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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第三章 〜 Songs of Wren
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閑話・君の名は

     1.桐刄の場合


 小学校最後の修学旅行で調子に乗り過ぎた。先生が見ていないのをいい事に、友達とふざけて渡月橋の欄干から大きく身を乗り出した途端、バランスを崩して身体がぐらりと揺れた。

 けれども落ちることはなかった。背後から伸びた手が、僕の腕を掴んで引き上げてくれたから。

「危ないよ」

 着流しと言うのだろうか。黒っぽい着物を着たヒトが、切れ長の目を細めるようにして僕を見下ろした。

 そのヒトは、多分男……だと思うんだけど、細身で、サラサラの黒髪で、ビックリするほど綺麗で、指先で細い管(キセル?)を弄ぶ仕草もイキで、もしかしたら俳優さんか何かかも知れない。ここは京都だから、時代劇の撮影とかをしているんだと考えれば、このヒトのちょっと時代錯誤な格好もナットクだ。

「お行き」

 形の良い唇からフッと薄紫の煙を吐いて、男のヒトは踵を返した。

「霧の中で迷子になってはいけないよ。……君は、餌としては不十分だからね」

 エサ? エサって何のことだろう。でもやっぱりこのヒトは俳優さんなんだろうな、と思う。だって女か男か分かんないくらい綺麗だし、それに喋り方もちょっと演技がかってるし。テレビで観た記憶はないけど、でも名前とか聞いたら失礼かな……。

 と、まるで僕の心の声が聞こえたかのように、男のヒトが振り返って艶然と微笑んだ。

「名乗るほどの者ではないよ」


 すらりとした後ろ姿を見送りつつ、思わず考え込む。

 ……キザってどういう漢字だったっけ?


 石にでも躓いたのだろうか。男のヒトの体がぐらりと揺らいだ。





     2.克也の場合


「危ないッ」

 甲高い誰かの悲鳴に振り返ろうとした次の瞬間、バシッと良い音がして、わたしの顔の前に伸ばされた手が野球のボールをキャッチした。

「スイマセーン」

 慌てて駆け寄ってきたユニフォーム姿の生徒に向かって、笑いながらボールを投げ返す。その横顔に、屈託の無い笑顔に、一瞬にして心を奪われた。


 櫻井克也。

 それが友達に頼んで調べてもらった彼の名前だった。わたしより学年が一つ上の二年生で、水泳部のスポーツ特待生として入学したらしい。だけど怪我で泳げなくなって、でも運動神経は抜群。なぜか美術部の竹中先輩と仲が良い。時々授業をサボって屋上で昼寝している。やや独り言多し。彼女なし。


 あんなに格好良いのに、彼女なしって、理想が高いのだろうか。それにしても周囲からの期待と羨望を一身に浴びた有望な選手だったのに、その将来が怪我で閉ざされるというのは、どれほど辛いことなんだろう。一般人のわたしにはちょっと想像つかない世界だけど、でもわたしだったらきっと、失ったものが悲しくて、『ダメになってしまった』わたしへの周囲の目や心遣いが苦しくて、絶対に平気ではいられない。でも、はたから見ている限り、彼にはそんな翳りは感じられなかった。

 背が高くて、でも少し猫背気味で、クシャッとした髪を左手で掻き上げる。黙って立っているとちょっと目付きがキツイ感じで、でも笑うと目が無くなっちゃう。子供みたいに無邪気で、そして清々しい。見れば見るほど、そんな彼の笑顔が好きで好きでたまらなくなる。

 だから、そんな『好き』を一杯込めた手作りチョコを胸に抱きしめ、まだ寒い日の早朝、わたしは彼の前に立った。


「櫻井先輩!」

 下駄箱の前で振り返った彼が、少し倦んだような表情で首をかしげる。脱力系というのだろうか。クシャクシャとナチュラルな感じに跳ねた髪がカッコ良い。

「あの、これ、受け取って下さい!」

 目の前に突き出された袋を、彼は少しびっくりした顔で受け取ってくれた。ああ、始業開始のベルが鳴っても中々現れない彼を、先生の目を盗んで下駄箱で待ち伏せした甲斐があるってものだ。

「ええっと……コレなに?」

「何って、あの、チョコです」

「チョコ?」キョトンとした顔で彼が再び首をかしげる。そんな子供っぽい仕草ですらカッコ良い。「俺にくれるの?」

「え? あ、はい……」

 次の瞬間、彼の顔が日が差したようにパアーッと明るくなった。

「まじ?! スゲー嬉しい! ありがとう!」

 神様ありがとう。彼のこんな笑顔を間近で見れて、わたし今なら死ねます。

「あの、わたし、以前に野球部のボールが当たりそうになったところを、櫻井先輩に助けてもらって、それで……」

「俺さぁ、今日寝過ごしちゃって、朝メシ抜きだったんだよね。おまけに駅から走ってきたから血糖値下がりすぎちゃって、気絶寸前で。ほんと助かったわ」

 わざわざリボンの専門店で買ってきた愛らしいラッピングが、目の前で容赦なくビリビリと破かれる。

「あーやっぱ疲れた時は甘いもんが一番だよな。砂糖が身体に染み入るわー」

 高級カカオを使って一晩かけて作ったトリュフが、一度に三個づつ口に放り込まれる。口の周りをチョコだらけにしてニコニコ微笑む彼に向かって、もう少し味わって食べて欲しい……とは到底言い出せなかった。

