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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第三章 〜 Songs of Wren
110/123

目隠し鬼(八)

      17



 ヒロ、こっち来い。


 子供達の輪に交じらず、縁側でぽつんと膝を抱えて座っていた俺を、馬面の少年が呼ぶ。聞こえないフリをして返事をしないでいたら、少年はあきれたように溜息をついた。

「ヒロおめえ、なにイジケとるんじゃ」

「コウ!」

 相撲好きの少年が慌てて飛んできて、馬面の少年の袖を引っ張る。

「よせや、コウ。ヒロだってたまにはひとりでいたい時もあるんじゃろ。そっとしておいてやろうで?」

 しかしコウと呼ばれた少年はグイと俺の腕を掴んで立たせ、相撲好きの少年が止めるのも聞かず、そのまま無理矢理俺を外に連れ出した。ひと気のない神社に来ると、少年はようやく俺の腕を離してこちらに向き直った。

「おめえ、センになに言われたんじゃ?」

「別に……なにも」

 俯いて目を合わせようとしない俺の姿に、少年がふんと鼻を鳴らす。

「アカネのおっちょこちょいを捕まえて口を割らすような真似すっから、センも気ぃ悪くしたんじゃろ。センが怒りっぽいのはいつものことじゃで、あんまり気にすんな」

 ……違う。あの少年は怒ってはいなかった。俺たちはトモダチではないと言い切った彼の哀しげな微笑みを思い出すたびに、胸の内がすぅと冷える。

 と、しばらく無言で俺を眺めていた少年が不意に俺の肩に腕を回し、いきなり地面を蹴った。深い青色に身体が吸い込まれ、気がつけば高い樹の枝に少年と並んで座っていた。

「ええ眺めじゃろ?」

 遮るものひとつ無い空を見上げて少年が得意げに笑う。

「オレはここから空を眺めるのが好きじゃ」

 そんでな、と言って少年がなにやら少し照れたように目を細めた。

「ここにこうしておまえと並んで座って、おまえと眺める空が一番好きじゃ」

 わかるか、ヒロ。空の青さを抱きしめるかのように少年が大きく両手を広げる。

「オレにとって、おまえはそういう奴ってことじゃ。それはきっと、コータや、ケイや、アカネ……センだっておんなじなんじゃろ」


 ヒロは特別じゃもん。


 そう言って屈託無く笑う少年に伝えたかった。


 俺は特別なんかじゃなくていい。

 特別なんかじゃなくていいから、ただ、いつまでも、変わることなく、きみたちと一緒にいたかった――



      ❀



 ……夢をみて、泣いていたのだろうか。目覚めると、枕がしっとりと濡れていた。枕元の時計を見れば、まだ午前三時前。もう一眠りしようと寝返りを打った刹那、背中で蛙が潰れるような声がした。

「……おまえなぁ」

 勝手にベッドに潜り込んで寝ているおかっぱ頭をつまみ出そうとしたが、りんは何やらむにゃむにゃと寝言を言いつつ、裕貴の腕を離そうとしない。

「バカ、暑っ苦しいんだよ。自分の布団で寝ろ」

「……ヒロ、泣くな」

 寝言だったのだろうか。小さな手が、ポンポンと優しく宥めるように裕貴の肩を叩く。

「……おまえは、夢なんかみずに寝ろ。夢なんか、みるな……」

 自分の肩に顔を埋めるようにして眠っているおかっぱ頭をそっと撫でてみた。癖のない黒髪はひんやりと冷たく、指先からさらさらと零れる。闇が仄かに甘く薫った。これは、この覚えの無い花のような匂いは、りんのものだろうか。ぼんやりと考えているうちに眠気が兆し、久し振りにぐっすりと朝まで夢もみずに眠った。



 ……異変に気付いたのは、翌朝遅く、シャワーを浴びて朝食を食べ終えた頃だった。



       18



「りん?」

 軽くノックして弟の部屋を覗きこみ、「おっかしいなぁ」と裕貴が首を傾げた。

「ナオ、りんがどこに行ったか知らね? 今日はインディーズのライブ観に行く約束してたんだけどさ、なんか朝からアイツいねーんだよ。まさか待ちきれなくって、一人で行っちまったなんてことねーよな?」

 りんが一人で家から出たことなど今まで一度も無いのに、一体どういう風の吹き回しか。よく分からないが取り敢えず、この日差しの中、迷子になって行き倒れでもされたら後味が悪い。面倒だがちょっと近所を探してみるかと踵を返しかけた裕貴の前に、直貴が無言で破られたノートの切れ端を突き出した。

