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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第三章 〜 Songs of Wren
104/123

目隠し鬼(二)

 

      4


「ほら、電車に間に合わなくなるから、ゴミ出しが終わったらサッサと荷物まとめてよね」

 翌朝早々に起き出した姉はそそくさと朝食を済ませると、慌ただしく帰る支度を始めた。昨日は着いた途端に一日中掃除に追われ、近所を散歩する暇もなかった。しかし何かに追われるように家の鍵を掛ける姉を見れば、もしかしたら昔に遊んだ友達に会えるかもしれないから、ちょっと御近所さんに挨拶を……などとはとても言い出せない。

「……お邪魔しましたぁ」

 引き戸の鍵を締める寸前、暗い土間に向かって小さな声で挨拶する。誰もいない家はしんと静かで、裕貴の声だけが虚ろに響いた。

 中々来ない電車を待って、白いペンキが剥げかけた駅のベンチに姉と並んで座り、流れる雲をぼんやりと眺める。

「じいちゃんさぁ、あんな広い家で一人暮らしって、寂しくないのかなぁ」

「……よく知らないけど、田舎だから近所付き合いとか盛んなんじゃないの? 畠の世話だってあるし、田舎の老人は都会の老人に比べて色々と忙しいって前に言ってたし」

 スマホをいじりながら姉が肩を竦める。なんだかんだ言って普段は家族思いな姉の、その愛想の無さを少し不思議に思う。昨夜の一件以来、姉は妙によそよそしく、裕貴と眼を合わせようとしない。何に怯えていたのか知らないが、弟の前で醜態を晒したのを恥に思っているのだろうか。

「でもさぁ、ばあちゃんは優しかったけど、じいちゃんってスッゲェ無愛想じゃん? あのじいちゃんが近所付き合いなんてするかなぁ」

「……おじいちゃんは物静かなだけで、別に無愛想なんかじゃないわよ。そもそも子供の頃におじいちゃんと一番仲が良かったのは、あんたでしょ」

「え?! なにそれ? 俺、じいちゃんと遊んだ記憶どころか、まともに話した記憶すらないんだけど」

 姉はちらりと横目で裕貴を見ると、不機嫌そうに眉根をひそめて黙り込んでしまった。やはり昨夜の事を引きずっているのだろう。よく分からないが、こういう時の姉には関わらないのが一番だ。

 ようやく来た電車に乗り込み、見送る人影もない薄暗い駅舎にそっと別れを告げる。昔、夏休みが終わって都会に帰る時、祖父母は必ず裕貴たち家族を見送りに駅までついて来た。

「また来んさいよ。夏休みと違っても、冬休みでも春休みでも、来たい時にいつでもおいで。待ってるからねぇ」

 持ち切れないほどの野菜や餅を兄弟に持たせ、幾度も同じ台詞を繰り返す祖母の背後で、祖父はむっすりした顔で腕を組み、遠くの山を眺めていた。そして電車が来て、裕貴達が乗り込む寸前になってようやく振り返り、裕貴と直貴の頭に大きな手をおいた。乾いて温かな手の、あの重さが不意に蘇る――



「はあぁ、疲れたー」

「……おかえり」

 夕方、家に帰り着いた裕貴を弟の相変わらず根暗な声が迎えた。

「……ユミ姉は一緒じゃないの?」

「それがさ、駅に着いた途端に精進落とししてくるとか言い出してさ、大学の友達の家に泊りがけで飲みに行ったよ。帰りはいつになるかわからないから、食事は適当にしておけって。出前でいいか?」

「……別にボクはなんでも」

「じゃピザにしようぜ! ハバネロ入りの激辛ピッツア」

 鼻歌交じりに電話帳を引っ張り出す裕貴を見て、直貴が肩を竦める。

「それにしてもさぁ、ユミ姉も母さん達がいないからって、結構勝手だよな。そもそも精進落としってさ、別にじいちゃん死んだわけでもないのに、縁起でもないこと言うよなぁ」

「うん、まぁ……ユミ姉は迷信深いっていうか、ちょっとアレだから……」

「迷信深いにもほどがあるだろ? 普段はアレしろコレしろって姉貴風吹かせてる癖にさぁ。昨日だって、夜中にイキナリ俺の部屋に転がり込んできたんだぜ? なんか真っ青な顔して、すげえ怯えてんの。それで一緒に寝ようとか言い出してさぁ、おかげでコッチは寝不足もいいとこ」

「……ふうん」

 ダイニングテーブルに参考書を広げた直貴が、興味無さげに相槌を打つ。

「ああ、そう言えばさ、俺逹が子供の頃にあの家で一緒に遊んだ子の名前とかって憶えてる? ユミ姉は知らないって言うんだけどさ」

「……子供?」

 気のせいだろうか。長い前髪の陰で、直貴が僅かに目許を引き攣らせたように見えた。

「うん、多分近所の子か遠い親戚とかだと思うんだけど、ほら、色々いたじゃん? 体がデカくて相撲の好きな奴とか、すっげー足の速い奴とかさ。それでみんなで鬼ごっことかして」

