464.屈辱ここに極まります
王国には、氣やオーラを正規の形で体得した者が殆どいない。
外対騎士団ではヴァルナが普及を目指しているが、殆どの者がまだ初歩レベルでしか体得しておらず、応用まで辿り着いているのはセンスのあるごく一部のみである。氣による気配察知となると達人級の実力が求められる。
そもそも今の王都の人口密度は一時的に過密と言っていいほどに高まっているため、分別できなかったのだろう。
違和感程度のものは感じていても、確信には至れず、更には時間もなかった。
王宮に配備されたメンケントもまたその例外ではなかった。
「メンケント、どうした?」
「いえ……なんでも」
メンケントは先輩騎士の問いにかぶりを振り、しかし、なんとはなしに心の中で警戒感を強めた。
先輩はそれを気の緩みを正したと解釈したのか、彼の肩を叩く。
「最初からそんなに気合いを入れてると後で息切れするぞ。とはいえ、世界各国の首脳陣が集まる一大イベントの警備だからな。ネズミ一匹でも通すと外聞が悪いのは確かだ。抜かりなく行こう」
「了解であります」
メンケントは敬礼で答え、仕事に意識を戻す。
今現在、王宮騎士団は王宮内で行われる世界サミットの警備に当たっている。いくら会場が異空間なる理解の及ばない世界に隔絶されるとはいえ、その最中に王宮に侵入者が出れば会議終了直後を狙われる可能性はある。そうでなくとも王宮内に不逞の輩が入りこむことは許されない。
面子は王宮騎士団を全員投入し、王宮メイド隊を予備戦力に特殊戦術騎士団をはじめとする様々な騎士団から精鋭が投入され、嘗てない物々しい警備となっている。王宮の外は聖盾騎士団が衛兵を率いて固め、聖靴騎士団をはじめとする騎士団の人間が町のどこで問題が起きても対応出来るよう都内の主要な公的施設や人の集まるポイントに配備され、更に念には念を入れて王都外を外対騎士団と聖天騎士団までもが囲っている。
まさに鉄壁の守りだ。
にも拘わらずメンケントの警戒感が緩まないのは、サミット開始前にアストラエがふらっと現れて警告を残していったからだ。
『これは単なる僕の勘なんだがね、メンケント。今日は何かよくないことが起こると思うよ。もしそれが聖騎士団の手に余る事柄であったならば……王子の名において命じる。恥を捨ててでも情報をセドナかヴァルナに届けるんだ』
メンケントはここ暫く、アストラエ王子の護衛として王子の親友であるセドナ、ヴァルナと共に行動していた。その中で、王子の友人達がどれだけ規格外でフリーダムで信頼関係が密であるのかを思い知った。
結果として己を鍛え直すいい機会にもなったし、アストラエもそれまで以上にメンケントを信頼してくれるようになった。だからメンケントは王子の言葉に多大な疑問を抱きつつも、まぁ王子が言うなら心に留めておこうと頷いた。
先ほど自分が感じた嫌な気配は、王子の懸念の前触れかも知れない。
余りにも根拠のない感覚的なものであったために先輩騎士には言わなかったが、王子の言葉を思い出すには十分であった。
『――オペレーション・ニューワールド! 開始!!』
突如として放送設備から響き渡った、誰とも知れないくぐもった男の声に、警備全員が跳ねるように顔を上げる。
このような放送は計画にないし、悪戯にしても国の設備で行うのは悪質に過ぎる。これはナーガと王国人の融和によって齎された初の公共設備だ。騎士団隊長の指示ですぐに事実確認が行われる中、メンケントは漸く気付いた。
気配だ。
無数の気配が下から近づいてくる。
宗国で氣の修行を行ったメンケントは、王宮騎士団の中で最も索敵に優れた騎士となっている。その氣の感覚が、王宮を駆け上がるような気配の波を感じていた。
「侵入者だ!!」
別の騎士が大声で異常を知らせる。
「数は一!! 王宮正面口を強行突破して王宮に近づいている!!」
「なんだと!? 我が国の精鋭騎士団を打ち破って正面からとは舐めた真似をしてくれる……!!」
王宮騎士団でガチガチに固めた警備を吹き飛ばすほどの実力者を、メンケントはまだ感知していない。では、下から押し上がってくる気配は正面口の侵入者とは関係がない。
否――関係があるのではないか。
メンケントは咄嗟に叫ぶ。
「違う、それは囮だ!!」
「は? 何を言って……」
先輩騎士が苦言を呈するのと、王宮内部の隠し扉から一斉に巨大な体躯の化物が溢れ出るのはほぼ同時だった。
醜悪な疣、牙、潰されたような鼻に野太い四肢。
そして、一度見ると忘れられない緑色の皮膚。
出現したのは、オークの群れだった。
「ば、化物ぉ!? どうやって王宮内に入ってきた!!」
「慌てるな、冷静に迎撃しろ!!」
「そ、そうだ!! オーク撃退の訓練は受けている! 豚狩り騎士団の株を奪ってくれるわ!!」
