、と優しい声に呼ばれた。暗い闇の向こう側で自分に向かって微笑む姿に、一瞬にして我を忘れた。

「ヒイラギッ」

「バカめ! アレは柊じゃないぞ!」

 狐が何か叫んだが、もう迷いはなかった。この真っ暗な道の向こう側、あと少し、あとほんの僅かでこの手が彼に届く。

「止まれ! 止まらんかこの馬鹿ガキ!」

 オウマガトキと狐が叫んだ。

 逢魔時。大禍時。陽が落ちて、月が昇る寸前の刻の狭間に心が捉われる。


 不意に激しいブレーキ音がして、続く衝撃に身体がふわりと宙に浮き、世界が反転して、そして全てが闇に沈んだ。



      19



 いつも不思議に思っていた。

 美しく装飾された本の頁をゆっくりと捲るだけでいい。そうすればそこに無数の物語が広がって、頁を開いている間だけ俺は物語の中のニンゲン達と共に生きることが許される。けれどもやがて最後の頁が捲られて、物語は終わりを告げ、そして独り取り残された俺は考える。『めでたし、めでたし』という言葉の意味を。その言葉の向こう側にあるモノを。


 幸せな結末の、その終わりの先が知りたい。



      ✿



「……チドメグサ、ヨモギ、アロエ」


 どこか遠くで、誰かの声がする。けれどもまるで水の中のように音がくぐもって、よく聞こえない。


「コオホネ、ガマ、オトギリソウ」


 頬を濡らす雫の感触に、重たい瞼をゆっくりと開ける。自分を覗き込む影に呼びかけようとしたのに、ひゅうひゅうと虚ろな風のような音が漏れるばかりで、言葉にならなかった。


 ヒイラギ、どうして泣いているの? きみの涙をふいてあげたいけれど、手がつめたくて、石のように重たくて、うごかせないんだ。


「血が止まらない。薬草なんて、いくらあっても足りない」


 大丈夫だよ、ヒイラギ。しんぱいしなくても、少しすれば、血なんてとまる。どんなにひどい血でも、待ってさえいれば、いつか、かならずとまるから。


「……オレはヒトも鬼も嫌いだ。アザミも、あの子も、アサカですら、みんな、オレをおいて逝ってしまう」


 泣かないで、ヒイラギ。誰もきみをおいていったりなんかしないから。きみの大切なひと達は、いつだってきみを想っているから。きみは、ただ、空をみあげるだけでいい。


「煉に連れられて外の世界に出て、生きるということの意味も知らないまま、オレは独り空を見上げていた。空に憧れていたからでも、そこに行きたかったわけでもない。オレは本当は、空が怖かったんだ」


 知ってるよ、ヒイラギ。ひとりぼっちでみあげる空はただひらすらに広くて、すいこまれそうに深くて、そこには恨みも、憎しみも、苦しみも、(かな)しみもない。何も無いあの空の怖さを、ぼくも知っている。


「でもある日振り返ったら、おまえがいた」


 忘れはしないよ、ヒイラギ。あの日、立ち止まったぼくの前に、きみがいた。きみはぼくを振り返り、ぼく達の世界が交じり合う。ふたりで並んで見上げた空は、どんなに広くても、どんなに深くても、もう怖くなんてない。だってそこには色と、ぬくもりと、そして物語があったから。


「おまえとふたりで見上げる空が好きだった。オレは、あの空を守りたい」


 ……ヒイラギ。きみはヒトと共に在るために、ヒトになりたいと願い、ヒトの願いを叶えるために、鬼であろうとした。でも、きみがほんとうに欲しいものはなに?


「いつも、誰かの幸せを祈り、祈り続け、でも誰も救うことができなかった。きっとそれはオレが鬼だから。蝙蝠(オレたち)の力はヒトを歪ませ、狂わせるから。それでもオレはやっぱりおまえの幸せを祈っている。おまえを、あの空を守るためなら、オレのすべてをくれてやる」


 違うんだ、ヒイラギ。ぼくは、きみの犠牲なんて欲しくない。それはぼくを幸せにはしない。

 気づいて欲しい。誰かの幸せを願うことと、大切な誰かのために犠牲になることは同じではないと。ぼくもいつか、死と向き合う恐怖の中、キミに『求めて』しまうかも知れないけれど、でもそれはぼくが望んでいることとは違う。ぼくの真実(ほんとう)は違うところにあって、それはきっと、きみに助けを求めた女の子も同じだったんだよ。


