目隠し鬼(九)
21
おーにさーん こーちらー
てーのなーる ほーうえー
ずくずくと疼くような眼の痛みを堪え、列車の窓ガラスに額を押し付ける。しかし早朝とはいえ、夏の朝日に照らされた硝子に心地良い冷たさなど望むべくもなく、息苦しさのあまりに瞼を閉じれば、切れ切れの記憶と共にあの唄声が蘇る。
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最初はレイだった。
続いてケイがいなくなった。カワヒラは硝子の柩に捉えられ、もう二度と俺を罵ることもない。そしてコウは空を探しに行ったきり、帰ってこなかった。
ごう、と山が哭く。山が哭くたびに、ひとり、またひとりと彼らは消えていった。
消えていった仲間の名を彼らは決して口にしようとはしなかった。誰しもが、まるで何事もなかったかのように振る舞い、穏やかな笑顔を絶やさない。その不自然さに吐き気がした。
ヒロを関わらせるな。暗黙の了解のもと、子供たちが目配せを交わす。
「俺らぁの問題にあいつを巻き込むな。二十年前のあの日に誓ったこと、ゆめゆめ忘れるな」
山にナニがあるのか、二十年前の誓いとはナンなのか。俺はもう知りたいとは思わなくなっていた。瞑った瞼の裏に視えるモノと、開いた眼に映るモノ。ナニが嘘で、ナニが真実なのか、訊いてもきっと誰も教えてくれない。夢と現実が混じり合い、少しづつ、少しづつ、俺の世界を狂わせていく。
やがて俺は、眠ることを異様なまでに恐れるようになった。眠れば夢をみる。あんなモノはただの夢だと口先では必死に否定し、怯えながら抗い、信じないふりをする。でも本当は知っていた。悪夢は、いつだって現実になる。
そうしてあの日、俺はついに、センの夢をみた。
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ガタン、と列車が大きく揺れて、裕貴が閉じていた瞼をゆっくりと開けた。酷く疲れているのに、気が立っていて眠れない。いや、もしかしたら自分は『あの日』からずっと眠っていて、それなのに普通に起きて生活して、生きているつもりになっているだけなのかも知れない。
列車がトンネルに入った。耳鳴りを堪えて、暗い窓ガラスに映る自分の顔を見る。それは野球帽をかぶった小学生ではなく、可愛げのカケラもない高校生で、けれども不機嫌そうに寄せられた眉根に隠しきれない不安を漂わせていた。
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ヒロ、そんな不安そうな顔するな。
彼を探してひと気の無い神社にやって来た俺を見て、センが僅かに目許を緩めた。木洩れ陽に光るエメラルドグリーンの模様を無言で見つめ、俺は銀杏の根元にセンと並んで座った。ひんやりと湿った土の匂いに、毛羽立った心が少しだけなだめられる。俺たちは長い間、唯そうして、柔らかな葉擦れの音を聴いていた。
このまま刻が止まってしまえばいいと思った。このまま永遠に、なにも変わらなければいい。そうすればきっと、なにも失わずに済む。
「そんなのは駄目だ」
まるで俺の心を読んだかのように、振り返ったセンが笑った。
「生命は変わりつづけるものなんだ。死ですら、カタチを変えた生命の在り方の一環でしかない」
「……死ぬのはいやだ。誰だって死んだらオシマイじゃないか」
「言っただろう? すべてのモノはいつか空に還る。そして巡り巡って、カタチを変えて、いつの日かまた此処に帰ってくるかも知れない」
「でも……帰ってこれなかったら?」
それには答えず、センはただ俺を見つめる眼を優しげに揺らめかせた。
「……昨日、センの夢をみたよ。センは……尖った岩の上に、仰向けに倒れてた」
潰れた胸から半透明の液体を零し、うっすらと半開きの眼に不思議なほど満ち足りた微笑みを浮かべて。
俺の話を聞いても、センはそうかと呟いて頷いただけで、たいして驚いた様子はなかった。
「せ、センはわかってないんだよ! このまま放っておいたら、センは、センだって……」
「あのな、ヒロ」
