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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第三章 〜 Songs of Wren
117/123

蝙蝠(四)

      14



 それは憐憫だったのか。鬼という一族への挑戦だったのか。それとも、俺が知らず知らずのうちに胸に抱いた愚かな夢や憧れすらも打ち砕こうとする冷徹さゆえか。アサカの行動の理由は俺にはわからなかった。

 わからないままに、俺は錠前の外された鉄格子を一昼夜見つめ続け、そして遂に、乾いた血のこびりついた掌で重いそれを押した。耳障りな金属音が湿った暗闇に響き、指先が震える。ゆっくりと、冷たい石の壁をなぞるようにして薄暗い廊下を辿り、幾度も足を踏み外しそうになりながら狭く長い階段をのぼり、その先の扉を開けた。

 生まれて初めて眼にする陽の光はあまりに眩しく、ただただ白くて、それを光と認識するより先に俺は眼を射る痛みに声も無くその場にうずくまった。どれ程の間そうしていたのだろうか。風に舞う小鳥達の歌声に、俺は不意に我に返った。真っ白だった視界が少しづつ色付き始めたかと思うと、瞬く間に鮮やかな色彩が溢れ出した。咲き乱れる無数の花。風に鳴る緑の梢とその遥か上に広がる蒼い空。それはまるで、繰り返し読んだ本の挿絵の世界そのもので、俺を勘違いさせるには充分だった。

 蝙蝠の背中に鳥の翼が生えたと信じた。生まれて初めて物語の主人公となった俺は、独り胸を高鳴らせ、広い世界へ向かって駆け出した。



      ✿



 昏れなずむ茜色の空を音も無く小さな影が舞う。翼がありながら、その不可思議な動きは鳥とは異なり、けれども獣と呼ぶにも違和感があった。

「カズマ?」

 呼ばれて振り返れば、眉間にシワを寄せた柊が腕を組んで口を尖らせていた。

「おまえ、またこんな逢魔時にウロついて、ったくナニやってんだよ?」

「……コウモリを見てたんだ」

「コウモリ?」

 暗い空を見上げた柊がふんと鼻を鳴らした。

「あんなもん見たってつまんねーだろ? 鳥じゃねぇんだからさ」

「そんなことないよ。鳥じゃないけど、でも翼があって飛べるなんてすごいと思うし、それに、その……」

 口ごもった和馬を見て、柊が苛々と貧乏揺すりする。

「なんだよ? 言いたいことがあるならサッサと言えって、前にも言っただろ?」

「……ヒイラギに会いにきたんだ」

「それなら昼に出直して来い」

「……煉くんに聞いたんだ。その……ヒイラギには、女の子の友だちがいたって」

 柊の動きがピタリと止まった。

「……あのオセッカイ野郎、なんでおまえにそんなハナシしてんだよ?」

「あの、ご、ごめん。でも煉くんは悪くないんだ。ぼくがちょっと悩んでたりしてて、それで」

「……友だちじゃねぇ」

「え?」

「あの子は友だちなんかじゃねぇよ」形の良い口許を歪めるようにして柊が嗤った。「他人の前では口にすることも出来ねぇようなシュウアクなモノが友だちなわけねぇだろ」

「醜悪って、そんな……」

 背けられた横顔に滲む拒絶の色に、思わず息を呑んだ。

「……それ、本当に、その子が言ったの?」



      ✿



「オレは煉に会うより前に一度だけ、檻を抜け出て外に出たことがある」

 長年に渡って餌を運んでいた男が何故か檻の鍵を開けたのだと、和馬と並んでベンチに座った柊は語った。

「生まれて初めて自由になったオレがしたことは、逃げることでも仲間を探すことでもなくて、彼女に会いにいくことだった。なんでか知らねぇけど、その頃には滅多にオレのところに来なくなっていた彼女のことが心配だったのさ」


 初めての外の世界で、右も左も分からぬままに、彼女の姿を求めて彷徨った。歩き慣れない足はすぐに皮膚が破れて血を流し、眩し過ぎる光と色の洪水に眼が灼けるように痛んだが、構うことはなかった。唯彼女が、彼女だけが大切だったから。


「ヒトを愛するということの意味もわからないまま、オレは彼女を守ろうとしていた」


 なんて幸せで、愚かだったのだろう。彼女の髪に挿そうと手折った一輪の白い薔薇を手に、俺は彼女を探し続けた。


「そうやって一日中歩き回って、陽が沈みかけた頃、オレはようやく彼女を見つけた。笑っちまうだろ? オレが世界を旅したつもりになって歩き回っていたのは広大な屋敷の庭で、オレは塀の外にすら出ていなかった。そして彼女は庭の端のあずま屋にいた」


