目隠し鬼(三)
6
「……ヒロ兄?」
コンコンとドアがノックされる音に我に返る。
「ヒロ兄、大丈夫? なんか怒鳴り声がしたけど、どうかしたの……?」
「え、あ、ナオ、いや、ちょっと待て……」
咄嗟に止めようとしたが間に合わなかった。弟がガチャリとドアを開けて部屋を覗き込む。椅子にちょこんと腰掛けた少女を見た瞬間、普段から表情の薄い弟の顔が完全にフリーズした。時間にして数秒の沈黙。
「……うわ」
たったの一言に万感の思いを込め、弟が顔を引っ込めドアを閉めた。
「ちょ……ッ! ナオ! 待てよ!」
慌てて弟を追いかけ、廊下に出る。
「おい、ナオ! おまえなんか勘違いしてねぇか?!」
「勘違いって……」じりじりと自室へ移動しつつ、直貴が気まずそうに目を逸らす。「……ヒロ兄が何をしようと、ボクには関係ないし」
「いやおまえカンペキ勘違いしてるだろーが! なんだよその変質者を見るような目は?! 言っとくけどな、見ず知らずのガキが勝手に家に入ってきて俺の部屋で菓子食ってたんだぜ? 多分近所の子だと思うんだけどさ、おまえ心当たりない?」
直貴が無言で首を横に振り、裕貴が髪を掻き毟る。
「こーゆー時に限ってユミ姉はいないし、参っちまうよな。迷子か家出か知らねぇけど、やっぱ警察呼ぶしかないよな」
「いや、警察は……やめといたほうがいいと思う」
「なんで?」
「なんでって……こんな夜中だし……なんなら朝まで待ったほうが……」
「おまえナニ言ってんの? 夜中だしって、夜中だからだろ? ほら、最近多いじゃん? 変質者が子供を誘拐とか監禁とかしちゃうヤツ。見ず知らずのガキを家に泊めたりして、万が一俺らが誘拐したのかと思われたらイヤだろ? こーゆーのはさ、やっぱさっさと警察呼んでシロクロつけたほうがいいんだよ」
妙にあやふやな弟の態度を見て返って冷静になった。歩いて十分程のところに派出所がある。わざわざ警察を呼ぶより、自分が出向いた方が早いだろう。スナック菓子の袋を抱きしめている少女の腕をむんずと掴み、裕貴が立ち上がった。
「ええ、それで、部屋でヒトの気配がしたから起きたら、知らない女の子が俺の部屋にいたんですよ。うちの家、勝手口の鍵をよく掛け忘れてるんで、そこから入ってきたのかも知れません。親戚の子じゃないし、近所でも見掛けたこともない子なんですけど、もしかしたら家出かなんかかと思って」
「なるほど。その子の名前と年齢は分かりますか?」
「名前を聞いたら『りん』って言ってました。苗字や住所は分かりません。歳は聞いてませんけど、多分七〜八歳くらいじゃないかなぁ」
初老の警官が落ち着いた様子で裕貴の話を聞き、その背後で若い警官が書類らしきモノに何か書き込む。
「分かりました。では行きましょうか」
二人の警官が頷きあい、立ち上がった。
「え? えっと……あの、行くってどこにですか?」
「だから、その女の子を引き取りに君の家まで行きましょう」
「……?」
言われている意味が解らず、思わず二人の警官の顔を交互に見比べる。
「どうかしましたか?」
「あのう……」裕貴の隣のパイプ椅子にちょこんと座り、澄ました顔であらぬ方を見ている少女をおずおずと指差す。「だから、その家出少女って、この子のことなんですけど」
警官達が顔を見合わせた。
「この子って……?」
「だからこの子です。ここに座ってる、この子――」
数秒の沈黙の後、若い警官が不意に表情を険しくした。
「君、からかってるの?」
「は?」
「こんな夜中にわざわざ派出所まで来て、冗談じゃ済まないんだよ? まさか酔っているわけじゃないよね? 君、学生でしょ? ちょっと学生証を見せなさい。それと親に連絡するから、住所と電話番号は?」
「え? 父親は単身赴任で、母親は祖父の付き添いで病院なんですけど……って、え? ちょ、ちょっと、からかってるってどーゆー意味っスか?!」
突如降って湧いた飲酒疑惑に驚いて、思わず椅子から立ち上がった裕貴を「まぁまぁ」 と年配の警官が宥めるように手で制す。
「落ち着きなさい。悪戯と決まったわけでもないし、とりあえずご家族に確認の連絡を――」
「兄貴!」
小さな影が派出所に飛び込み、裕貴のシャツを思いっ切り乱暴に引っ張った。突然のことにバランスを崩して尻餅をついた裕貴を、やけに耳の大きな猫を肩に乗せた少年が威丈高に見下ろす。
「もう何やってんだよ、こんな所で?! 勝手に家から出ちゃダメだって医者に言われただろ?!」
「……はい?」
事態について行けず、目を白黒させる裕貴を睨んで少年がチッと舌打ちする。その迫力に裕貴が黙り込むと、少年が警官達に向き直り、深々と頭を下げた。
「すみません。うちの兄貴、夢遊病ってゆうか、時々すごい寝ボケるんです。寝ボケて真夜中に制服着て学校まで行っちゃったりして、その度に家族で大騒ぎして探すんです。おまけに幻覚とかも見るらしくって、でも自分では寝ボケてることが分からないらしいんです。あんまり酷いから、最近は精神科で薬を貰って飲ませてるんですけど、今ちょっと家の事情で家族がバタバタしていて、その隙に薬を飲ませ忘れちゃったみたいで。母さんに兄貴の面倒をみるようにって言われてたのに、目を離した弟のボクの責任です。ご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした」
