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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第三章 〜 Songs of Wren
109/123

目隠し鬼(七)

      14



 山へ行こう。


 思い立ったが吉日。俺はチョコレートとポテトチップスを詰めたナップザックを背負い、水筒に麦茶を入れ、遠足にでも行くような少し浮き立った気分で、けれども祖父に見つかったら何を言われるかわかったものではないのでコッソリと裏口から家を出た。

 一昨日、子供達は遊びに来なかった。昨日は何事もなかったように何気ない風を装っていつものように庭に集まってきたが、俺が明日も遊ぼうなと言うと、皆一斉にあらぬ方を見て言葉を濁した。そして今朝、やはり誰も庭に集まってこない。

 きっとみんな、山で遊んでいるのだろう。自分だけのけ者にされたと想像するだけで、胸が錆びたブリキのおもちゃのように厭な音を立てて軋む。でも違うかもしれない。あいつらは別に意地悪で俺をのけ者にするつもりなんてないのかもしれない。とにかくあそこに行って、自分の目で見てみないとわからない。山に秘密があることだけは確かなのだから。

 ナップザックの肩紐をグッと握りしめ、山へ向かう道を駆け出そうとした時だった。


 ヒロ、どこ行くんじゃ。


 背後から掛けられた声に振り向けば、道端の石に腰掛けた老人と目が合った。その見知らぬ老人は祖父よりももっとずっと年老いていて、背中が酷く曲がっていて、というよりヒトにあるまじき角度に歪んでいて、それでもぷかりぷかりとキセルを吸う目は愉しげに笑っていた。

「友だちを探しに、山へ行くんだ」

「友だちか。友だちは大事にせにゃいかんの」

 ニコニコと微笑みながら、おいでおいでと手招く老人のそばに何気なく近寄った途端、不意に手拭いで目隠しされた。突然のことにびっくりしたが、ふわりと顔を覆った手拭いは干し草のようにどこか懐かしい匂いがして、不思議と怖いとは思わなかった。

「そんでも山はいかんの。山には()えもんも、悪いもんも、色んなもんがおるけえの」

 乾いて骨張った手がぽんぽんと頭を撫でる。

「おみゃあの目ぇは、よお見えすぎるけえの。めんなし鬼くらいが丁度ええんじゃ」



      ❀



 早朝のランニングを終えて家の玄関を開けた途端、待ち構えていたかのようにりんが飛びついてきた。

「今日はしーでぃーのれんたる屋に行く約束だぞ! その後れんとナオを誘って、からおけ屋だぞ!」

「わかってるって。その前にシャワーくらい浴びさせてくれよ」

 裕貴を待つ間、りんはダイニングルームの椅子にちょこんと腰掛け、直貴に借りたヘッドフォンを装着し、ふんふんと機嫌良さげに鼻唄を歌っている。りんが家に棲みついて数週間が過ぎ、ひとつ分かったことがある。クラシックからジャズ、パンクロックからアニソンに至るまで、りんはありとあらゆる音楽を好んだ。試しにドイツ生まれのヘヴィメタを聴かせてみたところ、おかっぱ頭で盛大にヘッドバンギングしたあげく、テーブルの角で頭を打って気絶した。以来、「あのはげしいヤツをもう一度」などと度々せがまれるが、裕貴も直貴も聞こえないフリをしている。

「あれ? おまえさ、朝メシ食ったの?」

 りんの前に並べられた皿がパン屑ひとつなく、やけに綺麗なことにふと気づき、裕貴が何気なく訊ねた。りんは心ここに在らずといった様子でスマホのプレイリストから目を離さぬまま、こくりと頷いた。夏バテか、それとも寝食も忘れるほど音楽に没頭しているせいか、りんは初めて出会った頃に比べて随分と食が細くなった気がする。心なしか、ふっくらと下膨れの頬も微妙に赤味が足りない。

「おまえもしかして、ちょっと痩せてね?」

 裕貴がまじまじと見つめると、りんはうるさそうに顔をしかめ、コップに半分ほど残っていたりんごジュースを飲み干した。

 


      15



 ヒロ、と誰かが俺を呼ぶ。

 ヒロ、教えて、と囁き、ひんやりと温度の無い指先が、俺の頬を撫でる――


 真夜中、あまりの暑さに寝苦しくて目が覚めた。汗にべっとりと濡れた寝巻きがイキモノのように躰にまとわりつき、ひどく気持ちが悪い。隣に寝ている弟を起こさないよう、足音を忍ばせて部屋を出た。祖父のゴム草履を足に引っ掛け、玄関の引き戸を開ける。そっと開けたつもりなのに、しんと静まりかえった家にカラカラと乾いた音が響き、その音に俺は思わず身を竦ませ、次の瞬間家から走り出た。