『ありがと。せわなった』

 鉛筆で書かれたたどたどしい文字列を見詰めて数秒後。

「……コレなに?」

「何って……置き手紙じゃないの? 今朝起きたら、りんちゃんに貸してたヘッドフォンと一緒にボクの机に置いてあった」

「ハア?!」

 驚きのあまり、弟の肩を掴んで力任せに揺さぶってしまった。

「なんだよソレ?! 意味わかんねーし?! ってかおまえには手紙まで書いといて、俺には一言の挨拶もねーってどーゆーことだよ?!」

「……知らないよ、そんなことボクに言われたって……」

「家出か?! 家出なのか?! ナオおまえまさか、人外が嫌いだからって、あいつになんかしたのか?!」

「ちょ、ヒロ兄、痛いって……!」

 顔をしかめて直貴が裕貴の手を振り払った。

「ボクがりんちゃんに何かするわけないでしょ。人外なんて別に好きでも嫌いでもないし、変な言い掛りつけないで欲しいな」

「そ、そうだよな。悪い、なんか焦っちまって……」

 弟に突っ掛かるなんて我ながらどうかしている。落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせ、幾度か深呼吸を繰り返す。

「えっと、じゃあとりあえず、近所の公園とコンビニ、あとりんが行きそうなカラオケとか本屋を手分けして探そうぜ!」

「……なんでナチュラルにボクを巻き込もうとしてるの? ボク、りんちゃんの同居に賛成したことなんて一度もないんだけど。そもそも勝手に棲みついて勝手にいなくなった人外をわざわざ探しに行くとか、それこそ本当に意味が分からない……」

「そーゆー文句は後で聞くわ。俺以外にはおまえしかアイツのこと見えないわけだしさ、警察とか無理だろ? 頼む、ナオだけが頼りなんだよ」

 なりふり構わず頭を下げる裕貴に胡散臭げな視線を向け、直貴が聞こえよがしに舌打ちした。大人しげなルックスと裏腹に、この弟にはどうにも中々恐ろしい一面がある。

「……りんちゃんのことが視えるのは、ボクとヒロ兄だけじゃないでしょ。人外のことなら、煉くんにでも聞いてみれば?」

「あ、そっか。でも煉の連絡先とか知らねーし」

「……煉くんなら、これくらいの時間はいつも神社の御神木の上で昼寝してるよ」

「マジで?! バチ当たりな奴だな?! ってか、おまえっていつの間に煉と親しくなってんの?」

「……別に、特に親しいとかじゃなくて、偶然何度か出会って、ちょっと話とかしただけで……」

「なんだよ、じゅうぶん親しいじゃねーか」

「……そんなことないし……」

 何やら煮え切らない弟の腕を掴み、玄関へ向かう。

「とにかく早いとこ煉に会って、りんを見つけよーぜ! グダグダ考えるのは後でイイんだよ!」



       19



 直貴の言った通り、煉は本当に注連縄の張られた木の上で悠々と昼寝していた。しかし裕貴から事情を聴くと途端に顔から笑みを消し、困った様に溜息をついた。

「俺も別にあの子から直接聞いたわけじゃないから、詳しいことは分かんないんだけどさ」

 肩に座った狐とチラリと視線を交わし、煉が言いにくそうに僅かに口許を歪めた。

「あのさ、ヒロキは冬虫夏草って知ってる?」

「トーチューカソウ?」

「……冬虫夏草。蛾や蟻、蜘蛛、蝉等の生きた虫に寄生するキノコの一種」

 相変わらずの根暗なモノトーンで直貴がボソボソと解説する。

「……なお、漢方で重宝される冬虫夏草はオオコウモリガの幼虫に寄生するモノで、地中に棲む幼虫の体内でゆっくりと成長した菌は、やがて幼虫の体を突き破り、地中に幼虫の姿を残したまま夏に地面から生える」

「げ、なんだそりゃ。気味ワリーな」

 想像して顔をしかめた裕貴に向かって、煉が頷いた。

「そう。更に言えば、蟻なんかの場合は、菌に感染した蟻を他の蟻達が巣から遠く離れたところに連れて行って、置き去りするんだ。感染が巣全体に拡まったりしないように」

「アリの姥捨山かよ」

「あの子もそう」

「は?」

「りんも、冬虫夏草のようなモノに感染して、だから仲間から離れてここに来たんじゃないかな。それで多分、ヒロキの家から出て行ったのも、その辺りに理由があるんだと思う」

「りんが感染って……それってつまり、あいつが病気ってことか?!」

 道理で最近顔色が優れなかったわけだ。妙に食が細くなっていたのも病気のせいと分かれば納得がいく。

「おまえなぁ、そーゆー大切なことは、もっと早く言えよな! とにかく、そうと分かったら一刻も早くあいつを見つけて病院に連れて行ってやんないと。トーチューカソウだか何だか知らないけど、そんな気味ワリー病気で万が一手遅れとかになったらマズイしな」