 目を瞑るたびに鮮やかに蘇る。涼やかな夕風に揺れる髪と、そこに飾られた深紅の薔薇。茜色の光を纏う彼女の微笑み。けれどもその視線の先に俺はいない。


「オレは物語の登場人物になりそこねた」

 光の消えた空を見上げ、柊が肩を竦めた。

「はじめからなれるわけなかったんだ。彼女は魔女に囚われたわけでも、竜に攫われたわけでもなかったんだからさ」


 彼女は唯、見つけてしまったのだ。魔女や竜から守ってくれる誰かを。彼女の隣に在ることを許された、俺ではない、別の誰か。彼女の世界が紡ぐ物語は、俺を必要とはしていなかった。


「寂しいとか、妬ましいとか、そういうことじゃない。オレにはそんな生々しい感情の持ち合わせがなかった。唯、あの時オレは知ったんだ。蝙蝠(オレたち)にとって、一人のニンゲンを特別だと思うことの意味を」

 宵風に透明な髪を靡かせ、振り向いた柊が優しげに眼を細めた。

「それは、自分はヒトではないと知ることだった」


 彼女と談笑していた青年が、ふと顔を上げると首を傾げた。木陰に隠れている俺に気づいたのかと思ったが、そうではなかった。

「あの向こうにある建物はなに?」

 あずま屋から立ち上がった青年が、樹々の間に見え隠れする灰色の屋根を指差した。それは、俺が囚われていた牢だった。

「……だめ」

 歩き出そうとした青年の腕を彼女が不意に掴んだ。微笑みの消えた横顔が硬く蒼ざめる。

「あそこに行ってはいけないわ」


 シュウアクな、と彼女は呟いた。この家に代々伝わる一族(ヒト)の醜悪な秘密――


 つうと透明な糸を引き、小さな蜘蛛が目の前を横切った。

 その色の無い細い線は何故か、血に汚れたアザミの髪を思い起こさせた。そしてそれは、俺自身の色だった。手の中の白い薔薇が、ほろほろと音も無く零れ散る。


 ヒトになりたかった。

 君と共に在りたかった。


 そんな愚かな願いを胸に、俺は唯、祈った。


 それが叶わないならせめて、彼女の笑顔が永遠に消えませんように。



      15



「ひいらぎ。最近何も食べていないってアサカから聞いたわ」

 灰色の床に跪いた彼女の白い指先が、鉄格子越しにそっと俺の髪に触れる。

「どうしたの? 具合が良くないの?」

 淡い紅に色づいた彼女の唇を見つめ、俺はふと微笑んだ。

「……シュウアクな……」

「え?」

 シュウアクナヒミツなんて、君には似合わない。この湿った灰色の壁も、ここに澱む空気も、君には似つかわしくない。君は唯美しく、幸せに、光に満ち溢れた世界を謳歌するためだけに生まれてきたのだから。だから――

「……大丈夫だよ」

「なにが……?」

 美しい眉根を曇らせ、僅かに小首を傾げた彼女の肩先に、つうと一匹の蜘蛛が糸を引いた。

「……もうすぐ」

 俺は鉄格子の隙間から手を伸ばし、彼女の肩先の蜘蛛をそっと指でつまんだ。

「もうすぐ自由になる。君も、俺も」

 だから、だいじょうぶ。

 透明な糸の絡む指先を見つめ、俺は微笑んだ。小さな蜘蛛は、潰れる時さえ悲鳴ひとつ上げはしなかった。



      ✿



「……でも、その子が言うシュウアクっていうのは、ヒイラギのことじゃないと思うよ? その子はきっと、ヒイラギやヒイラギの一族をひどい目に合わせてきたニンゲンのことを、醜悪だと思ったんじゃないかな」

「そうかもな」

 気怠く疲れた顔で柊が頷いた。

「でも彼女が何を思おうと、おまえが何を言おうと、オレという存在はシュウアクなのさ」

「そんな……」

「そんなことはない」

 凛とした声に振り返れば、狐を肩に乗せた少年が立っていた。

「柊。あんたは醜悪なんかじゃない。何を償うつもりか知らないけど、そんなふうに自分を責め続ける必要はない」

「退魔師クズレのおまえに何がわかる」

「わかるさ。あんたが本当に醜悪なら、今ここにカズマはいない」和馬をちらりと見遣り、煉が僅かに眼を細めた。「カズマはあんたのことをとても綺麗だって言ってたよ。汚れひとつない白い鳥のように綺麗だって」