 月の無い夜だった。星明りだけを頼りに畦道を歩き、河原に降りる。と、涼やかな風が優しく頬を撫で、汗が引くのを感じた。そして、そこだけ世界から切り離したように静かな闇の中に、彼女はいた。

「あたしに会いにきたの?」

 振り返った少女の藍色の袖が、風にふわりと舞う。辺りは真っ暗なのに、どうして彼女の着物の色がわかるのだろうと、ふと不思議に思った。

「あたしを探してたんでしょ?」

 少女が微笑みながら近づいて来ると、俺の手に指を絡めた。柔らかく細い指先は、川の風に似て、ひんやりと温度が無い。

「……だってヒロは、あたしの夢をみたんでしょう?」

 ねぇ、教えて。小首を傾げた少女の黒髪から、ほろほろと青白い燐光が零れる。

「あたしはどこで、どんなふうに死ぬの?」

 引いたはずの汗が、再びじっとりと全身を濡らす。

「あたしは水から生まれ、水のそばで生きてきた。だから死ぬ時も、水と一緒がいい。レイのように」

「……レイ?」

「おぼえてない? 白いワンピースの子よ。あたし、正直言ってあの子のことはあんまり好きじゃなかった。綺麗な子だったけど、弱々しくて、いつだって今にも消えちゃいそうで、そばにいるだけで気持ちがザワザワして落ち着かないんだもの。でもあの子の死に方だけは羨ましい」

 だから叶うならあたしも、あんなふうに、透明な水の底に消えていきたい。そう言って少女は笑った。


 ……そんな彼女に言えるわけがなかった。

 きみは、涼やかな夜の川岸でほろほろとひかりを零すように笑うきみは、容赦無い日照りの下、一滴の水気すらない渇いた地面の片隅に、無残に赤黒く潰れた姿を晒すことになるなどと、言えるわけがなかった。



      ❀



 目覚まし時計をセットするのを忘れたらしい。じっとりと全身に嫌な汗をかいて目覚めれば、すでに十時に近かった。この暑さではとてもじゃないがランニングなんて無理だ。げんなりした気分で起き上がり、シャワーを浴びる。

「お、ようやっと起きたか。ヒロはねぼすけだの」

 りんはいつも遅くまでウロウロしている癖に早起きで、毎朝日の出前からゴソゴソと徘徊を始める。初めの頃はそれが気になって仕方無かったが、慣れとは恐ろしいもので、最近はりんの足音で目が覚めることなど全く無い。

「あとちょっとで夏休みも終わりかぁ」

 盆も過ぎたというのに夏の日差しは一向に弱まる気配を見せず、寝苦しい夜が続いている。きっとそのせいで、寝ても寝ても体の芯に澱のように残る疲れが取れないのだろう。

「それにしても毎日毎日暑くてウンザリするな。ダルくってなんにもする気がしねーわ」

「……ヒロ兄のそれって単なる運動不足じゃないの」

 クーラーの効いたダイニングルームで参考書をめくりつつ、直貴がちらりと裕貴を見遣った。

「いや、でも一応朝晩ランニングしてるし……まぁ今朝は例外だけど」

 直貴が無言で肩を竦める。無口かつ無愛想な弟の言いたい事はまぁなんとなくわかる。陸上部のエースだった頃の裕貴なら、朝晩のランニングなど運動のうちにも入らなかった。でも仕方が無いではないか。

「りんを連れてプールにでも……いや、やっぱ夏休みだし、せっかくだから煉も誘って海にでも行くか。ナオ、おまえも行くだろ? 勉強だってたまには休んだほうがメリハリついていいんだぜ?」