 ヒトは弱く、脆く、醜い。

 ヒトは、きみに対してたくさんの過ちを犯してきて、そしてこれからも、きっと同じ過ちを繰り返し続けるのかもしれない。きみが此の世に在る限り、ヒトは尽きることない欲望に抗い、自身の内に巣喰う鬼と戦い続けなければならない。


 ぼく達は、抗い、諍い、偽り、裏切り、傷つけ、傷つき、それでも願うことはひとつ。


「……きみと一緒に生きたい」


 だってきみは、ぼくのたいせつなともだちだから――





      エピローグ



「おじいちゃん、ご本をよんで」


 うららかな春の空の下、孫にせがまれ、ゆっくりと頁を開き、雪よりも白い髪の美しい鬼の物語を辿る。遅咲きの桜の花びらが、縁側に座った和馬の肩に音も無く降りつもる。

「おじいちゃん、ひいらぎのチカラって、ヒトをしあわせにすること?」

「そうだよ」

「でもどうして? ひいらぎはオニなのに、なんでヒトをしあわせにするの?」

「……柊はとても優しいから」

 膝に座った孫の温かな背中を抱き、和馬が微笑んだ。

「鬼だとか、ヒトだとか、そんなことは関係ないんだよ。鬼でもヒトでも、柊に出逢って、その優しさに触れ合えば、みんな温かい気持ちになるんだよ」

「ふうん」不思議そうに首を傾げた孫の柔らかな髪にも、花弁が舞う。

「あのね、ぼくね、ひいらぎがクルマにひかれちゃった子をたすけるはなしがすきなの。あの子のおはなし、よんでくれる?」

 孫の言葉に穏やかに頷き、和馬が頁を捲った。



 ……あの日。

「コウモリ達は、自分と共に生きたいと思っている奴にしか命をくれてやれんのだろう」

 皮肉だな、と狐は吐き捨てるように言った。

「長年の望みが叶ってさぞかし満足だろうさ」

 生きるのに向いていない、莫迦な鬼だと呟き、苛立ったように長い尾で地面を打った狐の肩は、微かに震えていた。そんな狐をなだめるように撫でる煉の横顔は悲しげで、けれどもまるでこうなる事を知っていたかのようにそこに驚きは無く、唯、遣る瀬ないような諦めの色が滲んでいた。


 ねぇ、ヒイラギ。君は知っていたのだろうか。無言で君に寄り添っていた黒髪の少年が本当は、心の底では違う結末を望んでいたことを。君を口汚く罵っていた狐が、君を生かそうと懸命になっていたことを。頭上に無慈悲に広がる空を見上げるたびに、君に会いたくて、寂しくて、僕が大声で叫びだしそうになることを。


 ヒイラギ。君は僕を生かし、僕に幸せな人生を与えた。そんな君は我儘で、酷く自分勝手だと文句を言ったら、君は僕を笑うだろうか。


 あの日、君と共に生きたいと願う僕を見つめ、翼は鳥を何処に連れてゆくのかと、君は僕に問うた。幸せな結末の続きを教えてくれと、僕を腕に抱き、君は微笑んだ。


 だから僕は紡ぐ。我儘で、自分勝手で、優しくて、残酷で、不器用な君のために、無数の物語を。君の足元に砕ける潮騒を、君の肩に零れる木洩れ陽を、音も無く散りゆく花の薫りを、君が出会うはずだった優しい人々を、君の白い翼を抱くあの空の色を、僕は本の頁に繫ぎとめる。そうして僕は、翼を得た君の自由な明日(みらい)を、幸せな結末の向こう側を、紡ぎ続ける――



 ばさり、と大きな羽音に和馬が顔を上げた。白鷺だろうか。こんな住宅街には珍しく、大きな白い鳥が庭の池に羽を休めていた。不意に鳥が振り向いた。


 よお、馬鹿ガキ、と風に懐かしい笑い声が響く。


「ひい、らぎ……?」


 おまえ、ちょっと見ない間にすげぇジジイになったな。


 驚いて立ち上がった拍子に本が膝から落ちて、大きな音を立てた。鳥が翼を広げ、一瞬にして空へ舞い上がる。吸い込まれそうな空に雪よりも白い羽根が舞う。


 涙に霞んだ眼に映る翼は、空の蒼にも染まることなく、唯ひたすらに美しかった。



(END)


リアルの都合により、半年ほど休載させて頂きます。

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