事の重大さをなんとかして伝えようと焦る俺を、センが落ち着いた口調で遮った。
「大昔、俺には友だちがいた。イスケという名の……ヒトの友だちだ」
センの口から出たトモダチという言葉に、俺は思わず黙り込んだ。
「イスケはおまえと似た力を持っていて、ヒトでありながら俺たちの姿を視ることができた。イスケはある日ふらりと現れて、マタギも滅多に入ってこない山奥に粗末なあばら家を建て、隠れるように暮らし始めた」
遠い日を懐かしむようにセンが眼を細める。
「イスケはヒトに追われていて、山に逃げ込んできたんだ」
「なんで追われてたんだ?」
「ヒトを殺したんだってさ」
ゴクリと唾を飲み込んだ俺をちらりと見遣り、センが肩を竦めた。
「俺たちは今でこそこうして里に遊びにきているけれど、昔は山を下りることなんて滅多になくて、ヒトを見ることですら稀だった。そんな俺たちから見ても、イスケは野卑で粗暴で、すさんだ眼で手製のどぶろくを浴びるように飲み、誰もいない山の中で独り酔い潰れていた。そんなヒトの一挙一動がひどく物珍しくて、俺たちは毎日飽きもせず奴を眺めていた」
人里離れた山奥に次々と現れる子供たちを見て、伊介は初めひどく驚き、しかしすぐにそれがヒトの子でないことに気づいた。
『小汚ねぇバケモン共が、俺を取って喰うつもりか? さっさと失せやがれ!』
しかしいくら怒鳴っても脅しても物を投げつけても、子供たちは愉しげに笑いながら伊介の周りを飛び跳ねるばかりで、一向に去る気配はない。やがてすっかり疲れてしまい、子供たちを追い払うのを諦めた伊介は、『勝手にしやがれ』と不貞腐れたように呟くと地べたにごろりと寝転がり、鼾をかき始めた。
「俺たちは初めはただ遠巻きに奴を眺めているだけだった。奴に初めて面と向かって話しかけたのはオモン……カワヒラの妹だった」
『ねぇねぇ、おじさんはなんでいっつもそんなクサイ水をのんでるの?』
つぶらな瞳を好奇心に輝かせ、恐れげもなく顔を覗き込んできた少女を見て、伊介は僅かに顔を引き攣らせた。
『……うるせえ。ガキが、近寄るんじゃねぇ』
『あのね、オモンね、冷たくて甘いお水が出るところ知ってるよ。あとね、お天道さまみたいにぬくいお水の出るお池も知ってるよ。お天道さまのお水につかるとね、おなかがポカポカして気持ちいいの。おじさんも連れてってあげる』
うるせえだのほっとけだのと口先では汚く罵り、戸惑いつつも、結局伊介は少女に手を引かれるままに湯に浸かり、子供たちが集めた甘い実や川魚で久々に腹を満たした。
「一度きっかけが出来てしまえば、仲良くなるのは難しくない。俺たちはヒトの世界から逃げ出してきたイスケを山に共に棲むモノとして受け入れた。イスケは俺たちが見たことも聞いたこともない遠い地の話や色々な遊びを知っていて、奴といるのは面白かった」
「……でも、ヒト殺しだったんだろ? 怖くなかったの?」
俺が恐る恐る訊ねると、センはふっと笑った。
「イスケにも何度も同じことを聞かれたよ。『おめえらは俺が怖くねぇのか? 俺は何人も殺した、極悪非道なヒト殺しだぞ』ってね。その度に、俺は同じことを答えた。俺にはヒトがヒトを殺すということの意味がよくわからない。俺たちだって気に食わなければ殺し合いくらいするし、生きるために喰いあったりもする。俺がわからないのは、なぜヒトはヒトを殺すとき、その行為に善だとか悪だとかいった意味を与えようとするのだろうかということ」
正直に言えば、あの頃の俺にはセンの言葉は難しくて、その言わんとしていることの半分も解っていなかっただろう。それでも俺は真剣にセンの言葉に耳を傾け、その意味を汲み取ろうとした。
「俺の答えを聞くたびに、イスケは俺から目を逸らし、『おまえは馬鹿だ』と言った。そして、俺に歌ってくれと言った。俺にとって歌うことは息をするよりも当たり前のことだったけれど、俺はそれまで歌とは自分の為だけにあるモノだと思っていた。イスケに出逢い、俺は初めて自分以外の誰かの為に歌うことを学んだ」