「……ボクは遠慮しとくよ。お盆過ぎの海なんて、クラゲに刺されにいくようなものだから」

「ダイジョーブだって! クラゲなんてそんな滅多にいねーって。よっぽど運が悪くなけりゃあ刺されたりしねーよ」

「……ヒロ兄、ボクが小学生の時も同じこと言ったの、憶えてる?」

「え? そんなこと言ったっけ? 全然記憶ねぇけど」

「絶対大丈夫だから、とか言われて騙されて、ヒロ兄に無理矢理遠泳に連れ出されて、そしたらクラゲの大軍に突っ込んで……」

「いや、それ、騙されてってことはないんじゃないかと思うんですが……」

「……ヒロ兄は肌が丈夫だから全然なんともなかったんだよね。ボクだけ翌日全身ミミズ腫れになって大変だったんだ」

「……悪い」

「……ボク、あの日に誓ったんだ。絶対に一生、ヒロ兄とだけは海に行かないって。だから行くなら、りんちゃんと二人で行ってよ」

「りんも全身ミミズ腫れは嫌だ」

 隣で耳をそばだてていたりんが、慌てて後退りする。

「行くならヒロひとりで行け」

「おまえら、そんなさみしーこと言うなよ。そもそも幼少期のたった一度の無垢なアヤマチで実の兄を一生許さないとか、ちょっと怖すぎるぞ?」

「たった一度……?」

 呆れたように直貴が嘆息した。

「後先考えないヒロ兄の無謀な行為のせいでボクが迷惑を被ったのがたった一度だけとか、本気で思ってるの?」

「え? なに? どーゆー意味?」

「……なんでもない。とにかくボクは海には行かないから」

「りんも行かんぞ」

「えーなんだよ、ノリ悪くてつまんねぇヤツラだな」

 口を尖らせソファーにゴロリと転がった瞬間、不意に閃いた。

「あ、じゃあ山は?!」

「……え?」

「山いこーぜ山! 涼しくって絶対気持ちいいって!」

「……海がダメなら山って、安易過ぎない? そもそもこの辺りって人が多いばっかりで、登って涼しいような山なんてあんまり……」

「そうじゃなくってさ、じいちゃんの田舎の山に行こうぜ! ほら、じいちゃんの家って俺と姉貴が片付けに行って以来、閉めっぱなしだろ? 山行くついでに家に寄ってさ、空気とか入れ替えたほうがいいんじゃね? 夜はそのまま泊まれるし、一石二鳥じゃん!」

 興奮気味にソファーから飛び起きた裕貴を、弟が冷凍マグロ並みに冷めた目で見る。

「……ボクはいかない」

「え? なんで?」

「なんでって……あの辺の山は素人が遊びで登るには向いてないし、それに……」

 直貴がふと口ごもり、続いて妙に苛ついた仕草で参考書のページを乱暴にめくった。

「……とにかく、わざわざあんなところの山に行くなんて、やめておいたほうがいいよ。ヒロ兄のその思いつきでいきなり突っ走っていく癖って、良くないと思う。その暴走に他人を巻き添えにするのもやめて欲しい」

「おまえって、石橋を金槌でぶっ叩いて壊すようなヤツだよなぁ。もう少し若々しく生きたほうがいいんじゃね?」

「……余計なお世話だよ。ヒロ兄もさ、そんなに暇なら、おじいちゃんのお見舞いにでも行けば?」

「うーん、それはちょっと……」

 不意にりんから聞いた祖父の隠された『趣味』を思い出し、裕貴が咳払いした。

「ほら俺ってさ、じいちゃんとそんなに親しくないし、見舞いとか行っても話すこともなくって、なんつーか、想像するだけでスゲー気まずいっつーかさ」

 と言うよりも、あの趣味を知ってしまったからには、祖父の顔を真っ直ぐ見ることすら出来ない気がする。別に祖父の嗜好が良いとか悪いとかではなくて、裕貴には自分が知ってしまった事を隠しておける自信がなく、祖父も孫に己の秘密を知られたとあっては、さすがに良い気はしないだろうと思うのだ。自分が祖父だったら、ちょっと普通に死にたくなると思う。病気で気持ちが弱っている時なら尚更だ。たいして親しくないとは言え、実の祖父をそんなふうに追い詰めたくはない。

 ところで縁起でもないがもし万が一にでも祖父がこのまま亡くなったりしたら、あの家はどうなるのだろう。家が売りに出されたり解体されたりしたら、祖父の秘密が世間に暴かれる事になるのではないか。それでは祖父だって死んでも死に切れないだろう。祖父の人物像を守り、その秘密を墓場まで持っていかせてやるのが孫である自分の務めではなかろうか。いやまだじいちゃん死んでないけどさ。