王宮騎士団は、今回の警備に関してオークを操る犯罪者の存在を聞かされていた為に多少なりとも対オークを想定した訓練を受けている。実戦訓練はしていないが、それでも聖靴騎士団よりは真面目に情報を集めて、少ないながら対策も立てていた。
しかし――未経験の壁に、更なる未経験を重ねられることまでは対策しようがなかった。
「重装隊、前!! 一気呵成に押し込めぇッ!!」
それは、聞き慣れない女性の声だった。
その人物はオークよりは薄いが緑がかった皮膚を持ち、耳がフィサリ族ほどではないが少し尖った、人間のように見える女性。その女性の指示に倣うように、明らかに他のオークより皮膚の分厚いオークが盾を構えて整列する。
『『『ブギャアアアアアアア!!!』』』
「オークが……統率された兵士のように襲ってくるだとぉぉぉぉぉぉ!?」
三メートルを超える体躯の戦士達が、金属製の盾を突き出して一糸乱れぬ整列で襲ってくる。王宮という通路の幅が限られた空間でそれは余りにも騎士達に不利だった。
されど、腐っても王宮騎士。
ただではやられないと迎撃に移る。
「狼狽えるな!! こんな時に戦わずして何が王宮騎士かッ!!」
メンケントも氣の力を応用した強力な蹴りでオークの進行を止め、その隙を仲間の騎士達が切り崩そうと躍り出る。中には予備装備からメイスなどを持ち出して対応しようとする者もいた。
しかし敵は大柄なオークであり、筋力もさることながら重量のせいで力づくでは押し戻せない。しかも一列を突破しても奥に更に一列、と数段構えになっていて思うように切り崩せずにじりじり後退させられる。
やられっぱなしではいられないと数人のベテラン騎士が前に出た。
「いくら図体がでかかろうが、壁を走って抜けてしまえば身動き取れまい!!」
「我らを舐めるなよッ!!」
裏伝の歩法を使って即座に跳躍、ないし壁を走って突撃してくるオークたちを飛び越える。だが、飛び越えた先に待っていたのは別のオークだった。
「軽装隊、防ぎなさい!!」
『ブギャッ!!』
「な、毛の生えたオーク!?」
騎士達に空中で飛びかかってくるのは、全身を白い体毛に覆われたオーク。他のオークに比べて身体がスリムな彼らはサルのような俊敏さで騎士達を空中で捕まえる。空中でなんとか迎撃した騎士もいたが、体毛が邪魔して剣の入りが浅く、組み付かれる。
「おのれ、おのれ豚が!! この、このっ……」
最後の抵抗とばかりに馬乗りになられた騎士が拳で抵抗するが、相手がオークでは人間ほどの効果はなく、逆に激高したオークに顔面を殴り飛ばされる。
「ガハァッ!?」
「やめなさい、殺したら面白くないわ。骨の一、二本はかまわないけど顔を狙わないで。貴方たちの拳は人間には大きすぎる」
『ぶ、ブヒッ……』
殴ったオークが、悪事を働いたことがばれたペットのようにしゅんとする。
メンケントはその光景を遠目に見て背筋が凍った。
このオークたちは、恐らく人語を解している。
オークの混ざったような女性が力強く指示を飛ばす。
「鎮圧しなさい!! なるべく殺さないように、しかしやむを得ない場合は殺しなさい!!」
『『『ブゴォォォォォォォォ!!』』』
別の通路や重装オークを飛び越えて、毛の生えたオークやモヒカンのオークたちが雪崩れ込んでくる。どのオークも軽装ながら防具を装着し、棍棒も木の棒ではなく衛兵の使う警棒のようなある程度整った装備だ。
タフさ、防御力、馬鹿力を兼ね備えたオークたちの、人のようでいて人とは違う波状攻撃に精鋭揃いの王宮騎士団が追い込まれていく。隊長格の騎士は盾ごとオークを貫いたり、防具を避けて切り裂くことで何とか突破口を開こうと奮戦するが、次々に隠し通路から押し寄せるオークを相手に数で押されていく。
「くそッ、どういうことだ!! こいつら何故地下通路の存在を……いや、そもそもあの司令官らしい女はなんなんだ!? 駄目だ、数が多すぎる! う、うおぉぉぉぉぉ!!」
「た、隊長!? くそ、下がれ!! 態勢を立て直して――」
「駄目です、後ろからも来ます!!」
頼みの綱だった隊長格がオークの群れの中に飲み込まれていき、姿が見えなくなる。外からの救援を待つにしても間に合わない。そもそもどれほどのオークがいるのか分からない。王宮騎士団は次第に恐慌状態になっていく。
メンケントは生唾を飲み込んだ。
皇国のような大雑把な指示ではなくきちんと指示に従う、統率の取れたオーク。しかも、恐らくあの女性がメスオークと同じようなフェロモンを放っているのか、オークは仲間が殺されてもまったく死を恐れず突っ込んでくる。
(統率された魔物の軍隊……これほどなのか!! もし更に練度が上がっていったら、大砲や弓矢、船なんかも使えるようになってしまったら……!!)