茜色に染まった空を見上げ、センが穏やかな旋律の唄を口遊む。俺はセンの唄が好きだった。けれども夕暮れの風のように哀愁を帯びたその声を聴いていると、まるで自分でも知らないうちに失ってしまった何かを懐かしむような心持ちになって、切なさに指先が痺れた。そしてふと思う。遠い昔、伊介という男も、この唄声を愛したのだろう。
「俺はなぜイスケがヒトを殺したのかは知らない。イスケは俺たちと付き合いだしてから、あまり酒を飲まなくなった。でも稀に酷く酔っ払うことがあって、そんな時はいつも、『俺が殺した奴らは虫ケラだ、後悔なんかしねえ』って何度も繰り返し言っていた。『だが虫ケラを殺した俺は、虫ケラ以下だ』ってね」
センは唯、淡々と語った。伊介というニンゲンと過ごした日々を。彼と共に見上げた空の色を。彼に乞われるままに歌って聞かせた数々の唄を。彼を苛み続けたヒトの心の闇を。
「――そうして一見何事もなく幾年もの月日が流れ、気がつけばイスケの存在はすっかり俺たちの一部になっていて、俺たちは奴がヒトという生き物であることすら忘れていた。そんな穏やかな春先のある日、すべてが変わってしまった」
いつもよりも厳しかった冬が過ぎ、ようやく訪れた春の陽射しに木々が芽吹き出す。まだ雪の残る涸れ沢で山菜を探す伊介の周りで、子供たちはいつにも増してはしゃいでいた。
イスケーイスケーと大声で呼ぶ声に伊介が振り返れば、急な沢に積み重なったゴツゴツと大きな岩の上でオモンが飛び跳ねている。あぶねえぞ、そんなところで遊ぶなと伊介が怒鳴ろうとした時だった。オモンの足元の岩がぐらりと揺れて、次の瞬間、凄まじい地響きと共に大小の岩が崩れ落ちた。
「……雪解け水で地盤が緩んでいたんだろう」と呟き、痛みを堪えるかのようにセンが目を瞑った。
「お前も知っているとおり、俺たちは身が軽い。だけど咄嗟には動けないことだってあるし、怪我や失敗だってする」
我に返った伊介は、子供たちが止めるのも聞かずに沢に飛び込み、どす黒く蒼ざめた鬼のような形相で土砂を掘り、崩れた岩を動かし、その下敷きになった少女を助けようとした。
こりゃいけねえ、こりゃいけねえ。潰れた半身の痛みにもがき苦しむ少女を抱え、伊介はひどく狼狽えた。そして必死の看病の甲斐もなく、明け方に少女が息を引き取ると、彼女の枕元に正座した伊介は無言のまま肩を震わせ、固く握り締めた拳で幾度も己の膝を殴った。
「その数日後、イスケは旅に出た」
何処にいくとも、何の為とも言わぬまま、伊介はふいと居なくなった。そして季節が三度ほど巡ったある日、ふらりと戻ってきた。痩せて疲れきった顔に、眼だけを妙にぎらぎらさせて。
「帰ってきたイスケは黙々と土をこねて焼き、小さな人形を作った。いくつも、いくつも、数え切れないくらい、俺たちの仲間の数だけの人形を。何をしているのかと俺が訊いても、イスケは唯ひたすら憑かれたように『大丈夫だ。これさえありゃあ、おめえたちは大丈夫なんだ。俺のバチがおめえらに当たるようなことは二度とねえんだ』と繰り返すばかりで、それ以上は何も話そうとはしなかった。
そしてイスケが人形を作り終えた時、山に大勢のヒトが来て、イスケを縄で縛りあげ、連れて行ってしまった。イスケは二度と戻ってはこなかった」
馬鹿な奴だ、とセンがつまらなそうに呟いた。
「大方、里に下りた時にヒトに隠していた正体がバレたんだろう」
伊介がいなくなり、あとには少し歪な人形だけが残された。人形の意味は解らなかったものの、奴が懸命に作っていたモノを打ち捨てておくわけにもいかないだろうと、センはそれを大樹のうろに隠した。
「異変に気付いたのは、イスケがいなくなってから大分経ってからだった。最初はコータがきっかけだった。コータは登っていた木の枝が折れて岩に叩きつけられたのに、腕一つ折れなかったと不思議そうに俺に言いに来た。その時俺は、随分と長い間誰一人として怪我や病に罹っていないことに気がついた。そして色々と調べた挙句、どうやら俺たちの不死身の原因がイスケの作った人形にあるらしいことを知った。
