455.ワールドサミットです
おわりのはじまり。
瞼を刺激する明るさが、微睡みの中に沈んだ自分を優しく揺する。
意識がゆっくりと浮上し、自分が毛布もせずにベッドに倒れ込んでいるという客観的事実に気付く。
「んゅう……?」
はて、起こされてもいないのに自分が起きるとは珍しいこともある。
自分の寝起きが極めて悪いことに自覚的であるノノカ・ノイシュタッテは自己分析する。見慣れた自室の研究室は昨日まで忙しかったせいでいつも以上に散らかっており、掃除に手間がかかりそうなので後でヴァルナを頼ろうと勝手に決定する。
寝起きの悪い自分が急に起きるときは、統計的に見て『何か』が起きる日である。
――などと言うと古い友人であり心理学者のアロットに告げれば前日から一週間遡って起きた出来事を分析された挙げ句に原因を究明しようと付き合わされた過去があるのでノノカは『カン』の一言で済ませるようにしている。
当たれば儲けもの、外れたらそれはそれ。
研究職者としてそんなものでいいのかと言われれば、むしろ運は重要であるとノノカは返す。調べたい生物の調べたい生態は望んでも見られないことなどザラで、運が悪いとせっかく長期間張り込みをしたのに結局何らかの都合で予測が外れて無駄足に終わることもある。
今更寝直す気にもなれないノノカは昨日から着たままの汗臭い服と下着をぽいぽいと床に捨てながらシャワールームに向かう。ヴァルナからはずぼらだなんだとたまに愚痴られるが、その手間を研究に回すのが研究職だ。
温水で身体の不快感を洗い流す。温められた血流が全身を巡り、休眠状態だった肉体が活気を取り戻していく。
あとは適度な運動と食事だと思ってデスクの上を見れば、『料理班より愛と栄養を籠めて』と書かれたメモ紙の乗ったランチボックスがあった。蓋を開けてみれば瑞々しい野菜やハムの挟まったクラブサンドが並んでおり食欲をそそる。
メモ紙の裏には『いろいろあるので片付けは明日に』と見覚えのあるヴァルナの筆跡で走り書きがあったため、彼が料理班に頼んで用意してくれたのだろう。
本当に可愛くて気の利く子だ。
何かの拍子に騎士団を首になったら是非雇いたい。
(だからって失敗して欲しいとは思いませんけどね。ヴァルナくんは今のあれでいいし、あれがいいんです。きっと)
ここ最近常備していた水出しコーヒーとともにいただいたクラブサンドは、とても美味しかった。
水出しコーヒーと言えば、と、ノノカは水出しコーヒーのコツを教えてくれた友人のことを思い出す。
(セネガさん、そろそろンジャさん連れて騎士団に復帰するんだっけ)
悪戯心を忘れない女騎士セネガとそれなりに仲の良かったノノカは、数日前に彼女から受け取った手紙のことを思い出す。セネガはここ最近、義父の騎士ンジャと共に休職していた。理由はバノプス砂漠での変異オーク狩り騒動で負傷し体調も大きく損ねたンジャの湯治であり、王国北東の村にある要人御用達の秘湯ユカーナでずっとンジャの体調回復に付き合っていた。
元々無茶をしていたせいで体調はかなり悪かったらしいンジャだが、今では温泉効果とイセガミ商事が列国から取り寄せた滋養強壮効果のある薬や食べ物で相当持ち直したらしい。
また小難しい言葉使いをするンジャに即座に噛みついて揶揄うセネガという騎士団名物が戻ってくると思うと、妙に嬉しくなる。すっかりあの騎士団は自分のホームになってしまったようだ。
ドレッサーにしまってあったまっさらなぶかぶか白衣を着ていつものソコアゲール靴を履いたノノカは、ふと研究室の扉の横に備え付けられたポストに手紙が一通入っていることに気付いた。
なんの気なしに封筒を雑に破いて中の手紙を検める。
「ふむふむ……なるほど……へー」
手紙の内容は、ノノカの口から漏れた暢気な声と釣り合いが取れないほど重大な内容だった。
――曰く、手紙の主は『オーク品種改良事件』の重大な真相を知っている。
――曰く、まだ誰にも気付かれていないが、騎士団経由で情報を流そうとすれば先回りされる可能性があるので、間接的な方法でノノカと連絡を取った。
――曰く、自分の予想が正しければこれから王都で大変なことが起きるので、今後の事を話し合うために大至急来て欲しい。
要約すると、内容はそんなものだ。
王都ではごく稀に『怪文書』とでも言うべき思わせぶりなことだけ書き連ねた手紙がいろんな人に届けられることがあるのだが、今回のこれは悪戯でしたで笑って許せる内容ではない。
ノノカとて、この件を探っていた元騎士の書官が襲われて行方不明であることくらいは知っている。これは非常に危ない橋だ。しかし、ヴァルナには言っていないがノノカも大陸では結構危ない橋を渡ってオーク研究をしてきた人間である。