と、オークの一部が吹き飛んだ。
同時に響いた凄まじい氣の奔流。
いつの間にか通路の一角にいたオークが根こそぎ倒れ伏している。
「……このセバス=チャン・バウレンの目が黒いうちに斯様な狼藉を許すことになるとは、屈辱極まれりですな」
表情のない、冷たい声。
そこにいたのはいつもは柔和な微笑みを絶やさない黒髪の執事長――セバス・チャン・バウレンだった。本来ならサミットに同行するはずがアストラエの口添えで王宮に残っていたのだ。彼が倒したオークは全て呼吸がなく、ほんの一瞬の間に神業めいた殺人業で仕留められたことが分かる。
次の瞬間、ひゅるりと風が通り抜けたかと思えば既にチャン執事長は騎士より前のオークに近づき、残像が見えるほどの速度で複数回腕を振るっていた。
後れて、盾の隙間から首を突かれたらしいオークが泡を吹いて首をおかしな方向に曲げて倒れ、空中から迫っていた白毛オークが四肢の関節を砕かれて吹き飛び、しっかり守りを固めていた筈のオークが盾と鎧越しに何かの力を受けて吐血する。
「狼藉者の血で汚れたカーペットは、全て処分して買い直しですな」
ヴァルナが素手でチャン執事長に勝てないと言った理由が嫌でも分かる。俊敏、精緻、狡猾、野蛮、あらゆる戦いの要素を指先にまで行き渡らせ、一切の無駄なく集約した殺人技術の結晶だ。
バン・ドンロウとガドヴェルトという拳の頂点に立つ者たちさえ一目置くチャン執事長の拳に騎士達が戦慄していると、彼が振り返る。
「王宮騎士の皆さん。残念ながら王宮は陥落寸前です。通信設備も抑えられました。速やかに王宮を脱出し、他の騎士団にこのことをお伝えなさい」
「しかし、我らの使命は王宮を守る――」
「現実を見なさい! ここで粘ることだけが国の為ではない筈ですよ!!」
「ッ!!」
「……私が通った道は今だけは敵はいません。急ぎなさい」
凄まじい剣幕に誰も二の口を告げられない。
気付けば副隊長が執事長に敬礼してその脇を駆け抜け、他の騎士も抜けていく。オークたちの方を見やれば、警戒はしつつも規格外の強さを持つチャン執事長を相手に攻めあぐねているようだった。
メンケントも王子の指示を思い出して先輩達の後を追う。
すれ違い様、チャンがメンケントにだけ聞こえるよう呟く。
「敵は王宮内に大量の爆薬を持ち込んでいるようです」
「……! 必ず伝えます!!」
メンケントは駆け抜ける。
たとえ最後の一人になろうとも、この情報を外に伝えると決意しながら。
チャン執事長の言う通り、彼の通った道はオークの死体が山積していた。しかし遠くから接近する無数の気配が、猶予の少なさを物語っている。先輩騎士が固唾を飲み、足を止める。
「……先に行け。囮になって少しでも足を止める」
「しかし!!」
「少しでも脱出率を上げるためだ!! 心配するな、死ぬまで抵抗する気はない!」
「……馬鹿が! 勝手にしろ!」
「お前もさっさと行け、メンケント」
「先輩……!!」
自分も残って戦うと言いたかった。
しかし、騎士の覚悟と使命がそれを許してくれない。
しばらくして、先輩騎士の悲鳴と剣が落ちる音が後ろから聞こえた。
走って走って、また幾人かの騎士が囮になっても走り続け、メンケントが辿り着いた先には王宮メイド長のロマニーと周囲に積み重なる数多のオークの死体があった。どれも喉を投げナイフで一突きにされている。ロマニーは大量の投げナイフを構えたままメンケントに向けて叫ぶ。
「貴方以外の騎士は!?」
「全員、囮に……!」
「くっ……メイド隊は一通り逃がしましたが、これ以上は持ちこたえられません! 先に行きなさい!!」