 病気ならそんなに遠くまでは行っていないだろう。生意気言っててもガキだし、やっぱ小児科か? などと言いつつ急いで踵を返しかけた裕貴を、煉の静かな声が呼び止めた。

「無理だよ」

「無理って何が?」

「りんはそもそもヒトじゃないし……それにもう、手遅れなんだ」

「……手遅れ?」

 不意に耳鳴りがして、眼の奥にずきりと鋭い痛みが走った。

「……手遅れって、どういう意味だよ……?」

「あんたにあの子を助けることは出来ない」

 ひどく悲しげに、それでいて恐ろしいほど冷静に煉が言葉を継ぐ。

「あんただけじゃない。残念だけど、もう誰にもあの子を助けることは出来ないんだ」

 強いモノも、弱いモノも、すべてのモノはいつか空に還る、と煉が言った。いや、違う。これは煉ではなくて、センだ。そうやって命は巡りつづける、とセンは言った。センって誰だ? センなんて知らない。血の気が引き、手足が冷たい。目の前に立つ少年の黒髪にちらちらと木洩れ陽が躍り、そこにエメラルドグリーンの模様が重なる。

「それは誰にも変えることのできない此の世の理なんだ」

「ち、チガウ……ッ」

 頭が割れそうに痛み、吐気が込み上げる。

「ヒロ兄? 大丈夫……?」

 心配そうに差し伸べられた弟の手を、無意識のうちに振り払った。

「ふ、ふざけんな! りんは、あいつは、手遅れなんかじゃねーんだよッ」


 エメラルドグリーンの模様が木洩れ陽に躍る。

 茜色の風に燃えるような髪が靡く。

 涼やかな夜風に蒼い光がほろほろと零れる。

 青い空を抱きしめ、少年が笑う。


「俺はッ! まだ、あいつの夢はみてねぇッ」


 自分が吐いた言葉の意味が解らなかった。けれどもその瞬間、深く、深く閉ざされていた記憶の錠がカチリと鳴って、黒い何かが濁流となって湧き上がり、その渦に呑まれるように裕貴は気を失った。



       20



 ヒロ、と誰かに呼び止められた。


 振り返ると、そこにはまるで絵から抜け出たように綺麗な少年がいた。つかつかと俺に近付くと、少年は青みを帯びた硝子玉のような瞳を僅かに細め、白く細い首を優雅に傾げた。

「なんでケイを助けなかったの?」

「え……? ケイって……」

「知ってるだろう? 藍色の着物の女の子だよ。君が川岸でケイと話しているのを、何度もみかけたよ。君はケイがどうなるか知っていた癖に、なんで助けてあげなかったの? 君なら助けてあげられたのに」

 その優しげな姿形からは想像もできないほどの憎しみと怒りに形の良い唇を歪め、少年は吐き棄てるように言った。

「ケイが死んだのは、君のせいだ」

「カワヒラ、それは違うだろうが。ケイが死んだんは、ヒロのせいとは違う」

 いつの間にか周りに集まってきた子供達が、俺とカワヒラと呼ばれた少年の間に割って入った。しかし少年は彼を止めようとする手を振り払い、此の世のものとは思えないほど妖艶な笑みを浮かべ、俺を正面から見つめた。


「君がケイの夢をみたから、ケイは死んだ」


「いい加減にしろ」

 凛として落ち着いた声が、凍りついた空気を破った。

 背後から現れた少年のエメラルドグリーンの模様を、カワヒラが睨む。

「この際だからはっきり言っておくよ。セン、ボクは君のやり方に従う気はない。君の悟ったような偽善者ヅラが、ボクは前から気に入らなかったんだ」

「センのやり方っておめえ、べつにセンは俺らぁに命令してるわけじゃねえだろが。山ん事は、みんなで話し合って決めたことじゃろが?」

「みんなで話し合ってだって? 笑わせるね。ボクは君達の勝手な決め事に賛成したつもりはない。セン、延々と終わりの唄を歌うことしか能のない君にはわからないかな。せっかく美しく此の世に生まれてきたのに、ここに生き続けたいと、在り続けたいと願って、なにが悪いの?」


 その時不意に、蝋人形のように硬く蒼ざめた横顔が脳裏を過った。透明な硝子の柩に捉えられ、二度と動くことなく、ゾッとするほど美しいままに、きみは、きみの骸は、永遠に此の世に在り続ける――


「……その眼」

 何かひどくおぞましいモノを見るかのように、少年がその美しい顔を歪め、俺を指差した。

「ニンゲンの癖に気味が悪い。ボクは君が嫌いだ」


 ボクハボクタチヲユメニミルキミガ、ダイキライダ。



       ❀



 ……山へ行こう。


 夢から醒めて飛び起きた瞬間に決めた。ズキズキと、眼の奥が抉られるように痛む。自分はどうやって部屋に帰ってきたのだろう。りんを探し、直貴と二人で煉に会いに神社に行ったところで記憶が途絶えている。けれどもそんな事はどうでもいい。固く握った拳をこめかみに当て、ねっとりと重く生ぬるい暗闇の中で幾度も息を吸って、吐く。ぼんやりと霞み、消えてゆく夢の残り香の中、感情の無い硝子玉のような眼が自分を見つめているのを感じた。


 山へ行こう。

 山へ行くべきだ。

 俺は、山へ、あそこへ行かなければならない(・・・・・・・・・・)



(To be continued)

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