「む……夢遊病? 幻覚? ってか弟って……」
「ほら、兄貴はもういいから、大丈夫だから、早くこのクスリ飲んで、家に帰って一晩寝たらスッキリするから、ね?」
愛らしく小首を傾げ、なんだか物凄く怖い笑顔で少年がピンクの錠剤を差し出してきた。コレを一体俺にどうしろと言うのだろう……と戸惑ったのも束の間、いきなり凄い力で頬を掴まれ、錠剤が口にねじ込まれた。驚きのあまり、僅かに甘いそれを思わず飲み込んでしまった。
「君も若いのに大変だねぇ」
警官達の同情と哀れみを込めた視線に見送られ、派出所を後にする。同情は少年へ向けたモノで、恐らく哀れみは裕貴に向けられたモノなのだろう。ちらりと背後を確認すれば、くだんの少女もちゃっかりとついてきている。それにしてもニンゲンというモノは、驚きすぎると言葉が出なくなるものらしい。酔っ払ったようにふらふらと家の前まで帰り着いたところで、ようやく裕貴が口を開いた。
「えっと……キミは俺の弟……?」
「んなわけないでしょ」呆れたように少年が肩を竦める。「俺はタダの通りすがり。偶然あんた達を見かけてさ、メンドーなことになりそうだったから、とっさのアドリブで助けてあげたんだよ」
そうか。根暗な癖に頭だけは良い弟を煙たく思うこともあるが、こんな生意気そうな弟は更にごめんだ。僅かにホッとするが、しかし何が何だかさっぱり分からないことに変わりはない。
「俺、今現在自我が崩壊するくらい混乱してんだけど」
ふうん、と感心したように少年が唸る。
「あんたさ、本当に全然自覚ないんだ?」
「自覚って……? 悪い、まじで意味分かんねえ。ってか、そもそもさっき俺に無理矢理飲ませた薬はなんだよ? 変なもんじゃねぇだろうな?」
「心配しなくても、ただの便秘薬だし」
「はあ?! 便秘でもないのにそんなもん飲んで、腹壊したらどうしてくれんだよ?! ってか、幻覚とか夢遊病って一体なんのことだよ?!」
「うるさい男だ」
やや高めのハスキーな声が吐き捨てるように決めつける。
「夜中に騒ぐな。近所迷惑だろうが」
「……猫が喋った」
「誰が猫だド阿呆」
少年の肩の上のイキモノが剣呑な表情で鋭い牙を剥く。思わずよろめいた裕貴の背後でガチャリと玄関が開き、直貴が顔を覗かせた。
「……ヒロ兄?」
「ナ、ナオ!」
見知った顔が懐かしい。懐かしさのあまりに弟を抱きしめようとしたが、半開きのドアで容赦無くブロックされた。
「……その子、誰?」
人見知りの激しい直貴がドアの陰に隠れて、少年をおずおずと指差す。その姿、可愛い女の子なら絵になるだろうが、中学生男子がやってもキモイだけだと教えてやりたい。
「知らねえよ。警察行ったら、イキナリ弟とか名乗って俺にむりやり便秘薬を……」
「ヒロ兄、まさか本気で警察行ったの……?」
「まさかって……」
呆れ果てたと言わんばかりの弟の表情に、不意に頭に血がのぼった。
「行くのが当たり前だろう?! 真っ暗な部屋に知らないガキがいたんだぜ?! 家出だかなんだか知らねぇけど、こいつの親だって心配して探してるかも知れないだろ?! ってかあの警官達の対応ってなんなわけ?! どいつもこいつもワケの分かんねーこと言いやがって、まるでこいつのことが見えないみたいに……!」
「視えなかったんだよ」
弟と少年の声が揃った。
「……はい?」
二人が目を見交わし合い、得心したように頷き合う。
「普通のニンゲンには、その子は視えない」
「……だから警察になんか行くなって言ったのに」
「ふん、おまえの弟の方が、余程物事をわきまえているようだな」
何かに化かされたようにぽかんとしている裕貴を見て、正体不明なイキモノがくつくつと嗤う。
ついに脳が思考を拒否した。頭を抱えてうずくまった裕貴に弟が冷めた眼差しを向ける。
「……ヒロ兄、それ、どうするつもり?」
不意に直貴が裕貴の隣に立つ少女を指差した。
「どうするって……どうしよう?」
迷い子のように情け無い表情の裕貴を見て、弟は憐れむどころか明らかな苛立ちをこめかみに滲ませた。
「……ヒロ兄は昔からそうだよね。子供の頃からよく変なモノを家に連れてきたりしてさ。この間も死にかけのドブネズミみたいなモノ拾ってきたでしょ? 捨て猫とか言って餌やって懐けちゃって、おまけに家中を徘徊させてさ。本当、無責任な上に自覚の無いヒトってすごく傍迷惑だよ」
「あのーもしもしナオキくん? お兄ちゃんちょっと話がみえないんだけど」
「幻覚ならヒロ兄だけが狂ってるってことだから、まだマシなんだけどね。ヒロ兄に視えるモノって、大抵はボクにも視えるんだ。だから本当に迷惑。本気で吐き気がするくらい迷惑。迷惑すぎるから、一度死ねばいいのに」
バタンと玄関が閉まり、更にガチャリと鍵が掛けられた。弟の自分に対するあからさまな拒絶に僅かに傷つくが、まぁ一応家の鍵はポケットにあるし……と思ったところで、チェーンが掛けられる音がする。
「……普段大人しいヤツがキレると怖いって、ホントなんだな」
「大人しいモノに問題があるわけではない」
辺り構わずポロポロと菓子屑をこぼしつつ、事の元凶が澄ました顔で肩を竦めた。
「大人しいモノを怒らせるような無神経なモノが悪いのではないか?」
(To be continued)