 ふざけんな、と呟き、柊が顔を背けた。

「おまえらは何も分かっちゃいねぇんだよ。感情というモノのカケラも無かった頃のオレを知らねぇんからさ」

 血に染まったアザミの姿にすら何も感じることなく、手を差し伸べることもなく、傷ついたその姿をを唯黙って眺めていた。

「感情が無いっていうのは、一種の自己防衛だよ。悲しいとか寂しいとか恋しいとか、心があるモノは壊れやすいからね」

「そうだ。オレには心が無かった。オレに心をくれたのは、彼女だった。でもオレは彼女のくれた心で彼女を裏切ったのさ」



      ✿



 ひいらぎ、お願い。彼を助けて。


 俺が餌を喰わなくなってから、一体どれ程の月日が経ったのか。死というカタチで(じゆう)を得ようとしていた俺の元へ、その日、彼女は怯えて憔悴しきった姿で現れた。どうしたのかと驚いて尋ねる俺の腕を、血の気を失い、冷え切った指先が掴む。

「許して、ひいらぎ。本当はわかっているの。あなたにこんな事を頼むのは間違っているって。でもお祖父様が言ってらしたの。ひいらぎにはひとを救う力があるって、どんなにひどい怪我でも病気でも、ひいらぎなら治せるって……!」

 泣きながら許しを乞い、そして懇願する彼女の震える髪をそっと撫でる。聞かなくても分かった。俺の命と引き換えに彼女が救おうとしているのは、あの涼やかな面立ちの青年なのだろうと。病か、怪我か。愛する者を永遠に喪うとは、どれほどの痛みを伴うことなのだろうか。

「……大丈夫だよ」

 白い頬に零れる涙を拭い、俺は彼女に約束した。濡れた指先がひんやりと冷たい。

「助けてあげるから、だから泣かないで」


 ……ヒトであったなら。

 唯ヒトでさえあったなら、君と共に生きることを許されたのだろうか。

 叶うならば、ヒトになりたかった。

 けれども君は、俺が鬼であることを望んだ。


 それが君の望みならば、君の幸せを願うがゆえに、俺は鬼でなければならなかった。



      ✿



「……約束したんだ。彼を助けるって。でも駄目だった」

 しっとりと重い宵風に、柊の溜息が溶けて消えた。

 難しいことなど何も無い。目の前に死人のように横たわるニンゲンに己の血を与え、そして唯願うだけで良かった。彼女の幸せのために、彼が生きることを。唯、心の底から。けれども幾ら願っても、彼の頬に血の気が戻ることは無く、その瞳が彼女の姿を映すことは無かった。

 眼を閉じるたびに蘇る。愛する者の変わり果てた姿を前に言葉も無く凍りつき、もはや零れる涙すら失い、二度と俺を振り返ろうとはしなかった彼女の後ろ姿が。役立タズ。無能ナ蝙蝠。ナンノ価値モナイ。生カシテオクダケ無駄――

「……約束を守れなかったから、自分を責めてるの?」

 和馬の問いに我に返った柊が、喉の奥で小さく嗤った。

「なぁ、カズマ。オレはオレのことを多少なりとも気にかけてくれた彼女のことを、好きだと思い込んでいた。でも結局、彼女の幸せのために死んでもいいと思うほどには彼女を想ってはいなかったのさ」

 月の無い夜空を見上げる横顔に、闇が滲む。

「彼女の幸せのために死ぬよりも、オレは、生きて彼女と幸せになりたかった。オレは、彼女の幸せを願うフリをして、裏を返せば自分の幸せを願っていたのさ」

 シュウアクな、と呟き、柊が頬を歪めた。

 己の内に秘められた真実に気付くことの無いまま、誰かに与えることが出来ると思っていた。誰かを救ってやるつもりになっていた。愚かで、惨めで、シュウアクな生き物――

「……やめて」

 彼の言葉が彼自身を傷つける。その苦しさに思わず耳を塞いだ。

「違うよ、ヒイラギは醜悪なんかじゃない、ヒイラギは悪くない、ヒイラギは……」

「ヒワには心がある」

 柊が和馬を遮り、肩先に眠る小鳥に視線を向けた。

「コイツは空が青いと嬉しくって歌い出す。太陽の暖かさも、風の心地良さも、飛べない悔しさも、仲間に会えない寂しさも、みんな歌にして、解き放つ。そんな真っ直ぐな心がヒワにはある。オレとは違う」


 君に出逢い、心というモノを知った。

 叶うなら、ヒトになりたかった。

 君が望むなら、鬼でありたかった。

 その心の歪みが俺を縛り、君を傷つけた。


「……鬼は、ヒトになれないから鬼なんじゃない。ヒトを愛することを知らないから、鬼なのさ」


 だからどんなに願っても、俺は君を幸せにはできない。

 どんなに望んでも、蝙蝠は飛べない。



(to be continued)

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