「……虎穴に入らずんばなんとやら、だね」
ノノカは暫く手紙の内容を熟読したのち、手紙に記された待ち合わせの時間までそれほど猶予がないことに気付いて急いで出かける支度をする。手紙には走り書きをしてテーブルに放った。
今日は世界サミット開催当日だ。
交通規制も敷かれるため、急がないと目的地にたどり着けない。
「果たしてこれが『何か』なのか、それとも更に先に『何か』あるのか……」
やはり、自分が早起きする日には『何か』あるようだ、と、ノノカはおかしい気持ちになって笑った。
◇ ◆
世界サミット。
大陸を中心に数多存在する全ての国家が例外なく参加するそのサミットは、世界の今とこれからについて時の国王たちが協議する場だ。
主催は天界と魔界の使者という文字通り浮世離れした世界の者たちが中立の立場として会場をセッティングし、他の如何なる者にも干渉されることなく世界の行く末を決定する。
全ては人類が正しく発展する為に。
「で、僕は悪魔に聞いたんだ。正しい発展とは何かと」
「悪魔はなんて答えたんだ?」
「そんなのどうでもいいからトランプで遊ぼうぜ! 魔界の公務って死ぬほど暇なんだよ! ……だってさ」
苦笑交じりにおどけるアストラエに、悪魔ってフリーダムだなぁと俺は思った。
やっと海外巡りを終えて母国の王宮で久々に開かれた茶会には、いつも通り俺、アストラエ、そしてセドナが揃っている。
アストラエが肩をすくめる。
「ま、最低限の口出しだけしてあとは地上の都合に合わせるのが天使と悪魔の基本スタイルだと僕は思ってるよ」
「ねえねえ、天使の方はどうなの?」
「見た目はとにかく真面目で厳しそうな印象だね。悪魔の誘いも最初は突っ返すし。でも最終的にはしつこい悪魔に折れてトランプを始めて、一度始めると子供かよと思うくらい一喜一憂してるよ。ババ抜きは全部顔に出てるからぶっちぎりの最弱なくせに挑んでは連敗してスネるしさ。悪魔はそれを見て煽りまくって最終的には取っ組み合いだね」
「子供か!」
物語によって形作られた俺の中での天使と悪魔の概念がよく分からなくなりそうだ。
「ともかく」とアストラエは人差指を立てる。
「もうすぐ王宮で世界サミットが行われるが故、暫く君たちには会えそうにない。天使と悪魔を直接紹介できないのは残念だが、流石にそこは僕の権限ではどうにも出来ないことさ」
世界サミットの議題に関しては俺でも想像がつく。
天界魔界未管理の緋想石を用いた魔物改造実験についてだろう。
本当にヤバイ問題なので介入なり確保なりリンチなりオーク根絶なり早く結論を出して欲しい。俺のお勧めはオーク根絶だけど。気の迷いでついでに承認されろ。
「是非とも実りある結果になって欲しいところだな。俺は……相当職場空けたから本部で伝達事項片っ端から確認する作業から逃げたいよ」
「あははは……ガンバレ、ヴァルナくん! わたしはヒュベリオくん失踪事件の方を手伝う予定」
その名を聞いた途端、アストラエは浮かない顔をする。
「ああ、ヒュベリオ……まったく僕も迂闊だったよ」
「どっちかって言うと頼んだ俺が悪かったと思うがな」
全員の顔に影が差す。
長期出張を終えて王国に戻った俺たちの耳に飛び込んできたのは、士官学校時代の同期でありオーク関連の事件の調査を俺が個人的に持ちかけたヒュベリオの失踪だった。
どう考えても、今回のオークと石に関わる事件に巻き込んでしまっている。
これに関しては聖盾の他、外対騎士団も独自に調査をしているようだが、今のところめぼしい成果はない。最悪の場合は考えたくもないが、もしそうであるなら俺はヒュベリオの妻になんと言って詫びればいいか分からない。
無意識に頭が俯いてしまう俺の背中をセドナが叩く。
「背負い込みすぎない! 別にヴァルナくんだけが悪い問題じゃないでしょ? いい方に考えようよ。ね?」
「そうだぞヴァルナ。そもそもだな? 誰が悪いって、襲撃した奴が一番悪いに決まってるんだ。落ち込む方より悪の成敗に気持ちを回す方が騎士らしいんじゃないか?」
「……まぁ、そうだよな。うっし、俺はヒュベリオが生きてる方に賭ける!」
俺が気を揉んだらあいつの生死が決まる訳でもない。
どこかで折り合いをつけられなければ仕事に支障を来す。
気持ちの切り替えは俺の特技の一つだ。
ただ――どちらにせよ、彼を襲撃した何者かは捕まえる。
「犯人は地の果てまで追い詰めて絶対に牢屋にぶち込んでやろう」
(笑顔で言うな、怖いから)
(犯人さん終了のお知らせだね)
聞こえてるぞ、ひそひそ話。
わざとか? わざとだな?
はい、始まりました。
始まってしまいましたね。
最後まで突っ走ります。