俺や、おまえの知っている俺の仲間たちは、それぞれの一族の中では少しばかり抜きん出た力を持っているかも知れないけど、でもそれはそんなに強いモノではなくて、だから病いに罹ることもあれば、オモンのように怪我で死ぬこともあるし、特に寿命が長いというわけでもない。本来ならヒトの子の半分も生きられないのが普通だ。だけどイスケはそのことを知らなかった。崩れた岩に巻き込まれて死んだオモンを見て、奴はそれを自分のせいだと思い込んだんだろう」
馬鹿な奴だ、と再びセンが呟いた。
「イスケの人形の秘密を知った俺たちは、戸惑いながら、これからどうするかを皆で話し合った。そして人形の力もよく解らないまま、とりあえず、このまま人形に任せて生きてみることにした」
とりあえず生きてみるなんて、なんか投げやりだなと俺が少し責めるように言うと、センは「そうだな」と頷いた。
「正直に言えば、俺は長く生きること自体に興味はなかった。だが長生きすれば、またイスケの生まれ変わりに逢えるかもしれない。だから俺は、いや、俺たちは皆、人形を守り、守られながら、長い時を待ち続けた」
山奥で待っているだけでは伊介の生まれ変わりに逢えないかもしれない。そう考えた子供たちは、少しずつ山を下りて里に出るようになった。
「結局いつまで待ってもイスケは現れなかった。代わりに、俺たちに新しい友だちが出来た。タカオミ……おまえのひい爺さんだ」
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プシューッと気の抜けた音を立てて列車の扉が開く。重い瞼をゆっくりと開け、裕貴が駅名を確かめた。あと数駅で目的地に着く。
田舎に、山に近づくにつれて、濁流のように記憶が甦り、切れ切れの映画のシーンのように鮮やかに脳裏を過ぎる。なぜ、どうして今まで忘れていたのだろう。センも、センの言葉も、まるで存在しなかったかのように記憶から消えていた。曽祖父が自分と同じ力を持っていたという事実ですら――
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タカオミも俺たちを視ることができた。
「でもタカオミはイスケとは全然違った。いつもニコニコしていて、穏やかで、働き者で……でもやっぱりあいつも少し変わっていて、他人の目を気にするということがなかった。だから俺たちを見掛けるといつも辺り構わず大声で話しかけてきて、そのせいで村では変人だと思われていた。そう言った意味では、ヒロとの血の繋がりを感じるな」
何を思い出したのか懐かしげに目を細め、ふっとセンが笑った。
「俺、ひい爺ちゃんのことはなにも知らないや。俺が生まれる前に死んじゃったからさ」
俺がそう言った途端にセンの顔から一瞬にして愉しげな笑みが消えた。
「……ヒロ。タカオミが死んだのは、俺のせいなんだ」
仲間の一人が病気に罹ったのだと、苦しげな表情でセンは語った。仲間が助かりそうにないと気づいた時、センは貴臣に頼んだ。壊れかけて力を失いかけていた彼女の人形を直して欲しいと。
「どうしてだろう。生きることに執着しているつもりはなかったのに、俺たちはいつのまにか長く生きることに慣れ過ぎて、それが当たり前になっていた。そんな俺自身の傲慢に気づかないまま、俺はタカオミを頼り、タカオミは二つ返事で俺の頼みを聞いてくれた。でも、その帰り道、あいつは崖から足を滑らせて……」
「俺がタカオミを殺した」
それは違うと、それは不幸な偶然で、曽祖父が死んだのはセンのせいなんかではないと俺がいくら言っても、センはただ首を横に振り続けるばかりだった。
「イスケはヒトを殺した。でも俺はイスケが好きだった。俺はタカオミを殺した。でも俺はタカオミも好きだった」
これでおまえには全て話した、と呟いたセンの目許で、エメラルドグリーンの模様が淡く光る。
「ヒロ、おまえに逢えて嬉しかった。でもだからこそ、もう二度とあんな思いはしたくない。タカオミを失った二十年前のあの日、俺たちは誓った」
ヒトとヒトでないモノは、友だちになってはならない。
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ガタン、と列車が大きく揺れて、扉が開いた。
(To be continued)