「でさ、なんで俺にチョコくれたの?」

「えっ、だからそれは……」

 彼がチョコのついた指を舐め、そのついでのように髪を掻き上げる。おいおいキタネーな、と思わず引いてしまう。よくよく見れば、ピンピンと無造作に跳ねた彼の髪は、モデル風脱力系というより単なる寝癖ではなかろうか。

「あの、櫻井先輩。今日が何の日かご存知ですか……?」

「え? 何の日って、俺の誕生日ではない」

 このヒト、なんか話の噛み合わないヒトだな。そもそも食べるのに夢中で、全然こっちの話聞いてないし。無邪気……と言うより、なんかガキっぽい。

 えー何の日? などと言いつつ、あっという間にチョコを平らげた彼が下駄箱を開けた途端、可愛らしくラッピングされた箱がこぼれ落ちてきた。足元に転がる幾つもの箱を無言で見つめていた彼が、不意にナゾナゾの答えを見つけた子供のように破顔した。

「あ、そうか、バレンタインデーか! タダで糖分補給出来る超ラッキーな日だ!」

 タダで糖分補給……。

 ニコニコと満足気な彼の手から、空になった箱と無惨に破られたラッピングの入った袋を奪い返す。彼は気づいていないだろうけど、この袋の中には手紙が入っている。それを彼に渡すわけにはいかない。

「これ、捨てておきますね」

「そう? わざわざごめんね。チョコもすごく美味しかったし。ありがとう」

「……喜んで頂けて光栄です」

「あ、ごめん、キミの名前きいてねーわ」

 憑き物の落ちたような爽やかな笑顔でわたしは彼を振り返った。


「名乗るほどの者ではありません」




     3.焰の場合


「オイ、そこの女子高生」

 陽の落ちた薄暗い街の道角で、誰かに呼び止められた。そこの女子高生、だなんて、きっと変な酔っ払いオヤジに違いない。無視して行き過ぎようとしたら、ハスキーな声が少し大きくなった。

「オイ、ムラヤマカエデ。落し物だぞ」

 ギョッとして振り返ると、足元に猫サイズの狐がいた。

「この紅い定期入れ、お前のモノだろう」



「礼はハーゲンダッツのバニラアイスでいいぞ」

 狐が金色の眼を細めて舌舐めずりする。この辺は稲荷信仰で有名だが、しかし狐というモノは油揚げが好きなのではなかったかと聞くと、狐は舌打ちしてわたしを睨んだ。

「俺をあんな群れないと何も出来ん奴らと一緒にするな」

 稲荷神社に何か恨みでもあるのだろうか。よく分からないが、しかし化け狐にも派閥のようなモノがあるらしいことは分かった。

 名前を聞くと、バニラアイスの蓋まで熱心に舐めていた狐はふんと鼻を鳴らした。

「お前が俺の名を知る必要はない。そもそも名というモノは、軽々しく聞いたり教えたりするものではない」

 だけどそっちはわたしの名前を知っているじゃないかと反論すると、「そりゃ学生証の入った定期入れなんて落とすお前が悪い」と返された。

「モノの名は、此の世で最も古く、強力な(まじな)いだ。つまり己の名を知られるということは、相手に己の一部を与えるということだ。まぁお前のようなモノにはわからんだろうがな」

「ふうん、そっかー。残念だなー。名前さえ知ってれば、これからもハーゲンダッツを食べる時は呼んであげられるかと思ったんだけど」

「ほむ……むむ」

「ほむ?」

 忌々しげに鼻を鳴らして狐がそっぽを向いた。うーん、もうちょっとで引っ掛かりそうだったのに、残念。まぁ別に狐の一部を手に入れようとか、そんな邪な気持ちがあったわけではないからいいんだけど。


 けれどもやはり、「ほむ」とは彼の名の一部だったらしい。

「ほむほむ〜」と呼ぶと、彼は時折窓辺に現れるようになった。そして「変な名で気安く呼ぶな」などと文句を言いつつ、わたしの部屋でバニラアイスに舌鼓を打つ。そして何やらブツブツ言いつつも、失くしたイヤリングの片っぽや、指輪なんかを見つけてくれる。

 でもそれはきっと、『(まじな)い』なんかではなくて、ほむほむは認めないだろうけど、もっと胸が温かくなるような、クスクスと笑い出したくなるような、そんなくすぐったい気持ちのせいだと思っている。



(END)

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