彼女の後ろにある隠し通路に飛び込むと、即座にロマニーも通路に入って扉を閉め、厳重に鍵をかける。メンケントは残っているチャン執事長を思い出して思わず叫ぶ。
「執事長がまだ戦って!!」
「覚悟の上での殿です!! お察しなさい!!」
「ぐ……!!」
ぴしゃりと叱られ、返答に窮する。
あれがヴァルナなら全滅とはいかずとも半壊くらいにはオークを仕留めてチャン執事長をここまで連れてこられた筈なのに。同じ期間を修行した自分には何故その力がないのだろう。
悔恨や意地がこみ上げて歯を食いしばるが、飲み込む。
「せめて王子の期待に応えなくては、申し訳が立たん」
「それでいいのです。行きますよ! 連中は全ての隠し通路を把握している訳ではないようですが、接敵した場合は仲間を見捨ててでも外に行きなさい!」
二人は同時に狭い隠し通路を駆け出す。
察知出来る気配の中から、チャン執事長の桁外れの気配が揺らぎ、弱まっていくのを感じた。
(この屈辱、生涯忘れん!! 仕向けた者が何者かは知らんが、必ず俺たちは王宮に戻ってくるぞッ!!)
激情を必死に堪えるメンケントに反して、ロマニーは静かだった。
彼女は静かに、外の惨状を予測していた。
(地下から王宮へ繋がる隠し通路は、王国内の殆どの重要な拠点とも繋がっている。この通路はそれとは繋がっていないが、もし既に地下通路が制圧されているなら……王都の拠点を一斉攻撃された可能性もある)
王宮騎士団でもこの有様なのだから、他は更に一方的な戦いになったかもしれない。
まさに王国の歴史上最悪の事件だ。
副メイド長ネフェルタンたちと一緒に先行させた妹のノマが無事であることを願いつつ、ロマニーは怒りと無力感で煮えくり返るはらわたを無言で抑えこんでいた。
◇ ◆
「……ええ、王宮内は制圧しました。騎士団の皆さんは丈夫ですね。一部重傷ですが、王宮の治癒師を脅してほどほど程度に治させてます。全治すると暴れて面倒ですから。ええ……ええ、計画通りに作業中です。まもなく終了するかと」
オークと人の混ざったような女性は、通信機越しに己の上司に連絡する。
その周囲には部下たるオーク立ちの姿と、ローブで身を隠した何者かが鞘に収まった剣を腰に収めて壁に寄りかかっている。
「援軍感謝します。あの老人、こちらを皆殺しにする気かと思うほどの気迫で……ええ、確認中ですがおよそ六十ほどのオークがやられました。被害の半数以上が執事長一人にやられ、おのが未熟を恥じるばかりです、はい、はい、いえ……ご過分な評価、痛み入ります」
彼らの背後には、十数体の即死したオークの死体の中央で膝を突くチャンの姿があった。
腕を折られ、頭部を殴打されて出血し、意識は朦朧とする中、チャンは己の力不足を嘆いた。
(複数の、戦闘能力の高いオーク……には、対応したが……あの、ローブの剣士……あれは、格が違った……このセバス=チャン・バウレンの力量を以てして、流しきれなかった……)
複数のオークを完全に見捨てて囮にすることでこちらの行動リソースを極限まで削った上で、オークの背後や死角に人間離れした足捌きで次々に翻弄し、絶対に当たるタイミングを見極めた上での攻撃。アストラエやヴァルナのような天性のバトルセンスがなければ出来ない芸当だった。
一撃で腕の骨を持って行かれ、そこから先は粘ったものの時間の問題だった。
王の期待に添えず、王子の命令すら守れなかったことは人生で初めてだ。
自分も年老いたということなのかもしれない。
しかし、自分の身を晒すことで途切れず繋がった線もある。
(後は任せましたよ、ロマニー……メンケントくん……そして……――)
いつの間にか自分の弟子として名の広まった一人の青年のことを思い出しながら、チャン執事長は意識を失った。