「……ボクは、あんまり外で遊ばなかったから」

「そう言えば、あんましナオとあの家で一緒に遊んだ記憶はないな。おまえって、独りでいつも何してたわけ?」

 まさかとは思うが、弟を仲間はずれにした記憶は無い。

「……なにって、別に。おじいちゃんと本を読んだり……あと囲碁とか……」

「イゴ?! って渋いな、おまえ! 小学生男子がじいちゃんとそんなコトしてたのかよ。俺とはババ抜きくらいしかしたことねぇだろ」

「だって……囲碁は頭脳ゲームだから、ヒロ兄相手にしても……」

 今、物凄くナチュラルに馬鹿にされた気がするが、聞かなかったことにする。

「……とにかく、ボクは誰とも遊んでないよ」

 いい加減兄との会話に疲れたのだろうか。広げた参考書に向かって俯いた直貴が、消音機能付のヘッドホンを装着した。

「……ボクはヒロ兄とは違うから」



      5


 ヒロ、と低い囁き声が俺を呼ぶ。

 ヒロ、と小さな手が俺を揺り起こす。

「ヒロ、肝だめし行くぞ」

 隣に寝ている姉と弟を起こさぬように、足音を忍ばせて外に出た。

「懐中電灯は?」

「アホウ、そんなもんあったら肝だめしにならんが」

 けれども空には月も無く、隣に立っている子の顔すら分からない。

「だけどこれじゃあ暗すぎて、川に落ちるよ。俺はおまえらと違って、この辺の道とか詳しくないんだからさ」

「そりゃあぶねぇの。そしたら、ヒロはケイと行け」

 ええー、なんでわたし〜? と澄んだ声が不満気に鼻を鳴らした。断られるのかと思いきや、柔らかな手が俺の手を握った。

「仕方ないなぁ。でも……にはナイショだよ?」

 耳許で囁かれ、心臓がトクリと変な打ち方をした。

「言ったらきっと、ヤキモチやくからね」

 田舎の夜は本当に暗い。その墨を流したような闇の中、前をゆく少女の姿だけがぼんやりと蒼白い燐光を放ち、俺の足許を照らした――


      ❀


 寝る子は育つ。裕貴は子供の頃から寝付きが良く、一度寝たら朝まで死んだように眠る。そんな裕貴が二晩連続で夜中に目覚めるなんて、普段では考えられないことなのだ。それなのに目が覚めた。

 一瞬、夢の続きかと思った。でも違う。

 ……部屋にナニカかがいる。隅の方でカサリと音がしたかと思うと、続いて足音を偲ばせるようにして誰かが歩き回るような気配……パリパリポリポリと何かを咀嚼するような音が暗闇に響く。

「……ナオ?」

 咀嚼音がピタリと止んだ。じっと息を凝らして待つこと数分。キィ、と椅子が不気味に軋んだ。

「だ……誰だッ」

 落ち着いた誰何(すいか)の声、と言うよりも、我ながら悲鳴じみた喚き声を上げてしまったのは、昨夜の不可解な記憶が蘇ったせいに違いない。殴るようにして部屋の明かりを点けた直後、裕貴は予想外の光景に思わずぽかんと口を開けた。

 ふっくらと白い頬に紅い唇。おかっぱ頭に青い花柄の浴衣。年の頃はせいぜい七〜八歳か。日本人形のような切れ長の一重をシバシバと瞬かせ、片手をスナック菓子の袋に突っ込んだ少女が椅子にちょこんと座っていた。

 ヒクッと少女がしゃっくりした。釣られて裕貴もひとつしゃっくりが出て、ようやく我に返った。

「えーっと、もしもしお嬢さん? キミはここで何をしているのかな……?」

 慌てて訊ねた裕貴に向かって、少女が重々しく頷く。

「うむ。のどが渇いた。茶が欲しい」

「ああそうですかそれは失礼いたしましたではただいま……じゃなくって! キミ誰?! どこの家の子?! こんな夜中に一体どこから入ってきたの?!」

「この菓子は甘すぎる。そっちは辛すぎた。舌がヒリヒリする。こんなモノを食うやつの気が知れん」

 ケホケホと少女が咳をする。なんだそのわざとらしい演技は。そもそも不法侵入した上に勝手にひとの菓子を食い散らかして、その言い草はないだろう。イラッとしたが仕方が無い。

「じゃあ、水を持ってきてあげるから、そうしたらちゃんと質問に答えるんだよ?! いいね?!」

「水は嫌いだ。ふぉーしょんのあっぷるてぃーがいい。みるくは多めで」

 ふざけるのもいい加減にしろ。そう怒鳴りつけたいのを我慢して、階下に駆け下りる。コップに水道の水を汲みかけ、ふと気づいて冷蔵庫を開ける。姉が作り置きしている麦茶のボトルを掴み、二階の自室へ駆け上がった。

「なんだ、あっぷるてぃーはないのか」

 少女はボトルに鼻を近づけて匂いを嗅いだ途端に文句を言い、そのくせ喉を鳴らして麦茶を一気飲みした。そしてボトルが殆ど空になったところでグイと口を拭い、「まずい」と呟いた。

「なんだこれは。お前が淹れたのか? 煮出しがきつ過ぎて、茶の色が濁っているではないか」

「いや、それ作ったの俺じゃなくて姉ちゃんだし……ってそんなことよりキミ! 名前と住所は?! 親はどこにいるの?! どうやってここに入ってきたの?! そもそもなんでこんな夜中に……!」

 少女が呆れたように溜息を吐いた。

「よく喋るオトコだの」

「あーのーねー」

 少女が食べようと手を伸ばしたスナック菓子の袋を、サッと取り上げる。

「コレは質問に答えたらあげます」

 恨みがましい眼で裕貴を睨んでいた少女が、頬を膨らませてプイッとよそを向いた。

「……りん」

「え?」

「名はりん。親はいない。この家にはおまえについて入ってきた。ここにいるのは……」少女の目が僅かに泳いだ。「……今日からここに棲むことにしたからだ」

「……はい?」

 これは外国語だろうか。少女の言葉が全く理解出来ない。

「あの、まさかと思うけど、キミ、今、ここに住むって言った……?」

「うむ」と少女が重々しく頷く。

「鶏小屋のように狭い上に少々埃っぽいが、背に腹は代えられんからな。ここで我慢してやることにした。苦しゅうない、おまえもラクにしろ」



(To be continued)

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