「……あの家、火事で燃えちまわねぇかな」

「はあ?」

 思わず漏れた裕貴の独り言に、直貴が目を瞬く。

「……ヒロ兄って本当に時々意味わかんないよね」

 悩める裕貴の心の内を知ってか知らずか、直貴がため息と共に肩を竦めた。

「……とにかく、ただでさえ受験勉強で忙しい時にヒロ兄の遭難騒ぎとかに付き合わされたくないから。頼むから、山だけは絶対にやめてよね」

 いつも自分の殻に閉じこもり、なるべく裕貴に関わらないようにしている弟からいやにはっきりと決めつけられ、裕貴は不思議に思いつつも曖昧に頷いた。

「りん、おまえはカラオケ以外にどっか行きたいとことかねぇの?」

「ない」

 借りてきたばかりのCDをいそいそとプレイヤーにセットしつつ、りんが素っ気無く首を横に振った。

「りんは歌があればいい」



      16



 ヒロ、あんまり無理ばっかり言うなや。


 山の秘密を教えろ、と俺に迫られ、少年は困った顔でぼりぼりとあごを掻いた。髪も目も、夕陽のように赤い少年だった。

「別に無理じゃないだろ。俺を仲間ハズレにして、みんなで何してるのか聞いてるだけなんだから」

「おれらぁ誰も、ヒロを仲間ハズレになんぞしとらん。でも気に障ったんなら謝るで、機嫌なおしてくれろ?」

「じゃあ山に何があるのか教えろ」

 困ったのう、と少年が眉毛をへの字に下げる。

「ヒロにマモリガミサマのこと言うたりしたら、センが怒るが」

「マモリガミサマ?」

「あっ!」

 少年が慌てて口を塞いだがもう遅い。

「マモリガミサマってなんだ?」

 俺にガッチリと腕を掴まれ、少年は諦めたように肩を落とした。

「……マモリガミサマはマモリガミサマじゃ。でっけえ木の洞にあらさって、ずうっと昔からおれらぁのことを守ってくれとるんじゃ」

「なんでそのことを俺に秘密にする必要があるんだ?」

「なんでって言われてもなぁ。マモリガミサマはおれらぁのカミサマだけど、ヒロのカミサマとは違うけぇ――」

「アカネ」

 背後から不意に掛けられた声に、赤毛の少年がびくりと身を竦ませた。

「セ、セン……」

 目許のエメラルドグリーンの模様に僅かな苛立ちを滲ませ、小柄な少年が俺と赤毛の少年を交互に見比べた。

「アカネ。二十年前に誓った事、忘れたか」

「……わすれとらんが、ついうっかり口を滑らしてしもうて……スマン。セン、おれが悪かったけぇ、ヒロのことは怒らんでくれろ?」

 ヒロ、と静かな口調で俺の名を呼び、少年が俺を見つめた。

「山の事はすべて、内々の問題だ。おまえには関係ない。これ以上かかわるな」

 わけもわからないまま蚊帳の外におかれることよりも、唯、俺に向けられた、何かを諦めたような淡々とした眼差しが口惜しかった。

「関係ないって、かかわるなってなんだよッ?! 俺たち友だちだろ?!」

「……違う」

 出逢って初めて、少年が俺に向かって微笑んだ。


 ヒトと、ヒトでないモノは、トモダチにはなれない。



      ❀



「……ロ。ヒロ、大丈夫か?」

 まだ薄暗い部屋で目覚めると、裕貴に馬乗りになったおかっぱ頭が心配気に顔を覗き込んでいた。

「なにやらひどくうなされておったぞ? なんぞ悪い夢でもみたか?」

「……いや、大丈夫……ってか、うなされてたのはおまえが上に乗ってるからじゃねーの? サッサとどけよ」

 ふっくらと白い頬に一重瞼が妙に懐かしい。羽二重餅のような頬をつまんで引っ張ると、おかっぱ頭がムッと口を尖らせた。

「やめんか。そーゆーのはセクハラというんだぞ」

「……おまえ、人外のクセに変な現代語ばっかりおぼえんなよ」

 一体自分は何の夢を見ていたのだろう。心の奥底に幽かに残る寂しさに、指先が痺れる。不意に涙がこぼれそうになって、そして何故か突如、カーテンの隙間から外を覗き、小鳥の歌声に耳を澄ませている少女を抱きしめたいと、強く思った。

「なぁ、りん」


 おれたち、トモダチだよな?


 胸の内に秘められた言葉は口にされること無く、朝陽に解けて消えた。



(To be continued)

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